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再生

目を開けると、見知らぬ白い天井があった。


「意識が戻りましたね。おはようございます、草薙さん」


白衣を着た女性が私の視界に入った。NeoCorp社のロゴが胸元に輝いている。


「私...生きてる?」言葉が口から出るのを感じて驚いた。


「もちろんです。あなたは事故で元の体を失いましたが、エターナルマインドシステムのおかげで意識は完全に保存されていました。今のあなたは、新しい身体に意識を移植した状態です」


私はゆっくりと上半身を起こした。自分の手を見る。確かに自分の手だ。だが、何かが違う。皮膚の色がほんの少し違うような...筋肉の感覚も少し異なる。


「この体は...?」


「生体3Dプリンティング技術と幹細胞培養で作られた、あなたのDNAをベースにした新しい身体です。外見はほぼ同一ですが、いくつかの微調整と最適化が施されています。筋肉密度が10%向上し、骨密度も強化されています」


医師は誇らしげに説明した。「これが、エターナルマインドの真価です。死は乗り越えられたのです」


混乱と興奮が入り混じる感情の中、私は自分の新しい体を確かめていた。それはまさに自分の体なのに、微妙に違う。新品の服を着ているような感覚。馴染むまでには時間がかかりそうだった。


「矢島は?一緒にいた友人ですが...」


「ご心配なく。彼は無事です。むしろ、あなたのことで心配していました。すでに三回お見舞いに来ていますよ」


それを聞いて少し安心した。


「あと...費用は?この新しい体、再生、入院...全部含めてどれくらい?」


医師は笑顔で首を振った。「無料プランの期間内ですから、一切費用はかかりません。これもNeoCorp社の革新的なビジネスモデルのおかげです」


本当に無料なのか。疑わしいと思いながらも、生きていられることへの安堵感が勝った。


---


退院後、私は急速に新しい体に慣れていった。


むしろ、以前の体より良い点も多かった。疲れにくくなった。記憶力が向上した。反射神経も良くなったようだ。


唯一の違和感は、時々発生する微かな「ラグ」だった。まるでオンラインゲームの接続不良のように、現実の認識が一瞬だけ遅れることがある。医師によれば、これは脳とサーバー間の同期の問題で、時間とともに改善されるはずだという。


職場に復帰すると、同僚たちは私の変化に気づかないようだった。外見はほとんど同じだからだろう。しかし、矢島だけは違った。


「なあ、違和感ないか?」ある日、彼がこっそり尋ねてきた。


「多少はある。でも日に日に馴染んでるよ」


「俺さ、NeoCorpのフォーラムを見てたんだけど...体の交換を経験した人たちの中には、何か『自分自身に対する違和感』を報告してる人もいるみたいだ」


「どういう意味で?」


「自分が本当に自分なのか、という疑問。意識のコピーが移植されただけで、元の自分は谷底で死んだんじゃないかって」


私は少し考え込んだ。確かに哲学的な疑問ではある。だが、私の記憶、思考、感情はすべて連続している。


「今の私が私だよ。他に誰がいる?」


矢島は少し安心したように見えた。「そうだよな。考えすぎだよな。とにかく、お前が戻ってきて良かったよ」


その夜、私は久しぶりに悪夢を見た。崖から落ちる夢。だが奇妙なことに、その夢の中で私は自分自身を外から見ていた。落ちていく自分と、その死を見つめる別の自分。


目を覚ますと、冷や汗で体が濡れていた。


---


事故から3か月後、NeoCorpからのメッセージが届いた。


「無料トライアル期間が残り9か月となりました。エターナルマインドの有料プランについてご案内いたします」


メッセージには様々なプランの詳細が記載されていた。


>スタンダードプラン:月額¥25,000

>無制限の意識バックアップ、年1回までの身体交換オプション、広告なし


>プレミアムプラン:月額¥58,000

>リアルタイム意識バックアップ、無制限の身体交換オプション、記憶強化機能、専用医療サポート


>エリートプラン:月額¥120,000

>すべてのプレミアム特典に加え、特別仕様の強化身体オプション、脳機能拡張、NeoCorp特別施設へのアクセス権


金額は決して安くなかった。現在の私の給料では、スタンダードプランでも家賃や食費を削る必要があるだろう。しかし、代替案はあるのか?一度不死を味わった身体が、再び「死ぬ可能性のある人間」に戻ることを受け入れられるだろうか?


矢島に相談すると、彼は迷わずプレミアムプランに申し込むつもりだと言った。


「命の保険だと思えば安いもんだよ。それに、プレミアムなら記憶強化機能が使える。仕事の効率も上がるし、給料アップも狙えるかもしれない」


私はまだ決断できなかった。無料期間が終わるまでにはまだ時間があるし、もっと状況を見極めたいと思っていた。


---


しかし、状況は私の予想とは違う方向に動いていた。


それは事故から7か月後のことだった。NeoCorp社のCEO、レイモンド・エドワーズによる緊急記者会見が開かれた。


「我々は世界に不死をもたらしました。しかし、その技術維持には莫大なコストがかかります」


彼はカメラに向かって深刻な表情で語りかけた。


「量子サーバーの維持費、新規身体の開発コスト、そしてライバル企業からのサイバー攻撃対策...これらすべてを鑑み、我々は苦渋の決断を下さざるを得ませんでした」


彼の言葉の後に、スクリーンには新料金体系が表示された。


>スタンダードプラン:月額¥45,000(80%増)

>プレミアムプラン:月額¥92,000(58%増)

>エリートプラン:月額¥180,000(50%増)


「この新料金体系は、トライアル期間終了後のすべてのユーザーに適用されます」


彼の発表に対し、SNSは怒りの声で溢れかえった。一方でNeoCorp社の株価は上昇した。市場は、この強気な値上げを収益性向上の証と見たのだろう。


私は呆然としていた。給料の半分以上をエターナルマインドに支払うことになる。しかし選択肢はあるのだろうか?もはや、私の意識はNeoCorp社のサーバーに依存している。


メッセージの末尾には、小さな字で追加情報があった。


>未払いが発生した場合、意識データは保留状態となり、様々な救済プランが適用されます。詳細は顧客サポートまでお問い合わせください。


---


トライアル期間終了の一ヶ月前、私は最終決断を迫られていた。


給料は上がらず、物価は上昇し続ける中、私の財政状況は厳しかった。エターナルマインドの月額料金は、私の生活を圧迫するものになるだろう。


一方で、もう「死」という選択肢に戻ることはできるのか?一度死を超えて生き返った身として、再び「死ぬ可能性のある存在」に戻る恐怖。それは新たな形の死の恐怖だった。


悩んだ末、私はNeoCorp社のカスタマーサポートに連絡した。


「月額料金が支払えない場合、どうなりますか?」


応答は機械的だった。


「お客様の意識データはNeoCorp社の資産です。未払いの場合、以下の選択肢があります:」


1. データ提供型プラン:意識データの一部を企業に提供し続ければ延命可能。

2. 労働貢献型プラン:一定期間、企業のためにリモートワークで働けば延命可能。

3. 債務者プラン:未払い金額が一定額を超えた場合、企業のニーズに応じて身体・意識が一時的に徴用されます。


「詳細をお知りになりたい場合は、契約書の第27条から第42条をご確認ください」


私は震える手で契約書をスクロールした。小さな文字で書かれた法的文書の海に、恐ろしい条項が潜んでいた。


>債務者プランの適用者は、企業の戦略的目標達成のため、NeoCorp社またはその関連企業のために労働力として活用される権利を当社に付与するものとします。これには、意識データの活用およびリアル環境またはバーチャル環境での任務遂行が含まれます。


何を意味するのか、具体的には書かれていない。だが、不吉な予感がした。


翌日、矢島に会うと、彼も同じ悩みを抱えていた。


「あの値上げはひどいよな。でも俺、決めたよ...スタンダードプランで契約更新する」


「本当に払えるのか?」私は心配した。


「実家から借りるつもりだ。それでも駄目なら...データ提供型プランにするしかないな」彼は苦笑いした。「意識の一部を切り売りする感覚、想像つくか?」


私たちは沈黙の中、コーヒーを飲んだ。永遠の命を手に入れた代償は、永遠の債務だったのかもしれない。


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