プロローグ その2 (偽)聖女エルミア・ハーチェ
「聖女様。どうかお救いください」
そんな風に膝をついて懇願されて、私は困っていた。
この世界には、聖女と呼ばれる人がいて、曰く、どんな怪我や病気、はては呪いまでもたちどころに治してしまうという、神聖な存在なのだという。
私も噂程度であれば知っている。というより、事実を知らないのだから、噂でしか知らないと言ったほうが正しいのだろうか。
この世界の聖女というのは、ある日、天啓を受け、人々を慈しみ、守る存在になるという。
癒しの技が使えるだとか、人々を守護する結界を作り出せるだとか、会ったこともないにもかかわらず、この世界に聖女という存在が浸透しているおかげで、そんな程度の知識は私程度であっても、普通に暮らしていれば耳に入ってくる。
この世界で私が生まれた村では、医療がそこまで、いや、ほとんど発達しておらず、少しの怪我が放っておかれて、致命傷にまで進行してしまう、などということすら、起こりえていた。
そんな状況を許すこともできず、私は以前の世界の知識を活かして、医療行為を施していた。
幸いなことに、魔力は多少向上していて、小さな村で、一日に来る、たとえば、高齢者の腰痛治療だとか、そんな程度であれば、問題なくこなすことができていた。
しかし、やはりというか、この世界でも治癒の魔法を扱えるという者は希少であり、噂はあっという間に、どうやら、王都にまで届いてしまったらしい。
繰り返すけれど、私は聖女なる存在のことは、噂程度でしか知らない。
自分で名乗ったこともなければ、村の人たちに呼ばれていたのは、私のこの世界での名前だ。聖女などという肩書ではない。
しかし、その聖女という存在は、どうやら、私が暮らしていた田舎の村の所属する国では、たいそう、神聖視されている存在であるらしかった。
ただ、その村の人たちが口にしていた、聖女様という愛称、でもないのかもしれないけれど、とにかく、その聖女様という呼称を聞きつけて、王都、それも王城から招聘されてしまった。
そこで聞かされた話によれば、どうやら、この国の聖女というものは、常に存在しているようなものではなく、稀に――というよりは、もうすこし高い頻度であるようだが――人の中から出現するものであるらしい。
それが、生まれたときからなのか、あるいは、歳を重ねてからでも、天啓を受けたように変化してしまうのか、それは人それぞれであるようだけれど。
けれど、残念ながら、私は天啓など受けたことはない……より正確にいうのであれば、自分が聖女であるという天啓を受けたことなどない。ほかの天啓であれば受けたことがあるというわけではないけれども。
しかし、どういう噂が広まってしまっていたのか、どうやら、今代不在だった聖女のお陰で、混乱とは言わないまでも、人々の間で不安は広がっていたらしい。
ようするに、その人たちの不安を解消するため、茶番に付き合って、うまく踊れということであるようだ。
そんな都合、知ったことではないと突っぱねることもできたのだろうけれど、少なくとも、癒しの力を持つとされる聖女を頼って登城する人は少なくないようで、どうかと頭まで下げられてしまっては、無下にもできない。
聖女を連れてこられなかったと、この人が処断されるのも夢見が悪いし。
しかし、私なんかの噂程度に振り回されて、人まで派遣してしまうなんて、余程困っているのだろう。負傷者の手当てくらいはやぶさかでもないし、なにより、お城からは好待遇――城のメイドや執事などの使用人よりもわずかに良い程度のもの――で迎えられるということで、私は仕方なしに、その聖女なる仕事を引き受けることにした。
さっさと、民間に医療を広めたりすればいいのに。
他国に流出させようというわけではないのだから、自国の利益を考えれば、それがもっとも賢い選択に思えていた。
「わかりました。その任、お引き受けいたします」
呼び出された王城で、事前に馬車の中などでみっちり教えられた臣下の礼を完璧にとり、おそらくは、国王陛下、王妃殿下の印象も悪くはなかったように思う――思っていた。
「聖女、いや、エルミア・ハーチェよ。なにか、申し開きはあるか?」
申し開きもなにもないだろう、と私はどこか他人事のように、言葉もなく、目の前の光景を見つめていた。
城へ登用されることになってから、私は図書館に入り浸り、教会にも頻繁に出向き、聖女について学んだ。
癒しの力だとか、真贋を見定める力だとか、結界だとか。
もちろん、聖女ではない私にはそのような超常の力などはないので、国民、それから、城の人たちの期待に応えるためには、さまざまなことを学ばなければならなかった。
本来であれば、本物の聖女であれば使えるはずの力を有していない私にとっては、なんとしても、まったく同じは不可能であっても、限りなく近いことはできなければならないだろう。
もちろん、楽しさもあった。
以前、戦場を駆け回る治癒術師のようなことをしていたこともあったけれど、より詳しい知識を得られる書物が、城の図書室には数多く蔵書されていたからだ。
それらを読み漁り、ときに徹夜、あるときは、国の端から端まで負傷者や、癒しを求める人の会話相手など、なんでもこなした。
本物の聖女ではない私が、しかし、期待されているのだ、その期待を裏切ったりなどできるはずもない。勉強も、修道者としての修行も、礼儀作法も、一つとして手を抜いたりはできない。
しかし、それは、本当に突然だった。
その日、まさに、天から光の柱が落ちたとしか思えない光景が確認され、当然、城の騎士団や魔法師の人たちなどとも一緒にその様子を見に行った私は、その場で座り込む一人の女の子を見た瞬間、理屈ではなく、本能で感じていた。
ああ、聖女とは、こういう存在の人のことをいうのだ。
当然、私のときと同じように、彼女は城へ連れて行かれた。
「おお、聖女よ。これでこの国も救われる」
国王陛下が歓喜の声で迎え入れ、王妃殿下も、王子殿下も、歓迎の雰囲気を漂わせていた。
「さて。では、そこの詐欺師をひっ捕らえよ」
聖女の肩を引き寄せた国王陛下が、冷めた視線を送る相手は、疑いようもなく、私だった。
言われた意味がわからず、硬直したが。
「お言葉ですが、陛下」
「黙れ。貴様に口を開いてよいという許可は出していない」
たしかに、王族の方の会話に割って入るなど、不敬罪も甚だしい。
だが、黙ってなどいられない。自分の身がかかっているのだ。
「私は自分で聖女などという肩書を名乗ったことは一度もございません」
というより、自分で名乗るようなものでもないと思う。
「では、貴様はなぜこの城にいるのだ。聖女だからという理由ではないのか?」
たしかに、そういう名目で私はここにいるけれど、自分で名乗ったわけではなく、私を迎えに来た騎士の人たちがそう呼んでいたにすぎない。
「許可を出されたのは、国王陛下であったように記憶しておりますが」
「では、この儂が悪いとでも言うのか」
それはそうだろう、と思ったのは、その場にいた中で私だけではない、はずだ。というより、国王陛下以外の誰もが思っていたことだろう。ただし、その中に国王陛下に進言することのできる人がいなかったというだけで。
そして私は、詐欺の罪で捕えられた。不敬など、余罪もいくらかあったかもしれないが。
この国では、聖女の威光は大きい。私自身、その威光が役に立ったことはなく、むしろ、詐欺の罪を着せられたため、印象としては最悪に近くなってしまっているが。
聖女を騙るというのは、どうやら、死刑にすら匹敵するらしい。
それほど重要な役割であるというのならば、そんなに簡単に、良く調べもせず、任命するなとは思うけれど。
しかし、いまさら一罪人の言葉など空しく響くのが関の山だろう。なにしろ、国王陛下御自身がそう宣言されてしまったのだから。
たとえ、王族が自らの非を認めることは極力するべきではないとはいえ、そんなことは、私には関係ない話だ。
もちろん、だからといって、託が覆ることもないのだけれど。
王都の街中、大通りで、件の真の聖女を含めた、多くの人の視線を集めながら、私は処刑された。