第八話 一難去ってあと一万
遂に『灰燼の森』を抜けた旅の仲間達。二手に分かれ、兄妹で旅をするまでの間にいくつもの事象から世界が異常事態である事を彼等は知る。そんな中現れた黒の獅子は、アグニで見たあの龍のような姿をしていた…
「お兄ちゃん、おはよう」
気が付くと眩い陽の光の刺す木の階段を降りていた。ラムは楽しそうに今日の予定について語っている。ふと窓を見ると、育ちかけの植物が健気にも伸びようとしていた。ラムに手を握られ六段下り、装飾の施されたドアを通ると、穏やかな顔付きの夫婦がいた。
(なるほど、そういうことか)
夢とは無慈悲な物だ。それが夢で、今の日常にはない幸せだと理解した時には覚めてしまうのだから。
「ぁ〜あ…」
「おはよう」
夢となんら変わりない声で覚醒を出迎えられる。
「いい夢見れてたのになあ」
でも、ここは現実だ。平穏な日々などまさに夢物語に過ぎない。
馬車に揺られ平原を走る。生きるために死に向かう今が現実なのだ。
「…なあラム。俺等の親ってどんな奴だったんだろうな」
「…戦争中に私達を産んだらしいから、まあ相当胆力のある人だったのは間違いないと思う…」
「それ、何処で知ったんだ?」
「お兄ちゃんから。空襲で養護施設ごと吹っ飛ばされたんだって…」
「ま、十中八九盛ってるだろうな」
昔の自分と今の自分が別人に感じられるのは不思議で新鮮な感覚だ、基本不便だが。
「ねえ、あれ…」
ラムがそう指差す先には巨大な都市が見えた。その中で一層際立つのは石の山の様な建造物。
「御者、あれって…」
馬車を操る革の帽子を被った中年の男は威勢良く答えた。
「ああ、あそこがアンタらの目的地の『レオンブルク』だ。そしてあれが『古代城』よ」
クルエルドへの道筋は簡単ではなかった。馬車を捕まえるまでは歩いているだけで何度も憲兵に止められた。
「…やっぱり…」
「変か?」
「私が来た時はここまでひりついていなかった」
「まあ、国境沿いともなればそんなもんなんじゃないのか?」
実際どうなのかは分からない。記憶が無い以上今の自分の知識はアグニ育ちのロイン、そして奴隷上がりのレジーナと大差無いからだ。
「…ここはカマリアス高原と呼ばれる世界最大の高原地帯なの。その広さと肥沃な土地に適度な気温と農作においては正に桃源郷。しかも五大国の丁度真ん中にある。
でも、そのせいで幾度と無く世界ぐるみの戦争の発端となっていたの…」
お陰か暇はしない。この世界の事情は面白い上に、ラムに聞かされる話は兄妹故か興味深い物が多い。
「アグニが鎖国してたのはそれが原因ってことか?」
「そう、アグニは一大陸にも匹敵する国土を持つ大国。だからここを争う必要は対して無かった。だからこれ以上の戦争を避ける為に鎖国したんだと思う。
それはパトリウムも一緒。五大国唯一の科学国家のパトリウムは既にカマリアスの気候条件を屋内でも作れる様になった…鎖国とまでは行かないまでも、ここの勢力争いには消極的…」
「だが他の三国は違う、と」
「そう、それで残りの三国はカマリアス条約というのを結んだの。要するに平和条約。領地は火のジュラク、金のカラザリム、水のクルエルドで国力を考慮しつつ全体の三割の部分を分け、残りを相互不干渉領域として置いた」
「火、金、水、そして木のアグニと土のパトリウムの名は『陰陽五行思想』って言う昔の考え方から来てるんだぜ。それぞれここを中心として東、南西、西、あと北と南東だ」
御者がすかさず自慢げに補足を入れる。要するに五芒星のような地形になっているという事。言葉で説明するから難しいだけで、☆の字を考えれば簡単な話だ。
「…だとしたら、あの憲兵は何だと思う?」
本題はそれだ。不干渉領域なのにも関わらず、互いの動きを牽制するかのような動作をしている。しかも…
「服装も一つじゃねえ。兵隊の服に鎧に甲冑…明らか戦争の前準備って感じだぜ?」
「…そう、だね…御者さん、どう思います?」
彼の返答には少し間があった。思い当たる節があったのだ。
「…俺もカマリアスで五カ国を繋ぐ男として稼いでいるけどよぉ、数日前から急に面倒くさくなったんだ。
客を届けてる時も良く停められては色々聞かれるし、国境の通過も楽じゃねえ。昔はこの俺のイケた顔で顔パスだったんだけどなぁ…今では客だけじゃなくて何故か俺の身元まで聞かれるぜ?」
「それだけ警戒してるって事か。にしてもお得意様でも疑うとはな」
しかもラムがここを通過してから、つまるところ約五日程度の間にそこまで関係性が悪化してる。
(まさか国家間が一触即発の睨み合いになっているなんてな…こりゃ確かに面倒臭そうだ。戦争はこっちとしてもやり辛くなるから避けて貰いたいんだが…そこら辺も何とかするとなると…考えたくもねえ…)
一国との交渉というだけで骨が折れると言うのに国家間の仲裁までするとなると多忙を極めるなんて物では無い。
「…着いたら起こしてくれ」
「ん、おやすみ」
取り敢えず夢の続きでも見て現実から目を逸らす事にしよう…
そう思い意識が消えかけたその時、衝撃が聞こえた。
「おっとっと、何だ?」
まさか開戦か。そう一瞬だけ邪推したがそうでは無かった。
しかし、そっちの方がまだマシだった。信じるにも信じたくない新たなる事実。
「おいおいおいおいおいマジか…!」
「どういう事?」
興奮で語彙力が無くなる自分に対しラムは冷静に状況を判断している。ここまで即時に戦闘モードに移れるのは兵士として超一流の証だ。
「なーんて感心してる暇はなさそうだな!御者、アレの逆方向に全速力で走ってくれ!」
男は泣き叫ぶような声で
「ちきしょぉぉぉっ!言われないでもぉぉぉっ!」
と答えた。荒事には慣れっこであろう歴戦の戦士ですら子供のように怯え散らかす"ソレ"はこの馬車を睨んでいた、というより見下ろしていた。
「じゃ、上手く逃げ切ってね」
「代金は後払いで頼んだ」
「へ?お…おい…」
男の呻き声を遮るように扉を蹴飛ばし外へ飛び出す。
「虚無空間ッ!」
背が地面に付く前に瞬間移動で受け身を取り、同時に刀を召喚し構える。
わざわざ法を使ったのは着地を狙った敵の攻撃を避け、その隙を突こうと思ったからだ。残念ながらそこまで迂闊では無かったが。
「お兄ちゃん、あの化け物が何か知ってたりする?」
"ソレ"は白の眼と黒の鬣を持ち、全身に妖艶なる気を纏い、尾が蒼白く燃えた、人より何倍もの体躯を持つ獅子だった。
『クグォぉぉぉぉぉおっッ!!!』
その雄叫びはかつて住処を奪われた高原の動物達の慟哭かのように何層にも聴こえる悍ましい音を響かせ、漆黒の身体を震わるなんとも恐ろしい物だった。
獅子の亡霊でもいるというなら、それはこの様な姿なのだろう。
「アグニで似たような奴がいたなあ畜生!」
大きさはあの龍ほどではない、にしてもざっと6mはありそうな身体は充分脅威になる。
(…っつーか一番面倒臭いまであるぜコレ…!)
人が蚊を殺すより蝿を殺すほうが容易なように、体躯の差が大きすぎず小さすぎずというのは逆に不利だ。
「グぉぉぉぁぁっ…」
標的は自分、お互い無闇には仕掛けずジリジリと睨み合いを続ける。その中でハッキリと見えたのは良く研がれた包丁のような爪だ。仮にモロに喰らえば脆弱な人間の頭など、豆腐のようにスライスされて美味しく頂かれるだろう。
人と獣では当たり前だが戦い方が違う。人の攻め手は直線的だ。それは慣れれば同じ人間でも容易に見切れる程に。
「…動物は決まって"飛び込み"から始めてくるんだ」
では何処で"差"が付くのか?
(コイツなら…そこから引っ掻いて腕を潰そうとしてくるだろうな)
その答えは"手"の数である。一瞬の駆け引き、その中に命を賭け、引き金を弾く。
まさに”賭け弾き”の中、より持つ弾が多い方が"賭け"に優位と立つ。
(そこから"噛み付き"だ…結局決め手はそれになる)
だが、獣は違う。獣は一手に全ての賭け金をオールベットする。"獣の一手は一手に非ず"とかつて『虎殺し』と呼ばれた修行僧は語ったという。獣との狩りの時、"一撃"は"連撃"となるのだ。
爪が折れれば牙を使い、牙が折れれば身体を使う。
後の事など考えぬ獣の全てを出し切る一撃。その本能的な攻撃こそが獣の強みだ。だが…
(その強みにこそ隙があるッ!)
「ぐぉぉあぁぉぁぁーーっ!」
予想通り"飛び込み"から来た。その巨大な身体からくる威圧感も半端では無い。
「虚無空間!」
それでも怯むことは無い。タイミングを見計らい、ギリギリで後方に瞬間移動する。
攻撃を外したものの、獅子は全身で踏み込み、すぐさま"一撃"を続ける。
だが、イアンスは攻めない。獣との戦いにおける勝機は守りの先にこそあるからだ。
(コイツのプランを崩しちゃなんねぇからなぁ!)
コブラが兎を狩るかのような、空からの不可避の噛み付きがイアンスに襲い掛かる。
「そこぉッ!」
だが、逆に彼は獣の口に手を突っ込んだ。
「貰ったぁぁッ!」
そして鋭利な歯に腕をすり潰される前に、思いっ切り身体を捻り弓を引くように全身を引いた。彼の手には獅子の黒ずんだ舌が握られていた。
ぶちぶちぶちっ、と嫌な音が何度か連続して響く。
「こいつもオマケだ!」
身体を捻る勢いのまま左手に持った刀で眼を掻っ切る。そしてそのまま体勢を下ろし体当たりも避ける。手を隠せる、それはつまり逆転の手を持てるという事。そして敵の逆転の一手を封じられるという事でもある。人間の強みだ。
「ラム、いいとこやるぜ!」
だが、この程度でくたばってくれるとは思わない。目が潰れ、呼吸を封じた相手にでも完全なるトドメを刺す。
「了解…!」
狙撃銃を両手に跳躍するラム。古来より、神は斧で倒されてきた物なのだ。そう彼女が言っていた。
「『デウス・フィーツ・レオニム』」
緑の閃光が走り、その瞬間、獅子の頭は墜ち、尾の灯火は静かに消えていった。
「…ふぅ、討伐完了と。さて、御者を呼び戻さねえと…」
とそこまで言った所で声が遮られた。銃声、しかもラムの物ではない。火薬の量が違った。
「ハッ!?」
自分には撃ち込まれてない、となると…
「ラムッ!」
「いて…大丈夫、お兄ちゃん。かすり傷だよ」
振り返って見ると左胸から脇下にかけて服が焼け焦げていた。しかし肌は軽い痣が残っていただけだった。
(良かった…って…あ…胸が…)
「…………あっ。ちょっ、ど、どど何処見てるの…!?」
「いや待て!見てない!誤解だ!お前の胸なんて見てないから!」
「…お兄ちゃんのエッチ…ヘンタイ…!ハレンチなお兄ちゃんなんて嫌い…!」
「そこを動くなぁっ!後ろを向けぇ!武器を捨てろぉ!」
勝手に盛り上がっている所に兵隊が横槍を入れる。その姿は黒く長い帽子に赤い制服。まるで玩具の兵隊だ。手には筒、担えてはくれていないが。
(化け物倒したのに今度は俺等が化け物か?冗談じゃねえよ全く!)
そう怒りを覚えはしたが、命令通り刀を捨てた。もしもとなればトルーパーで迎撃が出来るからだ。ラムもそれを理解し静かに銃を地面に置いた。
(悪い、ロイン。どうやら俺の周りには面倒事が起きるようだ)
そう諦めかけた頃、馬の声が甲高く響いた。
「誰だ!」
「俺だぜ!俺!そいつらは俺の大事な客なんだ!勝手に連行しないで貰うぜ!」
御者だ。逃げたのでは無かったのか。割と一瞬の勝負だったとは言え、全速力で逃げればもっと離れられた筈だが…
「客をそう簡単に逃がしちゃ、この商売は務まらんよ!」
「…面白い人」
ラムがくすっと笑った。それにつられ自分も自然と笑みが溢れる。
「さあ、どいたどいた。ほらお二人さん、乗りな」
話を付けたのか、馬車をこちらに向け乗るよう催促した。
取り敢えずラムには俺のコートを羽織らしといたが、今度は自分の身体を覆うものが包帯だけになりまた破廉恥と叫ばれた。
「…もう夜か、早いねえ」
「ホントだな、御者のアンタはいつ寝てるんだ?」
「三日徹夜で稼いで一日朝から晩まで寝るのよ」
「中々賢いなそれ」
時間の進みは昼寝してた自分には特に早く感じられた。昼間は性格に似合わず饒舌になっていたラムも、今は静かに寝ている最中だ。
(アイツら、寝ていられるかなぁ)
あの謎の獣…恐らくアグニの物と同一の存在と言っても良い。それらを今思い付いた単語から『アポロニス』とでも定義しておこう。
アポロニスはアグニだけの存在…これまで自分達はそう思ってきた。
(いや、そうだったんだろうな。ラムも知らなかったし。だが今はもう違う…世界に広まっていっている可能性が高い…となると、原因はやはりアグニにあるのかも…)
こんな時、ロインやロザラムならどのような事を語るだろうか…
(アイツらは今…)
アポロニスとは関係無い気持ちが、なんとなく不安とも心配とも何か違うモヤモヤを心に抱かせた。昨日は『惚れた』なんて言ったが、恋愛的な意味なのか、人情的な奴なのかは未だに分からない。不思議な感情だ。第一、感情を言葉で定義しようとする事がナンセンスなのかもしれない。
「…そうそう、俺の名、『ジョニー』ってんだ。これからもよろしくな」
ジョニー、彼はそう言って自分の世界に浸っていた俺を呼び戻した。
「よろしくな、ジョニー…"これからも"って?」
「アンタら、世界回るんだろ?」
「まあな」
言ってはいなかったが、暇な時間ずーっと雑談をしていたのでそこから察した、あるいは盗み聞きされていたのだろう。というか、彼も話に巻き込んでいた。
「俺にも手伝わせろよ。命の恩人よ」
「命の恩人?助けた記憶はねえけどよ?」
「へっ!じゃあこれからの馬車代無料じゃなくてもいいってことか?」
「マジで!?」
金欠のこっちの身としては相当助かる提案だが、どうしてそこまでするのか?その疑問を聞いた。そしたら彼はこう言った。
「『旅は道連れ世は情け』ってな!恩は返せってママンに言われてるのよ!」
ジョニーのその言葉に、少し気付いた。
(…そうか。アイツに助けられたんだから、気にして当然か。人情とか愛情とかそういうのじゃなく…)
恩を恩で返す。それこそが大事であり、それを果たせなくなるのが心惜しくなる。だから彼女達を気にしているのかもしれない。ならば、今出来ることを精一杯やるしかないのだろう。
「いよっし!やるかぁ!」
俄然やる気が出てきた。どんな困難が待ち受けようと、恩を恩で返そう、皆のために。
続く…
第八話です。
保存し忘れで物語の半分から後書きまで全部吹っ飛んだせいで執筆メンタルがボロボロになりました。
因みに本文の一部分や話や作品全体のタイトルなんかは良さげなのが思いつく度に変えるので悪しからず。
『タイトル変わったらわかんねーよ』ってなる場合はコメントしてくれれば控えますのでよろしくお願いします。