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日常のコト~ドアを開けたら、ほんの少し違う世界だった~

作者: Wicca
掲載日:2026/04/09

ドアを開けたら、ほんの少し違う世界だった。

ゴミ捨て場に、番長がいた。


引越しの朝、玄関のドアを開けたとき、なんとなく思ったんだよね。

あ、ここ、ちょっと違うな、って。

空気の質、とでも言うんですかね。湿度とか温度とかじゃなくて、もっと根本的な何か。でも夫は普通に段ボールを抱えてるし、引越し業者のお兄さんも普通にトラックから荷物を降ろして部屋に運んでる。

私の気のせいだと思った。思いたかったのかもしれない。

その日は忙しすぎてそれどころじゃなかったけど。

まさかもしかして事故物件とかない…よね。管理会社に散々確認したし、それなら家賃も少し違うはずだし。

ないない。


★燃えるゴミの日

引越しから三日後の朝、七時ちょっと過ぎ。

燃えるゴミ用の袋を持って集積所に向かったら、そこに男のヒトが一人、仁王立ちしていました。

え、なに、まって、ゴミ出しするのに【ご挨拶】が必要とかないよね?

箒持ってるわけでもなく、監視員みたい。

そのヒトは、身長は170センチくらいで、がっちりした体型で、頭はツーブロックにして後ろだけ長い。それでもってスカジャンを着ていました。背中に、鷹の刺繍。朝七時に。

目が合った瞬間、男がこちらをじっと見てきた。

私はとりあえず会釈して言った。

「あの、引越してきました。よろしくお願いします」

男は少し間を置いてから、低い声で言いました。

「……ここ、分別ちゃんとせえよ」

それだけ言って、スカジャンをひるがえして去っていきました。

鷹の刺繍が、朝日に光っていました。


ちょっとまって、それだけ?

新人だからその一言言うだけのためにいたの?新人接待とかいうやつ?

ないない、それはない。

頭の上にクエスチョンマークを出しながら部屋にもどった。


後から、棟の奥さんに聞いたところ…

あの人はタカさん、と呼ばれているらしいこと。本名を知っている人は少ないこと。二十年以上、毎朝このゴミ捨て場に立っていること。誰に頼まれたわけでも、お金をもらっているわけでもないこと。

「怖い人なんですか」と聞いたら、奥さんは少し考えてから言いました。

「怖いっていうか……なんか、ここにいるべき人、って感じがするのよね」

その言葉の意味が、当時の私にはすぐにはよくわからなかった。


★不思議その一

タカさんのことが気になり始めたのは、引越しから二週間ほど経ったころです。

燃えないゴミの日の朝、集積所の前を通りかかったら、タカさんが一人でゴミの前に立っていました。何かを、じっと見ている。

近づいてみたら、タカさんがぼそっと言いました。

「……今日、カラスが来えへん」

「え?」

「いつもこの時間、一羽来るねん。でも今日は来てへん」

私は思わず空を見上げた。確かに、いない。

「……カラスが来ない日って、何かあるんですか」

タカさんは少し間を置いてから言った。

「さあな。でも、ないよりはある」

それだけ言って、またゴミの方を向いてしまいました。

私はよくわからないまま、その場を後にして、そんなやりとりがあったことも忘れていた。

その日の夕方、隣の棟で水道管が破裂しました。ウチじゃなくてよかった。断水すると生活の順番がちょっとかわるから。

洗濯途中で水止まったら、汚れ落ちが気になっちゃうし…


★不思議その二

一ヶ月ほど経ったある朝、集積所に行ったら、ゴミ袋が一つ、明らかに場所がおかしかった。

分別は合ってる。でも置く位置が、微妙にずれている。…ずれてる気がする。よくわかんない。

そのくらい私には全然気にならない程度のことだった。でもタカさんは、それを見た瞬間に眉をひそめて、無言でそっとゴミ袋を数センチ動かしました。

「……そこじゃないと、ダメなんですか?」

思わず聞いてしまった。

タカさんは少し考えてから言いました。

「ダメってわけやない。でも、ここの方がええ」

「なんで?」

「……なんとなく」

それ以上は教えてくれませんでした。

おとなになってからの「なんとなく」は追求しないほうがいいというのは、数年の社会人生活で習ったこと。

でも確かに、タカさんが動かした後の集積所は、なんとなく、まとまって見えたんだよね。上手く言えないんだけど。空気が、きれいに整列したみたいな感じ。


★ある朝のこと

二ヶ月目に入ったころ、少し早起きした朝がありました。

六時半ごろ、窓から外を見たら、タカさんがもう集積所の前に立ってた。スカジャンのジッパーが珍しく少し開いていて、中に何か白いものが見えた気がしたけど、遠目だったし、よくわからなかった。

タカさんが、空を見上げていたんですよ。ただ、静かに。

スカジャンの背中の鷹が、朝の光の中にあって。

何をしているのか、わかんなかった。けどでもなんとなく、声をかけてはいけない気がして、私はそっとカーテンを閉じた。

夫が「どうした?」と聞いてきたので「なんでもない」と答えた。

うまく説明できなかったから。

見上げてた先に何があるか、なんにもみえなかったし。


★おわりに

あの引越しの朝、ドアを開けたときに感じた「ちょっと違う」という感覚。

今もまだ、正体がわかりません。

タカさんが何者なのかも、わかりません。ただの、ゴミ分別が好きなおじさんなのかもしれない。あるいは全然別の何かなのかもしれない。

ひとつだけ確かなのは、この団地のゴミ捨て場は、いつもきれいに整っているということ。

そしてカラスが来ない日は、だいたい何かが起きる。


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