プロローグ その13 アイドル愛莉=グレイ・石動
「アイドルとか興味ない?」
「全然ないです」
実際、差し出された名刺に書かれていたプロダクションの名前も聞いたことがなかった。
ただし、それはその界隈では最大手とも言えるほどに知名度が高く、世間一般でもそれなりに浸透している芸能事務所らしかった。
「愛莉は興味なさすぎ」
中学のクラスメイトたちは、私より興奮している様子だった。
「アイドルやるとなると、本名でやるの? 学校に登録してるのは本名じゃなかったよね?」
名簿上は私の名前は石動愛莉となっているけれど、本来は、愛莉=グレイ・石動で、銀の髪と青い瞳はそこから受け継いだのだろう、と思われている。
実際、私の母の――今生の母の髪の色は金であり、家系図をさかのぼっても、銀髪の先祖は出てこない。
名前は、父と結婚した際に、どちらの国で暮らすことになってもやっていけるようにと、両方の名前を付けてもらったらしい。おかげで長い。
「だから、やらないってば」
しかし、結局、大分しつこい――熱心でめげない勧誘に折れ、アイドルなどというものをやる羽目になってしまった。
「愛莉ってどこかダンスとか歌の教室に通ってたりしたの?」
同じプロダクションの、どうやら、同じグループとしてデビューすることになるらしい子たちからそう聞かれた。
「教室に通ってたりしたことはないよ」
経験は蓄積されているけれど、それだって、基本的には独学……まあ、教師に習ったことがないかと言われると、そういう経験がないわけではないけれど、少なくとも、愛莉=グレイ・石動としては、せいぜい、学校の音楽とか、ダンスの授業くらいのものだ。
体操クラブとか、バレエ教室に所属していたということもない。
彼女は目を見開いて驚き。
「じゃあ、これが初めてってこと? すごい、天才じゃん」
この世界では私のようなものは、現実か虚構かの違いはあるけれど、認識としては、一般に広く浸透しているらしい。宗教の価値観としても存在している。輪廻転生というやつだ。
もちろん、実際に自分に起こるという意味ではなく、あくまで、創作物のプロットとして、ということだけれど。
まあ、私はどうでもいいと思っているけれどね。
「私、実は人生二十二周目なの」
以前、同じ世界に生まれ変わったときから、言葉としては知っているけれど、私のような存在を、ここでは転生者だとか、二週目の人とか、そういう風に呼ぶらしい。
ただし、あくまでの創作の中とか、宗教の話であって、それでも、普通は一度しか生まれ変わらない、というより、一度生まれ変わったその先の世界での出来事しか描写されないのだけれど。
創作に対してなにを言っているのかと思われるかもしれないけれど、大抵はそういう感じで、私のように、十回も、二十回も生まれ変わることはない。
「なにそれ」
彼女が本気では信じないだろうことはわかっていた。
というより、こんなこと、本気で信じるほうがどうかしていると思う。
だから、冗談としてなら、こうして話せるのだけれど。
それに、あんまり本気で話して頭のおかしい子なんて思われるのも嫌だし。一応は、これから一緒に活動する仲間なのだから。
「まあ、たくさん練習したからかな」
「? ふーん、そうなんだ」
よくわかっていないみたいだったけど、私としては、それしか言えることはない。
実際、練習をたくさんしたからというのは嘘ではないからね。経験だけでいえば、ダンスとか、歌とか、パフォーマンスとか、ここにいるとは言わず、この世界の誰より積んでいる自信はある……自信とは少し違うのかな。
まあ、突っ込まれても大抵は説明できないから、結局、同じことなのだけれど。
とにかく、今の私は、愛莉=グレイ・石動としてやれるだけのことをやると決めている。
正直、こんなに平和な世界はそうないから、できれば、静かに過ごしたかったけれど。
「でも、センターは愛莉か奏音だって、皆思ってるよ」
奏音というのは、私より――愛莉=石動・グレイより四つ年上の二十歳、私たちの中では一番年長の子だ。
正直、今まだデビューしていないのが不思議なくらい、ダンスも、歌も上手な子で、リーダーシップもある。もちろん、勉強も。
アイドルとしてはデビューギリギリの年齢らしいけれど……あれだけうまかったら関係ないと思うんだけどね。でも、それは私が判断できることじゃない。
「奏音ちゃんに任せるよ」
リーダーなんて、スカウトされただけの私より、自分で選んでこの業界に入ってきている彼女のほうが余程適任だろう。
面倒なだけともいうけれど、それは口には出さない。
「それは嫌」
顔を向ければ、当の奏音が見つめてきていて。
「私、愛莉とは正々堂々勝負してセンターを勝ち取りたいから」
事務所的には、奏音のほうを押してると思うけど。
私よりもずっと前から、この事務所の養成所に入ってやってきてるみたいだし。
それに、年齢的に奏音のほうが年上だし。あくまで、この世界の、だけれど。だって、全部入れたら、私なんてお婆ちゃんどころじゃないし。魔女だよ、魔女。
でも、ここで、センターとかリーダーなんて――そもそも、アイドルにも――そこまで興味ないからって言ったら、多分、がっかりさせるし、怒られるだろうな。
そんな風に、なにかをやりたいとはっきり言える奏音――もちろん、ここに集まっている子たちも、そうでなくても皆――のことは眩しいと思うし、そのままでいてほしい。
「えー、じゃあ、勝負はするから、実際のステージでの挨拶とか、皆のまとめ役とか、そういうのは奏音ちゃんがやってくれる?」
「愛莉? ふざけてるの?」
奏音が私の頬を「柔らかい……」なんて言いながら引っ張る。
「次私」
「私も私も」
「おお、すごい伸びる。やわこー」
あのねえ。私の頬は玩具じゃないんだけど。
なにはともあれ、そんな風にメンバーが決まってから一年ほど下積みをしながら、泣いて、笑って、喧嘩して。
いろんな事情から、途中で辞めたり、入ってきたりする子もいたりして、いざ、私たちはデビューしたわけだけれど。
「愛莉ーっ!」
突き飛ばした奏音の叫ぶ声がとてもゆっくり聞こえ、周りのメンバーも驚いている顔をしているのが妙に鮮明に焼き付く。
私の中ではスローモーションの視界だったわけだけれど、現実には数秒ですらない時間だったわけで、私まで落ちてくる照明から逃れることはできなかった。この世界じゃあ、魔法なんて便利な力は、現実では使えないからね。
当然、ライブは停止。このままだと、おそらく、中止になるだろう。
ああ。今回は順調だったのになあ。
「愛莉! しっかりして、愛莉!」
「もしもし、救急車――」
「動かしちゃだめ、奏音。誰か、救急箱持ってきて」
とくに、誰かの悪意に晒されたわけではない、と思う。
いや、でも、普通は照明が降ってくるなんてことはありえないはずだから、スタッフの誰かの悪意が私たちの誰かに向けられていたのかもしれない。それを確かめることはできないだろうけれど。
もちろん、偶然だと私は思っているけれどね。スタッフの誰からも悪意とか、そういったものを感じられてはいなかった。正確にわかることなんてないから、絶対とは言い切れないけれど。
本当は、こんな風に誰かの記憶に残りたくはない。残したくはない。
でも、私は、覗き込んでくる奏音の頬に手を伸ばして。
「奏音が無事でよかった」
「喋らないで、愛莉。すぐ救急車が来るから」
アイドルがステージの上で泣いてたらだめでしょう。まったく。養成所以前の問題だよ。
私のこと引き摺ってたら許さないからね。
化けては出られないだろうけれど。




