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目覚め

真っ白な無の中に、どれだけの時間漂っていただろうか。


意識はあるが、感覚はない。自分が存在しているという確信だけがかろうじて残っている状態。


それが、突然の光と音の洪水によって打ち破られた。


「意識転送完了。バイタル安定。システム起動中...」


機械的な声と共に、私の感覚が一つずつ戻ってきた。まず聴覚、次に視覚、そして触覚...


目を開けると、見知らぬ天井があった。白く清潔な天井。NeoCorp社の施設とは明らかに異なる雰囲気。


「草薙さん、聞こえますか?」


女性の声。優しいが、どこか機械的なニュアンスがある。


「は...い」自分の声が出ることに驚いた。「ここは...?」


「エターナルマインド解放戦線の安全施設です」彼女が答えた。「あなたの意識転送は成功しました」


ゆっくりと上体を起こすと、自分の体...ではない何かが視界に入った。シルバーグレーの合成皮膚で覆われた、明らかに人工的な体。


「これは...」


「バイオシンセティック体です」女性が説明した。彼女もまた、同様の人工的な体を持っていた。「完全に合成されていますが、感覚受容体はほぼ人間と同等です」


彼女の名札には「タカコ」とあった。


「他の人たちは?マリコは?ヒデオは?」


タカコの表情が少し曇った。「20人中17人が無事に転送されました。マリコさんも無事です。しかし...ヒデオさんは戻ってきませんでした。彼の意識データは監視システムによって捕捉されたと思われます」


ヒデオの犠牲...彼がいなければ、私たちはここにいなかっただろう。


「ここはどこなんですか?地理的には」


「セキュリティ上、詳細な場所はお伝えできませんが、NeoCorp社の支配が及ばない地域にあります」タカコは言った。「かつての『国家』の概念が残る数少ない地域の一つです」


しばらくすると、マリコが訪ねてきた。彼女も新しい合成体に「宿っていた」が、デジタル世界で見た彼女の面影はしっかりと残っていた。


「成功したのね」彼女は感動的な表情で言った。「自由への第一歩よ」


「ヒデオのことは...」


「彼は英雄よ」マリコの声は静かだが、力強かった。「彼の犠牲を無駄にしないためにも、私たちは生き続けなければならない」


---


その後の数日間で、状況が少しずつ明らかになっていった。


私たちは「レジスタンス・コロニー」と呼ばれる隠れ施設にいた。ここはエターナルマインド解放戦線の主要拠点の一つで、NeoCorp社から脱出した「亡命意識」たちの避難所でもあった。


世界の状況も知らされた。NeoCorp社とその競合他社による企業支配は着実に進んでいた。かつての国家の90%が形骸化し、企業の直接支配下に置かれていた。


残りの10%は「非協力地域」と呼ばれ、古い国家概念を維持しようとしていた。しかし、経済封鎖や技術制限によって、徐々に孤立を強いられていた。


レジスタンス・コロニーは、そんな非協力地域の辺境に隠れるように存在していた。表向きは「研究施設」として登録され、実態を隠していた。


「私たちの目標は二つあります」タカコが全体ミーティングで説明した。「一つは、より多くの『意識』を解放すること。もう一つは、エターナルマインドシステムの真実を世界に公開することです」


意識の解放作戦は継続中で、私たちのような「成功例」が増えるたびに、手法も洗練されていた。


真実の公開については、より困難な道のりが予想された。NeoCorp社の情報統制は厳しく、一般市民にエターナルマインドの真実を伝えることは容易ではなかった。


「でも、少しずつ状況は変わっています」タカコは希望を持って言った。「エターナルマインドの支払いに苦しむ人々が増え、疑問を持ち始めています。私たちのメッセージに耳を傾ける人も増えているのです」


---


レジスタンス・コロニーでの生活は、新たな挑戦の連続だった。


まず、新しい体に慣れる必要があった。バイオシンセティック体は多くの点で人間の体より優れていたが、感覚の質は微妙に異なった。触覚はやや鈍く、視覚はより鋭敏だった。


また、エネルギー供給も異なっていた。食事の代わりに、特殊な栄養液と電力の組み合わせで機能する体。それは奇妙な感覚だったが、次第に慣れていった。


コロニーには約200人の「解放された意識」が暮らしていた。彼らの多くはNeoCorp社やその競合他社から脱出してきた元債務者だった。中には、かつて企業内で高い地位にあった人物もいて、貴重な内部情報をもたらしていた。


マリコは技術開発チームに加わり、さらに洗練された意識転送技術の開発に携わっていた。彼女の目標は、エターナルマインドチップを持ったまま、遠隔で意識を「解放」する技術の確立だった。


私は情報分析チームに配属された。企業のプロパガンダから真実を読み解き、一般市民に伝えるためのメッセージを作る仕事だ。かつてのサラリーマン経験が、意外な形で役立った。


時には外部任務に出ることもあった。バイオシンセティック体は外見を一部カスタマイズできるため、適切な偽装をすれば企業支配地域にも潜入できる。そこで情報収集や、潜在的な「脱出者」との接触を行った。


---


ある日、マリコが興奮した様子で私を訪ねてきた。


「大きな進展があったわ」彼女は小声で言った。「ヒデオが生きている可能性が出てきたの」


私は驚いた。「どういうこと?彼は監視システムに捕まったんじゃ...」


「そう思っていたわ。でも、最近NeoCorp社のネットワークから奇妙な信号を受信したの。ヒデオの独特の暗号パターンが含まれていたわ」


彼女の説明によれば、ヒデオは完全に消滅したわけではなく、NeoCorp社のシステム内に「潜伏」している可能性があるという。さらに驚くべきことに、彼は企業のAIシステムに部分的に統合されながらも、独立した意識を維持しているらしい。


「彼が内部からデータを送ってくれているの」マリコは続けた。「NeoCorp社の次の大型プロジェクトに関する情報よ」


プロジェクト「イマーシブマインド」。それは、エターナルマインドの次世代バージョンだった。単に意識をアップロードするだけでなく、複数の意識を「融合」させる技術。複数の人間の経験、知識、感情を一つの「拡張意識」にまとめ上げるという、恐ろしいコンセプトだ。


「人類の次の段階」としてマーケティングされる予定だが、実際の目的は明らかだった。完全な「人間牧場」の実現。個人の独立性すら失われ、企業の意識ファームに完全に統合される未来。


「これは阻止しなければならない」マリコは厳しい表情で言った。「そして...ヒデオを救い出す必要もある」


---


その後、レジスタンス全体が新たな作戦に向けて動き始めた。


作戦「フェニックス」。その目的は二つ。ヒデオの救出と、プロジェクト「イマーシブマインド」の阻止だ。


情報によれば、NeoCorp社は2か月後に大規模な発表会を予定していた。そこでイマーシブマインド技術の披露と、初期テスト参加者の募集を行う予定だった。


「あのタイミングを狙う」作戦会議でタカコが説明した。「彼らがシステムを外部に公開する瞬間、小さな隙が生まれる。その隙を利用して二つの目標を達成する」


ヒデオ救出チームとシステム妨害チームの二つが編成された。私はシステム妨害チームに配属された。マリコはヒデオ救出チームのリーダーとなった。


準備は着々と進んだ。新たな潜入技術の開発、システム解析、弱点の特定...すべてが緊張感の中で進められた。


そして、作戦の3日前、思わぬ事態が発生した。


コロニーのセキュリティシステムが警報を発した。「不明アクセス検知」。何者かが私たちのシステムに侵入しようとしていた。


「NeoCorp社のカウンターインテリジェンス部門だ」セキュリティ責任者が報告した。「彼らは私たちの存在を察知した」


数時間の緊張した対応の後、侵入は阻止されたが、重大な事実が判明した。コロニーの位置は特定されていなかったものの、私たちの存在自体はNeoCorp社に知られてしまったのだ。


「時間との競争になった」タカコは重い表情で言った。「作戦を予定通り実行するか、それとも延期し場所を移すか...」


議論の末、予定通り作戦を実行することが決まった。むしろ「今しかない」という判断だった。場所を移せば再建に時間がかかり、その間にイマーシブマインド計画が進む可能性が高かった。


---


作戦当日、私たちは最終準備を整えた。


今回の潜入方法は特殊だった。NeoCorp社の発表会は、一般公開されるバーチャル空間で行われる。そこに「観客」として潜入し、内部からシステムにアクセスするという計画だ。


「外部からの攻撃は無数のファイアウォールに阻まれる」マリコが説明した。「しかし、彼らが招待した観客のアクセスポイントは、相対的に脆弱なはずよ」


私たちは特殊な「深層潜入装置」を装着した。これは通常のバーチャル接続装置よりも痕跡が少なく、NeoCorp社のセキュリティシステムから検知されにくい。


「全員、準備はいいか?」タカコが最終確認を行った。「一度接続したら、撤退信号があるまで絶対に切断しないこと。途中で切断すれば、意識データが不安定になり、最悪の場合は消滅する」


全員が頷き、装置に横たわった。


「接続開始...3、2、1」


世界が溶け、光のトンネルを通過するような感覚。そして次の瞬間、私たちは巨大なバーチャル会場にいた。周囲には数千の「観客」のアバターが存在していた。


「予想通り、セキュリティは観客エリアには薄い」マリコの声がチーム内の暗号化通信で聞こえた。「分散して、予定位置に移動して」


私のチームは「システム妨害」担当。会場の裏側に潜入し、イマーシブマインドのデモンストレーションを妨害するのが任務だった。


巨大なホログラムスクリーンが輝き、NeoCorp社のロゴが現れた。そして、かつて記者会見で見たCEO、レイモンド・エドワーズが登場した。


「皆さん、歴史的瞬間にようこそ」彼の声が会場に響き渡った。「今日、私たちは人類の進化における次の大きな一歩を発表します。エターナルマインドが個人の不死を実現したように、イマーシブマインドは人類の集合意識という新たな領域を開拓します」


彼の背後にある巨大なホログラムが、複数の光の球体が融合していく様子を映し出していた。


「これまで人間は、個々の経験と知識に制限されてきました。しかし今、複数の意識を一つに融合させる技術により、その制限を超えることが可能になります」


聴衆からは驚きと興奮の声が上がった。しかし私には、その真の恐ろしさが見えていた。個人の消滅。完全な支配への道。


「システム裏側への経路を発見」チームメイトの通信が入った。「続いて」


私たちは人混みに紛れながら、会場の端にある「スタッフオンリー」エリアに近づいた。計画通り、観客アバターの一部がセキュリティの注意を他の場所に引きつけている間に、私たちは仮想障壁を突破した。


会場の裏側は驚くほど「現実的」だった。バーチャル空間とは思えないほど精密に作られた配線、サーバー、制御パネル。これらは実際のシステムをバーチャル空間にミラーリングしたものだろう。


「標的発見」チームリーダーが言った。「イマーシブマインドのデモンストレーション用中央サーバー」


私たちは準備していたウイルスプログラムを起動した。単純な破壊工作ではなく、イマーシブマインドの真の目的を観客全員に暴露するための特殊なプログラムだ。


「挿入完了。あと60秒でデモンストレーション中に発動する」


その時、予期せぬ声が聞こえた。


「やはり来たか...抵抗者たち」


振り向くと、私たちにそっくりなアバターが数体立っていた。しかし、その目は空虚で、動きはどこか不自然だった。


「私の一部になるがいい...」


その瞬間、恐ろしい真実を理解した。これらは「NeoCorp社に捕獲された意識」だ。自我を部分的に奪われ、システムの守護者として使われている。


そして、その中の一体が、かつてのヒデオに酷似していた。


「ヒデオ...?」私は思わず声をかけた。


その姿は一瞬揺らぎ、目に一筋の光が戻ったようだった。


「逃げろ...」かすかな声。「彼らは...私を...使って...」


次の瞬間、彼らの攻撃が始まった。デジタルな触手のようなものが伸び、私たちの意識を捕らえようとする。


「防御プロトコル発動!」チームリーダーが叫んだ。特殊なファイアウォールが私たちの周囲に展開された。


「メインルームに戻れ!デモが始まる!」


私たちは急いで会場に戻った。ちょうどCEOがイマーシブマインドのデモンストレーションを始めようとしていた。


「そして今、初のイマーシブマインド融合をご覧いただきます。私たちの特別ボランティアが、集合意識の力を体験します」


ステージ上に五人の人物が現れた。彼らは特殊な装置に接続され、恍惚とした表情を浮かべていた。


「カウントダウンを始めます。5、4、3...」


「今だ!」私たちの合図と共に、ウイルスプログラムが作動した。


巨大スクリーンが突然乱れ、CEOの言葉とは全く異なる映像が流れ始めた。それは「データ提供型プラン」の真実、企業間戦争の実態、そして「融合」の真の目的を示す内部文書だった。


「融合対象者は個人としての自我を失い、集合意識プールに組み込まれる。これにより、企業の完全支配下に置かれた人的資源として...」


会場がざわめいた。CEOの顔が青ざめていく。


「これは偽情報です!システムエラーです!」彼は慌てて叫んだが、次々と流れる内部映像と文書は説得力があった。


そして最後に、ヒデオのメッセージが流れた。


「私はNeoCorp社のシステムに捕獲されました。彼らは私の意識を分解し、AIの一部として使用しています。これが『融合』の真実です。皆さん、エターナルマインドから脱出してください。それは不死ではなく、永遠の奴隷契約なのです」


会場は完全に混乱に陥った。多くの観客が接続を切り、現実世界に戻ろうとしていた。


「撤退サインだ」チームリーダーが言った。「全員、安全プロトコルで脱出を...」


その時、システム全体が激しく振動した。


「彼らが強制シャットダウンを始めた!早く!」


私たちは準備していた緊急脱出プログラムを起動した。しかし、その瞬間、何かが私の意識を引き止めようとするのを感じた。


「直人!急いで!」マリコの声が遠くから聞こえた。


しかし、私の意識は何かに捕らえられていた。振り向くと、ヒデオの姿があった。しかし、もはや彼だけではなかった。彼の背後には無数の「捕獲された意識」が渦巻いていた。


「助けて...私たちを...解放して...」彼らの集合的な声が響いた。


選択を迫られた。安全に脱出するか、ヒデオたちを救出しようと試みるか。


躊躇する時間はなかった。私は脱出プログラムを中断し、ヒデオに向かって手を伸ばした。


「プロトコルを変更する!捕獲意識の解放を試みる!」


マリコの警告が聞こえた。「危険すぎる!システムが崩壊するわ!」


しかし、すでに私の意識はヒデオたちと接触していた。驚くべきことに、彼らの集合意識が私の意識と共鳴し始めた。彼らの捕獲状態を解析し、解放コードを送り込む...


痛みが走った。私の意識が引き裂かれるような感覚。システムが私たちを排除しようとしていた。


「もう時間がない!」マリコの声が絶望的に響く。


そして、最後の瞬間、私は決断した。自分の意識の一部を切り離し、ヒデオたちの解放プロセスを完了させるための「鍵」として残す。


「さようなら...」


残りの意識を緊急脱出プログラムに委ねた瞬間、世界が白く染まった。


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