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戦場。
怒号。
熱気。
血の臭い。
振るいすぎて感覚が無くなってきた両腕。
走る、駆ける、駈ける。
酷薄な笑みを浮かべて人の波を走り抜ける。
目の前に立ち塞がる敵である人間を、血で塗られた細身の双剣で斬り捨てる。
血が舞う。血が地面を彩る。周りにいる人間が、自分達の仲間を斬り捨てた人間に目を向け、一瞬で顔に恐怖を映した。
「う、うわああああぁぁぁっ!!」
反射だ。
恐怖から逃れようと、自分に恐怖を抱かせている黒衣の男を消そうと、両刃の剣を振り上げる。
だが、その攻撃は些か大振りすぎた。
先ほど敵を斬り捨てた黒衣の男は双剣の片方を、剣を振り上げている男とは見当違いの方向へ投擲する。
剣を手放したことに驚きつい目で行方を追ってしまった男は、その剣が味方の喉に突き刺さるの見た。
そして、剣を振り上げた男の喉にも、スティレットが突き立てられる。
鎧の隙間を掻い潜り、突き立てられたそれに男は兜の奥で目を見開く。
黒衣の男は笑みを歪め、スティレットを手放し、次の獲物に視線を移した。
「ひっ……っ!」
あっさりと味方を殺してしまった男がこちらを見た。
否が応でも「次は自分」と悟ってしまい、逃げ腰になる。
それを見て取った黒衣の男は、凶悪に顔を歪めて、笑った。
細身の剣を一振り。鎧を物ともせずに、隙間から命を絶つ。
男は走る。
走ったまま剣を振るい、いとも簡単に命を屠っていく。
投げられた双剣の片方を回収し、己に斬りかかって来る者達を次々と倒していく。
一人だけで敵陣に突っ込んできた、鎧を纏わず、黒を纏う男。
恐ろしい強さだった。
突き進む男を止めようと、兵士達が彼の前に出る。
人の間を縫えないように一人一人が密集し、人垣を作る。
流石に駈ける足を止めざるを得なかった黒衣の男が急停止し、剣を振るう。
足止めを食らっている男の背中に追い縋る兵士。
味方の命を食い漁った黒衣の男を、その命で清算させるために、卑怯とは分かりつつも無防備に晒された背中に剣を振るう。
剣が、舞った。
「…………あ?」
何が起きたのか分からなかった。
兵士は、自分の手の中に収まっていたはずの剣が無いことに顔を引き攣らせる。
黒衣の男はいまだ兵士に背中を向けていた。
向けてはいるのだが、何かおかしかった。
感じる違和感に兵士が気付く前に、黒が兵士の胴を薙ぎ、上半身と下半身で分断される。
血が、肉が、内臓が。ただの物のようにぶちまけられる。
「…………ははは」
黒衣の男が、抑えられないといったように。
「はははは、あははははははははっ!!」
笑う。嘲笑う。ゲラゲラ笑う。
男を取り囲んでいた兵士達は、我が目を疑った。
黒衣の男の影が、立ち上がっていたのだ。
輪郭がはっきりしない、人の形をした影がニマニマと笑いながら、一人の兵士を分断させた手をゆるやかに振っている。
嘘だ。
信じられない。
兵士達の胸中でそう呟かれる。
愕然とした顔で黒衣の男を見、誰かが恐怖に戦慄く声で叫んだ。
「アジタート……っ!!」
それを合図に黒衣の男と影がにんまり笑い、命を屠る作業が開始された。
黒衣の男の進行を止めるものはいない。
敵軍の頭を潰し、敵兵達は逃げていく。
黒衣の男は逃げる兵士達の背を追うでもなく、用は済んだとばかりに踵を返す。
逃げる兵士の一人が、恨みを存分に込めた目でその男を睨み、怨嗟を吐く。
『殺戮のアジタート』
黒衣の男はその言葉に笑い、どうしようもなく笑い、またどうしようもなく嘲った。
「それ、オレの名前じゃねーぞ」
己に名前は無い。
なのに、なんでそう呼ぶのか。
訳が分からない。そう、笑った。
男の足は、己が属する軍へと歩みを進める。
止められない。止められやしない。
黒衣の男の背後に控える影が、男の足元で笑った。