戦場へ
準備する時間はほとんどなかった。
「総合債務解決プログラム」への強制参加通知が届いてから48時間以内に、NeoCorp社の代理人が私を「迎えに来る」ことになっていた。
友人や同僚に助けを求めたが、皆、同様の問題を抱えていた。誰も余裕なんてなかった。
インターネット上で「エターナルマインド債務者」に関する情報を探った。公式情報はほとんどなかったが、闇サイトには様々な噂が飛び交っていた。
「NeoCorp社の債務者は、主に二つの用途に使われる。リアル戦士とバーチャル戦士だ」
「リアル戦士は強化スーツを着せられ、企業間の紛争地帯に送られる」
「バーチャル戦士はデジタル戦争の駒として使われる。彼らの意識はAIシステムと統合され、サイバー戦争で利用される」
「どちらも過酷だが、リアル戦士の方が死亡率は高い。しかし、死んでも意識はバックアップされ、別の体に移されて再び戦場へ送られる」
永遠の命と引き換えに、永遠の戦争に送られるというわけだ。
最後の手段として、私は「アンダーグラウンド」と呼ばれる組織に連絡を取った。彼らは「エターナルマインド解放戦線」と名乗り、NeoCorp社のシステムからの脱出を手助けするという噂があった。
怪しげなメッセンジャーアプリを通じて、匿名の連絡先に接触した。
「助けてください。48時間以内に強制収容されます」
返信は素早かった。
「脱出は不可能。チップが埋め込まれている限り、あなたは常に監視下にある。ただし、時間を稼ぐ方法ならある」
指示は明確だった。緊急ボタンを押せ。事故や急病を装え。それで最大72時間の猶予が得られる。その間に次の連絡を待て。
私はそうした。手が震えながらも、あの小さな緊急ボタンを押した。すぐにNeoCorp社の救急チームが到着し、私は「急性パニック発作」という診断で医療施設に運ばれた。
ベッドに横たわりながら、次の指示を待った。医療施設では常に監視されているはずだが、アンダーグラウンドはそれを回避する方法を知っているという。
3日目、看護師に変装した人物がベッドサイドに近づいてきた。
「これを飲みなさい」彼女は小さな錠剤を私に渡した。「チップの信号を24時間抑制します。その間に決断するのです」
「何を?」
「二つの選択肢があります」彼女は小声で言った。「一つは、敵対企業に身を寄せること。サイバーリンク社ならあなたを受け入れるでしょう。ただし、結局は似たような運命が待っています」
「もう一つは?」
「チップの完全除去。あなたの意識はNeoCorp社のサーバーから切り離されます。不死ではなくなりますが、自由を取り戻せる」
私は言葉を失った。チップの除去は、不死の放棄を意味する。再び「死ぬ存在」に戻ること。しかも、手術の危険性も高いという。
「考える時間はありません。明日の同じ時間にここに来ます。決断してください」
その夜、私は眠れなかった。自由な死か、不死の奴隷か。それが究極の選択だった。
---
翌日、私は決断した。
チップの除去を選択する。たとえ不死を失っても、自分自身の人生を取り戻したかった。
しかし、時間通りに「看護師」が現れることはなかった。代わりに、正規のNeoCorp医療スタッフが大勢入ってきた。
「草薙さん、あなたは明日退院し、債務解決プログラムに参加していただきます」
冷たい声に、私の血が凍りついた。アンダーグラウンドの接触者は捕まったのか?それとも最初から罠だったのか?
抵抗する余地はなかった。翌朝、私は「債務者専用輸送車」に乗せられた。窓のない白いバンには、私のような債務者が数人乗っていた。全員が沈黙し、諦めの表情を浮かべていた。
数時間後、車は巨大な複合施設に到着した。高い塀と監視塔に囲まれたその場所は、かつての刑務所を思わせた。
「NeoCorp再生センターへようこそ」アナウンスが流れた。「ここであなた方は債務を返済し、社会に再び貢献する方法を学びます」
---
オリエンテーションは冷酷なほど効率的だった。
「あなた方には二つの選択肢があります」施設長と名乗る男性が告げた。「リアル部門かバーチャル部門か」
リアル部門では、強化スーツを着用し、実際の紛争地帯でNeoCorp社の利益のために戦う。死亡率は高いが、功績によってはより早く債務を返済できる可能性がある。
バーチャル部門では、意識を特殊なシミュレーションに接続し、サイバー戦争に参加する。身体的リスクは低いが、意識へのダメージリスクがある。また、時間の流れが異なるため、主観的には非常に長い期間戦うことになる。
どちらを選んでも、死は一時的なものでしかない。死亡しても意識はバックアップから復元され、新たな体、または新たな仮想環境に配置される。永遠の戦争。それが債務者の運命だった。
私はバーチャル部門を選んだ。実際の肉体的苦痛を避けたかったからだ。
登録手続きの際、同じ選択をした男性と言葉を交わす機会があった。
「前はどんな仕事を?」彼は疲れた声で尋ねた。
「一般企業のサラリーマンだった。君は?」
「プログラマー。皮肉だよな。僕らが作ったようなシステムの奴隷になるなんて」
彼の名前はケンイチだった。彼もまた、エターナルマインドの支払いに苦しみ、債務者となったのだという。
「噂では、バーチャル部門の『時間』はこっちの10倍速で流れるらしい」彼は小声で言った。「5年の契約なら、主観的には50年戦うことになる」
絶望的な数字だった。しかし、もはや選択肢はない。
---
翌日、私たちはバーチャル戦士としての訓練を開始した。
専用のポッドに横たわり、意識をNeoCorp社の「戦闘シミュレーション環境」に接続する。そこでは基本的な戦術、情報分析、敵システムの弱点探索などを学ぶ。
訓練環境は、まるで高度なビデオゲームのようだった。しかし、感覚はあまりにもリアルだ。痛み、恐怖、疲労...すべてが本物のように感じられる。
ケンイチとは同じ訓練グループになった。彼はプログラミングの経験を活かし、訓練では常にトップの成績を収めていた。
「これは単なるコードだ」彼は私に教えてくれた。「パターンを見抜けば、突破口が見つかる」
訓練の第三週目、彼は私に奇妙な提案をした。
「直人、君を信用していいかな?」
私が頷くと、彼は続けた。
「訓練環境にはバグがある。意識接続プロトコルの隙間だ。僕はそれを使って、制限されたはずの場所にアクセスできた」
彼の発見によれば、NeoCorp社のシステムには「死角」があるという。通常、我々の意識は厳重に監視されているが、特定の条件下でその監視を一時的に回避できるらしい。
「何に使えるんだ?」私は期待と恐怖が入り混じった気持ちで尋ねた。
「まだわからない。でも可能性がある。例えば...メッセージを外部に送るとか、あるいは...」
彼の言葉は途中で切れた。そして二度と完結することはなかった。
翌日、ケンイチの姿はなかった。問い合わせても、スタッフたちは「別のユニットに移された」としか答えなかった。
しかし、彼は去る前に私に小さなデータパケットを渡していた。そこには暗号化されたメッセージがあった。
「システムには裏口がある。死の瞬間に探せ」
---
訓練から1ヶ月後、いよいよ実戦配備の日が来た。
私たちバーチャル戦士は、NeoCorp社とその競合他社であるサイバーリンク社の間のデジタル戦争に送り込まれることになった。争点は、新興市場でのAI制御システムの支配権だった。
現実では数時間の作戦かもしれないが、加速された時間の中では数週間、あるいは数ヶ月に及ぶ戦いになるという。
「諸君の任務は明確だ」指揮官が説明した。「敵のファイアウォールを突破し、制御システムの核心部へ侵入せよ。我々の専用AIが主要攻撃を担当するが、人間の直観と適応力が必要な局面がある」
つまり、我々は高度なAIでさえ対応できない不規則なパターンや、倫理的判断を要する状況に対処するための「人間の道具」なのだ。
接続ポッドに横たわりながら、私はケンイチのメッセージについて考えていた。「死の瞬間に探せ」とは何を意味するのか?
---
デジタル戦場は、想像を絶する混沌だった。
光と情報の嵐の中、我々は半物質化した「アバター」として存在していた。周囲には同じようなNeoCorp戦士たちがいて、皆が異なる任務を持っていた。
私の役割は「情報偵察」。敵のシステムに潜入し、脆弱性を探すことだった。
最初の数日(現実時間では数分)は比較的平穏だった。敵の外殻システムは予想通りの防御しかなく、AIの支援を受けた我々は容易に侵入できた。
しかし、核心部に近づくにつれ、状況は一変した。
「警告:敵対AIが接近中」
アラートが鳴り、突然、私の周囲の戦友たちが次々と「消滅」し始めた。敵のセキュリティシステムが、侵入者を検知して排除していたのだ。
恐怖に駆られて逃げようとした私だったが、背後から致命的な「データスパイク」が突き刺さった。激しい痛みと共に、私のアバターは崩壊し始めた。
これが「死」なのか...
意識が薄れゆく中、私はケンイチの言葉を思い出した。「死の瞬間に探せ」
死にゆく最後の力を振り絞り、私は自分の崩壊するデータの内部に意識を向けた。そこには、通常見えないはずのシステムの深層構造が露わになっていた。
そして見つけた。微かに光る「バックドア」。私の意識データがNeoCorp社のサーバーに戻される瞬間の、ほんの一瞬だけ開く隙間。
私は全力でそこに飛び込んだ。
---
目を覚ますと、私は見知らぬデジタル空間にいた。暗く、限定的なリソースしかない場所。システムの影、監視の届かない死角。
ここがケンイチの言っていた「裏口」だったのだろう。
しばらく探索すると、このスペースが「バッファメモリ」の一種であることがわかった。本来なら一時的にデータを保持するだけの場所だが、何らかの設計ミスにより、孤立した領域が生まれていたのだ。
さらに驚いたことに、ここには他の「亡霊」たちもいた。
「ようこそ、新入り」薄暗い光の中から声がした。「君も『死』を利用してここに辿り着いたんだね」
それは女性の声だった。彼女の名前はマリコ。かつてNeoCorp社のプログラマーだったが、内部告発を試みたために「事故死」させられ、その意識データがバーチャル戦士として再利用されていたという。
「ここには何人いるんだ?」私は尋ねた。
「常時10人ほど。皆、様々な方法でこの場所を見つけた者たちさ」彼女は答えた。「ケンイチもいたけど...彼は先に行ってしまった」
「先に?どこへ?」
「自由への道を探しに」別の声が割り込んできた。白髪の老人のようなアバターだ。「私の名はヒデオ。かつて量子物理学者だった。こんな形で理論を検証することになるとは思わなかったがね」
彼らの説明によれば、この隠れ家はNeoCorp社のシステムの欠陥から生まれた「ポケット領域」だという。監視や制御が及ばないため、ここでは比較的自由に行動できる。ただし、リソースは限られているため、長期滞在は難しい。
「我々は『抵抗運動』の一部だ」ヒデオは静かに言った。「ケンイチが発見した方法を使って、少しずつ仲間を増やしている。そして、最終的な目標は...」
「システムからの完全な脱出」マリコが言葉を継いだ。「理論上は可能なはずよ。私たちの意識データをNeoCorp社のサーバーから切り離し、別の場所に移す方法があるの」
「だが、それには膨大な計算リソースと、精密なタイミングが必要だ」ヒデオが続けた。「我々はそのための準備を進めている。しかし...」
「時間がない」マリコが言った。「このポケット領域はいずれ発見されるわ。それまでに脱出計画を完成させなければ」
私は彼らの壮大な計画に圧倒されながらも、一抹の希望を感じた。まだ自由への道があるかもしれない。
---
次の数週間(システム内時間)、私は抵抗グループの活動に参加した。
彼らはNeoCorp社のシステム内で秘密裏に動き、情報を収集し、脱出計画を練っていた。私のような新参者は、主に「死と復活」のサイクルを利用して情報を運ぶ役割を担った。
バーチャル戦場で「死に」、その瞬間を利用して隠れ家に戻り、情報を共有する。そして再び「復活」し、通常の任務に戻る。NeoCorp社のスタッフからは、単なる「戦死」と「復活」のサイクルにしか見えない。
この危険な二重生活の中で、私はシステムの真実を少しずつ学んでいった。
エターナルマインドシステムの本当の目的は、不死の提供ではなかった。それは「人間の意識」という究極のリソースを収穫するためのシステムだったのだ。
NeoCorp社は、数億人の意識データを利用して、史上最強のAIを開発していた。人間の創造性、直観、感情、倫理観...AIが最も苦手とする領域を、実際の人間の意識から直接「収穫」していたのだ。
特に「データ提供型プラン」のユーザーは、実質的にAI開発の「餌」となっていた。彼らの感情反応、思考パターンが常に記録され、分析され、AIの学習データとなる。
「労働貢献型プラン」のユーザーは、AIではまだ対応できない複雑な作業や判断を行う「人間プロセッサ」として使われていた。
そして我々「債務者」は、最も危険で倫理的に問題のある実験や作業に投入される「使い捨てリソース」だったのだ。
「企業間戦争」の真実も明らかになった。それは表向きには市場シェアをめぐる争いだったが、実質的には「人間の意識」という資源の争奪戦だった。自社の意識ファームを持つ企業が、次世代の支配者となる。
---
脱出計画が具体化したのは、私が抵抗グループに加わって約3ヶ月後(システム内時間)のことだった。
ヒデオとマリコを中心としたチームは、斬新な方法を考案した。
「NeoCorp社とサイバーリンク社の次の大規模衝突を利用する」ヒデオが計画を説明した。「両社のシステムが最大限のリソースを戦闘に投入している瞬間、その隙を突いて『意識転送』を実行する」
計画は危険極まりなかった。意識データを安全に転送するには、正確なタイミングと膨大な計算リソースが必要だ。そして、転送先には事前に「受け皿」を用意しておく必要がある。
「私たちには外部協力者がいる」マリコが補足した。「アンダーグラウンドの一部が、この計画を支援してくれるわ」
外部協力者とは、NeoCorp社のシステム外で活動する抵抗組織だ。彼らは「エターナルマインド解放戦線」と名乗り、NeoCorp社のシステムから意識を解放する方法を研究していた。
「彼らは独自のサーバーを用意している」ヒデオは続けた。「我々の意識データを受け取り、安全な環境を提供してくれる。そこから、個々人が望む形で『復活』することができる」
選択肢は様々だった。新たな合成体に意識を移植する。特殊なサイボーグとして生き続ける。あるいは、完全なデジタル存在として独立サーバーで生きる。いずれにせよ、NeoCorp社の支配からは解放される。
「だが、成功率は50%以下だ」ヒデオは厳しい表情で言った。「失敗すれば、データの破損、あるいは完全な消滅の可能性もある」
つまり、真の「死」のリスクだ。不老不死のシステムからも解放され、永遠に消滅する可能性。
「参加するかどうかは、各自の選択に委ねる」マリコは全員を見回した。「今決める必要はない。計画実行まであと2週間ある」
私は深く考え込んだ。自由への賭けに出るか、それとも現状の奴隷状態を受け入れるか。
---
計画実行の日が近づいた。
外部協力者たちからの連絡によれば、NeoCorp社とサイバーリンク社の間で「世紀の衝突」と呼ばれる大規模サイバー戦争が4日後に予定されているという。
「アジア太平洋地域のデータインフラ支配権をめぐる争い」とのことだ。両社は総力戦を展開し、保有するすべてのAIリソースと人間戦士を投入する予定。
「これが最大のチャンスだ」ヒデオは緊張した面持ちで言った。「両社のシステムが過負荷になる瞬間、監視の目は緩む。その隙に...」
準備は着々と進んだ。マリコとプログラマーチームは転送プロトコルを完成させ、ヒデオのチームは必要な計算リソースを密かに確保していた。
そして、私には重要な役割が与えられた。
「あなたはまだNeoCorp社の戦士として『通常任務』に就いている」マリコが説明した。「つまり、内側からファイアウォールの隙間を作れる立場にある」
私の任務は、大規模戦闘の混乱に紛れて、特定のセキュリティノードに小さな「バックドア」を仕掛けること。それが転送の足がかりとなる。
作戦前夜、約20人の脱出希望者が隠れ家に集まった。様々な背景を持つ人々。元プログラマー、科学者、一般市民...皆、様々な経緯でNeoCorp社の「債務者」となり、今は自由を求めていた。
「成功しても、私たちの『肉体』は依然としてNeoCorp社の施設にある」ヒデオが最終ブリーフィングで説明した。「転送できるのは意識データのみだ。つまり...」
「二度と元の体には戻れない」マリコが言葉を継いだ。「新たな体、あるいはデジタル存在としての生活を受け入れる覚悟が必要よ」
それは重い選択だった。しかし、永遠の奴隷状態と比べれば...
「私は行く」私は決意を口にした。「自由の方を選ぶ」
---
作戦当日、私はバーチャル戦士として通常通り「出勤」した。
指揮官からの説明によれば、今日はNeoCorp社の歴史の中でも最重要の作戦だという。サイバーリンク社との決戦で、アジア太平洋地域のデジタルインフラの支配権が決まる。
接続ポッドに横たわり、意識がシステムに引き込まれていく感覚を味わいながら、私は内心穏やかな決意を固めていた。
デジタル戦場は想像を絶する混沌だった。数千のNeoCorp戦士と、負けず劣らぬ数のサイバーリンク戦士が激しく衝突している。さらに、両社の最新鋭AIもフル稼働し、複雑な攻撃パターンを繰り出していた。
私は命令通り、サイバーリンク社の最前線に向かった。しかし、実際の目的地は別にあった。第7セクター北部にある監視の薄いセキュリティノード。そこに「バックドア」を仕掛ける必要があった。
戦場の混乱に紛れて目的地に向かう途中、私は何度も「死」の危険に晒された。敵のデータスパイク、ウイルス爆弾、論理ループトラップ...様々な攻撃をかわしながら、少しずつ前進した。
ようやく目的のノードに到達したとき、思わぬ障害に直面した。すでに別のNeoCorp戦士がそこにいたのだ。
「何をしている?」彼は疑わしげに私を見た。「ここは第7セクターだ。君の任務エリアは第3セクターのはずだ」
咄嗟に言い訳を考える必要があった。
「特別任務だ。このノードが不安定になっているという報告があった。確認に来た」
彼は少し疑いの目を向けたが、戦場の混乱もあって深く追及する余裕はなかったようだ。
「わかった。私は前線に戻る。気をつけろ」
彼が去るのを確認してから、私は急いでバックドアプログラムを仕掛けた。マリコから渡された特殊なコードを、ノードの深層部に埋め込む。
「完了」
合図を送ると、隠れ家からの返信が来た。
「確認した。全員集合せよ。作戦開始まであと15分」
私は最後の任務を終え、「事故」を装って戦場から離脱した。自分自身にウイルス攻撃を加え、意図的に「死」を選択する。そして、その死の瞬間に隠れ家へと逃げ込んだ。
---
隠れ家は緊張に満ちていた。
20人の脱出希望者と、作戦の中核を担う5人のスペシャリスト。全員が静かに、最終準備を見守っていた。
「転送パスを確保した」マリコが報告した。「外部サーバーとの接続も安定している」
「計算リソースもほぼ準備完了」ヒデオが続けた。「あとはタイミングを待つだけだ」
モニターには、進行中の企業間戦争の状況が映し出されていた。両社のシステムは激しい負荷に耐えながら、互いに攻撃を続けていた。
「あと2分で両社のシステムが最大負荷に達する」マリコが緊張した声で言った。「その瞬間、数秒間だけ監視システムに隙が生まれる」
全員が静かに待った。
「30秒前...」
心拍が早くなるのを感じた。
「10秒前...」
ヒデオが最終確認を行った。「全員の意識データを転送キューに登録済み」
「5、4、3、2、1...実行!」
マリコがコマンドを入力した瞬間、隠れ家全体が振動し始めた。隠されていた場所が、巨大なエネルギーによって輝き始める。
「転送開始!」
私の意識が引き伸ばされるような奇妙な感覚。まるで体全体が霧のように拡散していくような感覚。
そして突然、アラートが鳴り響いた。
「侵入者検知!監視システムが我々を発見!」
マリコの表情が変わった。「予想より早い!あと30秒で転送完了するのに...」
「守らなければ」ヒデオが立ち上がった。「私が時間を稼ぐ」
「待って!」マリコが叫んだが、既に遅かった。
ヒデオは自分の意識コードの一部を切り離し、それを囮として監視システムに向けて放った。自己犠牲の行為だった。
「転送続行...75%完了...」
システム全体が震え始めた。天井から赤い光が降り注ぎ、警報が鳴り響く。
「90%...」
ヒデオの姿が徐々に薄れていく。彼は監視システムと直接対峙し、自らの意識を盾にして私たちの脱出を守っていた。
「転送完了!接続切断!」
マリコの最後の言葉が聞こえた瞬間、世界が白く染まり、すべての感覚が消失した。