君とオートバイ
旅に出よう。
そう思い立ったのは、よく晴れた七月のある日曜日の朝だった。
理由は百個くらいある。
一つ目は明日が定期考査であること。
二つ目は今学期は授業に全く出ていないこと。
三つ目はバイクの免許を取ったこと。
四つ目は……まあいいや。
とにかくなにもかも全部投げ出したくなったんだ。
だから旅に出よう。
行く先はこの世の果てさ。なんてね。
両親はちょうど昨晩から父方の実家へ泊まりに行っており、今日の夜まで帰ってこないらしい。
絶好の出発日和だ。
洗面用具と、三日分くらいの着替えをボストンバックに詰め込み、テントと寝袋をバイクに括り付け、ふぅ……準備完了っと。
「なにしてるの?」
「うわっ!」
誰も居ないはずの家で、唐突に後ろから声を掛けられて三㎝くらい跳ね上がる。
振り返ると、さらさらの二つ結び頭で、黄緑色のキャミソールにショートパンツ姿の、小学校高学年位の小さな女の子が、頭上に「?」マークを浮かべて立っていた。
「……なんだ咲希か。驚かせないでよ」
「で、お兄ちゃん何してんの」
「え……ああ……うん…………」
咲希は歳の離れた姉の子供で、現在小学五年生だ。
なぜだか知らないけどぼくに懐いていて、よく姉が家に居ないときなどに一人で遊びに来ては、絡まれている。
しかし咲希に旅のことを知られると、姉にチクられるんじゃないか……。
姉はぼくとは正反対に、非常に厳格な人物だ。
大事な定期考査をサボることを知られたら面倒な事になるのは確定的である。
そう思って、言葉を濁す。
「なにこれ、寝袋じゃん。旅行にでも行くの?」
……まあ見りゃ分かるよな。
誤魔化しても無駄かと悟り、本当のことを話すことにする。
「うん。せっかく免許取ったことだし、旅にでも出ようと思ってね」
「お兄ちゃん学校は?」
「……休みだよ」
ちょっと嘘をつく。
「……この前遊びに来た時、お兄ちゃん『うわー月曜からテストじゃん!! 嫌だなあああああああ!!』 『友達居なくて授業サボってるのに、出来るわけ無いだろ!!』って三百回くらい言ってたけど」
……バレバレであった
万事休すだ。泣きつくしかない
「頼む!!! この事は内緒にしといてくれ!!! 好きなDSのソフト1本買ってやるから!!!!」
「ちょっと、子ども扱いしないでよね。わたしもうDSとか卒業したんだから」
咲希は口を尖らせる。
しまった。かえって機嫌を損ねてしまった。
「ごめんごめん、咲希はもう大人だよな。じゃあ何がいい? 叶えられる範囲でなんでもしてあげるから!」
提案を変えてみる。
咲希はちょっと考えてから、口を開く。
「じゃあ……私も連れてって」
「……へ?」
「だからその旅に連れて行ってって言ってるの」
予想していなかった咲希の返答に、ぼくは少し戸惑う。
「いやぼく野宿する予定だったんだけど。いくらなんでも女の子を野宿させるのはなぁ……。ていうか流石に二人分の旅費は……」
「じゃあお母さんにこのこと伝えとくね」
「わーわー!!! 分かりました!!! 一緒に行きましょう!!! 咲希さま!!!」
見事に小五の尻に敷かれる大学生のぼくであった。
「……でも咲希もまだ学校あるんじゃないの? 姉さんに怒られるよ?」
「そんなのおあいこでしょ。じゃあ準備してくるからちょっと待ってて」
***
『咲希と旅行にいってきます。二、三日したら帰ってくると思うので、探さないでください』
一応リビングに書置きをしておく。
こういうのは出発さえしてしまえば、大抵こっちのものなのだ。
あとは携帯の電源を切ってしまえばいい。
大事なのは、帰ってきたら怒られる。なんてことを考えないで、非日常を楽しむことだ。
「お兄ちゃんおまたせー」
大き目のスポーツバッグを重たそうに持った咲希が、のそのそとやってくる。
「……荷物多くない?」
「女の子はそういう生き物なのよ」
咲希はフフンと鼻を鳴らした。
これは流石にバイクの搭載限界を超えてるなぁ……。
仕方ないので、ぼくは寝袋とテントをバイクから下ろし。それと交換に咲希の大荷物を積み込む。
「えー、キャンプ止めちゃうの?」
「流石にこの大荷物は運びきれないよ。どのみち咲希がついてくるなら安いホテルかなんか探すつもりだったし」
結局このキャンプセットは、旅に出ることを気づかれる為だけの道具になってしまった。役立たずめ。
「お魚釣って食べたり、クマを警戒しながら寝たりするの楽しみにしてたのに……」
ぶーぶー文句をたれる咲希。何を楽しみにしてるんだこいつは。
そんなこんなで、時刻は十時を回っていた。
「はいはい。じゃあさっさと出発するよ。今日の宿も探さなきゃならないし……」
咲希にヘルメットを投げやり、ぼくも装着する。
バイト代を叩いて買った中古の愛車にまたがり、エンジンを入れる。
年季の入った排気音が鳴り響き、多機筒エンジンの振動が伝わってくる
「むー。わかった」
まだちょっと納得のいかなさそうな表情ではあったが、咲希もヘルメットの顎紐を締め、ぼくの腰に掴まる。
もうなんどかせがまれて乗せてやってるので、その動作は慣れたものである。
「しっかり掴まっててよ。じゃあ、出発」
「しんこー!」
スロットルを開け、発進させる。
ぼくらの短い逃亡劇の始まりだ。
***
二時間ほど幹線道路を南へ走行し、千葉県に差し掛かった辺りで、左手に大型のショッピングモールが見えてくる。
すると後部座席の咲希が、ギューっとぼくの腰を掴んだ。
……なんだ行きたいのかこいつ。
ぼくとしてもそろそろおなかが空いてくる時間帯だったので、ぼくは素直にその要求に従い、バイクを駐車場へ止め、施設内のファミレスへと向かった。
「で、お兄ちゃんはどこへ行こうとしてるの?」
カニクリームパスタを食べながら、咲希が聞いてくる。
「うーん、正直決めてなかった。あてもなくふらふらしようかなーと」
「じゃあさ、わたしが行く場所決めていい?」
「実現可能な範囲でなら」
「……わたしね、海に行ってみたいんだけど」
「海かぁ……。まあそこそこ近いし、そこまで金かからないしいいけど。ぼく海パンとか持ってきてないよ?」
「買えばいいよ。折角こんなにおっきいショッピングモールなんだし」
遊園地とか言われるよりは大分マシとはいえ、早くも財布と相談しなきゃならない時期かなぁ。とぼんやり考えながら、僕はハンバーグランチを食べ終える。
ファミレスを出て、ぼくらはショッピングモールの中を見て回ることにする。
連なる店の群れの中の一つに、水着屋を見つけた。
ぼくは比較に比較を重ね、この店で最も安い水着を探し出して、レジへ向かう。
咲希はというと、ぼくが値段の吟味をしている間、たっぷり悩みに悩んだ末、淡い青色のワンピースタイプの水着を選んだ。
一緒に会計しようとしたが「わたしもちょっとは持ってきてるから」と、咲希は自分の財布から代金を払ってくれた。
正直なところ、これは結構助かった。
女の子の水着って結構高いのである。
支払いを終え、店から出るともう二時を回っていた。
流石にいい加減今日の宿を確定させないとやばい。
「咲希。急ごう。泊まれる場所なくなっちゃう」
服屋のショーウィンドウに見とれている咲希の手を半ば強引に取り、駐車場へ向かう。
「ぶー。まだ見てたかったのにぃ」
「仕方ないだろ。もともとホテル泊まる予定なんて無かったんだから、予約してないんだよ。滑り込みでチェックインできるといいけど……」
切っていた携帯の電源を入れる。
まだ両親や姉に気づかれるには早いだろう。
海に近い辺りの地域で検索をかけて、目ぼしいホテルの大雑把な住所を頭に入れる。
「ま、片っ端から回れば何とかなるかな……」
ぼくはそうつぶやいて、後部座席に荷物と咲希が乗っているのを確認し、スロットルを開けた。
***
「申し訳ございません。当ホテルは、当日チェックインはご遠慮させて頂いておりまして……」
時刻は五時を少し過ぎたころ。
申し訳なさそうな顔をしたホテルマンの口からこの言葉を聞くのは、ちょうど六回目になる。
「はぁ……ここも駄目だったか」
「ごめんねお兄ちゃん。私が急に着いて行くっていったせいで……」
この状況を、流石に申し訳ないと思ったか、珍しく咲希がしょんぼりした顔で謝ってくる。
「いいっていいって。そうなっちゃったものは仕方ないし。次のホテル行ってみようよ」
「うん……でも次のホテルが最後じゃなかった?」
「……泊まらせてくれると信じて、駄目だったときのことはあとで考えよう」
「一部屋だけ空きがございますが……」
最後の望みとなったビジネスホテルで、始めて『申し訳……』以外から始まる言葉を聞けた。
「是非! お願いします!」
「セミダブルのカップル用プランになっておりますが、よろしいでしょうか?」
「そのプラン、ダブルで泊まるより安いんですよね?」
「はい。シングルでお泊り頂くのとほとんど変わらない値段になっております」
「じゃあ願ったり叶ったりだ! いやあ最後にこんないいホテルに出会えて良かった!」
ぼくが思わずフロントの人に握手を交わして喜んでると、咲希は隣で何故か顔を真っ赤にしてうつむいていた。
「ん、咲希? どうした?」
「……お兄ちゃん本気?! ベット一個しかないんだよ?! それにカップル用って……」
手をバタバタさせながら反論してくる。
「いいだろ別に。三年生位まで家に泊まりに来たら決まって『お兄ちゃんと一緒に寝るー!』って勝手にぼくのベットに入ってきてたじゃん」
「あ、あの時はあの時! 今は今なの!」
うーん。オトシゴロってやつかなあ。
「でももうこの辺りのホテルほとんど回っちゃったし、時間も時間だし、他を探すのは難しいよ。なんならぼくは床で寝るから」
「それは流石にお兄ちゃんに悪いよ……けど……うー」
咲希はうーうー唸りながら、OKしてくれた。
ホテルの人には、咲希との関係は兄妹だと説明しておく。
普段から咲希はぼくのことを『お兄ちゃん』と呼んでいるので、ちょっと歳の差があったが、なんとか誤魔化しきれた。
部屋での寝る場所については咲希が譲歩し、ぼくたちは同セミダブルのベッドに枕を並べて寝る事になった。
***
「……お兄ちゃん、まだ起きてる?」
「うん。起きてるよ」
二人で寝るには少し狭めなベットに、ぼくらは寝転ぶ。
チェックインしたあと、咲希は真っ先に
「このラインはみ出したら、お兄ちゃん本気で殴るからね!」
とベットに仕切りを引いた。
その後も、シャワー覗くなとか、荷物漁るなとか、いろいろと口すっぱく注意された。
もうずっと彼女が居ないとはいえ、小学生の、さらには親戚の女の子に手を出すほどの外道ではないつもりだけど。
信用されてないのかなぁ。
「……こっちきたらコロスからね」
「わかってるって。このラインから、出なきゃいいんでしょ?」
「そう。分かってればいいんだけど……」
そう言って咲希は寝返りを打って、ぼくの方に顔を向ける。
「ねぇ……咲希はなんでぼくについてこようと思ったの?」
ぼくは仰向けのまま首だけ咲希のほうに向ける。
咲希は話しづらそうな、悲しい表情をして、喋りだす。
「……最近ね、ちょっと毎日が楽しくなくなってきちゃったんだ」
「うち、お母さんがああでしょ? 来年、中学受験だからさ。今年になってから特に厳しくなっちゃって……『遊ぶ時間があったら塾に行け!』とか『テレビを見る時間があったら勉強しなさい!』って言われてて。だんだん学校でもみんなの話しについてけなくなって、お友達とも一緒に遊べなくなっちゃて……学校もあんまり楽しくなくなっちゃったんだ」
「でも、お兄ちゃんはかわらずに遊んでくれて、それが嬉しかったし、遊んでる時間はすごい楽しかった。だから着いてこうと思ったの。あ母さんに歯向かってやろうって思ったのもあるけどね」
そう言って、咲希は困ったような笑いを僕に向ける。
ぼくもこれまで、「もっと早くから勉強をしておけば」と思うことが数多くあった。
更に姉は、自分が大学受験で失敗しているので、子供には同じ道を歩んで欲しくないという気持ちが強かったのかも知れない。
そういう姉の気持ちは、分からないでもない。
でも咲希にはその生活が少し窮屈だったのだろう。
それでここへ逃げてきたんだ。
じゃあぼくと同じだなぁ。
そう思って、ぼくは自分のことを話し出す。
「知ってると思うけど、ぼくは大学に入ってから友達ができなくなっちゃったんだ」
咲希は、真剣な表情で、ぼくの話に耳を傾けてくれている。
「なんていうか、周りが急に大人になっちゃったみたいで、こわかった。グループを作って所属するのに必死になったり、あんまりそりが合わない奴とも、無理に話したりさ。それってまるっきり、大人と同じだなぁって思って。それがすごくこわくなって」
「ぼくはまだ大人になりたくなかった。好きじゃないやつとは話したくないし、やりたくもないサークルにも入りたくなかった。その結果として、今こうやって逃げ出して来ちゃったんだ」
ぼくは少し自嘲気味に笑った。
「でもぼくも咲希と遊んでるときは安心できたし、楽しかったんだ。だから咲希が着いてくるって言った時、ちょっと嬉しかったんだよ?」
「……それってわたしがまだ大人じゃないからってこと?」
「……怒らないでね?」
「……今日は許してあげる」
そう言って、ぼくらはお互いの顔を見合わせ、笑った。
真面目な話をしてたから、緊張が緩んでしまったのかもしれない。
「まあ、お互いそういうこと全部忘れてさ。明日は思いっきり遊ぼうよ。だからそのために、今日はもう寝よう」
「そうだね、わかった……おやすみお兄ちゃん」
「おやすみ咲希」
挨拶を交わして、ぼくは瞼を閉じる。
日中ずっとバイクを走らせていたからか、すぐに眠りへと引きずりこまれていった。
***
目が覚めると、上体が重くて起き上がれない。それになんか苦しい。
首をもたげて自分の上半身を見やると、咲希にのしかかられていた。
こいつ、自分でライン引いといて、自分で破りやがった……。
ともかく、このままでは起き上がれないので、揺すって咲希を起こすことにする。
「おーい、朝だよー。起きろー」
「う、うーん……もう朝……? ……ってお兄ちゃん、なんでわたしの目の前にいるの! へんたい!」
ボカッ。
顔面を殴られた。
十時半ごろチェックインを済ませ、ぼくらはホテルを後にする。
「ね、ねぇお兄ちゃん?」
「……」
ぼくは無言で、抗議の目を咲希にむける。
「ご、ごめんってば」
「自分の寝相が悪かっただけの癖に……いたかったなぁ」
ほほに手をやり、わざとらしくなでる。
「……すみませんでした」
反省しきってしゅんとしてる咲希を見て、流石にかわいそうに思えてきたので、そろそろ許してあげることにする。
「まあいいや。今日は楽しい日にしなきゃだしね。もう忘れてあげよう」
咲希の表情がパァッと明るくなる。
「本当? ごめんね。ありがとう」
「じゃあ海に向けて出発しますか」
ぼくはヘルメットを装着し、もう片方のヘルメットを咲希に渡す。
左足でサイドスタンドを蹴り上げ、車体にまたがる。
「ほら。後ろ乗って。しっかり掴まっててね」
「うん」
エンジンを入れ、咲希を後ろに乗せる。
「ほいじゃ。海に出発!」
「おー!」
後ろから咲希の元気なかけ声が聞こえたのを確認し、スロットルを開け、バイクを発進させた。
行く先は、海だ。
***
県道を南に二十分ほどバイクを走らせると、海が見えてきた。
駐車場を右手に見つけ、バイクを止める。
「わあ……海だね」
「うん」
「人いっぱいだね」
「そうだね」
「遊ぼう! はやく遊ぼう!」
待ちきれないといった感じで、咲希はバイクの荷台から自分の荷物をむしり取って走り出す。
「こらこら。まてまて。じゃあそこにある海の家で着替えてきて、終わったら外で待ち合わせにしよう。荷物は必要なもの以外はロッカーに入れときなよ」
「はーい!」
そう言って咲希は女子更衣室の方へと走っていった。
テンション上がっちゃって。まぁ。
そんな咲希に引っ張られるように、ぼくもなんだかウキウキなテンションで、男子更衣室へと向かった。
男の着替えというのは、脱いで履くだけなので、速攻で終わる。日焼け止めとかも塗る必要ないし。
なので、パラソルや浮き輪のレンタルなどの手続きを一通り済ませて、更に五分位たった頃、ようやく咲希がやってきた。
当然ながら、昨日ショッピングモールで買った、淡い青色のワンピースを着ている。
「どう? ……似合ってる?」
「あー、かわいいかわいい」
「またそうやって子ども扱いして!」
咲希はぷくーっとほほを膨らませて、砂を蹴り上げてきた。そういうところがますます子供っぽい。
「はいはい。ごめんごめん。じゃあまず場所取りしてこよう。それから、パラソルの下で何して遊ぶか考えようか」
「分かった!」
そうしてぼくらは海岸へ駆け出した。
***
「ふへぇー。遊んだ遊んだ」
思わず間抜けな声を発してしまう。
時刻は、日が沈み始めた午後六時。
ビーチバレー、砂の城作り、貝殻探し、水泳競争……etc
とにかく思いついたことから、片っ端からやっていった。
その結果、昼飯を食べるのも忘れて、この時間まで遊び倒してしまった。
「つかれたー! でも楽しかったー!」
すっかり小麦色に焼けた咲希が、シートの上に仰向けに寝そべって言う。
「咲希、日に焼けて真っ黒」
「お兄ちゃんだって」
二人して声を上げてゲラゲラ笑いあった。
なんだか楽し過ぎて、テンションがおかしくなってしまった。箸が転げても笑ってしまいそうだ。
「……あー可笑しかった」
ようやく笑いがおさまる。
「お兄ちゃん笑いすぎだよ。……あっ、見て見て、日が沈みそうだよ」
怖いほど真っ赤な太陽が、あと数十秒で沈みそうなところまで来ていた。
なんだか泣きそうになってしまうくらいに、美しいな夕焼けだった。
「綺麗だな……」
「本当にね……」
思わず二人して感嘆してしまう。
昨日、ベットで咲希の話しを聞いた時から、ずっと心に秘めていたことがあった。
お互いの苦しさを見せ合ったからこそ、伝えたい言葉。
話すなら今かなと思い、僕は口を開く。
「ねぇ咲希。今日は楽しかった?」
「うん。すっごく楽しかったよ!」
「ぼくも、久しぶりにこんなに笑った」
お互い素直に感想を言って、微笑みあう。
「でね……、たった二日だったけど、もう家に帰ろうと思うんだ。だから旅はここでおしまい」
「え……お兄ちゃん、テストが終わるまで、ぶらぶらするんじゃなかったの? わたしが一緒だから、お金がなくなっちゃったとか?」
咲希は申し訳なさそうにモジモジする。
「ううん。違うんだ。この夕焼けを見てたらさ、短かったけど、楽しい思い出がどんどん溢れてきて……。なんだか、もう少し頑張ってみようって気持ちになれたんだ」
「ぼくらは、前を向かなきゃいけない。現実と戦わなきゃいけないと思うんだ。そんなこと、ずっと分かってたけど、ぼくは真正面から向き合うのが怖くって、逃げ場もなくウロウロするばかりだったんだと思う。咲希もそうじゃない?」
咲希はうつむきながら小さな声で「うん……」と答える。
「だからさ、ここをぼくたちの逃げ場所にしよう。辛くなったときや、逃げたくなったときは二人でこの場所に来て、また一緒に夕焼けを見よう。それで楽しかった旅のことを思い出そう。そうすればぼくはちょっとだけ、毎日を頑張って生きられる気がするんだ」
ぼくのこの旅で感じた、素直な感情を言い終える。
「だから咲希も、もうちょっとだけ頑張ってみない? 姉貴もやりすぎだとは思うけど、全部咲希の事を思ってのことだと思うんだ。それに、本当にもう無理だと思ったら、ギブアップしていいから。その時は、ぼくも一緒に姉貴に言いに行ってあげるから。前を向いてさ、頑張って生きてみようよ」
「……お兄ちゃんのキザ。引きこもりで友達居ない癖に」
「ご、ごめん……」
全部言い終えて、我ながらちょっとクサいこと言ったかなと、恥ずかしくなってきてしまった。いやああああああああ。
でも言いたいことは全部言えたつもりだ。
「うん……でも……わたしも、今日の楽しかったことを思い出せば、頑張れる気がする。もし頑張れなくなっちゃたら、お兄ちゃんのところに行けばいいんだよね? そしたらまたここに連れてきてくれるんだよね?」
少し涙交じりの声で、咲希は聞いてくる。
「うん。約束するよ。一緒にここに来てあげる。だからぼくが頑張れなくなったら、咲希もここに来るの、付き合ってね?」
「うん分かった。約束ね」
夕日が完全に沈みきる。
眩しい光が姿を消し、代わりに闇が辺りを支配し始める最中。
ぼくらは泣きながら笑って、指きりをした。