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 第一師団。通称『魔王軍』は、次なる戦場へと闊歩する。

 魔王が率いると言われている第一師団に所属している一般兵であるその男は、並んで歩く二つの黒を斜め後ろから見ていた。

 時折言葉を交し合う男女は、姉弟だ。身長差と着ているものの差異はあるものの、その後ろ姿はとても似ていると男は思う。

 どちらとも腰まで届く黒髪。今は後ろを向いていて分からないが、正面に回り見れば、瞳の色も同じだということが分かるだろう。

 

 自分を含めた周りの人間が全員鎧を着ているにも関わらず、二人は鎧を纏ってはいなかった。

 黒と白。黒衣と白衣。

 黒は、己が所属する第一師団が『魔王軍』と呼ばれる所以である、人間であるくせに強力な魔力を持つ『魔王』。

 白は、『魔王』の姉で、軍医だ。ちなみにこの姉は至って普通の人間。魔力は無い。

 

 男は思考する。

 斜め前にいる黒と白の会話を聞き、自分は今驚愕の思いを味わっていることに動揺している。

 

 

――多分、これは自分だけじゃないはず。

 

 

 そう思い、目だけで辺りを見回す。

 ガシャガシャと耳障りな音を鳴らしながら歩く人間の勢は、前を見据えたままだ。

 誰も黒と白のことを見ていない。

 そのことに少し不安に思ったが、今の自分だって目だけで周りを確認しているのだ、周りの人間もそうかもしれない、と自分に言い聞かせ、無理矢理納得する。

 視線を再び黒と白に戻し、二人の会話に耳を傾ける。

 

 

「今日は良い天気ね」

 

「暢気だな」

 

「そうね。でも、こういう時ぐらい暢気でいてもいいと思うのよ」

 

「まぁ、姉貴はな。……オレは無理だな」

 

「いいじゃない。気を張らなくても。ほら、肩の力抜いて!」

 

「入ってない。つぅか、引っ付くな」

 

「いいじゃないいいじゃない。お姉さん甘えたいのよ」

 

「年を考えろよ」

 

「…………女の敵ね」

 

「…………悪ぃ」

 

 

 仲が良い姉弟の会話。

 『魔王』との、普通の会話。

 

 その事実が、一般兵である男を動揺させていた。

 男は、『魔王』のことをよく知らなかった。

 世間での『魔王』の評価は、夢物語に出てくるような、残虐非道な魔王そのままの印象で轟き遍いていた。

 そしてその世間の評価は、第一師団内でも変わらないことだった。

 

 ある日志願してきた一人の男は、ある日突然、地位は無いが異例で特別な階級――称号と言った方がいいか――を授かった。

 階級名は『魔王』。

 よく分からない階級名であるそれは、夢物語で語られる魔物の王を彷彿せざるを得ないもの。

 よもや本物の魔王が? と思う者もいれば、なんて馬鹿な階級名だ、と笑う者もいた。

 

 自分は、確か後者の方だったか。

 考え、あぁやっぱりそうだ、自分は確かに嘲っていた、と思い出す。

 

 だがその嘲笑は、最初に見た『魔王』の、その圧倒的な力を見せ付けられたことによって覆された。

 一般兵である男は、その時のことを回想する。



 今思い出しても身震いする。

 高く築かれた城壁。滅多なことでは開かれない、巨大で磐石の門の前。

 大きく開かれた門の入り口を、大勢の兵士達が塞いでいる。兵士達は隣の者となにやら言葉を交し合っていて、小さな声であるにも関わらずざわざわとさざめいていた。

 その門の入り口から数十メートル離れた場所に、黒衣の男は立っていた。


 獲物である双剣を手に持ち、真っ直ぐに的――我が物顔で外を練り歩く魔物――を狙う、鋭くも深く沈み込む混沌の黒の目。恐怖する対象である魔物を前にしても、顔色一つ変えない仮面のような表情。

 兵士達は魔物を前にしている『魔王』を哀れに思った。その気持ちを隣の者と交換し、その考えを確固としていく。

 まさか一人で魔物を殺すことのできる人間がいるとは夢にも思わない兵士達は、上司から命令された『魔王』が、ただの笑いの的のまま死んで行くことを気の毒に思った。

 あんな大層な階級名を貰わなければ、ここで無駄に命を散らすことは無かったのに。皆、そう考え、同情の眼差しを黒衣の男に向けていた。


 魔物は、動物達が凶暴化し、その凶暴さをもって人間を襲う種のことである。それと同時に、動物と違って刃が通りにくいことも特徴である。一見、動物と変わりないように見えても、魔物という種に突然変異してしまったものに戦いを挑むのは無謀というものだ。魔物の皮膚は、毛皮は、何かの力が働いているとしか思えないほど、強固だ。そして、魔物の一部には魔法を扱うものもいるのだ。

 多勢に無勢でなら勝てるかもしれない。数の暴力でなら、人間にも勝ち目はある。だが、一人では到底。

 

 そして、黒衣の男は動いた。

 爆発的な速度で敵に向かったわけでもない。兵士達から見たら、非常に軽く緩やかな走りだ。

 魔物が黒衣の男に気付き、石像がそのまま動いているような魔物が、黒衣の男を潰そうと両腕を振り上げる。

 兵士達は、あぁ、と息を漏らした。あの速度では、黒衣の男が魔物の前に達したまさにその瞬間に、魔物の腕が地面に着地するであろうことを、理解したからだ。

 終わったな。誰かがそう呟き、そして次に見た光景に驚愕する。

 

 黒衣の男は双剣の片方を、無造作に振るう。軽く、力があまりこもっていない、自然体からの薙ぎ。

 軽いはずなのに、繰り出される斬撃は容赦が無く感じられた。目にも止まらぬ速度で剣を振るわれたような、そんな錯覚を起こすほどに時間の隙が無かった。観衆がその錯覚に目を取られている間に、黒衣の男の一振りによって両断された魔物の身体が、腕を振り下ろすことなく地面に倒れる。細身の剣が生み出したとは思えぬほどの、結果。

 人の平均身長より少し高めの魔物が、地面に倒れている。

 

 魔物が、人間一人に、かくも簡単に敗れた。

 

 その事実を目の前にした兵士達は、恐怖した。言い知れぬ恐怖感だった。

 人間が、魔物に一人で勝つことなんてできない。それはどこの国でも同じなはずだ。それは、人間達の間では常識のはずだった。

 その常識の中で、一人、常識に囚われず、細身の剣のたった一振りで魔物を斬り殺した人間。

 『魔王』。

 多くの人間を笑わせた階級名は、その時畏怖に取って代わったのだ。

 

 

 

 男は回想から現実に意識を戻した。

 周りでは相も変わらずガシャガシャと鎧が耳障りな音を立てている。

 黒と白の後ろ姿。『魔王』と、『魔王』の姉。

 

 

「あんまり無茶しないでね?」

 

「別に」

 

「あぁもう! 姉さんの言うこと聞きなさい!」

 

「だから、別にって」

 

「こういう時は『分かった』とか『大丈夫だ』とか『約束する』とか言うものなの!」

 

「別に」

 

「あぁもう!」

 

 

 じゃれあう二人。男の目から見てそれは、とても仲の良い姉弟として映る。

 弟を想い気遣う姉と、それに応えたくても応えられない不器用な弟。

 国のお偉いさんは、知っていたのだろうか。

 身一つで魔物を打ち倒す強さ。それに上乗せして持つ、『影』のことを。

 国のお偉いさんは、知っているのだろうか。

 今ここで普通の人間と大して変わらぬやり取りを繰り広げる、その人格を。

 

 もし全てを知っているのならなんて酷い人間なのだろう、と男は思った。

 そんな自分の考えに、男は驚きに目を見開き、苦笑する。

 軍に身を置く自分が言えた義理ではないのだが。

 脳裏に掠めるのは、友人の一言。『お前は人が良すぎるし、理想論者なんだよ』と、そんな苦言だ。

 

 

――人が良すぎるというよりも、考えが甘いだけなんだけどなぁ。

 

 

 人格は普通の、そこらにいる人間と大して変わらない『魔王』を、可哀想だと思うだなんて。

 力を持ってしまったが故に『魔王』と呼ばれている黒衣の男を、人間である自分と大して変わらないなと思うだなんて。

 

 

――もしかしたら、名の如く悪の心を持っているのかもしれないのに。

 

 

 そう考え、それはどうだろうかと自問する。

 この二人の姿を見て、そう決定付けることはできない。

 夢物語に登場する魔王とは違う姿。それだけを見ていたらただの人間にしか見えない、人間。

 

 そして男は、あぁ、と思い出す。

 『殺戮のアジタート』。

 黒衣の男は魔王でなくても『殺戮のアジタート』なのだ。

 男は頷く。そうだった、そうだったと何回も納得をするための相槌を打つ。

 

 男はそこで考えることを止めた。

 これ以上考えて、予測をして理想を築き上げるのは駄目だと思ったからだ。

 黒衣の男と白衣の女から目を逸らし、男は前を見据える。

 

 第一師団、その他にも続く軍は、他者が治める国へと歩を進める。

 『魔王』が、『殺戮』が加わったおかげで魔物を恐れることは少なくなった。

 そのままの士気で、国を取るため多勢を率いて進んでいく。


 視界の隅で男は見た。

 白衣の女が何か言ったのか、黒衣の男が横に顔を向け一言呟く。

 黒衣の男はぎこちなく笑い、白衣の女が肩を震わせる。

 そんな光景を、一般兵である男は記憶から除外した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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