新しい入学者、ですね。
きぃぃ……。車が停車し、はっと意識を取り戻す。しばし意識を過去へと飛ばしている間に学園へ着いたのかと思い窓から外を見ると、辺り一面鬱蒼とした森だった。
何故こんなところで、と疑問に思っていると、運転手が外へ出て後部座席のドアを開けた。
「ここで降りてください。お荷物の忘れものは御座いませんか?」
少女の目が、驚愕に見開かれる。
(……こんなところで?!)
木、木、木。周りには学校どころか建物ひとつなく。あるとすれば、木、草、そのくらいである。不気味なことに、花すら咲いていない。
ふと、恐ろしい想像が脳裏を過る。
鬱蒼とした森。人の気配1つなく。人を殺して埋めたとしても目撃者一人なく、きっと、捜索願いを出されても死体を見つけることすら困難であろう。
サスペンスやホラーの見過ぎだろうと自分に言い聞かせてはみるものの、本能的な恐怖に抗うことなど出来ず。
(こ……怖い……っ!!!!)
黒づくめの男は、足が竦み、車から出られなくなってしまった少女を一瞥し、どうしましたと機械的に問う。
「いいえ……なんでもないです」
恐怖で声が震えてしまう。
のろのろと動く少女にしびれを切らしたのか、男は少女の荷物を持ち上げてしまった。さっさと出ろとばかりに無言の催促をされてしまっては、これ以上もたもたもできない。大きく息を吸うと、思い切りよく車を脱した。
「では、行きましょうか」
そう言って、男は先に歩いて行ってしまった。
男を恐ろしいと思う気持ちは大きいが、こんな不気味な所に1人取り残されるのはもっと厭だ。こっそり気合いを入れなおすと、慌てて男の後を追った。
男は終始無言だった。沈黙に耐えきれず、気がふれてしまいそうだ。何か話すべきかと口を開いた瞬間、小さな山小屋が視界に入った。
それはまさに『樵の家』と呼ぶにふさわしい小屋だった。
男は躊躇することもなくその家のドアを開け、中に入って行く。開いたドアからそっと中をのぞくと、昔話で出てきそうな中年の男が座っていた。
(なんか、漫画みたいな顔の人だなぁ……)
そんな感想を抱いた。
昔話で出てきそうな漫画顔の中年の男と黒づくめの男は、2・3何かを話していたが、やがて話は終わったのか、黒づくめの男は少女の方へと近づいてきた。
「では、私はこれで」
そう言って一礼すると、振り返ることもなく去って行った。
残された少女は茫然としていたが、漫画顔の男に話しかけられ、我に返る。
「新しい入学者……ですね?」
「あっっっ……はい……!!」
慌てて返事をすると、男はにっこりと微笑みながら言った。
「ようこそ。汚い所ではありますが、ゆっくりされて下さい。もうすぐ迎えの者が来ますから」
「む……迎え?」
「はい。……おや?彼は何も仰らなかったのですか?」
「あ……はい。いきなり車から降りろとか、歩けとか……」
すると、男は弾けたように笑い出した。
「成程、彼らしいですな。無口にも程がありましょうに。……刹那様以外はどうでもよいのでしょうかねぇ……」
そう言うと、少女に向かって優しく微笑みかけた。
「ここは中継地点とでもいいましょうか。ここから先は車では行けません。ですから、学園から迎えの者が来るのですよ」
その好々爺とした表情を見ていると妙に心が凪いでゆく。穏やかに話す声も、落ち着きを取り戻すには充分で。
取り敢えず、男の勧めに従い、小屋の中に入ることにした。
しばらく中年の男と談笑していると、徐々に落ち着きを取り戻していった。あれほど恐怖や不安、猜疑心でいっぱいだった心が嘘のように和いでいくのがわかる。
実際にどのくらいの時間が経ったのかはわからない。しかし、随分と話し込んでいた様に感じた。そして、丁度会話が途切れた時、まるで頃合いを見計らったように、ドアをノックする音が聞こえた。
男は立ち上がり、はいと返事をしながらドアへ向かう。少女は、迎えとやらが来たのかとドアへ視線を向けた。
男がドアを開けた瞬間、薄暗い小屋に白銀の光が差した。
そこにいたのは、天女、だった。
真っ直ぐで癖のない白銀の髪は、縛ることなく背中に流しており、透き通るように白い肌は、仄かに光っているようにも見えた。全身がまるで雪のように白い中で、目だけが血のように紅く光っており、それが少しだけ不気味でぞくりとした。
天女はその秀麗な頬を僅かに緩め、少女に向かって声をかける。
「新入生の、緑川栞さんですね。お待たせして申し訳御座いません。樫綾学園よりお迎えにあがりました」
そして、その声は僅かに低く――
そこでふと疑問に思った。
(あれ、この人ひょっとして……)
「では、参りましょうか。お荷物はこちらで全てですか?」
自分があれだけ苦労して運んできた荷物を、まるで紙を拾い上げるかのようにあっさりと持ち上げてしまう。その怪力を見て、疑問が確信に変わる。
「あ……あの、男の方……ですか?」
言葉を発してしまってから、これは失礼なのではと気付く。機嫌を損ねてしまったかと思いそろりと見上げると、彼は気にした風もなく、変わらず天女の様に微笑んでいた。
「ええ。そうですよ。……ああ、気にしないで下さい。皆さんよく間違われるのです」
気を損ねてしまわなかったことに安堵し、僅かに息を吐く。天女の様な美貌の青年は、苦笑すると、小屋の主に声をかけた。
「御苦労さま。では私はこれで失礼するよ」
「は……!――しかし、何故貴方御自らここに?コを使わす予定だったのでは?」
「ああ。サンビが動いている可能性が出てきてね。そうなると、あの子たちでは少々荷が重くなってしまう。……いくら賢しいサンビでも、私を相手に仕掛けては来ないだろう」
「成程そうでしたか」
男の畏まった様子を不思議そうに見つめながら、ひょっとしてこの美しい人は偉い人なのだろうかと疑問に思う。
「お待たせしました。参りましょうか」
話が終わったようで、青年は少女を振り返り、笑いかける。
「あっ……はい」
頬を赤らめ、緊張している少女を微笑ましげに見つめ、思い出したかのように語りかける。
「ああ、自己紹介がまだでしたね。私は千歳と申します。詳しくは後ほど……学園に着いてからにしましょうか」
そう言うとさっさと歩きだし、小屋から出て行ってしまった。
栞は慌てて後を追う――が、ドアまで進むと思いだしたかの様に振り返り、男に声をかけた。
「あの……っ!あ……有り難う御座いましたっ……!!」
男は驚いたように目を見開いていたが、やがて笑みを深くして、少女に応えた。
「いいえ。こちらこそ有り難う。有意義で楽しいひと時でした。貴女も頑張ってくださいね。
……これから貴女は大変な思いをするでしょうが……」
男の謎の言葉を疑問に思いながらも、これ以上あの美しい人を待たせるわけにはいかないと思い、慌てて頭を下げ、ドアを閉める。
「本当に、頑張って下さいね。……死なないように……」
その不吉な言葉は少女の耳に届くことはなく、小屋の中に溶けて消えていった。