卑弥呼はなぜ女王に選ばれたのか?
女王卑弥呼。
邪馬台国の女王。
鬼道を使うシャーマン。
まぁ、卑弥呼や邪馬台国の考察をしている人は多い訳で。
YouTubeなんかでも色々と動画に上げられている一種のネタである。
とは言え明確な答えなど出よう筈もなく。
分からないモノはどうやっても分からないが正解だからである。
ちなみに倭国王帥升とやらが居たのが西暦107年頃。
この頃に帥升等が後漢に生口百六十人余りを送っている。
帥升だけではなく帥升等というのがミソである。
あくまで帥升等であり帥升がではない。
この帥升はどこの国出身だが分からない。
伊都国だと考える人もいる。
卑弥呼が君臨した邪馬台国連合の時代には王は3人いたとされる。
邪馬台国女王卑弥呼、伊都国王、狗奴国王である。
伊都国には代々王が居たらしいので帥升とやらがその時代の王だったと考える事も可能だろう。
しかし西暦107年当時と237年の時代ではどう考えても状況が同じではない。
何せ西暦57年に後漢に朝貢したとされる奴国王とやらが居たので卑弥呼時代の前はあちこちに王がいた可能性がある。
それで帥升後の…多分死後かな?、倭国大乱が起こる。
桓帝・霊帝時代、西暦146年〜189年間にあったとされる倭国内の大乱だが詳細は不明。
天皇に当てはめると景行天皇やヤマトタケルの時代に当たるらしいが古代の天皇の年代ほど当てにならないものはない。
年齢的な水増しで大きく年代がズレていたり架空の人物疑惑まで飛び交っていたりするのだから。
それはともかく倭国大乱で長く戦乱の世が続き、まだまだ続くのかと思われたが卑弥呼を擁立して大乱は終わり世は治ったとある。
なぜに卑弥呼が擁立されたのかは不明。
卑弥呼の即位当時の年齢も不明。
そして出身地も不明。
一応何かそれらしい答えがあるとすれば、卑弥呼は鬼道を使っていたという事。
鬼道の正体は占いなのか呪術なのかは不明。
それにしても卑弥呼はどこからそれを習得したのか?。
卑弥呼の即位時の年齢、後の後継者台与が13歳で即位した事を考えると近い年齢で即位した可能性が高い。
多分即位時期は180〜190年代頃だろう。
249年頃まで君臨していたのだから相当若い内に即位した事は分かる。
そして出身地、普通は邪馬台国と思われがちだがその証拠は何も無い。
というか多分伊都国とかの方が普通に文化水準が高そうだが何故に邪馬台国みたいな田舎っぽい国が連合を組めたのか。
勿論伊都国も含めて卑弥呼を擁立したからなんだが、それが卑弥呼=邪馬台国出身にはならない訳で。
邪馬台国ってそもそも何なのか分からない。
所在地もさる事ながら存在自体が謎である。
あるいは鬼道を使う集団が建てた国だとか?。
卑弥呼が仮に邪馬台国出身ならば一族の女性達はみんな鬼道使いで代々継承されてきたとかいう漫画みたいな展開かも知れない。
でなければまだ10代前半の頃に鬼道とやらを使える訳がない。
宗女が一族の女性を指すのか養女を指すのか弟子を指すのかは分からないが後継者台与も鬼道を使えたと仮定するならやはり鬼道を使える一族なり集団がいたのだろう。
邪馬台国は鬼道の集団が住まう国だったかもしれない。
卑弥呼が擁立されたのは邪馬台国内でも抜きん出て鬼道の力が強かったからか、あるいは神の啓示か。
または全く関係ない国から突然出てきた天才少女でその能力を見込まれ邪馬台国で本格的な鬼道を学んだとか?。
鬼道使いがなぜ擁立されて女王として君臨したのか?。
まぁ、天気なり何なりの重要な情報を占いで出せる人間がニューリーダーに必要だったのだろう。
「野郎ども私がこれから倭国のニューリーダーよ!!」、なんて卑弥呼が言ったとも思えないが、擁立した代表格達は切実な思いでこの鬼道使いを推した事だろう。
強力な鬼道を必要としたという事により倭国大乱の原因は気候なり天気なりの不調による食料不足なりが推測出来るがそもそも鬼道が具体的にどんなものか分からない以上分からないモノはやはり分からないのである。
あるいは占いの領域を超えた神の啓示を得たり神を降ろしたりする巫女的な役割を持った者の可能性もある。
それはそうと巫は中国由来の漢字らしくシャーマン的な意味を持つ。
日本でもかんなぎとしてシャーマン的な意味を持つが巫女を「みこ」と何故読むのかは不明。
卑弥呼は本来日巫女という漢字ではないかと言う人もいるが巫女をみこと呼ぶその発祥が卑弥呼からからなら面白いかも知れない。
勿論そんな事はないだろうが。