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羽白熊鷲

福岡県朝倉市にある羽白熊鷲の塚。

羽白熊鷲とは神功皇后の九州平定時代に荷持田村のとりのたふれに居たとされる豪族。

強健で翼を持ち高く飛ぶことができた。

皇命に従わず、民を攫い財を奪う。

この地方一帯を支配していた豪族らしい。

この羽白熊鷲は神功皇后軍と戦い敗れた。

元々は丸い石が置かれているだけの墓だったそうだが平成14年に郷土の英雄として顕彰碑が建立され現在あまぎ水の文化村内に塚と共に観光が可能のようだ。


神功皇后と羽白熊鷲との戦いの具体的な事は分からないが、皇后が勝利した時に「熊鷲を取り得て、我が心即ち安し」と言ったらしいので相当厄介だったのだろう。

そしてその後皇后は田油津媛との戦いに入っていくのだが田油津媛と羽白熊鷲との関係は不明。

しかしこの状態で関係がなかったとは言えない訳で。

田油津媛のみやま市と羽白熊鷲の朝倉市は近いし。

あるいは同盟を組んでいたのか、または田油津媛の下に付いていたのか。

羽白熊鷲や土蜘蛛田油津媛の他にも熊襲がいて仲哀天皇や神功皇后と対峙したと日本書紀にある。

というか熊鷲や田油津媛は日本書紀だけに登場する人物達である。

神功皇后創作説があって実在の人物ではないとする流れも存在する。

神功皇后が存在しないなら皇后と戦った羽白熊鷲や田油津媛・夏羽も元々いない事になってしまうが果たしてどうだろうか?。

あるいは神功皇后は架空だが大和王権の九州侵攻時に彼等は存在していてそれが後世に伝えられたか。

何にしろハッキリした事は分からない。


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