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 己が人生を憾んだことは無い。

 恨み怨んだことはあるが、今はそれすらも無い。

 

 無い。

 オレには何も無い。

 強さだけがある。

 異端で異常で異物。

 

 唯一、己が『守ろう』と思えるものは、一人の肉親だけ。

 親は、残念ながら『守ろう』とは思えなかった。

 両手を目の前にかざせば、そこには人間らしい、血の通った男の手がある。

 洗っても洗っても落ちぬ血の跡が網膜に焼き付けられている。手に、血がべったりと引っ付いた幻覚が見えた。

 

 回想する。

 怨みの声で呼ばれる『殺戮のアジタート』。

 

 アジタートとは、曲想に関する標語だ。

 意味は『激しく、苛立って』。

 

 己の家系が音楽に携わることが多かったせいだろう。

 これは一種の皮肉かもしれない。

 音楽家の家系に生まれた異端。

 軍に身を置く、自分。

 

 冷たい目で、虫けらを見るような目でオレを見る両親の顔を思い出し、苦笑した。

 

 

――どうでもいいことなんだけどな。

 

 

 あぁそれよりも、と真っ暗な空を見上げる。

 今宵は満月。大きな大きなお月様が、昼は戦場であったこの場所を照らす。

 テントが張られ、見張りの兵士以外はもう眠りについているであろう時間帯。

 満月を見上げながら、「綺麗だな」と呟きをこぼした。

 

 

「何してるの?」

 

 

 後ろから声がかかる。

 影が歓喜にざわりと波打った。

 振り向くと、一人の女が立っていた。

 

 

「…………姉貴か」

 

 

 腰まで伸ばされた黒髪。強く意思を宿す黒い瞳。

 自分の姉である、存在。

 医者である姉は、オレのことが心配で軍に身を置いている。

 自分を卑下するわけではないが、なんでこんなオレを心配してくれるのか、想ってくれるのかオレには分からなかった。

 

 影が地面を侵食していく。

 姉は自分の方に向かってくる影にくすりと笑い、「元気なのね」と言った。

 地面に手を差し伸べると、影が応えるようにその手をさらりと撫でる。

 喜んでいるのだろう。

 

 オレと影は別物。

 オレはオレで物を考え、影は影で物を考える。

 生まれた時から一緒である『魔物』。

 ペットにそうするように、手に触れる影を撫でた後、姉はオレを見た。

 

 

「月でも見てたの?」

 

 

 言いながらオレの横にまで来た姉が、腰を下ろす。

 医者だと主張するように着られた白衣を敷いているが、いいのだろうか。汚れてしまうんじゃないか。

 目で問えば、それを精確に汲んでくれた姉は「大丈夫よ、代えはいっぱいあるもの」と言った。

 

 そうか。代えがあるのなら、別にいいか。

 そう納得する。

 

 

「明日は、移動ね」

 

「…………歩けるか?」

 

「あら。私、体力が無いと思われてるのかしら? あなたよりかは無いけども、ついていけるだけの体力はあるつもりよ」

 

「…………そうか」

 

 

 姉の身体を包み込むように懐く影。

 横目でそれを見、顔を顰めた後空を仰ぐ。

 月が、綺麗だ。

 

 血を吸い込んだ地面を照らしている。

 血を多く流させた己を照らしている。

 平等に。何を思うでもなく、平等に。

 

 もし、月を統治する神様がいたら、オレだけは絶対照らさないだろうな。

 そんな馬鹿なことを考える。

 オレは無神論者だ。神様の存在なんて無いと思っている。

 けど、時々考えてしまう。

 こういう、平等のものを見てしまうと無意識に思ってしまう。

 

 

――なんでオレに『平等』を与えるんだろうか。

 

 

 それは、姉にも言えることだった。

 姉はオレを忌み嫌うわけでもなく、ただ普通に接する。

 親すら嫌悪する、魔力を持つ、魔物を使役するという異端な存在であるオレに、心配の念すら抱く。

 

 よく分からない。

 分からないが、それは不快なものではなかったので、オレはこのままでいいと思えた。

 

 

「ねぇ」

 

 

 姉がオレに顔を向け、オレは満月から姉に視線を移した。

 

 

「明日も、無事でいてね」

 

 

 約束、と姉がオレに小指を突き出す。姉はいつもオレに指切りをせがむ。

 家のような、平穏でオレに物理的な危害が加えられないであろう場所ではそんなことはしない。

 今のような、平穏ではありえない戦場で、姉はオレと約束しようとする。

 

 オレが、むやみやたらに敵に突っ込んでいくからだろう。

 いつ死んでもおかしくない。

 だから、姉はオレと約束しようとする。

 

『無理をしないで』

 

 オレにそう約束させるために、姉は小指をこちらに差し出す。

 オレはそれを見て、口角をひきあげる。

 

 

「しねぇよ。そんなもん」

 

 

 そう言うと、姉は傷ついたような顔をした。

 だがそれも一瞬で、言われ慣れている姉は抗議するでもなく手を下ろす。

 沈黙がその場を支配する。

 これは、いつもの光景だった。

 

 なんでオレのことを気遣うのか、なんでオレのことを想ってくれるのかは分からない。

 理解できない分、オレは誓う。

 

 

『無事でいよう。姉の下に帰ってこよう』

 

 

 約束できない代わりに誓う。

 言葉にすることなく、姉に伝えることなく自分勝手に誓いを立て、オレはそれを忠実に守る。

 影が姉に冷たくするオレに怒りを覚えたのか、オレの頬をぺしぺしと叩いてきた。

 軽いが、うっとおしいそれに虫を払うように手を振る。

 そんなオレの姿に姉が笑い、機嫌を良くした影が姉に纏わりついた。

 

 

「もうそろそろ、寝た方がいいんじゃないかしら?」

 

「そうだな」

 

 

 姉の一言に立ち上がる。

 影がオレに引っ張られするりと落ちた。

 

 

「おやすみなさい」

 

 

 比較的近くに設置された姉専用のテントまで送る。

 手振り付きの笑顔で言われた言葉に、オレもつられて笑みを浮かべた。

 

 

「おやすみ」

 

 

 姉がテントに引っ込むのを確認し、自分のテントにへと向かう。

 テントの入り口まで来たオレは一度止まり、満月を見た。

 

 

――綺麗だな。

 

 

 オレは、自分が妙に感傷的になっていることに気がついた。

 あぁ駄目だ。これじゃあ駄目だ。

 かぶりを振って、オレは自問自答する。

 

 オレは誰だ。

 『殺戮のアジタート』だろう。

 それ以外の何者でもない。

 オレには何も無い。

 

 オレは呪いを唱える。

 声に出さず、己の内で、子供の頃に自分で作った呪いを呟く。

 

 

 

【意味は無い。

 理由は無い。

 名も無く全てが無い。

 在るのは強さ。

 屠る強さ。

 奪う力。

 それだけが在り、それだけしか無かった。

 両腕が双剣を振るい殺戮する。

 影が両腕を振るい虐殺する。

 血に塗れた両手が守るのは、唯一の肉親。

 あとは何も無い。

 その手が届く範囲は危険地帯。

 無い、無い、無い。

 オレには、何も無い。

 何かがあっては、いけない】

 

 

 

 殺せ。

 己を殺せ。

 何も無いオレは、何も望んじゃいけない。

 

 ただ、平穏が欲しいと思ってはいけない。

 オレを傷つけない姉と、ただ平穏に暮らしたいなんて思ってはいけない。

 

 あぁ弱い弱い弱い。

 こんなに弱くては駄目だ。

 強くなくてはいけない。

 何よりも強く、誰よりも強く、畏怖される『魔物』でなくてはいけない。

 

 考えるな考えるな考えるな考えるな望むな望むな望むな望むな。

 

 考えない代わりに狂え。望まない代わりに狂え。

 狂うことが『魔物』らしくなるための行為であり、オレに課せられた行為だ。

 人間であってはいけない。

 人間の形をした『魔物』にならなくては。

 

 

「…………はははは、」

 

 

 頭を抱え、小さく笑いの声をあげた。

 目を見開き地面を凝視する。

 ざらりと地面を舐める黒。

 ふ、と目を細めて、自嘲した。

 

 

「……バッカみてぇだな、オレって」

 

 

 狂えない。

 狂ってしまえば、完全な『魔物』と化してしまえば、姉を傷つけてしまう。

 笑みを深くする。

 ……本当に、馬鹿みたいだ。

 

 傷つけてしまうかもしれないと、それが怖いと思ってしまうなんて。

 それはただの弱虫な子供の言い訳で、けどそれが自分であって。

 弱い、弱い、弱い。強くあらなくては。

 『魔物』になれないのなら、せめて強く強くどこまでも強くなくては。

 

 影がずるりと地面を這う。

 オレはそれを見て、苦笑する。

 

『殺戮のアジタート』

 

 オレに名を与えたのは親でもなんでもない、敵。

 生まれた時から名は無く、疎まれてきた過去。

 

 オレは姉の名を知らない。

 両親がオレに名を告げることを禁止していたからだ。

 いつも傍にいてくれた姉は申し訳無さそうに微笑んでいた。

 名が無いながらも無事成長できたオレは、軍に志願した。

 そこならオレは『魔物』になれると思ったから。『魔物』のオレをうまく使ってくれると思ったから。

 

 姉に決別の言葉を言った時、姉は迷うことなく己の名を捨て、オレと同じ軍に志願した。

 弟のオレが心配だからと自分も軍に入ることを決め、音楽家になるという夢を捨て、戦えない代わりにと必死に勉強をして医者になった。

 苦労しただろうに、姉はそんなことをおくびに出さずに言う。

 これは自分がやりたかったことだから、と。

 

 

――馬鹿だよなぁ。

 

 

 空から目を離し、テントの中に入る。

 影も同様に滑り込んで来て、真っ暗なテントの内側に張り付く。

 

 

「……おやすみ」

 

 

 手早く寝る準備をしたオレは、影に向かってそう呟いた。

 影が応えるように波打つ。

 それを確認し目を瞑ると、姉の笑顔が瞼の裏に蘇る。

 姉は笑う。オレとお揃いだと。名が無いオレと一緒だと。

 

 

――馬鹿だよなぁ。

 

 

 嘲りではない微笑が浮かぶ。

 オレは明日に考えを巡らせるでもなく、瞬時に眠りについた。

 

 

 

 

 

 



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