第70回 ツキなし日和
眠い眠い社会学の授業が終わり、やっとの思いで食堂にやって来たミントは、衝撃の事実を耳にした。
「コーラが無いぃ?!」
「そうなんだよ。ごめんねぇ、仕入れの時にミスがあったみたいで」
全身から血の気が引いてしまうほどショックを受けたミントに、申し訳なさそうに謝る食堂のおばちゃん。
「そっ……そんなことって……」
「み……ミント……」
今までに無いほどがっかりと落ち込んでいるミントを見て、食後のプリンを買う為に彼の隣に並んでいたプリンは、
「! ミント、コーヒーはどうだっ?」
その時たまたま視界の隅に映ったこの食堂のメニュー欄の、一番コーラに色合いが似ている飲み物をオススメした。
「う、うむ! コーヒーなら色合いだけでなく何やら名前も――」
「………………プリン?」
「――む?」
彼なりに一生懸命元気付けようとしている途中でミントが名前を呼んだので、プリンは小首を傾げながら返事をした。
「オレ、駅の自販機までちょっくら行ってくるね」
「ぴ」
すると、ミントはそう言って、
どぴゅーん
風のように去っていった。
「わわ……ミント……」
まったくもってちょっくらではない距離をコーラの為だけに走っていったミントを、プリンはただただ見送った。
「……カスタードプリンを頼む」
「あいよ」
こら。
「……ぷはあっ、やっぱりコーラは最高だよ〜♪」
本当に駅の自販機までコーラを買いに来ちゃったミントは、幸せそうに口の周りを拭いながら森の中を歩いていた。
「ん、もう落葉舞い散る季節なんだねぇ」
赤や黄色に色付いた木の葉がひらひらと舞い落ちているのを見ながらミントがそう言うと、
「……て……」
どこからか、小さな声が聞こえてきた。
「ん?」
ので、ミントは立ち止まって耳をすました。
「……て……誰か……」
すると、
「助けてください!!」
今度ははっきりと聞こえてきた。
「――! あっちの方からだ!!」
何やらドラマが始まりそうな台詞をキャッチしたミントは、助けを求める声の呼ぶ方へと駆け出した。
「どこですか―…って、うおわあっ?!」
ザザザッ
走りながら声の主を探していると、ミントの前に突然絶壁が現れた。
「な、なんで森の真ん中に絶壁が?」
危ねえ危ねえ、と冷や汗を拭いながら疑問を口にしたその直後、
「って、ムース?!」
「! ミントさん!!」
絶壁の途中に突き出た岩にぶらさがっているユルふわ紫髪のお嬢様、ムースを発見した。
「ななな、なんでそんなとこにいるのさ?!」
「お……落ちてしまったん……ですのっ!」
ミントの問いに苦しそうに答えた後、
「っですから! た、助けてください……っ!」
もう限界に近いのか、ムースは切羽詰まった声で彼に助けを求めた。
「う、うんっ! ちょっと待てて……ローズホイップ!!」
彼女を救うべく、ミントは薔薇の鞭を出現させた。
――すると、
『シャアアアァァァ……』
「「・・・え?」」
絶壁のほの暗い底から、何やら蛇が威嚇の時に出すような音が聞こえてきた。
「む、む、むむっ、ムース?」
「は、は、はい?」
「ぜっ、ぜぜぜ、絶対に下見ちゃダメだからねっ?」
ついでに、絶壁を覗き込んでいるかたちになっているミントは、何かギラギラと光るものが見えちゃったようで。
「そそっ、それはどういう―…」
「あああ朝顔おおお!!」
質問の途中で冷や汗ダラダラなムースを冷や汗ダラダラなミントが薔薇の鞭を巻き付けて釣り上げたのとほぼ同時に、
『シャアアアアアア!!』
「きゃああああああ?!」
「うわああああああ!?」
規格外にでかい蛇のような魔物が、巨大な口を開けて絶壁の底から地表に飛び出した。
「「ああああああ!!」」
ので、ミントはムースを担いだ状態で、迷うことなく逃げ出した。
「はあっ……はあっ……こ……ここまで、来れば……大丈夫、だよね?」
両膝に両手をつけて荒い息をしながらミントが言うと、
「な……なんだったんですの、あれは?」
彼に担がれていた為、あまり息切れはしていないムースが、青白い顔で疑問符を浮かべた。
「ああ、あれは……オレも教科書でしか……見たことなかったけど、確か」
すると、ミントは顔を上げて、
「"チャッピィ"っていう魔物だよ」
「……えらい可愛らしいお名前をしていらっしゃるのね……?」
と、答えたところ、ムースはよくある大粒の汗を浮かべながら、素直な感想を口にした。
「となると、あの絶壁は巣穴だったのか……いやぁ、冬眠前の魔物は本当に危ないんだねぇ?」
「! ミン―…」
目なんかもうやばいくらい血走ってたし、とか言いながらあっはっはと笑うミントに、何かに気が付いたムースが口を開きかけると、
ガサガサ
『人間だ』
何やら低い声が聞こえてきた。
「「え――?」」
それにミントとムースが振り向くと、
『人間、人間だ』
二人の背後には、木で出来た仮面をつけたゴリラのような魔物が、
『人間だ』
『食べ物だ』
『肉だ』
『肉、肉だ』
いっぱいいらっしゃった。
『人間だ』
『肉』
「うわあ……なんか囲まれちゃったっぽい?」
「そ、そのようですわね」
『肉、肉だ』
不気味な低い声を発しながら、のそのそと近付いてくる魔物たち。
「はあ……なんっかツイてないなぁ今日は」
自分の運の悪さに溜め息をつきながら、薔薇の鞭を構えたミントは、
「下がって、ムー―…」
攻撃の時に巻き込んでしまわないように、ムースに下がるように頼もうとした。
「あら、お下がりになるのはミントさんの方ですわ」
が、それは強気な言葉で拒否された。
「―…ス?」
ムースの言葉に驚き、疑問符を浮かべながら彼女に顔を向けるミント。
すると、
「――雄々しき水よ、今、ここに集いて怒り狂え――タイダルウエーブ!!」
ドッパアアアアアアン!!
ムースが前方に突き出した両手の先から、大量の水が飛び出して、それは津波となって魔物の群を一瞬にして呑み込み、消し去った。
「……す……すごいね、ムース」
「あら、ありがとうございます」
一瞬でカタがついてしまったので、ぽかんと口を開けるミントと、彼の言葉を素直に受け取るムース。
『人間―…』
「アクアシールド」
ごぽん
背後から襲いかかってきた群れの残りを、初めから分かっていたかのように右手だけをそれに向けて水の盾に閉じ込めると、
「……さあ、参りましょう?」
ムースは何事もなかったかのようにスタスタと国立魔法学校に向かって歩き出した。
「は……はい……」
(………………おっかねぇ)
水の盾の中でゴボゴボと溺れている魔物を視界の隅に捉えてしまったミントは、ムースに恐怖の念を覚えつつ、素直に彼女に従った。