第8話「森に現れた黒衣の少女と業務提携」
ゴロツキの襲撃から数日後。村はさらなる活気を帯びていた。タケシがもたらした大量の建築資材によって、村を囲むように頑丈な防壁が築き上げられつつある。エルフたちは電動工具の扱いにもすっかり慣れ、手際よく丸太を切り出しては次々と組み上げていた。
広場の中央には、タケシの「無限在庫」から引き出された大型のプレハブ小屋が設置され、そこがタケシ商会の仮設オフィス兼倉庫として機能していた。クーラーボックスには冷えた栄養ドリンクが常備され、作業の合間に休憩するエルフたちの憩いの場となっている。
「タケシさん、防壁の東側がもうすぐ完成します。これで森の魔物も、領主の兵隊も簡単には入ってこられません」
首からタオルを下げ、顔に土汚れをつけたリリアが誇らしげに報告してきた。彼女はもう、出会った頃の怯えきった少女ではない。村の復興を最前線で支える、タケシの優秀な右腕へと成長していた。
「ご苦労様、リリア。少しペースが早すぎるくらいだ。冷たいものでも飲んで休んでくれ」
タケシはプレハブの中からキンキンに冷えたスポーツドリンクのペットボトルを取り出し、リリアに手渡した。彼女は嬉しそうにキャップを開け、ゴクゴクと喉を鳴らして飲み干す。その時、村の防壁の外で見張りをしていた若きエルフが、血相を変えて広場に駆け込んできた。
「た、大変です。森の奥から、ものすごい魔力を持った集団が近づいてきます。魔王軍の旗を掲げています」
その報告に、広場の空気が一瞬にして凍りついた。魔王軍。人間とは長年にわたり敵対関係にあり、圧倒的な武力と残虐性で恐れられている存在だ。領主の兵士たちなど比較にならない、真の脅威がすぐそこまで迫っている。
「みんな、作業を止めて道具を置け。防壁の裏に隠れるんだ」
タケシは即座に指示を飛ばし、リリアをプレハブ小屋の中に押し込んだ。彼は「無限在庫」から先日のスタンガンと催涙スプレーの予備を取り出し、スーツのポケットに忍ばせた。しかし、魔王軍相手にこんなものがどこまで通用するかは未知数だ。最悪の場合、村全体を覆うほどの大量の催涙ガス弾を引き出す覚悟を決め、タケシは未完成の防壁の隙間から森の入り口を睨みつけた。
地響きのような重い足音とともに、森の木々を押し分けるようにして現れたのは、漆黒の鎧に身を包んだ屈強な魔族の兵士たちだった。巨漢のオーク、鋭い牙を持つワーウルフ、そして禍々しい魔力を放つダークエルフ。ざっと見積もって五十人以上の部隊だ。
そして、その物々しい集団の中心で、一頭の巨大な黒曜石のような獣に跨る人影があった。部隊が村の前に立ち止まると、その人影が獣からふわりと飛び降り、ゆっくりとタケシの方へと歩み寄ってきた。
タケシは目を疑った。魔王軍を率いているのは、恐ろしい化け物ではなく、人間の年齢にして十代後半ほどに見える、息を呑むほど美しい少女だったのだ。
腰まで届く漆黒の髪は艶やかに光り、血のように赤い瞳がタケシを真っ直ぐに射抜いている。身にまとっているのは、過剰な装飾が施された豪奢なドレスだが、よく見ると生地のあちこちがすり切れ、補修の跡が痛々しく残っていた。彼女の華奢な体からは、周囲の空気を震わせるほどの強大な魔力が放たれている。
「貴様が、このあたりで美味なる未知の食糧をばら撒いているという人間か」
少女は防壁の前に立つタケシをねめつけ、威厳に満ちた声で問いかけた。その声は冷徹だが、どこか無理をして張り上げているような不自然さがあった。
「いかにも。俺はタケシというしがない商人だ。魔王軍の御一行様が、こんな辺境の村に何の用だ。ここは俺の商会の直轄地だ。荒立てるつもりなら容赦しないぞ」
タケシはポケットの中でスタンガンのスイッチに指をかけながら、ハッタリをきかせた。少女はタケシの言葉に鼻を鳴らし、赤い瞳を細めた。
「ふん。人間ごときが我ら魔王軍に口を利くとはな。私は魔王ルビア。この軍の最高司令官だ」
少女――魔王ルビアはそう名乗り、マントを翻して胸を張った。しかし、次の瞬間、彼女のお腹からぐきゅるるるぅぅという、威厳とは程遠い悲鳴のような盛大な音が鳴り響いた。
静まり返る魔王軍の兵士たち。防壁の裏で息を潜めていたエルフたちも、予想外の音にポカンとしている。ルビアの白い頬が、みるみるうちに林檎のように真っ赤に染まった。
「な、今のは私ではない。私の乗っていた獣の腹が鳴ったのだ」
ルビアは慌てて背後の獣を指差して取り繕おうとしたが、彼女の部下であるオークの一人が、申し訳なさそうに巨体を縮こまらせて言った。
「魔王様……無理はなさらんでくだせえ。俺たちも、もう三日もろくなもんを食ってねえんですから……。あのカレイライスとかいう匂いを嗅いだら、もう限界でさあ」
オークの言葉に、他の魔族たちも次々と腹が減った、もう戦えないと力なく崩れ落ちていく。恐るべき魔王軍の真の姿は、飢えと疲労で完全に統制を失った、ただの腹ペコの集団だったのだ。
タケシは毒気を抜かれ、ポケットからゆっくりと手を離した。彼は魔王軍の軍装の古さや、彼らの痩せこけた体つきを見て、ある仮説を立てていた。
『なるほどな……人間との戦争どころじゃない。こいつら、深刻な食糧難と財政赤字で破綻寸前なんだ』
タケシはプレハブ小屋に引っ込んでいたリリアに合図を送り、屋外用の大型ガスコンロと巨大な寸胴鍋を用意させた。そして、「無限在庫処分」から業務用サイズのレトルトカレーを数十パック引き出し、大量のご飯とともに鍋で温め始めた。
強烈なスパイスと肉の脂が溶け合う、破壊的なカレーの匂いが村の広場に充満する。魔族たちはもはや武器を構える気力すらなく、涎を垂らしながら寸胴鍋の周りに群がってきた。ルビアでさえ、威厳を保とうとしながらも、その目は鍋の底に釘付けになっている。
「腹が減っては戦はできんと言うだろう。俺のおごりだ、好きなだけ食ってくれ」
タケシが山盛りのカレーライスをプラスチックの皿に盛り付けて配り始めると、魔族たちは野獣のようにそれに食らいついた。一口食べた瞬間、彼らの目に大粒の涙が浮かんだ。
「うめえ。なんだこの複雑で辛くて、なのに甘い不思議な味は」
「肉が溶ける。この米とかいう白い粒に、茶色い汁が染み込んで最高じゃねえか」
屈強な魔族たちが、カレーを顔中に塗りたくりながら泣いて喜んでいる。タケシは最後に、一番大盛りの皿をルビアの前に差し出した。
「さあ、魔王様もどうぞ。毒なんか入っていない。ただの従業員用のまかない飯さ」
ルビアはタケシを胡乱な目で睨みつけたが、胃袋の要求には勝てなかった。彼女はスプーンをひったくるように受け取ると、カレーを一口頬張った。その瞬間、彼女の赤い瞳が見開かれ、ピンと尖った耳がピクピクと痙攣した。
「なんだこれは……香辛料の塊のようだが、この強烈な旨味は……魔力が回復していくような錯覚すら覚えるぞ」
ルビアは魔王のプライドも忘れ、ガツガツと音を立ててカレーを貪り食った。顔の半分を皿に突っ込むような勢いで、あっという間に平らげてしまう。タケシはニコニコと笑いながら、二杯目を差し出した。
「お代わりはいくらでもある。その代わり、食後には少しビジネスの話をさせてもらおうか」
タケシの眼鏡の奥で、商人の鋭い眼光が光った。彼はこの圧倒的な武力を持つ飢えた集団を、領主に対抗するための最強の私兵として組み込む青写真を描いていた。




