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第1話 プロローグ とある少年の最後。


 思い返してみればそこまで悪い人生でもなかった。緩やかに濁っていく頭の隅で彼はそんな事を考える。


 


 もっとも、人生を語るにはまだ大分早い気もするが、それでも恵まれた方の生だったと思う。


 裕福と言う程ではないが、それなりの家庭に生まれ両親からの愛情も十分受けていたと思う。なによりもこれまで彼がしたい、やりたいと思う事のほぼ全てを自由にさせてくれるだけの経済力と包容力を持ち合わせていた。




 人生を語るには早い年齢でありながら一通り以上の経験が積めたのは間違いなくこの両親が居たお陰だ。そこにはただただ感謝しかない。




「だからそんなに泣かないで、母さん」




 油断すれば直ぐに閉じてしまいそうな瞼を持ち上げ、焦点の定まらない瞳を、それでも声がする方に向けて穏やかに彼は言う。既に視界はぼやけ僅かな輪郭しか認識できない。




「これまでで、十分楽しかった。あんなに色々な事を自由に出来たヤツなんで、そんなにいないんじゃないかな」




 コレは本心でそう思う事だ。両親は彼が興味を持った事なら全てやらせてくれた。スポーツであったり、ゲームであったり、模型作りであったり、勉強でも音楽でも工作でも何でも、中には金がかかりそうな趣味……カートレースやサバイバルゲーム、パソコンの自作や料理なども嫌な顔せずになんでもやらせてくれていた。




 旅行に行きたいと言えば父は有休をとって海外までも連れて行ってくれた。彼の病気が発覚して以降は、寝ながらも使える様に高価な装着式ゲーム機まで購入してくれている。勿論、そのゲーム機で使用できる学習ソフトも山ほどセットにはなっていたが。




「うん……十分楽しんだし……満足かな」


 彼は満足してしまって居た。彼の年齢を考えれば本当はまだまだやれる事、出来る事は他にも沢山ある筈であった。しかし、それは元から叶わない望みだ。






『16歳までは生きられない』


 そう医者に告げられたのは彼が10歳の時だった。徐々に筋力が落ちていき、それに伴い免疫力も下がり病気に感染しやすくなる。病気に感染しなかったとしても落ちていく筋力はやがて心臓も動かせない程に弱っていく病。




 何やらやたらと長くて難しい名前が付いた奇病、それが10歳の彼に告げられた。その時は正直自覚も無かったし実感もなかった。しかし11歳になる頃には病院への短期入院と退院を繰り返すようになった。それと同時に自分の身体が弱って行く事を体感として知ってしまった。その時から彼はもう自分の命の終わりを意識した。




『一度しかない無い人生、どうせ倒れるなら前のめりだ』


 


 何で読んだかのか忘れた——多分漫画かアニメであろう——が、幼い年齢で自分の死を悟り、荒んだり怯えたりせずに済んだのは直前にその言葉を耳にしたからだ。




「それって良いなぁ」


 


 と、その時の彼は思ってしまった。人よりも大分短い人生の終わりが目の前に迫っている。つまりゴールが見える場所まで来ていると言う事だ、と彼は考えたのだった。




 ゴールが見えたのなら後は脇目も振らずに全力で駆け抜ければいい。全力で走った後の事は倒れてから考えればいい。それは、11歳の彼にはとても格好いい生き方に思えた。




 だから彼はその時から全力で人生を楽しむ事に決めた。前からやりたいと思っていた事には片っ端から手を出した。13歳で病院に完全入院するまでは体を動かす事はとにかく何でもやった。一通りのスポーツには手を出し、学校の学級委員長にもなったし、学芸会の実行委員にも手を挙げたし、卒業記念の出し物にも中心メンバーとなって参加もした。




 入院してからは本を読みまくり、絵を書いては市民コンクールに出したり、父の持ってきたゲーム機で遊びまくった。病院から医療用治療ポッドとか言う謎機械のモニターにならないか、と誘われたら一も二も無く飛びついた。遊びだけではなく勉強も散々した。


 


 何しろ24時間ほぼベッドの上だ。ネットワーク回線を使った授業には参加したし、無料で講義が受けられるという勉強サイトにも頻繁に覗きに行って授業を受けた。




 我ながら、随分飛ばした数年だったと思う。普通の人よりも何倍も濃密な時間を過ごしたと思う。そして気が付けば既に15歳。16歳まで生きられないと宣告された自分の命の最後の時間。その時間の最後の最後まで、彼は思いつく限りの事を全てやって来た。




 11歳の時、格好いいと思った生き方が自分は出来ただろうか、と思う。同時に格好いいかどうかは兎も角、前のめりに生きて来たという自信と自覚はもてた。





 それなら、きっと自分は良い生であったんだろう、と彼は思う。


 その思いは呟きとなって口から零れていた。だが、それはもう音にはならない。数カ月前から既に言葉を話せる程の力は失われている。




 しかし、音にならないその声は、喉に巻かれた機器を通して文字と言う形で彼の側にあるモニターに文字として映し出される。先ほどの母に向けた言葉もそこには文字として浮かんだままだ。




『いい時代になったよな。声が出なくても言葉を伝えられるんだから』




 この機械は喉の振動や動きを検知して実際に言葉にしなくても文字として読み取れる、と言う優れもので、彼もモニターの一人として開発に参加していた。




 そのお陰でまだ開発中の装置を使って最後に言葉を伝えられるのだから、一体何が幸いするか分からない。最も、その文字自体は既に彼には殆ど読めなくなっていたが。




 母のすすり泣く声がいよいよ大きくなったので、ちゃんと機能はしている事だけは分かる。




「だから、泣かないでってば。僕には十分すぎる程に楽しい人生だったんだから。あれもこれも、やりたい事は大体済んだ。出来る事は大体やりつくした。もう——満足だよ」




 そう。彼は『満足してしまった』のだった。体が動くうちは……否、体が動かなくなっても、彼は貪欲に我儘に自分のやりたい事に手を伸ばした。アレをやらない内に死んでたまるか、アレを知らない、理解できないままで終わってたまるか。




 それが、余命を告げられた彼がその最後の瞬間まで走り続けられた最大の原動力。飽く事なく湧き出るその欲求こそが彼を突き動かし命を長らえさせてきたのだ。




 その欲求が消えた。探求心が収まった。つまり——満足してしまった。自分の生きざまに自分で納得が行ってしまったのだ。




 探せばまだやりたいことが在るかも知れない。時間が経てば新たに生まれるかもしれない。しかし探す気力も無ければその時間ももう彼には無い。だから、




「だから、きっとここが僕の寿命。前に先生が言っていたよね。自分の生き方に満足して死んで行ける人なんて殆ど居ない、って」




 微かに見覚えのある輪郭に向けて言う。勿論言葉は出ないが、4年前から彼の主治医となったその人物には、確かに文字として目に映ったはずだ。




 何時もしかつめらしい顔で、そのくせ親身に診察してくれる中年の医師が、この時は珍しく鼻を啜り上げている。きっと泣いてくれているのだろう。


 多くの患者の死を見て来た筈の男が、自分の為に涙を流してくれている。それを直接目に出来ない事に少しだけ寂しさを感じた。が、それでも彼は、




「僕は……満足だよ。勿論、もっと長く生きていたいとは思うけれど……でも、今までで十分、やりたいことは出来た。したい事は十分し尽くした」




 そう満足そうに呟く。これ以上を望むというのは幾らなんでも欲深すぎるという物だ。これだけ多くの物を手に入れたのだ、満足しない方がどうかしている。




「そう思っちゃった、ここが僕の限界。だからここが僕の寿命って事なんだよ。病気に負けた訳でもない、諦めた訳でもない。満足したから——納得しちゃったから、ここで終わり。これ以上、何かやりたい事なんて思いつけない位、楽しんだんだから」




 だから泣く必要もないし、悲しむ必要も無い。人よりも大分短いけれども寿命まで走り切ったから死んでいく。ただそれだけの事だと彼は心の底から思う。




「今なら何となく分かるなぁ……楽しかったと言って終われる人生って悪くないよ……ね……だから……みんなも笑って……送ってくれたら……嬉し……な」




 喉を動かす間にも母の泣く声がドンドンと大きくなっている。それに寄りそう父もどうやら声を堪えてはいるが泣いているようだ。周りにいる弟も、余り顔を覚えていない親戚の人達も、声を殺して泣いている気配に彼は苦笑する。




『泣かなくていいって言っているのに』




 でも自分の為に泣いてくれる人が居るというのは存外うれしい物だ、と彼は濁る頭で考え……やがて眼を瞑る。















「……あっ」




 再びパッチリと目を開ける。一つだけ、最後の最後に、どうしてもやりたかった事を唐突に思い出したからだ。


 急に再起動した彼に驚く周囲を無視し、




「忘れてた。先生、そこに居るよね……今って、何時か分かる?」




 先ほど気配を感じた方に向けて言うと、モニターの文字を読んだらしい医師が腕をまくる。そこにはいつもつけていた趣味の悪い——彼からみれば、だが——時計がはめられている筈だ。それを見ながら医師はいつも通りの抑揚の乏しい声で、




「0時4分15秒だね。もうすぐ30秒だがね」




 そう告げてきた。




「いや、秒までは良いんだけど……何日の?」


「今日は……月の、7日だがね……それが……ぁ?」




 どうやら医師も気が付いたようだ。それでこそ意地でもこの瞬間まで生きていた甲斐があるという物だ。




 音こそ出なかったが、喉が笑みの形で震えていくのを自覚する。これこそが、最後の最後にどうしてもやりたかった、本当の残りの一つ。それは——




「7日と言う事は……つまり今日は僕の誕生日……今から僕は16歳だっ!」


「君は……もしかして……」




 16歳までは生きられないと宣告された自分の、やれる事は全てやったと自覚している彼が、それでもたった一つだけやり残していた事。それが達成された瞬間に、




「どうよ、16まで生きてやったぞ、先生。ザマァ見ろ!」




 実に満足そうに言って見せた。誰が医者の思い通りになってやるものか。それが最後の。本当に最後の原動力となり今まで長らえたのだ。例え数分であろうが16歳の時間を満喫してやる。それが彼の最後のささやかな、だが大きな野望だった。




「全く……君の様な我儘で意地っ張りで思い通りにいかなかった患者は私の医師人生の中で初めてだよ」




 診断を外した男はどこか嬉しそうな、それでも今まで聞いた事が無い様な震えた声で言ってくる。この場の誰よりも人の死を見慣れたはずの医師が涙を堪えている様に見え、16歳になったばかりの彼は、




「それは最高の誉め言葉だね!」




 動かない筈の唇に小さく笑みを浮かべたのだった。




 彼——藤良衛文(ふじよしもりふみ)の死亡が確認されたのはそれから1時間半程後の事だった。

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「倒れるなら前のめりだ」 男の物語 スクライドだっけ……いい言葉だ
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