第71回 茶緑日和
「ねぇムース、どうしてあんなことになってたの?」
しゃりしゃりと小気味好い音を立てながら、乾いた枯れ葉の積もった森を歩くミントは、絶体絶命の状況にいらっしゃったムースにそのわけを尋ねた。
「飛行船から飛び降りたらそこがたまたま絶壁でしたの」
その問いに、彼より少し背が高いムースは、顔を若干下に向けながら答えた。
「飛び――?! 何故に飛行船から飛び降りちゃったのさ!?」
すると、ミントは彼女が飛行船から落ちた理由を問うた。
「船の上で少々ありまして……その、なんと言いますか、刺客に命を狙われてましたの。でも、船の上で戦うわけにもいきませんでしょう? ですから、逃げ道を失ってしまった時に飛行船から飛び降りましたの」
ムースは、どう答えたらいいものか、と困ったように微笑みながらそう答えた。
「まったくもって少々じゃねぇ?! って言うか刺客って何さ!? そんでもって、どんだけ壮絶な船旅なのさ?!」
とんでもお嬢様な彼女に、三連突っ込みをきめるミント。
「いいえ、いつものことですわ」
「うん―…ええ!? いつものことなの?!」
にこっと笑ってみせたムースに、ミントは再び突っ込んでしまった。
「ええ。まあ、お金のないお馬鹿さんたちが、わたくしを人質にして父から身代金をいただこうとしているだけだと思いますが」
やれやれと肩をすくめながら溜め息をつくムースに、
「あ……そっか。ムースのお父さんは社長さんだもんね?」
ミントは思い出したように言った。
「はい。わたくしの父は、"ジェラート社"の社長ですわ」
彼の言葉に、ムースはこくりと頷いた。
「へぇ、ジェラート社……ジェラート社?!」
それを聞いて、ミントはびっくり驚いた。
「はい、ジェラート社ですわ」
「じゃっ、じゃ……まさかこれって……?!」
再び頷いたムースに、ミントが震える右手で左手に持っているコーラのビンを指さすと、
「ええ、我が社を代表する炭酸飲料ですわ」
彼女はにっこりと笑ってそう言った。
「すっげーーーーー!!」
「ウフフ、ご愛飲してくださっているようで、嬉しい限りですわ」
キラッキラな尊敬の眼差しを向けるミントに、ムースは口元にふわふわのセンスをかざしながら、ウフフと上品に笑ってみせた。
「あら、到着したようですわね」
「え? あ、本当だ」
笑っている途中で森を抜けたことに気が付いたムースと、彼女に言われて初めてそのことに気付いた、真面目にリスペクトしていたミント。
「って、あれ? 飛行船がとまってる」
ついでに、ミントは学校の前に飛行船がとまっていることに気が付いた。
「あら、ご存知ありませんの?」
彼の反応を見て、ムースは不思議そうに小首を傾げながら、
「本日はセイクリッド校とバテコンハイジュ校の両校合同のハロウィンパーティーがありますのよ?」
と、言った。
「え? そうだったの?」
ミントは驚いたように口で答えつつ、
(……ええと、"バテコンハイジュ"ってのは隣の国の国立魔法学校だけど、"セイクリッド"ってのは……? ……あ、この学校の名前かぁ)
などと、まるでこの学校の名前を初めて聞くような考えをめぐらせた。
「おお、ここがパーティー会場か!」
「ようやく辿り着けましたね」
国立魔法学校の食堂兼大ホールの扉の前にやって来たのは、長めの緑色の髪の美男子さんと、どこか冷めた雰囲気の茶髪眼鏡の男の子。
「いやあ、流石のアセロラ君でも、やはり初めて来た所の地理までは把握していなかったようだな?」
わっはっはっと軽快に笑いながら、豊かな緑の髪を揺らしている彼は、何やら怪しげな手帳を見ている彼、アセロラにそう言った。
「いいえ。別に分かってましたけど」
すると、アセロラは眼鏡を外してそれに息を吹きかけて汚れを落としながら、
「バジルさんが馬鹿みたいに迷う様を後ろから見て楽しませていただきました」
なんの臆面もなく、彼、バジルに向けてさらりと答えた。
「ようし、早速我々もパーティーに参加しようではないか!」
しかし、基本ヒトの話を聞かないタチなバジルは、バンッと勢いよく食堂の扉を開けようとした。
「……あれ?」
が、開かなかった。
「バジルさん、それ、押すのではなくて引かなければ半永久的に開きませんよ」
「ははは、な〜んだ引くのか!」
アセロラの冷ややかな突っ込みが入り、バジルは今度こそ食堂の扉を引いて開けた。
「きゃ!?」
「うわ?!」
ドンッ!
バジルが食堂の中に入ってすぐに、彼は人とぶつかってしまった。
「いったー……」
「いたた……君、気を付けたまえ!」
起き上がりながら痛そうな声を発した相手に、尻餅をついてしまったバジルがそう言うと、
「ごめんなさーいっ」
彼女、ココアは素直に謝った。
「――!?」
バキューーーーーーン!!
直後、銃声が鳴り響き、バジルの時間が、止まった。
「なんてベタな」
その後ろで、なんかボソッと呟いちゃったアセロラ。
「……?」
こちらを向いた状態からまったく動かないバジルに、疑問符を浮かべるココア。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……変な人ー」
動く気配のない彼を見て、ココアはボソッと言いながら、さっさとその場から去っていった。
「……」
「……」
「……。アセロラ君」
「はい?」
ややあって、バジルはようやく口を開いた。
「私はまた一人迷える仔猫ちゃんを虜にしてしまったようだ……」
「いえ、思い切り変人と見なされてましたよ」
何か言い出した彼に、アセロラがさらりと言うと、
「アセロラ君! 彼女は一体?」
バジルは起き上がって彼に質問をした。
「……ココア=パウダー。セイクリッド国立魔法学校第三学年の女子生徒。ミスウサギさん寮に選ばれている成績優秀な闇魔法使い。好物はココアとオムライスで弱点はカタツムリ。趣味は菓子作りと裁縫。家は超豪華温泉旅館で……」
すると、アセロラは眼鏡をかけ直して怪しげな手帳を捲り、つらつらと個人情報を流し始めた。
「ふむふむ」
その一体どこから仕入れてきたのか謎な情報を、ふむふむと珍しく真剣に聞くバジル。
「……彼氏存在」
「ふむ―…むはあ?!」
信じられない言葉を聞き、バジルが目を見開くと、
「残念。どうやら、また貴方の迷惑極まりない勘違いだったようですね?」
まったく残念そうではない平坦な声を発しながら、アセロラがぱたんと手帳を閉じた。
「そ、そんなまさか……」
こうして、彼の恋心は粉々に砕け散―…
「あんなに可愛い仔猫ちゃんを騙す男がいるなんて、許せないじゃないか!!」
―…らなかった。
「アセロラ君!」
「はい。ポトフ=フラント――」
自意識過剰かつ迷惑なほどポジティブなバジルに、少しは楽しめそうだと考えたアセロラは、再びつらつらと個人情報を流し始めた。