プロローグ その9 女子高生山吹千歳
「はあ。くだらないわね」
クラスの誰もが見て見ぬふりをするなか、私はうんざりとため息をついた。
もちろん、聞こえるように、わざと大きく。
教室の空気が固まるが、私には関係ないことだ。
「ちょっと、山吹。なんて言ったのかよく聞こえなかったから、もう一回言ってくれる?」
堂々といじめを行っている主犯格の彼女が、むかついていますという雰囲気で歩み寄ってくるけれど、それがどうしたというのだろう。
この距離で聞こえなかったのなら、耳鼻科に行くことをお勧めするよ、なんてことは言ったりしない。
わざわざ煽るなんて面倒だし。
私は参考書に視線を戻しつつ。
「くだらないって言ったのよ。そんな風にいじめをしてる暇があるなら、参考書の一冊や二冊、目を通しているほうがよっぽど建設的だと思うけど」
一応、進学校って名目ではあるはずだよね、この高校。
そりゃあ、受験はまだ先かもしれないけど、無限に時間があるならまだしも、三年しかないんだよ?
保育園だとか、小学校だとかなら、いや、本来はそれでもありえないと思うけど、あなたたちもう高校生だよね?
今は教室にいないけど、教師も教師だよ。なんで、生徒に怖気づいているんだか。教師である意味ってなに?
「知花。もう帰ろう。こんなところにいても意味ない」
私は幼馴染の手を強引に引きつつ、教室を出る。
「おい、山吹、どこへ行くんだ」
出たところで担任に出くわす。いまごろ来たのか、それとも、いたのに、入ってこなかっただけなのか。どっちにしても救えないけど。
こんな時間に鞄持って出ていくんだから、どうするのかなんてわかるだろうに。
それに、今、私にだけ声をかけて知花に声をかけない時点で、お察しだよね。事なかれ主義ともいうのかもしれないけど、ただ無責任なだけだからね?
仮にも教師が、教え導かないでどうするんだろうね。
「帰ります。こんなところにいてもなんの成長にも繋がりませんから。時間と授業料の無駄です」
「勝手な真似を――」
後ろから掴まれた手首を払う。
「心配されずとも、先生の評価に傷はつけませんよ」
本当に自慢するわけじゃないんだけど、この世界で学力テストと呼ばれているものって、満点しかとったことがないんだよね。
基本的に、暗記ばかりが重要視されているようなテストばっかりで、そういう問題なら、私には間違える要素がない。もっと、思考力とか、創造性とか、そういったことを試すような問題だったらわからないけれど。
これを、副産物と捉えるか、呪いと捉えるかは、人によるだろうね。
まあ、それはいい。
「あ、あの、千歳」
校門を出てしばらくしてから声をかけられて気がついた。
「あっ、ごめんごめん、痛かった?」
私は掴んでいた手首を離す。
昔はよくこうして手を引いたけれど、さすがに高校生にもなったら気恥ずかしいか。私は全然だけど。
「ど、どういうつもり?」
「見てられなかったから。むしろ、今まで放っておいてごめんね」
さすがに、高校生にもなって、クラスメイトをいじめるような輩がいるとは思わなかったからさ。
ニュースとか、フィクションとかでは聞いたりするけど、だからこそ、実際にやるような軟弱者はいないだろうなって思ってたんだよね。
この、普通に暮らす分には十分に平和な世界で。
「あんなところ、行かなくてもいいよ。高認くらいなら、私が教えてあげられるように頑張るからさ」
授業料とかは払っちゃってるから、それは悪いことしたなあと思うけど。
あっ、でも、もしかしたら、事情話したら返してくれるかな。むしろ、慰謝料もらいたいくらいだし。
「許してやってとは言わない。むしろ、ずっと覚えていてもいいと思う。将来的に暴露するとかね」
軽い感じでそう口にすれば、知花は寂し気に小さく笑った。
「将来っていうのは、彼女たちが成人してからとかってことじゃなくて、大学入試の推薦のときとか、社会人の入社試験の面接のときとかに、こっそり、匿名で相手に告発文を送りつけてやるんだよ」
「それはさすがにやりすぎなんじゃ……」
まったく、知花は気が小さいなあ。
「なに言ってるの? こっちは、高校時代っていう、一番の青春をぶち壊しにされたんだから。等価、ううん、むしろこっちがまだまだマイナスね」
まあ、私はべつに、明日からもあの教室に通っても全く問題ないけどね。
そう言ったら、知花にドン引きされた。
「だって、高校時代とはいっても、所詮はそれだけのことだし。それ以外の時間のほうがずっと長いんだよ? 長い人生の中の、たったの三年間棒に振ったところで、痛くもなんともないんだよね」
「昔から思ってたけど、やっぱり、千歳って、歳サバ読んでる?」
なにを言っているんだか、この子は。
山吹千歳としては、まだ十六年くらいしか生きてないよ。幼馴染で一緒に育ってきたんだから知ってるでしょ。
「そうだね、実は、千歳くらいかな」
嘘嘘。本当は、まだ、そこまではいってない。せいぜい、その半分ってところかな。
正確に思い出そうとすると、さすがに数えるのに時間がかかるからね。この帰り道の間じゃあ終わらない。
「千って……ああ、千歳だからってこと?」
本当のことは言えないけれど、冗談にしかとられないような軽口なら叩ける。
正確には、言っても意味がないというところなんだけど、まあ、結果は変わらないからね。
私は適当に相づちを打って。
「まあ、次からはちゃんと準備してこうよ。撮影とか、録音とかさ」
この世界には、スマートフォンっていう、便利なものがあるんだから。
「……ありがとう、千歳。本当に」
「当り前のことをしただけだよ」
むしろ、なんでこの程度のことを他の誰もできなかったのか、本当に不思議だよ。
わが身可愛さというのはあるんだろうけど、だったら、むしろ、事態に介入するものだと思うけど。
昔、同級生をいじめてました、なんて、相当の汚点だ。
それを言い出したら、そもそも、いじめをしようという精神構造がって話になるんだけど、どうせ、話を聞こうとしても、ヒステリックになるんだろうな。
まあ、でも、一応、言っておいてあげたほうがいいよね、あの子たちのために。
そんなことを考えていた数日後。タイミングよくというか、知花から呼び出しがあった。
でも、知花からの呼び出しなんて、しかも、こんな風にスマホ越しに呼び出しなんてされたことはない。
私たちの家は隣同士で、用事があればチャイムを押しに来ればいいだけなんだから。
本当、溜息が出るよ。
「つまらないことするよね、まったく」
呼び出された場所に出かける前に、一応、隣の上原家に確認に行く。
私たちは学校をさぼっているけど、平日だ。当然、知花の両親は仕事に出かけている。
知花は昨日までのこと、両親に話さなかったのかな。話さなかったんだろうな。もし、話していたのなら、知花の両親が私に話を聞きに来ない、あるいは、連絡もしてこないなんてはずがない。
案の定、場所は町はずれのアパートの一室。
こんなところ、知花が知っているなんて話、聞いたこともないよ。
待っていたのは、知花をいじめていたクラスメイト(今はまだ退学してないから元はつかない)と、見た目からしていつも飛行魔法を使っていそうな人たち。この世界では、魔法というものは現実と信じられていないけれど。
「ちょっと顔が良いからってむかつくんだよ、山吹ぃ」
そいつらのことは無視して、後ろのほうで後ろ手に捕まっている知花に向けて。
「知花、大丈夫?」
どうせ、脅されて私を呼び出すよう言われたんでしょ。
ここで知花だけ逃げても、べつに怒ったりしないよ。
「馬鹿だね、山吹。こいつはね、あんたを呼び出せば自分は助かると言われて――」
「うん。だから、私が来たんだから、早く知花を帰してあげなよ。それから、今後一切、私たちに関わってこないで。鬱陶しいから」
一瞬の間の後、馬鹿みたいな笑い声が空間を満たし。
「帰してあげなよ、だって。馬ー鹿。おまえも、あいつも帰すわけないじゃん」
だろうね。知花は青ざめてるけど。
「おまえは裏切られて売られたんだよ。もうちっとみじめな顔したらどうだ」
「みじめなのはあなたたちだよね。そんなこともわからないの?」
同級生一人と喧嘩するにも、大勢の男を連れてこないとできないとか、器じゃないんだよね。
「うるさいな。もう、戻るつもりはないんだよ」
そう言った彼女たちの瞳には狂気が宿っていて。
「もういいよ、やっちゃって」
それを合図に男たちがじりじりと私に詰め寄ってくる。
これはもう、緊急ってことでいいかな?
「もらい!」
「――っ」
声を出そうとした瞬間、後頭部を思い切り殴られた。鉄パイプとかかな。
そこから先はひどいもので。
しかも、結局、その後頭部は相当、当たり所も、威力もまずかったようで――。