The mall
あの頃の僕は、きっと心が躍っていた。そう思えるような束の間の非日常。有機的に灯る明かりが照らす人々は、皆輝いて見えた。
「こら、離れないでよ」
そう叱る親の手を無理矢理にでも振りほどいて走って行く。行く当てもわからなかったけど、きっと僕はどこかにたどり着けると信じていた。
やがて辿り着いたゲームセンターの明かりも、確かに温度を持っていた。真っ白な床なんて気にも留めず、ただその中に入っていくだけで。
「お金ないから、何もやらないよ」
なんて言われても、眺めているだけで楽しかった。
このきらきらと輝く世界に、自分がいるという事実が。それだけで、その頃の僕はひどく満足していた。
楽しい場所だった、はずなのだが。
――
そんな、ちょっとした昔の記憶を思い出すようなショッピングモールが広がっていた。どこか見覚えがあるようで、当然僕は知らない。知っている店の看板は幾つもあった。でも全て明かりが灯っていないし、第一人が一人も居ない。
妙な寒気がして、僕は体を少し丸めた。
薄暗い電灯の下、誰も居ないショッピングモールで一人立ち尽くしている。
人がいないだけで、こんなにも不気味なものなのか。
小さい頃、僕はショッピングモールを大きな迷路のような場所だと感じていた。勿論そんなことはないし、僕はそこにあるもの全てを楽しんでいた。
でも今は違う。そこに在る全てが、明確に意思を持って僕の精神を蝕んでいく。
恐ろしかった。ひどく広いこの空間で孤独なのが。
「もう、こんな場所慣れたろ……」
自分自身に言い聞かせるように、そう口にしてみる。ひとつ、大きく息を吐いて、また前を向いた。幾分かはマシになった、かもしれない。
僕は、ただ変わらず出口を探すだけだ。
動かないエスカレーターを上る。さながらただの階段だ。
僕は一つ疑問に思った。明かりは付いているのに、どうしてエスカレーターは動いていないのだろうか。電源が入っていないのか?しかしながら何か専門的な知識を持っている訳でもないので、僕はそのまま前へ進むことしか出来ない。
薄暗い中でもチェーン店の看板がよく見える。どうしてこんな場所に、この店があるんだろう。と、またそんな疑問も持ちつつ僕は看板を凝視していた。チェーン店の看板なら、『○○店』とかが書いてあると思ったからだ。それさえ見れば、今自分がどこにいるのかが分かる。そうすればここが現実だとわかるし、家に帰れる。
僕は、立ち並ぶ店の看板を睨みながら早歩きで前へ進んでいた。
『蠅?阜店』
どこもそう書かれていた。所謂文字化けだろうか、当然読むことなど出来ない。ここに来て改めて、僕は自分が現実から切り離されているということを思い知った。それを知ったところで、何があるわけでも無いのだが。
「う……」
鳴る腹を押さえる。
そういえば、もう長い時間何も口にしていない。流石に腹が減ってきてしまった。
何か食べるものは無いだろうかと、ほんの少しの希望と共に僕はある一つのハンバーガーチェーンへと足を運んだ。
……と言っても想像通り、ほとんど何も無かった。考えてみればそうだ。ここに食べ物を運んでくる人など一人も居ないし、仮に居たとしてそれにはなんの意味も無い。
「まあ、そうだよな……」
と消沈する僕は、なんとなしにすぐそこの蛇口を見つめていた。
食べ物がなくても、せめて水くらいは。
そう考え、蛇口を捻った。予想に反して、水が出た。……いや、水と言って良いかはわからない。これが本当に安全な水なのかどうか、僕には確かめる術が無い。
「んー……?」
流れ落ちる液体を少しの間見つめた後、僕はそれに鼻を近付け匂いを嗅いだ。無臭。
特に異常は無いだろうと、自分の中ではそう結論づけた。
とにかく水が飲みたかった。人が水なしで生き延びられる期間は三日間だと聞いたことがある。まず三日も経つ前に体は衰弱しきるだろうし、そうなったらいよいよここから出る希望がなくなる。
それだけはなんとしてでも避けたいのだ。
恐る恐る口を近付け、その液体を口に含む。幸か不幸か、その液体は無味だった。
いっそのこと、何か味か匂いが付いていればすぐに吐き出したのに。無味無臭だからこうやって飲み込んでしまう。これが何かわからないから、余計に不安になってきた。
じゃあ飲まなければ良いじゃ無いかと言ったらそこまでだが、やはりとにかく水分が欲しかったのだ。
「頼むから何も起きないでくれよ……」
と心の中で念じながら僕は厨房を後にした。水らしきものが、やけに冷たくて美味しかったのが癪だった。
――
どれほど歩いただろうか。僕の足は依然薄暗闇の中を彷徨っている。さっき水を飲んだ分、前よりはどこか力が回復しているように思えた。あるいは、そう思い込んでいるだけだろうか。
とにかく必死だった。何も考えず、ただひたすらに見えた道へ歩みを進める。
後ろに戻る事はしなかった。できるだけ前へ、別の場所を目指すために。
気になる物はこれと言ってなかったが、強いて言うなら床が少し濡れているのが気になった。歩く度にキュッと音が響く。この音すらも僕の精神を少しずつ削ってくるのだ。
とは言ってもまあ代わり映えの無い無機質な白の中を歩いていた、その瞬間だった。
眼前に、何かが落ちているのが見えた。
警戒しすぎか、僕は近付きすぎないように目を凝らす。
「あれは……」
赤くて、人型の……フィギュアだった。よくある、スーパー戦隊のやつ。不思議だったのは、それがもう何十年も前の物であることだった。
どうしてこんな場所に落ちているのか、全く想像がつかない。まあ、この空間がまず理解できないし、想像も出来ないようなことが起こり続けているのは確かだが。
それにしても、ここまで人の温度を感じる物を見るのは始めてかもしれない。そう、少しだけ安心感があった。傷の付いた、使い倒されたようなその表面に、どこか少し懐かしいような感覚すら感じてしまう。
それはまるで、
「この傷、どこかで……」
何かを、思い出そうとしていた。
『ザザ……』
その瞬間、ノイズが走る。深いな音が空気を伝った。
そして、先ほどまで無音だった館内にBGMが響き渡る。聞いたことのあるようなクラシック。でもこの空間に鳴り渡るその音色は、僕の不安を最大限に煽った。
どうして急に。そんな疑問は当然あった。しかし、今気にするべき事はもっと他にあったのだ。
目の前のシャッターが、閉まろうとしている。しかもその奥には、少し様子の違う光があった。
「出口だ」
そう直感した僕は慌てて駆け出す。しかしその衝撃で、フィギュアを落としてしまった。
ことん、と音を立てて床に転がるフィギュア。その背景に映る白に、妙な既視感があった。
「……クソッ!」
僕は力一杯手を伸ばし、そのフィギュアを再び手の中に収めた。
目の前には、もう半分まで閉まったシャッター。
ここが閉じたらおしまいだと、そう直感していた。
走る、息をするのも忘れる程に。足が千切れそうでも、止まることが出来ない。
「ああああああっ、間に合え!」
滑り込んだ瞬間、シャッターが音を立てて落ちた。
ガシャン、と、静かに響き渡る。
身体中の力が抜けた僕は、相変わらず一人で床に横たわっていた。
次の瞬間、大量の水が流れるような音がシャッターの向こうで響く。津波が打ち付けるように、激しい衝撃音が何度も鳴った。
きっと今、向こう側は水で満たされているのだろう。なんのためかは分からない。けど、きっとこの空間に意味を求めること自体が間違いなのだ。
「はあ……はぁ……」
深呼吸をして息を整える。
今はこの安置に居られることだけで精一杯だった。
――
呼吸も整い、次第に僕は立ち上がる。目の前には非常口によく似たシンボルマークがあった。
この先に、次はどんな空間が広がっているのだろう。
もはや僕は、その先に出口などないのだろうと疑って閉まっている。僕は本当に、ここから出られるのだろうか。
「……」
ほんの少しの躊躇いの後、僕はまたドアノブを引いた。




