千歳さんって、何なの?
慌てて小屋を出た栞を、美しい青年は柔らかい笑顔で待っていた。
相変わらずの直視出来ない程の美貌に、神々しいまでの美しい微笑み。栞は頬を赤くして、俯いてしまった。
「す……すみません。お待たせしてしまって……」
「構いませんよ。では、参りましょうか」
そう言って青年が前を向いた瞬間、何処からともなく幼い少女が現れた。
(ど……何処から?!)
突然の登場に、栞は驚きを隠せなかった。何の物音も気配も感じられなかったのだ。
少女は青年に向かって両の手を差し出すと、青年は、躊躇うことなく栞の荷物をその手の上に乗せた。栞があれだけ苦労して運んだ荷物を、少女はなんの重みも感じていないのか、顔色一つ変えずに持ち上げる。
(か……怪力……)
唖然としている栞の隣に、これまたいつ現れたのか。幼い少年が立っていた。
(ひいぃっ……!!)
気配なく現れた少年に驚き思わず後ずさると、どんと何かにあたってしまい、反射的に振り向く。
そこにはさらに幼い少女が立っていた。
(だからこの子はいつきたんだ~!!)
心の中で叫ぶ。
そんな栞の驚愕に気づいていないのか、青年は音もなく優雅に歩き出した。
最初に現れた少女は、黒髪に着物を着た、日本人形の様な少女だった。少女は栞の荷物を持ったまま、静々と青年に続く。
慌てて後を追おうとした栞の斜め前に、黒髪黒服の少年は音もなく移動する。その手には提灯が握られていた。
(ふ……古……っ)
思わず心の中で突っ込みを入れてしまうが、森の中は昼間とは思えないほど真っ暗で、提灯の仄かな灯りを頼りにしなければ、進む事が出来ない。
(有り難いけど、なんで提灯……)
ふと気が付くと、最後に現れた金髪の少女が栞の前を歩いていた。そしてその手には何故か箒が握られていた。
(な……なんで箒……。)
呆気にとられていると、少女は己の背丈よりも長い箒を軽々と振り回し始めた。危ないと思い僅かに後ずさると、木の枝に引っかかってしまった。
「痛っ……!」
小さな悲鳴を上げ、ある事に気がついた。鬱蒼と生い茂る木々。行く道は獣道。なのに、木の枝に当たることなく。
改めて少女の動きを見てみると、少女は邪魔な木の枝を箒で除けていたのだ。しかも木を傷つけることなく、丁度栞が通った後にしなやかに元の位置に戻っている。
(――凄い。……でも、なんで箒……)
はっと気が付くと、青年は随分と前の方にいた。慌てて後を追うが、何分歩きなれない獣道。何度も転びそうになりながらもなんとか追いついた。
青年は、相変わらず音もなく優雅に歩いている。それはまるで日舞のように滑らかで無駄のない動きで。
しかし歩いているのは獣道。
(……なんてミスマッチな……。)
その不思議な光景を呆然と見ていると、前方より眩しい光が射した。ずっと薄暗い所にいたため、眩しさに耐えきれずに目を瞑り、手で庇う。
「着きましたよ」
穏やかな声が聞こえ、恐る恐る眼を開いてみると、目の前の光景に絶句する。
そこはまるで、おとぎ話の世界だった。
辺り一面色とりどりの花で埋め尽くされており、遠くには城のような建物が立っている。
自分は、今日からこの学校に通うことになる。
城のようなその建物を見つめて、自分の幸運に感謝し、これからの生活に想いを馳せていた。
その数時間後、自分の不幸を嘆き、人生に絶望することになるとも知らず……。
そして、ある有名なことわざの的確さを、身をもって知ることになるのだ。
あまりの美しさにぼうと見惚れていると、おっとりとした声が聞こえてきた。
「ああ、危ないですよ」
「へ?」
何が、と問いかけながら振り返ると、彼はやはりにこやかに微笑みながら空を見上げていた。つられて栞も空を見上げると、空に何か黒い物体が浮いていることに気が付いた。
徐々に大きくなってきていることから、それが浮いてるのではなく、落下しているのだと分かった。
そこまでぼんやりと考え――
(っていうか、この軌道からいくと落下地点は~~~~っ!!)
どすんと大きな音を立て、その巨大な物体は栞の上に落下した。
「にゃ、千歳さんだ~!!!遅くなってごめんなさいっ」
「ああ、美雨。御苦労さま。よく来てくれましたね」
明るい少女の声と千歳の穏やかな声がする。――頭上で。
しかし2人は、そのことに気付いていないのか、にこやかに会話をしている。
「なんで千歳さんがここにいるのっ?千歳さんの狐は?」
「ええ。コだけでは少々心もとなくて……サンビが動いたらしいのです」
「うえ~……アタシサンビ嫌いっ!!やり方が陰険なんだもんっ!!」
はははと穏やかに笑っていた千歳の瞳が少しだけ鋭さを増す。
「……やれますか?」
「頑張るっ!!」
その答えに満足したのか、にこやかに微笑みながら、少女の頭を撫でる。
気持ち良さそうに撫でられていた少女は、ふと思い出したようにきょろきょろとあたりを見回して、問いかけた。
「千歳さん、羊は?」
そんな少女を微笑ましげに見つめながら、穏やかに答える。
「美雨の下にいますよ」
その言葉に、視線を下にやる。
「にゃっ!!ごめんなさぁい!!大丈夫っ!?」
栞を下敷きにしていたことに気付き慌てて降りると、そのまま手を差し出す。
「いえ……大丈夫です」
そう言いながらちらりと千歳に視線をやると、矢張りにこやかに笑っていた。
栞を下敷きにしていたことに少女は全く気付いていなかったらしいが、千歳は明らかに気付いていながら黙っていたことになる。あまつさえほのぼのと会話をしていた。
今もにこやかにほほ笑み、謝罪ひとつなく……。
千歳の笑顔が少しだけ胡散臭く見えた瞬間だった。
「後で真紅も来ますから。それまで頑張って下さいね」
そう言って千歳はにこにこと微笑む。気が付くと、いつの間にやら周りの少女達はいなくなっていた。登場も唐突なら、退場も唐突であった。
「じゃ、行こっか。」
そう言って、美雨は歩き出した。栞は慌てて千歳に頭を下げると、美雨の後を追った。
美雨に追いつきちらりと後ろを振り返ると、其処にはすでに千歳の姿はなかった。
少しばかり歩き出したところで、あっと声を上げて栞に向きあった。
「忘れてた!!アタシの名前は美雨だよ!!宜しくね!!羊ちゃんの名前は?」
少女に問いかけられ、反射的に答える。
「あ……緑川……栞です……。宜しくお願いします。美雨……さん?」
「み~うっ!!さんいらない!!」
ぷうと頬を膨らませて抗議され、美雨、と口の中で呟く。それに満足したのか、美雨は再び満面の笑みを浮かべた。
「よろしくね。栞ちゃん。」
そう言って、にこにことほほ笑む。何だか和むなぁと思いつつも、先程から気になっていた疑問を口にする。
「ねぇ、さっきの羊って何?」
「羊は羊だよ。この学校ではそう呼ぶの」
訳が分からない、と更に問いかける。
「じゃあ、美雨も羊?なの?」
「違うよ。アタシは猫だよ」
(????????)
更に訳が分からなくなり、栞の頭は混乱していた。そんな栞の様子を見て、美雨は申し訳なさそうに答える。
「ごめんね。詳しい話は後で千歳さんがするから。説明の仕方を千歳さんいっぱい考えてたみたい。それにアタシ、説明とかって苦手なの」
ごめんねと手を合わせて謝る。その様子を見て、ふと思い出す。
「ああっ!私の荷物!!!」
至近距離で叫ばれ吃驚したようだが、きちんと疑問には答えてくれる。
「それも平気。千歳さんのコが寮に運んでくれてるから」
その答えにほっとしかけ、聞き捨てならない単語に再び大声を上げる。
「子って、あの人子供がいるの?!」
その台詞に吃驚したらしく、慌てて否定する。
「違うよ。コはコだよ。千歳さんの子供って意味じゃないよ」
謎はさらに深まる。
美雨は、自分の疑問にはきちんと答えてくれるが、全く答えになっていない。説明が苦手というのは本当らしい。
頭が混乱するからあとでまとめて聞こうと思ったが、最後に1つだけ問いかける。
「千歳さんって、何なの?」
短い邂逅ではあるが、かなり謎な人だということが分かった。正直、これはかなり知りたい。
「千歳さんはねぇ……ふにゃぁ……」
質問に答えてくれようとしていたが、急に気の抜けた声を発して、美雨の姿が消える。
慌てて振り向くと、美雨は力が抜けたかの様に地面にへたり込んでいた。
「どうしたの?み……きゃあっ!!」
慌てて駆け寄ろうとすると、突風が吹いて、視界を奪われてしまった。
風がおさまり、ゆっくりと目を開くと、そこに美雨の姿はなかった。