豊受大神と宇迦之御魂神
日本において食物神と言うと大別して二柱いる。
豊受大神宮「伊勢神宮外宮」に祀られている豊受大神と伏見稲荷大社に祀られている宇迦之御魂神である。
豊受大神は古事記にて伊邪那美命から生まれた和久産巣日神の子として登場
ウケとは食物の意味。
豊穣や食物を司る女神である。
一方、宇迦之御魂神は古事記にて須佐之男命と大市比売との間に生まれた子とされる。
ウカとは穀物・食物の意味。
穀物の神、とりわけ稲を司る神であり稲荷神として信仰されている。
パッと見た感じ豊受大神と宇迦之御魂神は同じ食物を司る神ではあるが豊受大神は食物全般、宇迦之御魂神は食物でも穀物を司る神として分類される。
とはいえ明確に分類される訳でもなく五穀豊穣の女神としてだけでなく産業や衣住の神という付加も付いてくる。
豊受大神は天津神と捉えられがちだが確定はされておらず丹波の国津神が有力。
丹後国風土記では豊受大神は、丹後の比治山に降り立った天女とされる。
比治の山の頂に真奈井という泉があり天女が八人舞い降りて水浴びをしていた。
この時老夫婦が泉にやってきて天女の一人の衣装を隠した。
天女達は天上に舞い上がっていったが衣装を隠された天女は地に留まる事になった、という羽衣伝説的な物語。
天女はその後色々あって「万病に効く酒醸造等略す」竹野の郡船木の里の奈具の村に辿り着き住む事になった。
やがてその天女は神格化され古代丹波国で祭神として祀られる事になった。
これが豊受大神である。
また渡来系の秦氏との接点も指摘されたりしている。
止由氣儀式帳では第21代雄略天皇の時代に夢枕に天照大神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比治の真奈井にいる登由宇気神を呼びなさい」と言われ、伊勢神宮・外宮に祀るようになったのが由来とか。
伊勢神宮創祀年は不明。
雄略天皇の治世がいつ頃なのか?
様々な説があるが5世紀ぐらいが妥当か。
しかしそもそも何故に丹波の食物神を伊勢に遷座させたのかは不明。
まさか本当に天照が呼んだなんて事があるのか?。
一説では丹波王国が大和朝廷に取り込まれた際に伊勢の地に移動させたという説もあるが。
何にせよ現在は伊勢神宮外宮で御饌都神として鎮座中。
一方の宇迦之御魂神。
伏見稲荷大社の社伝によると創建は和銅四年「711」、渡来系氏族の秦伊呂具が稲荷山の三ヶ峰に三柱の神を伊奈利として祀ったのが始まりとされ宇迦之御魂神はその一柱であり主祭神。
稲の神、五穀豊穣の他に商売繁盛・産業振興も司る。
白い狐「眷属」を使役する。
豊受大神や荼枳尼天と同一視される。
古事記ではスサノオの娘だが日本書紀ではイザナギとイザナミが飢えを凌ぐため食物神のウカノミタマを生んだとされる。
以上。
この宇迦之御魂神についてはお稲荷さんと呼ばれ全国に祀られ親しまれているのだが実は詳しく分かっていない。
食物神は大別してこの二柱だがその他にも別に二柱いる。
宜都比売神と保食神である。
古事記では宜都比売神は須佐之男命に斬り殺され、日本書記では保食神が月夜見尊に斬り殺されている。
そして宜都比売神も保食神も豊受大神や宇迦之御魂神と同一の神とも言われたりしている。
実にややこいしいものだ。