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 店内で、立花はコーヒーを淹れる準備をしていた。

 そこへ奥の方から足音が近づいてきて、がらりと戸が開いた。そこに立っていた人物を見て、立花は驚いた。


「け……」


 立花は思わず言いかけた言葉を止めた。まさか、目の前にいるのは――いや、そんなそんなはずはないのだ。そんなはずは……。


「ほえ……?」


 彼女は立花の様子に首を傾げた。その気の抜けたような声に立花はいささか冷静になる。

 声からしてまったく違うじゃないか。彼女はもっと凛として、芯のある声をしていたはずだ。


「いや、失礼、何でもありませんよ。それより、まだ髪が乾ききっていないのではないですか? よければドライヤーも使ってください。男一人暮らしなもので、他に気の利いたものはありませんが……」


 ドライヤーは先ほど、また2階に上がって持ってきたものだ。


「とんでもない、助かります」


 立花は壁際のコンセントにプラグを差し込み、愛稀に差し出した。愛稀はそれを受け取り、スイッチを入れて、店のガラス戸を鏡代わりにして、髪を乾かしてゆく。彼女の姿を透かして見える向こうの景色では、まだ大きな雨が降り続いていた。彼女は髪が長いので、乾かすのもそれなりに時間がかかることだろう。立花は彼女がドライヤーを使い終える頃に合わせられるよう、ゆっくりとコーヒーの作業を進めた。粉砕したコーヒー豆にお湯を入れる頃になって、良い香りが漂ってきたのか、愛稀は立花の方を向いて、ドライヤーを止めた。


「コーヒーはお好きですか。よかったら飲んでください。もちろんサービスです」


「えっ、いいんですか?」


「急な雨で身体が冷えたでしょうから」


 立花はにっこりと笑った。恐縮した様子の愛稀を、テーブル席に案内し、テーブルの上にコーヒーを置いた。愛稀はぺこりとお辞儀をして、カップを両手で持ち、一口すする。刹那、彼女の顔がくしゃりとゆがんだ。ブラックは苦手のようだ。立花はフレッシュの入ったポットと砂糖の入ったカップを持ってくる。愛稀はそれらをコーヒーにたっぷりと入れた。それを飲むと、ようやく一息つけたらしい。愛稀はほっとした表情を浮かべ、それから思い出したように言った。


「すみません、何から何まで……。服まで借りちゃって」


「いえ、いいんですよ。突然の雨で大変だったでしょう」


「はい、もう全身ぐしょぐしょになって……あ!」


 愛稀は思い出したように、バッグを開いた。中にまで水が入って、取り出した小物類もぐっしょり濡れている。立花はタオルをもう一枚差し出した。愛稀は「すみません」とそれを受け取って、手鏡や化粧道具、スマホなどを一つずつ拭いてゆく。ハンカチなどの布製のものはどうしようもない。

 相も変わらず、立花の目は愛稀の方に注がれたままだった。視線を感じて、愛稀も彼の方を見る。じろじろ見られて不快という感じではなく、ただ感じた視線を反射的に意識したような様子だ。たじろいだのは立花の方だった。


「あ、いや……。失礼をしました」


「いえ。どうかしましたか?」


 立花は何といえばよいか迷った。けれど、正直に応えることにする。


「いや……こんなことを言うと変な風に思われるかもしれませんが――。実は、あなたの姿に、亡くなった妻を思い出したのです」


「奥さん?」


「ええ。その服は実は亡くなった妻の形見でしてね。若い頃、新婚旅行でベトナムに行った時に妻が買ってきたものなのです。随分気に入っていたようでね。ずっと大事にしていたのですよ。だから、妻の死後も捨てるのが忍びなくて、ずっと置いておいたのです」


「そんなに大切なもの……。なのに、借りてよかったんですか?」


 恐縮している様子の愛稀に、立花はいやいや、と手のひらを差し出して言った。


「気にしなくていいんですよ。ただ置いておくのは勿体ないと思っていましたから。それにね、その服を着たあなたの姿、若い頃の妻にそっくりなのです。それでつい、見惚れてしまいました」


「そうだったんですね」


「ご不快に思ったなら、申し訳ない」


「いえ、そんな大切なものをわざわざ――奥さんのお話も聴かせてもらって嬉しいです」


 愛稀はにっこりと笑った。よくよく見ると、恵子とは似ていないところもあった。恵子のストレートな髪に比べるて、愛稀の髪は多少無造作に跳ねている。また恵子はスレンダーな体型だったが、それに比べて愛稀は出っ張りは多少強調されていた。しかし、芯の通った顔立ちと、人を惹きつけるような眩しい笑顔は、まさに恵子のそれと同じだった。


「今日はこの辺りに用事だったのですか?」


 立花は世間話がてら尋ねた。


「この辺りというか、約束があって。向かう途中だったんです」


「約束ですか」


「ええ。友達――というか何というか」


「恋人ですか?」


「まあ――」


 愛稀は少し恥ずかしそうに俯いた。


「会えるのは久しぶりなんです」


「久しぶりとは?」


「実は彼、しばらくアメリカに留学しているんです。今日は一時帰国で――」


「ほう、それは会うのが楽しみですね。でも、待ち合わせはこのあたりだったんですか?」


 立花は少し不思議に思った。帰国してきた知人に会うなら、待ち合わせは空港か、空港からアクセスの良い地域にしそうなものだ。けれども、このあたりには近くに空港もなければ、空港につながる路線の駅があるわけでもない。それなのに、こんな街の外れに、なぜ彼女はいるのだろう。


「そうなんです!」

 と、愛稀は突然語気を強める。


「彼、そこの大学の学生なんですけど、研究室に用事があるっていって、帰国したらすぐ、大学の方に行っちゃったんです」


 この地域には国内でもトップクラスのレベルを誇る国立大学があった。そこの学生ということは、かなり優秀なのだろう。


「大学で待ち合わせ?」


「そう。ひどくないですか? 私はすぐにでも会いたいのに」


 怒る仕草はぷんすかという表現が相応しい。年頃の女の子らしさが見え、立花は可愛く思えた。思い出してみれば、恵子も若い頃、このような可愛く嫉妬することがあった。


「しかし、待ち合わせしているとなると、あまり遅くなるのは良くないですね」


「いえ、まだ待ち合わせの時間には早いので。どこかでお茶でも飲んで待つつもりでしたから」


「タイミングよく、この店と出逢ってくれたわけだ」


「そうですね」

 と愛稀は笑ったものの、立花はここに来られたことを幸運だとでも言うように表現してしまったことを少し申し訳なく思った。


「いや失礼した。突然の雨は災難でしたよね」


「困りはしたけど……でも、考えてみたらそれも良いことといえるのかも」


「なぜです?」


「ほら、今日は七夕じゃないですか――」


「そうでしたね……」


 立花はぽつりと応えた。今日、7月7日は世間的には七夕祭りの日である。天の川を挟んで離れ離れになった織姫と彦星の二人が、年に一度、逢える日だ。けれども、そんな日に妻を亡くしてしまった立花は、意識的にそれを考えないようにしていた。


「……どうかしましたか?」


 立花の様子に、愛稀はキョトンとして訊いた。今日は恵子の命日でもあることを彼女は知らない。立花は気を取り直した。


「いや、何でもありませんよ。しかし、七夕であれば、雨は逆に残念なことなのでは? 雨のせいで、二人が出逢えないとか……」


 長年七夕というイベントをスルーしてきた立花にとってはうろ覚えだが、たしかそんな言い伝えがあったはずだ。愛稀は言った。


「そうとも言われています。でも、そうじゃないとも言われています」


「というと?」


「七夕の雨は、織姫と彦星が再会できて、うれし涙を流すから――という説もあるんです。私はそっちの方がロマンチックで好きです」


「なるほど、うれし涙ですか」


 そう考えると、雨も素敵なことのように思える。一方で、地上の我々は、突然の通り雨に困ったりするのだから、果たして良いことなのかどうか――という風にも思った。けれども、いまそれを言うのは無粋というものだろう。それに、また逆にみれば、実際に雨が降ったからこそ、立花は、妻にそっくりな彼女を店に招き入れることができたのだ。

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