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卑弥呼と神功皇后

卑弥呼は神功皇后の事である。

…という説があった。

何やら年代的に卑弥呼が生きた3世紀中頃の時代に神功皇后が居た事になっている。

実際は120年ほどズレていて卑弥呼が2世紀後半から3世紀中頃の人物なのに対して神功皇后は4世紀後半の人物になる。

実在していればの話だが。


日本書記には邪馬台国や卑弥呼、台与などは出てこない。

しかし魏志からの引用はある。

日本書記には卑弥呼が生きていた時代に神功皇后が重なり卑弥呼=神功皇后と言いたいとも読み取れる。

同時に田油津媛という突然現れる筑紫山門郡に居た土蜘蛛が卑弥呼とも受け取れなくはない。

何にしても神功皇后は卑弥呼とは時代が違う事が明らかにされつつあるのだから日本書記は嘘を書いている事になる。

嘘と言うか天皇の歴史を長く見せようと紀元前660年に神武天皇が即位したなどという滑稽な話を持ってきている時点で年表に信頼性はない。


それはそうとよく語れているのが古事記や日本書記編纂者達や藤原不比等辺りは邪馬台国や卑弥呼の事を詳しく知っていたが色々と都合が悪い為記紀には書かず真実を封じた云々という話。

無くはないが、私的にはあった事、居たことを彼等は知らなかったと考えている。

古事記や日本書記の成立は8世紀前半。

その記紀の参考文献となった帝紀や旧辞の成立は恐らく6世紀中頃ぐらいか。

それ以前は口承によって伝わってきた。

文字が無かったからなのだが、口承は実際どこまで真実を伝えていたのか怪しいものがある。

恐らく邪馬台国時代は神話の時代として伝わっていったのだろう。

8世紀の日本人達が邪馬台国や卑弥呼の存在を知ったのは中国から伝来した東夷伝等を見てからだろう。

あくまで推測でしかないが。


それにしても、卑弥呼関連の話題ではいつでもどこでもハブられるのが卑弥呼の後継者台与である。

台与はなぜこれほどまでに影が薄いのか?。


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