十二歳 火事
◇ ◇ ◇
「お嬢様。今日のハリエル・ロマーロ公爵家令嬢に関する報告です」
私はもう、しばらく放っておこうと思っているんだけど、ロレーナは律儀に報告してくれる。
しかも、ほかの仕事の極力邪魔にならないよう、簡潔にまとめて。
自分の状況はわかってきているみたいだけど、簡単には無理なのかな。
「ありがとう、ロレーナ」
さっと読み終えてロレーナに返しても、ロレーナはしばらく私から視線を外さずにいて。
「なに?」
「いえ。お嬢様のことですから、そろそろ、動かれるのではないかと思いまして」
とくに期待するとか、自慢げにとか、そういった感じじゃなくて、いつもどおりに、淡々とした口調でロレーナに言われる。
「ロレーナは私をなんだと思っているの?」
「もちろん、素敵なご主人様ですが?」
まさか、私のことをツンデレかなにかだと思ってる?
シャーロックじゃないんだから、放っておくと言ったら、しばらくは放っておくよ。
「しばらくは、一人で考える時間も必要だって、ロレーナもそうは思うでしょ? 私はもう、言うだけのことは言ったよ」
「大立ち回りだったわよねえ」
フィリージアも、どこか楽しそうに笑う。
「大立ち回りって、突っかかってきたのは、ハリエルのほうからなのですが」
もちろん、生徒同士のいざこざを、生徒会が知らないはずがない。というか、私だって、その件の報告書というか、投書には何件も目を通しているし。
「そうね。でも、このままずっと絡んでこられるのも面倒だとは思っているんじゃない?」
絡んでくるというか、いちいち、こうして報告書を処理することが、だけどね。
まあ、これもある意味では、生徒会に絡んでいると言えなくもないだろうけど。生徒会の面倒事を増やしているわけだからね。
「それはそうですが、以前も言ったとおり、彼女自身の意識の問題ですから、具体的に私になにかできることはありません」
外から、ああしなさい、こうしなさいって、変えても意味はなくて、自分で気づいて、変わっていかなくちゃ仕方がないことだ。
彼女自身の望んでいたとおり、現状、生徒の間の話題の中心になっていることは間違いないだろう。
もちろん、ハリエルが望んでいただろうこととは真逆といってもいいような状況で、針のむしろに違いはないんだろうけど。
「それに、今こちらから手を差し伸べたところで、とってはもらえないと思いますから」
ハリエルが、プライドの高い子だということはわかっている。
そんな子が、自分を打ち負かした相手の手をすんなり取ってくれるとは思えない。
「どうせ、ひと月、いえ、半月だって怒ってはいられませんから、そのくらい待ってからでも良いのではありませんか?」
そのくらい孤立していても、退学はしないでしょ。
少なくとも、彼女自身からは。
「ちなみに、どの程度問題を起こすと退学になる、みたいな決まりはあるんですか?」
「退学はなかったと思うわ。停学、あるいは、奉仕活動はあるけれど」
あくまで、学生のうちにやることだから、失敗も、後悔も、大いにしなさい、ということだよね。
大事なのは、そこから反省して、なにを学ぶのかってことだ。
「とはいえ、今日の分に関しては少なかったですね」
こなしている最中、新しく持ち込まれるということもなかったし。
お陰で、滞り気味だったというか、フェリックスに任せっきりだった仕事を私たちも久しぶりにこなすことができて、それは良かったんだけど、時間的には、外はもうすっかり真っ暗になっていた。
「生徒会長!」
そんなところに、非常に焦った様子で、息せき切って、生徒が一人飛び込んできた。
「廊下と扉は静かに扱いなさい」
フィリージアは、とりあえず注意して。
「なにをそんなに慌てているの?」
「火事です! 部室棟が燃えています!」
フィリージアは、カーテンを開き、目を見張った。
わざわざ探すまでもなく、周囲の景色にそぐわず、その近辺だけ、赤々と照らされてるからだ。
原因なんて聞く間も惜しんで、フィリージアは生徒会室の窓から空中へとその身を躍らせた。
学院内での、定められた場所や、時間以外での魔法の使用は、抜剣同様、制限されているけど、明らかに緊急事態ではそれも無視される。
「教師に報告は?」
私とロレーナも、報告に来た男子生徒を連れて、廊下を走る。
「それが、この時間まで残っている先生はおひとりだけ、ヴィクトル先生だけでして」
騎士科の担当教員だね。
当然、火事に対応できる魔法は使えないか。
「今日の魔法学科の授業とか、自習とかで、火の粉が飛んだとか、そういうことは?」
生徒会には、誰がどんな魔法を練習していたとか、そんな細かいことまではもちろん、報告に来たりしないからね。
それに、授業でいうなら、とっくに時間は過ぎているし、火事になるくらいの大事なら、その瞬間に騒ぎになっていてもおかしくはない。
時間をおいて作用させる魔法の練習だとしても、その場に教師が残らない理由も、部室棟を燃やそうとする理由もわからない。少なくとも、故意にそんなことをすれば、退学は間違いなく、もっと重い処分だって考えられるわけだし。
「フィリージア先輩」
熱気の前にたたずむ、顔を庇うような格好のフィリージアに確認すれば、フィリージアは首を横に振り。
「一気に消火は無理。中に人がいるから」
探知魔法による結果だろう。
火を消すだけなら、空気を奪ってしまうのが簡単だ。
しかし、それをすれば、中に取り残されている人まで生きてはいられない。もちろん、校舎ごと崩してしまう、という方法も使えない。
とはいえ、このまま待っていても、焼け死ぬか、空気がなくなって死ぬか。
「それで、ちまちまと消火していくしかないんだけど」
バケツに入った水を端からかけている人たちがいるけど、まさに、焼け石に水。
当然、消防車、それから、消防士なんてものもない。
一部、魔物の外皮なんかには、火を防ぐものがあるけど、完全じゃないし、防御魔法だって、全部を調べて回るほどに維持していることはできないってことだろう。
「アリア? なにするつもり?」
「お嬢様!」
防御魔法も似たようなものだけど、まあ、誰もこの火の中に飛び込もうとは思わないよね。
私はバケツの水を頭からかぶり、ハンカチを水浸しにして、鼻と口を塞ぐと、静止の声を振り切って、そのまま中へと駆けこんだ。
外から見たところで、影が伸びていたところから、取り残された人がいるだろう場所は大方絞り込めている。
「だ、誰か」
一旦落ち着いて、立ち止まり、耳をすませば、か細い、燃え盛る炎にかき消されそうな声が届く。
そっちか。
本当は、喋るのは下手に空気を吸い込むから良くないんだけど、今ばかりは助かった。
「ハリエル!」
炎の中に蹲るその影を見つけて私は叫んだ。
音を立てて崩れてくる残骸を避け、ハリエルの元へと駆け寄る。
「早くこれで口と鼻を覆って!」
私は自分の手に持っていたハンカチを、半ば、押し付けるような形でハリエルに握り込ませる。
当然、この場で水なんて調達できるはずもない。
「ア、アリア……?」
私はハリエルの肩を支えて立ち上がらせる。
ハリエルは魔法師じゃない。脱出するには、窓を蹴破ってそこから飛行魔法で飛び出すのではなく、自分の足で歩いて行かなくちゃいけない……んだけど。
「通路が……!」
私が来るときにはまだ使えた通路が、柱と天井の崩落で塞がっている。
炎の勢いも増していて、身動きが取れない。
「もう、なにもかもお終いだわ……」
ハリエルは力なく腕を垂れ下げ、泣き出してしまう。




