プロローグ その12 悪役令嬢? ファルシオーネ・ハーハイツ
「ねえ、ファルシオーネ王女もそう思いますよね?」
目の前の彼女がなんの同意を求めているのかわからない。
彼女――リリアーヌはこの国の上位貴族だ。
関係強化のために、私がこのラトゥーカの王家に嫁いできたところ、彼女はまるで妃のように振舞っていた。
これ、私いらなかったんじゃないの?
もちろん、外交を円滑にするためという目的はある。そもそも、政略結婚などそんなものだ。
だから、最低限の仕事さえこなしてくれるのであれば、どこの側妃と関係を作っていてもどうでもいい。初対面から、ひと月も経っていないというのに、いくら建前上の関係とはいえ、婚約者である私とは話すらしようとしないというのにね。
しかし、ここでなにも言わないのも、また愛情がないのかなどという理由で不利益を被るかもしれない。
「そもそも、これは政略結婚ですから。相応しいという意味だけでいうのであれば、この国の貴族であるリリアーヌ様よりは、私のほうが適していると言えるでしょう」
自国内での派閥固めというか、連携の強化は確かに重要だ。
国王陛下と王妃殿下だけですべての政をこなすことができるというのなら、そんな超人であれば話は違うかもしれないけれど、普通は不可能だからね。
「本当に?」
リリアーヌの両目が怪しく光る。
これは、洗脳の類かな? わからない。
「ええ」
その力を使ったのが自発的なのか、あるいは、自然とそうなってしまうため無意識的になのか、それはわからないけれど、リリアーヌは非常に驚いた顔をしていた。
そんなに驚くようなことかな?
そもそも、魅了なのか、洗脳なのかわからないけれど、いきなりそんなものを仕掛けてきておいて、なぜ笑顔でいられるのだろう。
これは、指摘したほうが良いのだろうか。
意識的にならば問題だし、無意識的にということなら、制御できていない力だということで、さらなる被害者が出るかもしれないし、どちらにせよ問題だろう。
「リリアーヌ様。初対面の相手にいきなりそのような真似をなさるのは、あまりよろしくないかと」
私も、こっちに来る前にこの国のことは、それなりに勉強してはきた。
その中のマナーに、お茶会で王太子の婚約者相手に魅了の魔法を使ってかまわないという法はなかったはず。
「えっ、嘘でしょ……なんで、効かないのよ!」
再び、リリアーヌが私を魅了しようとしてきたみたいだったけれど、あいにく、私に精神操作系の魔法や能力は効果がない。
副作用的なものなのだけれど、私は精神を狂わせることができないのだ。
それが良いことなのか、悪いことなのか……ほかにもいくつも、そういった制約が課せられているから、一つだけとってみても、私的には、とくに思うところはない。
「私も故国のことは大切にしているから、表立ってあなたにこの立場を譲ることはできないけれど、それ以外なら好きにしてくれてかまわないわよ」
すでに私はこの世界で生まれた国を出ているわけで、余程のことでなければ、家族や国民に迷惑はかからないだろう。
王太子――私の婚約者と子を成せなかろうが、それで、側室でも、側妃でも、好きな相手と子を作って、その子が唯一の後継者だと認められようと。
そもそも、こんなに早くに別の相手を、堂々と私の前に連れてこられる、顔を合わせようと思えるような相手と、子を成すことなんてできるはずもないのだから。感情的なことではなく――まるきり違うとも言い切れないけれど――実際の問題として。
「はあ? あんたなに言って――」
「殿下。あまり、お戯れはなさりすぎないよう。そうでなければ、彼女のためにもなりません」
正式に迎えていない、正妃(予定)の私を放っておいて構ってばかりいる、そのせいでつけ上がっている、などという噂が流されないとも限らない。そんなことで同情なんてされたくもないし。
仮に、これも今の殿下の態度からしてみれば、かなりの問題を越えなければならないのだけれど、私との間に子供ができて、次の王子として認められていたりすれば、側室だろうが、何人持っていても、私はかまわないけれど。
いや、さすがにそこまでの相手になったら、嫌だと思うのだろうか……。
とにかく、そんな噂が流されては、彼女の今後にも差し障りがあるだろう。王子を誘惑し、側妃の立場に収まり、先に次代の子を産んで……なんて、どう考えても、問題にしかならないからね。
仮にも、王太子なのだから、その程度のことはわかっていると信じたい。
結婚早々、見るからに爆弾みたいな相手を抱え込んだ夫に、聞く気があるかどうかわからないけれど、忠告だけして、私は部屋へ戻ることにした。
「ファルシオーネ・ハーハイツ!」
本当に名ばかりのものだったけれど、結婚からは一年が過ぎた。この国では、結婚したからと、すぐに王位の継承が行われるわけではない。
私と王子との間に、そういう行為は一切ない。そもそも、寝室が違うし。
しかし、女性から誘うのははしたないとされているらしいし、そもそも、私はあまり興味はない――子供は好きだけれど――し、相手が望まないことを強要するつもりはなかった。
とりあえず、形だけ整っていればいいのだから。
彼がどういうつもりかはわからないけれど、世襲にこだわる必要性も、あまり感じてはいない。
だから、私が、彼とはべつべつの執務室で、一応は、王妃としての仕事を片付けていると、いきなり、扉が開かれた。
「なにかございましたか、殿下」
一応、今は夫婦の時間ではない。政務をこなしているため、公人として接するべきだろう。
「おまえがリリアーヌに対して行った所業についてはすでに明らかだ」
「はあ」
私がリリアーヌに対して行った所業……初対面の挨拶をしたことかな?
だって、部屋は別々だし、食事も一緒にするわけではないし、そもそも、日常生活で顔を合わせることがほとんどない。彼女は仕事はしないで、出かけたり、おしゃべりしたりしているのが好きみたいだし。
一応、お茶会とか、社交場とか、顔を合わせたり、話したりすること自体は何度もあるけれど、それだって、深い付き合いというわけじゃない。
精神系の魔法を仕掛けられたのは出合頭のあの一回だけで、それ以降は、まあ、普通に友好関係くらいは築けていたほうが得だと思っているのかな、というくらいには思っていたけれど。
「とぼけるつもりか?」
やれ、陰口を吹き込んでいるだの、服を汚しただの、すぐに怒って難癖をつけてくるだの。
陰口というのは、もしかして、いつまでもまともにできないマナーやダンスのことについて教師に相談した件かな?
服を汚したというのは覚えがないけれど。
すぐに怒って難癖をつけるというのは、側妃――それもまだ正式ではない――とはいえ、王家に連なるのなら、もうすこしまともに、いや、真面目にやりなさいと忠告した件だろうか。
「おまえとの婚約は破棄し、俺はリリアーヌとの婚姻を結ぶ。おまえは牢で罪を償うことだな」
あまりの物言いに、私は反論のひとつも、口を出なかった。
一国の王子が、こんなに簡単に異性の魅了にかかってしまって、問題しかないと思うけれど。
そもそも、異性を魅了の魔法で操ろうとか、その考え自体がかなりおかしいし。
「ここは私の世界で、救ってあげようと思っていたのに、私に魅了されないあなたのせいよ。だからせめて、悪役令嬢っぽく終わらせてあげる」
近づいてきたリリアーヌは、私にだけ聞こえるように、ささやいた。
やっぱり、精神系の魔法操作にかけられている。どちらにせよ、この国は終わりだね。
「その銀の髪も、青い瞳も、男を誘うような身体も、仕草も、なにもかも気に入らなかったの」
「それは、私を排除しても拭えるものじゃないんじゃないの?」
聞く気があるかわからないけれど、一応、忠告はしてあげる。
目を吊り上げ、唇を歪ませたリリアーヌに頬を叩かれたけれど、むしろ、同情するよ。
次期王妃に悪行を働いたとして、牢番には凌辱され、婚約者だった相手には気味悪がられ、国民には罵声を浴びせられながら、処刑された。
ギロチンで、苦しむことがなかったのは、唯一の救いと言えるだろうか。
そんなことを考えてしまったのは、大分麻痺している証拠なのかもしれないけれど、私はとくに気にしたりはしなかったし、気になることもなかった。
ただ、リリアーヌはあんなことでこの先大丈夫なのかと、そんなことをぼんやりと考えていた。




