矢張り貴女は天才だ
漸くあの方が登場です。
鬱蒼とした森の中を、黒い影が疾る。
眼で追う事が出来ない程の速さで進むそれは、留まることなく疾駆する。
やがて、僅かに差し込んだ光に照らされ、うっすらと影の姿が浮かび上がった。
それは人の形をしており、全身を黒く染め上げていたせいで、その疾さと相俟って視認出来なかったようだ。
風が吹きつけ、その短い黒髪を揺らす。
僅かに見えたその顔は、楓李と呼ばれた男のものだった。
男はただ疾っていた。それはすでに人の出せる速さではなく。
そして、地を蹴る速さと同じくらい、彼の頭も目まぐるしく回転していた。
主の命を反芻する。
下手人を捉えなければならない。
そう思うのに、頭の中では主の命が反芻され、それを実行しようとしているのに、彼の本能が抗う。先程から悪寒が止まらない。
嫌な予感が する
しかし、主の命は絶対。
抗う意志など微塵もなく。
本能がけたたましく警告を発するが、無理矢理それを押しのけ、再び思考を巡らせる。
手段は 2つ。
関わっているらしいサンビを捉えて吐かせるか、羊を囮に使い、奴らを誘い込むか……。
どちらにせよ、サンビには会うつもりでいた。主の名を汚すあの忌々しい狐に忠告をしてやらなければならない。
ならば、あの狐に会うことが先か……。
そう思い、サンビの気配を探ろうと集中すると、付近によく知った気配を感じた。
それはとても強大で、濃密で、禍々しくて……。
その気配を感じた瞬間、自分の予感が当たったことを悟った。警告を無視した事に、少しばかり悔恨が沸き上がる。
この類の勘は、外れないのだ……。
しかしそれを悟られぬよう表情を固めると、初めて足を止めた。
彼が止まった瞬間、風がそよぎ、辺りの木々を揺らす。
そしてさくりと音を立て、白い人影が姿を現した。それは天女と見まごうほどに美しい人で――
しかし彼はその神々しいまでの美貌に見惚れることはなかった。予想していた人影を目にし、僅かに楓李の眉がつり上がる。
白と黒。対照的な色彩を纏った2人は互いに見つめ合う。
――否、正確にいえば、楓李は相手を睨みつけていた。
視線だけで相手を殺せそうなほどに鋭い視線を向け、威圧するように殺気を迸らせている。
しかしその美しい人は、楓李の視線をものともせず、温和な笑顔を湛えていた。
沈黙は 一瞬。
にこやかな笑顔に違わぬおっとりとした声が響く。
「今日和、楓李殿。
姫に――貴方の主にお目通り願いたいのですが……。」
案内して頂けますか、と穏やかに続ける。
忌々しい狐を探すつもりが、更に厄介な狐を釣ってしまったらしい。
これは 確実に荒れる……。
これから起こる事態を思い、己の不幸を嘆きたくなった。
やはり、自分の勘は外れないのだ――
※ ※ ※
かつかつと音を立てて廊下を歩く。
その足音は1つ。しかし、人影は2つあった。
白と黒の対照的な色彩――
黒い影、楓李は普段よりも足早に大きな音を立てて歩いていた。
その理由は、彼の後ろにあった。
僅かに視線を動かし、後ろを見やる。その視線の先には、白い影、千歳がいた。
彼は全く足音をさせずに、優雅に歩いている。その秀麗な顔には微笑みを浮かべていた。
――狐が……
楓李の苛立ちは募り、それに呼応するように足音は大きくなり、速度も速くなる。
常に無表情な彼には珍しい事だが、感情を表に出していた。
その苛立ちに気づいていないのか、千歳はやはり笑みを絶やさない。
(一方的に)険悪な雰囲気のまま、目的の部屋の前まで辿り着いた。
コンコン
扉を叩くが応えはない。
「刹那様。狐です。」
声をかけるが、やはり応えはない。しかしいつものことなので、特に気にすることもなく扉を開く。
そして扉を開けた瞬間、楓李の足が止まった。
その無表情の中に僅かに浮かべた動揺を、千歳は見逃さなかった。
楓李の背中からそっと部屋をのぞき見ると、思わず感嘆の声を洩らす。
「……ほう……。」
そこは、めるへんな世界だった。
ピンクを基調とした部屋に愛らしい家具が並べてあり、数多のぬいぐるみが飾ってある。
如何にもな年頃の少女の可愛らしい部屋に、千歳は感嘆の声を漏らしていたが、楓李は違ったらしい。
僅かに眉が動き、鳥肌が立っていた。
怖気が奔る……。
通常、この愛らしい部屋を見れば誰でも微笑ましく思うのだろうが、なまじこの部屋の主を知っているだけに、そんな気持ちになれない。
これほど似合わぬ取り合わせがあろうか……
取り敢えず気を取り直した楓李は足を進める。
そのあとに千歳も続く。
向かった先には、やはりピンク色をした天蓋付きベッドが置いてあった。
一般的にいう「お姫様ベッド」である。
楓李は遠慮なくそのカーテンを開け――再び固まった。
その視線の先には、古びた棺桶が乗っていた。
ピンク色の愛らしい天蓋付きベッドの真ん中に、堂々たる風格で鎮座まします棺桶。
所々塗装が剥げ、錆びたその姿には、永い年月を経てきた貫禄があった。
楓李の眉がぴくぴくと動き、千歳が面白そうに見つめるその先から、妖艶な声が響く。
「妾の眠りを妨げるものは誰じゃ……。」
一拍の後、ぎいぃぃと錆びた音を立てながら棺桶が開く。
ゆったりとした動作で起き上がったその少女は、艶やかな漆黒の髪を垂らし、血のように真っ赤な口唇を僅かに吊り上げる。
そしてゆっくりと振り向くと、艶やかな笑みを湛え、その姿にふさわしい妖艶な声で問う。
「……どう……?」
静寂の支配するその場に、乾いた音が響く。
楓李がその音源に目をやると、千歳はその瞳に感嘆の色を浮かべ、惜しみない賞賛を贈っていた。
「素晴らしいです。姫。完璧です。矢張り貴女は天才だ。」
惜しみない賞賛の言葉に、刹那は自慢気に胸を反らす。
「でしょう?我ながら良い案だと思ったのよね~。」
その声は年頃の少女のもので、先程までの妖艶な姿は霧散して消え失せていた。
「ピンクのベッドに古びた棺桶。
……このギャップが素晴らしいですね。」
千歳が称賛の言葉を紡げば、刹那は更に自慢気に語る。
「そうでしょう。そうでしょう!!ここが一番悩んだのよ~。
こっちとどっちにしようかギリギリまで決まらなくって~。」
そう言いながらベットの下をごそごそと漁り、取り出したのはピンクの棺桶。しかもその表面には、大小様々なハートマークが散りばめられている。
(何処で手に入れた……そんなもの……。)
と疑問に思っていると、千歳が代わりに問いかける。
「素晴らしいです。一度もお目にかかったことのない逸品ですね。
何処で手に入れられたのですか?」
ちっちっちと舌打ちすると、意味ありげな表情で答える。
「それは企業秘密というものよ。
――まぁ、このネット社会。手に入らないものなんてないけどね。」
(売ってるか!そんなもの!!)
と、楓李が心の中でツッコミを入れたかどうかは謎である。
だがそんな彼の心情に気づいていないのか、目の前の二人はさらにヒートアップしていく。
「成程。便利な世の中になったものですねぇ。」
私も歳ですねぇと呟く千歳の見た目は、輝かんばかりの麗しき容貌を持った、20代程度の男である。
「年寄りはこれだから……。
駄目よ。常にアンテナを張り巡らせとかなきゃ。時代に乗り遅れてしまうわ!」
そう言う刹那の実年齢は、軽く百を超えている。
うふふあははと笑い合う2人を冷めた目で睥睨しながら、矢張り自分の勘は正しかったのだと思い知る。
やはり、荒れた……。
自分の心と、胃が。
この2人が顔を揃えると、ろくな事がない。
そして、その被害は確実に自分に降り注ぐのだ。
深々と諦めのため息を漏らしている間に、2人の間で結論が出たらしい。
「じゃあ、羊ちゃんを迎える時はこれで行くわね。」
「ええ。反応が楽しみですね。きっと吃驚致しますよ。」
玩具にされる羊が哀れだなと、先ほど見た顔を思い浮かべる。
極普通の、何処にでもいるような少女だった。
まるで怯えたように自分を見上げていた。あのくらいで恐れるようではこの学園に通うことなど出来ない。
何故あんな少女が「選ばれた」のかは分からない。
それでも「選ばれる」ほどの何かがあったのだろう。
ちらりと目の前の2人に視線をやる。
方や己の主。ヴァンパイアの中でも最高位に近い、崇高な存在である。
方やその名の通り、千歳を生きた大妖……
認めたくはないが、その力は強大。
この2人が選んだのだから、間違いはないはずである。
そう結論付け、2人の会話に耳を傾ける。
「姫の方はそれでいいとして、こちらはどうしましょうね?
どのようにして、我々の正体を明かすか……。」
「やっぱりストレートにいった方がいいのではなくて?
実際に人化をとかせて………」
「後ろからとんとんと肩を叩き……」
「そう!!振り返れば奴がいる的な……っ!!」
「ああ……いいですねぇ。きっと驚きますよ。」
「そうよ!驚きのあまり目玉が飛び出てもげ落ちるわよ!きっと!!」
間違いはない……はず……?
目の前の高レベルな2人の高レベルな会話を聞きながら、ふと猜疑心を抱いてしまった楓李だった。
別名、コント回。
別サイトでのキャラ投票、1位と2位のお二人でした。