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立花は軒下から顔を出して、通りを見渡した。人が歩いている様子はない。当然と言えば当然である。こんな激しい雨の中、誰も街を歩こうとは思わないだろう。
はやく店の中に戻ろう――と思う。本格的な夏がはじまった今時分では、大雨が振ったとてあまり涼しくはならず、むしろ湿気のせいで妙な蒸し暑さを覚える。また、下手に店外に出ては、自分だってずぶ濡れになってしまいかねない。現に、軒下から顔を出しているだけのいまの状況でも、雨の飛沫が身体に幾分もかかってしまっていた。
雨がやむか、そうでなくとも小雨にならない限り、客は来ないだろうな――と立花は思った。
その時――。
通りの向こう、雨粒の群れに遮られた視界から、ぼんやりと人影のようなものが姿を現した。気のせいだろうか。こんな大雨の中、通りを出歩いている人などいるはずがない。そう思ったものの、徐々にそれは輪郭をはっきりさせながら、こちらへと近づいてくる。
近づいてくるとそれは若い女の子であると分かった。傘もささず、代わりに鞄を頭にやりながら、ひたすらに走っている。近くまで来たところで、立花は声をかけた。
「お嬢さん、よかったら入りなさい。突然の雨で困ってるだろう」
女性は立花に気づいて、一目散にこちらに向かってきた。その姿は文字通りずぶ濡れである。傘も持っていなかったようだ。このあたりは、ひっそりとした通りであり、雨宿りするような場所もとっさに見つからなかったのだろう。
全身から容赦なくぼたぼたを水が滴り落ちて、かたく目をつむりしかめっ面を浮かべて、まるでべそをかいているような状態だ。立花は不憫に思った。
「少し待っていなさい。タオルを持ってきてあげよう」
立花は上の階の住居スペースに行き、バスタオル1枚と念のため洗顔用タオルも1枚手に取った。あれだけずぶ濡れなら、代わりの衣類も必要になるだろうと思う。だが、見たところ小柄な印象の彼女には、大柄な立花の服は合いそうにない。どうしようか――と考えて、ふと普段は開けない箪笥の引出しが目についた。彼女の体型であれば、ぴったりかも知れない。だが……。
立花は少し迷ったが、引出しを開けて衣服を1着取り出した。あれこれ悩んでいる余裕はなかった。早く戻ってあげないと、彼女は風邪をひいてしまうかもしれない。立花は急いで下へと戻った。
「さあ、これで身体を拭きなさい」
と、バスタオルを差し出す。
「ありがとうございます……」
言うのもやっと、という感じで女性は言った。頭からタオルを被るようにして長い髪を無造作に拭っていく。タオルを取ると、やや癖のある髪の毛がところどころ逆立っていた。彼女は恥ずかしそう顔をゆがめると、もう一度頭からタオルをすっぽりと被る。そして今度は、毛先まで丁寧に拭いていった。
一通り拭き終えたところで、立花はもう1枚のタオルと、衣服を彼女に差し出した。
「まだ拭き足りないところがあればこれで拭きなさい。あと、そんなそんなずぶ濡れではいられないだろう。これを着たらいい」
「いや……」
そこまでしてもらわなくても――と思ったのか、女性は一瞬恐縮する様子をみせたが、すぐに「すみません」とそれを受け取った。
「屋内に入って、向こうにトイレがあるから、そこで着替えたらいい」
立花は女性をトイレまで案内した。扉を閉め、彼女が着替えている間に、室内の床の濡れたところを拭いていく。あれだけの雨だ。彼女が歩いたところに水の足跡ができるのは自然なことである。玄関口は仕方ないとして、室内だけでも綺麗にしておかなくては。何せ、ここはお客様がくつろぐ場所でもあるのだ。