秀吉の性格
日本史上の中でも最も特異な人物と言えば豊臣秀吉だろう。
農民の子から天下人へ。
誰も成し遂げた事のない事をやってのけた。
古代で既に身分制度が確立され血族による支配体制が続いていた日本。
源氏も平家も元を辿れば天皇の血筋になるし何々氏族も古代からの血統だ。
戦国期において何の血筋も引いていない下層民がのし上がり天下を統一したというのは前代未聞の出来事であったろう。
今は余り人気が無いそうだが昔は出世譚として語られ子供から大人まで人気があった。
そんな秀吉だが晩年が不評なのは昔からである。
天下統一を果たした後、暴君としての振る舞いが多くなり朝鮮出兵や甥の秀次切腹事件、千利休切腹事件など血生臭い出来事が続く。
その性格は天下統一前と後でガラッと変わったと言われる。
私的には変わったというよりは元々持っていた性格が表に出て来ただけだと思うが。
出世すると人が変わる人間がいる。
そういう場合自分が偉くなったと錯覚し増長や驕りの心が出てきてしまう。
地位が人を変えるというモノだ。
秀吉も漏れずそういったモノであるが、元々出世欲の塊みたいな人間と思われるので人当たりの良さは計算されたものだったと思われる。
人当たりの良さ、人たらし、ゴマすり、そういったものは世を渡るには武器となる。
特に秀吉は武士ではないので下らないプライドはあっさり捨てれるだろう。
頭を下げる事もなんら厭わない。
そういったモノは現代のサラリーマンそのものである。
ただしそれは出世するまでの間だけである。
上に誰かいる状態ならまだしも天下人になり上には誰もいないのなら誰構う事もなく好きに出来る。
そうして元々の地が出てくる。
まぁ、この辺りは語る必要もなく知られている事である。
秀吉は武士ではないからこそ武士にはない機転と発想で生き抜けた。
そして武士の上に立った。
ここまでは成り上がりのストーリー。
成り上がった後はやはり生粋の武士の如くには行かなかった。
ここが成り上がり者の限界である。
教養と学の無さが露呈されていく。
歴史を勉強していないので過去の事が分からない。
平家の全盛と清盛の驕り、関東に追放した頼朝の挙兵と平家の滅亡。
それはそのまま豊臣家全盛と秀吉の驕り、関東に移動させた家康、そして豊臣家の滅亡そのものである。
清盛と頼朝時代をもっと詳細に知っていれば家康を関東には移動させなかっただろう。
ちなみに秀吉は信長と共に天下統一に向けて走っていたが、天下を統一した後の事については多分何も考えていなかったと思われる。
信長は統一後の事も考えていただろうが、秀吉には統一までがゴールでありそれで終わりである。
戦乱が終わった後どうするか、全国をどう統治していくのかというビジョンは無かった。
そういう意味では源平争乱から鎌倉時代中期までを記した吾妻鏡を愛読し歴史を勉強していた家康とは大きく違う。
それにしても清盛と秀吉は何となく似ている部分が多い。
いや、片や平家の棟梁片や農民の子で身分も血統も全然違うのだけれも。