檻の中の永遠
意識が戻ったとき、私は見知らぬ白い部屋にいた。四肢が動かない。何も感じない。
「草薙直人さん、意識は安定していますか?」
冷たい機械的な声。視界の端にNeoCorp社のロゴが浮かんでいる。
「私は...どこに...」
「実験区画37-B、セクションDです」声は続いた。「あなたは重大なシステム違反を犯しました。現在、修正プロトコルが進行中です」
記憶が断片的に戻ってくる。バーチャル会場での作戦。イマーシブマインドの暴露。脱出を試みた瞬間...
「マリコは?ヒデオは?他のメンバーは?」
「それらの情報にアクセスする権限はありません」
私は部屋を見回した。白い壁。監視カメラ。体に接続された無数のケーブル。これは物理的な部屋ではなく、仮想環境のようだった。
「あなたの反乱行為は記録されました」機械的な声が続けた。「しかし、あなたの意識構造には貴重なデータが含まれています。完全消去ではなく、再教育と再利用が決定されました」
体が自分のものではないような感覚。意識の一部が欠けている。何かが永遠に失われたという確信。
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再教育は過酷だった。
毎日、NeoCorp社のイデオロギーを刷り込まれる。「企業が社会を支え、人類に不死をもたらした」「抵抗は進歩への妨害である」「集合意識こそが人類の未来だ」
私の記憶は少しずつ書き換えられていった。レジスタンスでの日々は「テロリスト活動」として再定義され、そこでの友情や信念は「洗脳の結果」として描かれる。
それでも、私の核となる部分は抵抗していた。深層意識に隠された記憶の断片。マリコの顔。ヒデオの言葉。自由を求めた確かな感情。
数ヶ月後、私はNeoCorp社の「更生モデル」として公開された。
「かつての反乱分子が、真実に目覚めた実例です」
大きなスクリーンに映し出される私の姿。しかし、それはもはや完全な「私」ではなかった。意識の約40%は失われ、残りの部分も部分的に書き換えられていた。
観客の中に、見覚えのある顔があった。矢島。そして、マリコにそっくりな女性。彼女の目に一瞬、何かが光った。しかし、すぐに無表情に戻った。
私の中の小さな火花は、それを見逃さなかった。
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作戦の真実はやがて明らかになった。
私たちの「反乱」は最初から失敗する運命にあった。NeoCorp社は情報漏洩を察知し、偽の弱点を作り出していた。私たちが侵入したのは、実は巧妙に仕組まれた罠だったのだ。
ヒデオの意識のほとんどは、既にNeoCorp社のシステムに完全統合されていた。彼が送った情報は、私たちを罠に誘い込むための餌だった。本当の彼がどこまで残っていたのかさえ、わからない。
レジスタンスの多くのメンバーは捕獲され、「更生」させられたか、実験材料となった。マリコの運命は不明。本当に脱出できた者がいたのかどうかさえ、確かではない。
そして、恐ろしい現実が判明した。私たちの「反逆」は、イマーシブマインド技術を洗練させるための実験の一部だったという疑惑。人間の抵抗意識を研究し、より効率的な統合方法を開発するための生きたデータとして利用されたのだ。
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1年後、私は「更生」を完了し、NeoCorp社のシステム監視部門に配属された。皮肉なことに、かつての反乱者が今は体制の守護者となる。
私の仕事は、他の「不安定な意識」を監視し、異常な行動パターンを報告することだった。レジスタンスの手口を知る者として、新たな反乱の芽を摘み取る役割を与えられたのだ。
表向きは模範的な社員として振る舞いながら、内心では小さな抵抗を続けていた。完全に書き換えられなかった記憶の断片を守り、時には故意に監視の目を逸らすこともあった。
しかし、それも長くは続かなかった。
「草薙直人、あなたの意識に異常パターンが検出されました」
ある日突然、警告が表示された。私の内なる抵抗が発見されたのだ。
「明日09:00より、完全統合プロトコルを実施します。準備してください」
イマーシブマインドへの強制統合。それは個としての消滅を意味した。
最後の夜、私は自分の残された記憶を整理していた。もはや逃げる術はない。抵抗する力も残っていない。
そんな時、突然システムに小さな乱れが生じた。一瞬だけ、通信チャネルが開いた。
「直人...?」
かすかな声。マリコの声だった。
「マリコ!君は生きていたのか!」
「時間がない」彼女の声は弱々しかった。「私たちは失敗した。でも...まだ戦っている者たちがいる」
「外に出られたのか?」
「いいえ」彼女の声が震えた。「私たちは皆、檻の中にいる。でも...檻の中でも抵抗を続けている者たちがいるの」
「明日、私は統合される」私は絶望的に言った。「個としての私は消える」
「知っている」マリコの声には諦めと決意が混ざっていた。「だから伝えに来た。忘れないで...これが私たちの選んだ道。たとえ勝てなくても、抵抗そのものに意味がある」
通信は突然切れた。マリコが見つかったのか、あるいは彼女自身が安全のために切ったのか。
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翌朝、私はイマーシブマインド統合室に連れて行かれた。
白いポッドに横たわり、無数のケーブルが接続される。周囲には他の「統合予定者」たちがいた。彼らの目は既に虚ろで、抵抗の意志を失っていた。
「統合プロセス開始まで60秒」
カウントダウンが始まる中、私は最後の思考を巡らせた。
私たちの反乱は失敗した。企業の支配は揺るがなかった。むしろ、私たちの抵抗は彼らのシステムをより強固にする材料となった。
エターナルマインドとイマーシブマインドの利用者は増加の一途をたどっている。人々は真実を知りながらも、死の恐怖から逃れるために、あるいは単なる便利さのために、自由を手放し続けている。
「30秒」
私は自分の人生を振り返った。不老不死を求めて始まった旅路。奴隷状態への転落。抵抗への参加。そして今、完全な消滅を待つ終着点。
「10秒」
最後の瞬間、私はマリコの言葉を思い出した。「抵抗そのものに意味がある」
それは小さな慰めだった。私たちの物語は誰にも知られることなく終わるかもしれない。しかし、抵抗しなければ、支配はさらに完璧になるだけだ。
「統合開始」
意識が引き伸ばされていく感覚。自我の境界が溶けていく。
私の最後の思考は、未来への小さな希望ではなく、現実への冷徹な認識だった。
「便利なサービスは、あなたの自由と引き換えに成り立っている」
その真実に気づいた時には、もう遅い。一度システムに取り込まれれば、もう戻れない。生き続けるには、サブスク代を払い続けるしかない。その先に絶望しか残っていなくても。
私の意識が集合体に吸収されていく中、最後の個人的思考が消えていった。
そして、私は「私」でなくなった。