第35回 お見合い日和
昼食後の昼休み。
日当たりのいい中庭に生えている大きな木の下にある小さなテーブルで、ミントはノートを広げてテスト勉強をしていた。
「……で、ここでゴルゴンの定理を使う」
彼のノートの中央辺りを指さしながら、プリンはそう言うと、
「分かった?」
ぴょこっと顔を上げて小首を傾げた。
「……」
しかし、もの言わぬミントは羽ペンを持ったまま固まっている。
「? ミント?」
そんな彼の顔の前で、ふいふいと手を振ってみるプリン。
「っにゃーーーーー!!」
「ぴわわ!?」
すると突然、ミントは頭を抱えて叫んだ。
「ど、どうしたの?」
「うわーん!! 全然分かんないよー!! って言うか、誰だよゴルゴンってー?!」
「む? ゴルゴン=ゾーラは魔法暦八百年代に活躍したバテコンハイジュ出身の数学者で魔力曲線や空間座標の算法の他に無属性魔法に関する魔力消費率―…」
「やーめーてー!!」
さらさらと語り出したプリンに、両耳に両手を当てながら叫ぶミント。
「ぴわわっ、ご、ごめん、ミント!」
プリンは慌ててミントに謝ると、
「で、では、こっちの例題からやろう?」
テーブルに置かれた教科書のページをぺらりと戻しながらそう言った。
「……うん」
彼の言葉に、ぐすっとしたミントが頷くと、
「お疲れ、ミント♪」
ひやっ
「ひや?!」
聞き慣れた声に次いで、頬に何か冷たいものが当たった。
「! ありがとう、ポトフ!!」
振り向くと、そこにはポトフがコーラを持って立っていたので、ミントは透かさずお礼を言った。
「あっはっはっ! どォいたしましてェ♪」
ミントの頭をぽんぽんと弱く叩きながら、彼のノートを上から覗き込むポトフ。
「うはァ〜、数学かァ〜」
ノートの内容を見たポトフは、その先にいるプリンが目に入った。
「……」
「……」
「……ほらよ」
プリンの無言の訴えを読み取ったポトフは、彼の前に紙パックを置いた。
「……あおぢる……」
それに書かれた文字を読むプリン。
"じ"じゃないのか、とか思いながら、パッケージに描かれているアオムシは極力気にしないようにして、プリンはそれにストローを刺して飲んでみた。
理由は、折角ポトフが自分の為に買ってきてくれたものだから。
「……ぷえ、にぎゃい」
が、やはり不味かった。
「んーと、今やってるのはここだな。分かるか?」
目がバッテンになったプリンをよそに、ミントの隣に座ってテーブルに牛乳ビンを置きながら首を傾げるポトフ。
「……よく分かんない」
牛乳か。
牛乳なのか、とか思いながら、彼の質問に答えるミント。
「じゃァ、俺の出番だな♪ いいかァ? これがこォなるのは分かるよな?」
そんな彼に、ポトフはにこっと笑ってそう言った。
「うん」
「よし♪ で、次はこの式を……」
ので、ミントは彼の説明を聞き始めた。
「……ぷゆゅ……」
問題に取り組み始めた彼らの向かい側に座って、あおぢるに悪戦苦闘しているプリン。
美味しくない。
美味しくないのだが、折角買ってきてくれたのだから捨ててしまうのは……と、プリンが律儀にそれを飲んでいると、
「あ、いたいたー! プリンー!」
と、ココアの声が聞こえてきた。
「……む?」
呼ぶのは馬鹿犬の方ではないのか、とプリンはそちらを向くと、
「!?」
彼はそのままぱきっと固まった。
「ごきげんよう、プリン」
それは、ココアの隣に、青いドレスを身に纏った、いかにもお嬢様な紫色の髪の淑女がいたから。
「なっ、何故此処にいるんだ、ムース?」
彼女、"ムース"にプリンが尋ねると、
「あら、此処に来るのには理由がなくてはいけませんの?」
「ムースはプリンに会いに来たんだよー?」
お嬢様仕草+お嬢様口調で返すムースと、悪戯っぽく笑うココア。
「な、何をおっしゃってますの、ココアさん?」
すると、ムースは紅潮した頬に両手を当てながら、
「大正解ですわV」
と、言った。
「……」
「やー、愛されてるねー、プリンー? 流石婚約者ー♪」
呆れ顔をするプリンと、ニヤニヤ笑うココア。
「ねーねー、二人はいつ何処で何を誰と何故どのように婚約したのー?」
ふと思ったことをココアが質問すると、
「5W1Hですわね!」
「……"誰と"と"何を"はおかしいだろう?」
プリンの婚約者であるムースは上品に笑い、プリンは再び呆れ顔をした。
「では、お話しして差し上げますわ♪」
「やたー!」
「……ぷゆゅぅ……」
そうして、ムースは目を瞑って語り出し、プリンはどうでもよさそうに、再びあおぢると戦い始めた。
≫≫≫
「どういうことですの、おとうさま!?」
豪華な食事会場の、無駄に豪華な子供用の椅子に座った五才のムースは、苛立ちを抑え切れずに、バンと白いテーブルクロスがかかったテーブルを叩いた。
「やくそくの時間におくれるだなんて! しつれいきわまりないですわ!」
平仮名表記ではあるが、何故か発言が子供らしくないムース。
「お、落ち着くんだ、ムース」
彼女の隣に座っている、紫色の髪の紳士、ムースパパは、
「まだ二時間半過ぎただけじゃないか」
と、言った。
「二時間半ですわよ!? ピアノのおけいこと、バレエのれんしゅうができてしまいますわ!!」
二時間半も待たされて、当然ご機嫌斜めなムース。
「し、しかし……」
ムースパパは、気まずそうに向かい側の席にちらりと目を向けた。
「はっはっはっ! 遅いなあ、プリンは!」
「うふふふ。遅いですわねぇ、プリンは」
そこには、呑気に笑っているアラモード夫妻が座っていた。
(なんでお子さんは貴殿方と一緒じゃないんですかあっ?!)
そんな彼らに、心の中で思い切り突っ込みを入れるムースパパ。
「もういいですわ!! わたくし、もうかえらせていただきます!!」
ムースはもう一度テーブルを叩くと、とうっと椅子から飛び降りて走っていってしまった。
「! ムース!!」
「はっはっはっ! お手洗いかな、ジェラートさん」
「うふふ。お手洗いでしょうか、ジェラートさん?」
「……ええ。そうなんじゃないでしょうか」
政略結婚の相手なのだが、やっぱり断ろうかな、とか思うムースパパであった。
「まったく!! 二時間半もまたせるなんて、しんじられませんわ!!」
プンスカ怒りながら食事会場を出たムースは、階段を降りて外に出た。
「だいたい、なんですの、"せいかくけっこん"というのは?!」
ちょっと間違えているのはご愛敬。
「おとうさまは、かってすぎます!! わたくしが、わたくしがすきなのは……ひつじのジーノですのに」
羊ではなくて執事である。
ムースは切なげに呟くと、建物の前にある噴水前のベンチに座り込んだ。
「……ジーノはやくそくの時間におくれたりしませんわ。それに、とてもかっこよくて、やさしくて―…」
と、ムースがぶつぶつ言っていると、突然ふわりと風が吹いた。
「――!」
その時、ふと顔を上げたムースは、白い門の向こう側からやって来た少年を見て固まった。
風にそよぐ、流れるような水色の髪。
目も鼻も口も美しく整った綺麗な顔。
寝心地良さそうな、両端にピンクのひらひらがついた白い枕。
「……!!」
最後の一つは明らかにおかしいのだが。
「け、けっこんしてくだしゃい!!」
憐れジーノ。
ムースはすっくと立ち上がると、その少年、プリンに深々と頭を下げていきなりプロポーズした。
――その答えは、すぐに返ってきた。
「ぐー」
≫≫≫
「……てな流れですわV」
「……」
ムースの語りに、どこから突っ込めばいいだろう? とか思うココアと、
「うう……ぴや……」
未だあおぢると戦っているプリンと、
「わ、凄い凄い! ポトフ天才!!」
「あっはっはっ! だろォ?」
問題が解けたことに喜ぶミントとポトフであった。