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 黒衣の男は巨漢に背を向けるよう身を翻し、駈けた。



「は?」



 巨漢の男は、己にただならぬ殺意を向けていた黒衣の男がまさか背を見せるだなんて思っていなかったため、間の抜けた声を出して呆ける。

 周りの兵士達は『殺戮』がこちらに向かってきているという恐怖に、身を黒衣の男から離すように後ろに退げる。背に他の兵士がぶつかり、それでも後ろに。

 そんな行動を、黒衣の男が走るであろう軌道上にいる全ての人間が取った。

 人海を割り走る黒衣の男。

 巨漢の男はどんどんと遠ざかっていく男の背を、やっと追いかけた。


 黒衣の男が刃を持つ疾風なら、巨漢の男はさながら地響きを立て獲物を追う巨獣か。

 巨漢からは想像もつかないような爆発力で男を追う。二人の間は埋まることは無いが、離されることも無い。黒衣の男は後ろに迫る巨大な気配に舌打ちした。



「おらおら逃げてんじゃねぇぞーっ!」



 身体を貫かんとする低く大きすぎる声。それから発せられる言葉を耳に、黒衣の男は双剣を強く握った。

 黒衣の男は逃げているわけではない。力では間違いなく押し負けることを理解し、距離を置くために駈け、そしてその距離がこれ以上開かないことを悟ると同時に振り返った。

 急停止すると影が周りの兵士達を両手で薙ぎ払う。赤が散らばる円形の空間の中、黒衣の男は告げる。



「影! 纏え(・・)!!」



 影はその言葉に笑った。地獄の鐘が歓喜に一声鳴き、人を薙ぎ払った両手を大きく振りかぶり、黒衣の男を背から抱きしめるように纏わりつく。

 黒衣よりも純度の高い黒は、男を縛るようにその身体に巻きつき溶けていく。ざわり、と男の露出した肌に、剣の刃に、黒の波紋が這い溶けていく。

 白銀の刃は影のように黒く染まり、月などの光源がまったく無い夜空を思わせる常世の闇に変わった。そこにあるのに視認が難しい、頭がそれを武器として理解できない闇だ。

 笑う影がそこから無くなった。黒衣の男の周りの空気が張り詰め、迫る巨漢の男を意思の強い瞳で見据えた。

 巨漢の男は明らかに何かをし終え待ち構えている男に構わずに突っ込んでいく。巨漢の男にとっては罠も仕掛けも何もかもどうでもいいことだったからだ。ただ気に食わない奴を自慢の相棒で叩き潰し叩き斬るだけ。

 その相手が骨のある奴ならば、万々歳。腑抜けなら嘆息する。それ以上の望みも意味も無い。


 長い間合いに、黒衣の男を捉える。巨漢の男は大剣を頭上高く持ち上げ振り下ろした。

 数多の魔物や人間を潰してきたその大剣は寸分の狂いも無く黒衣の男を狙う。

 黒衣の男は頭上で闇夜の双剣を交差させ、その場に留まった。

 黒の瞳と赤の瞳が、互いを見合う。

 赤の目は呆れに歪み、黒の目が自信に見開く。

 誰にも何にも防がれることの無かった大剣は、闇夜の双剣の交差した部分を狙ったように落ちていき、触れ、金属が奏でる不協和音を響かせ、擦過し、摩擦で生まれた火花が爆焔を巻き上げ大剣を覆い尽くす。


 黒衣の男は突如出現した熱源に驚き、バランスを崩した。

 巨漢の男がそれを見逃すはずがない。そのまま力で押し切ることも出来た大剣を躊躇無く振り上げ、焔を纏うそれは黒衣の男に向けて再度振り下ろされた。


 爆音。


 大剣が地面に着地し、爆発する。炎の礫が、赤が飛散する。赤共が単調な地面を彩っていく。

 兵士達は息を呑んだ。人を物のように屠ってきた黒衣の男に叩き下ろされた大剣。大剣が地面につくよりも早く、黒衣の男の死に喜びの声をあげる者もいた。

 誰もが黒衣の男の死を見た。

 見た、はずだった。


 大剣が突き刺さった場所には、何も無かった。


 巨漢の男はそのことに獰猛に笑った。

 抉れた地面に刺さる焔の大剣。振り下ろした体勢のまま赤の目を横にずらす。


 近くに、無傷で悪魔のように笑う男が立っていた。


 逸早く反応した巨漢が大剣を手放すよりも早く、一刃の風がその首を通り過ぎる。

 びくん、と痙攣した巨漢はしばしの沈黙の後、ゆっくりと頭と身体をずらしていった。

 頭が地面に落ち、身体がそれを追う。

 勢いよく噴き出た血が地面を染めていく。焔を纏った大剣が、主の死と共に鎮火していった。

 そして鎮火する焔に反比例するように、兵士達のざわつきが大きくなっていく。

 兵士の一人の「あんなの、勝てるわけ」という言葉をきっかけに、その場が恐慌に陥った。

 武器を手放し敵味方問わず押し合いへし合いながら遁走を試みる。だがそれも、混乱した兵士達が互いに逃げ道を塞ぎ合っているものでしかなかった。


 その中で黒衣の男は口元に歪んだ笑みを浮かべながら立ち尽くしていた。

 浅黒い肌の男の頭部に生える、日に焼けて痛んだ金髪が赤に染まっていくのをただ見ている。

 パシッと何かが破れるかのような音と共に、双剣の闇が取り払われた。再び男の後ろに控える影は、立ち尽くす男を心配げに影全体を揺らす。

 黒衣の男は、高揚していた部分が途端に荒涼としたものに取って代わったことに、耐えている。

 ぼそり、と自嘲するような色の言葉が漏れた。



「所詮、こんなものか……」



 結局自分は魔物になるしかないのだ。

 魔物のような強さ。人間が敵うわけのない魔物。

 魔物しか己に敵うものはいない。

 人間なんて、弱くて脆い人間なんて所詮。

 失望と、強いと勘違いさせた巨漢の男への侮蔑。

 八つ当たりといっていいそれを自分でも自覚しながら、これ以上のやる気が出せなくなった黒衣の男は双剣を収める。

 踵を返して、己の所属する軍のいる陣に向かおうとした時、何かに足首を掴まれた。


 驚いた黒衣の男は俊敏な動作でそこを見る。

 浅黒い肌の手が、その足首を掴んでいた。

 黒衣の男は一瞬何が起きたか分からなかった。

 そしてその『何が起きたか分からない』といった感覚に既視感を覚える。

 混乱するまま目で追えば、巨漢の男の身体がこちらに向いて黒衣の男の足首を掴んでいるのが見えた。

 まさか、という呟きと共に転がっているはずの頭に目を向ける。

 頭は笑っていた。獣のような獰猛な笑みで、ニヤニヤと笑っていたのだ。

 しかもその生首は、あろうことか喋り始めた。



「やってくれんじゃねぇーかよ」


「……なん、で」


「あぁ? 死んだと思ったのか? おーおー、そうだな。お前らから見たら俺は死んでるだろうよ。そりゃあもう完膚なきまでに死んでやがる」


「死なないのか」



 呆然と言った。

 喋る生首と会話するという、奇怪な構図。

 黒衣の男の足首を掴んだままのっそりと起き上がる身体は、首無しだ。

 身体が頭を手に取り、生首は豪快に笑って言う。



「あぁ。俺は死なねぇ。どうしようもねぇ化け物さ」



 巨漢の男の首が元の位置に戻され、足首を掴んでいた手が離される。

 合図したかのように互いに後ろに飛び、両者獲物を手にする。

 黒衣の男は凶悪に笑みを浮かべて、相手を小馬鹿にするように鼻をならした。

 分かりやすい挑発に構うことなく、巨漢の男は首の動作を確認するように何回か首を回し、獣のように笑う。



「首を落として死なないのなら、細切れにすればいい」


「ほーぅ? それでも死ななかったらどうするんだよ」


「跡形も無く潰すか燃やすか、……まぁいい。楽しくなりそうだ」


「そこんとこだけは同感(どーかん)だ。不意打ちや卑怯な手以外で死んだのはこれで初めてだしよぉ。ま、楽しもーぜぇ!」



 ゆるりと大剣を構える。

 黒衣の男も双剣を抜き、「纏え」と発すると闇が再びその手に収まった。  

 そして黒衣の男はいきなり巨漢の男に向かって走り出した。

 間合いを詰め双剣を駆使し相手の命を屠らんとする。

 巨漢の男はそれに黙って従うはずもない。そのまま大剣を地面に打ちつけ摩擦で燃え上がる焔を纏い、その場で縦にぐるりと回って頭上から大剣を叩き落す。


 黒衣の男は、今度はそれに怯みはしなかった。

 リベンジするためか先ほどと同じように双剣を交差させる。

 普通なら、その大剣を真正面から受け止めただけで数多の人間の身体は――黒衣の男も例外なく――容易く砕けるものだ。

 受け止めるものではない。

 だが、影を纏った黒衣の男は、影によって全てを強化されている。剣の強度も身体の強化も、身体能力も向上している。

 だから黒衣の男は巨漢の男の大剣を受け止められる。

 人間には遠く、魔物に近い、今の黒衣の男。

 そしてそれと同等、あるいは黒衣の男以上の化け物である巨漢の男。


 大剣がけたたましい音と共に受け止められ、黒衣の男の身体を砕くことなく、男の両脚が僅かめり込むだけに終わる。

 闇が熱を吸収しているのか、はたまた跳ね返しているのか、熱は黒衣の男に届かない。

 巨漢の男は不敵に笑い、蹴りをその胴に繰り出した。黒衣の男は蹴りと同じ方向に身体をずらし、大剣をいなす形で避ける。

 大剣は着地することなく無理に戻され黒衣の男を追う。その速さは、無理な方向修正だったにも関わらず、普通に大剣を振るっている時との差異があまり無い。


 それを難なく避け、黒衣の男は高鳴る気持ちに剣を振るい舞い踊る。

 同等。それはなんて甘美な響きか。

 下であるか上であるかしかなかった世界に、同等が現れた。

 己を虐げない。己に殺されない。魔物であるべき己と剣を交わす『人間』。 

 そんなこと夢でも見ず夢でも驚くことだ。

 なのにそれは夢でもなく妄想でもなく現実で起こっている。

 黒衣の男は自分以外の化け物がいることが、この上なく嬉しかった。



「づぁーっ! ちょこまかと鼠かゴキブリかハエかオメェー!!」


「皆俺のこと『殺戮のアジタート』だとか言ってるぞ! 下等動物と一緒にするな!」


「あ゛ぁー!? んな大層立派なもん、オメェには似合わねぇよ! 黒いからゴキブリだゴキブリ!」


「じゃあお前はゴリラだな。しかもモテない」


「うるせぇー!! ゴキブリ如きが人様の傷を抉ってんじゃねぇーよ!!」


「なんだそれ! 図星か!? ……はは、あっははははっ!」


「テメェー!!」



 黒衣の男に顔に浮かぶ笑みが、凶悪な色から年相応の純粋な色になる。

 巨漢の男はそれに一瞬気を取られた。今まで悪魔のように、まさしく『魔王』のように不遜に極悪な笑みを浮かべていた男の顔に、まさかそんなものが浮かぶとは思わなかったからだ。

 黒衣の男はそんな巨漢の男の隙を見逃さない。するりと流れる水のように男の懐に潜り込み、心臓に両方の闇夜を突き刺す。

 それで巨漢の男が死ぬわけがないので、すぐさま双剣を抉り引き抜き距離を取る。

 あまりの手際の良さに巨漢の男はぎょっとした顔で目を開き、次は憤怒に吼えた。



「こ、んのクソガキがぁぁぁぁっ!!」



 死なないとは言っても、痛いものは痛いのである。

 胸から流れる血を放って、大剣を地面につけたまま自分を中心に円を描くように回る。

 大剣に触れた部分で爆裂が起こり、炎に包まれた石礫が弾け飛ぶ。大剣の軌道は円の始点につくことはなく、上半身を捻るようにし大剣がさらに地面に抉りこまれ、黒衣の男に向かって打ち上げられた。

 礫とは比べものにならない、炎を纏った岩が飛ぶ。

 黒衣の男はそれを危なげに避けた。熱風に顔をしかめる。

 突撃してきた巨漢の男を迎え撃ち、刃が交わされる。


 怒りの形相だが、巨漢の男も楽しんでいるようだ。

 互いに命を狙う攻防が交わされ、観客も無く自分達だけの舞台で二人は遊んでいた。

 物騒な遊び。黒衣の男は、心配性な姉が知ったら怒るだろう、と隅で考えて綻んだ。


 何度目かの打ち合い。刃を受け止めぎりぎりと押し合う。

 相手の顔を睨むと両者共笑っていた。獰猛に、凶悪に浮かぶ中で、楽しみの色がある。

 疲労はもちろんある。だがそれは瑣末なことだ。動きが鈍ろうとも、集中力は欠けない。楽しいものの前で他に気を逸らすなどと、侮辱を極めることはできない。

 両者、ボロボロの身体を(いと)うことなく、目の前の楽しみを大いに楽しんでいた。



――そしてそれが投じられ、気付いた二人はそこから飛び退いた。



 今まで二人が睨み合っていた場所に、ザッ、と音を立てて槍が突き刺さる。

 矢をそのまま巨大化させたような粗末な槍。巨漢の男は興を削いだそれを激怒に咆哮を上げ叩き折った。



「あ゛ぁーっ!? 誰だこんなことしやがる奴、ぶっ殺してやる!!」



 二人はそれが投じられたであろう方へ目をやった。そして、焦土の様を呈しただだっ広い場所を囲むようにしてそこにある、岩肌むき出しの小さな山のてっぺんにあるそれを、見つけた。

 白馬に乗った純白の甲冑が一つ。いや、中に人がいるだろうから騎士か。

 全身を完全に覆うその姿に、動かなければ甲冑だけが馬に乗っているような、そんな滑稽な印象を二人は持った。


 二人が訝しげに眉を顰める中、抜かれた純銀の剣がゆるりと持ち上げられ、その先を二人に向けた。

 通る凛とした男の声が、叫ぶ。

 


「『魔王』を捕らえろ!!」



 その言葉に、地が鳴った。






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