十一歳 レインディア姫との朝稽古
◇ ◇ ◇
翌朝。
私は立場上、早くに目を覚ますんだけど、そのときにはもう、ベッドにレインディア姫の姿がなかった。
陽はすでに顔を出していて、でも、クリスティナ王女はまだ夢の中にいるみたいに、寝息もたてずに眠っている。
昨夜は、話の盛り上がったそのまま、一緒のベッドに眠ったはずだけど……。
「まさか、誘拐……なはずはないよね」
ここまで忍び込んできておいて、レインディア姫だけを誘拐する理由はない。
夜警の騎士とか、魔法師の監視を潜り抜けてここまで到達したのに、レインディア姫だけを攫う理由がない。そんなことができるのなら、もっと別の手段をとるはずだし。それに、それなら、もっとノーヴィアの人たちが騒いでいてもおかしくない。自国の姫君が他国で誘拐されるなんて、もちろん、相手国への糾弾材料だという以上に、恥を晒した以上の何物でもない。
あくまで私の仕事は、レインディア姫の付き人ということだから、眠っているクリスティナ王女に気付かれないようにベッドを出て。
「レインディア王女でしたら、先程、庭のほうへ向かわれるのをお見かけいたしました」
部屋を出て歩いていたところで出会った城のメイドに教えてもらう。
まさか、話していたように、勝手に外に出かけていった、なんてことはしていないみたいで、ひとまずは安心だ。
もっとも、ここはノーヴィアじゃなくてファルバニアだから、勝手の違う城からそう簡単に脱出できるとも思っていないけど。
レインディア姫とは毎日、ほとんどずっと一緒にいるから、なにを目にしたりしているのかってことは、大体わかっているつもりだからね。
教えてもらったとおりに庭へ向かうと、正面ではなく、裏側のほうで、槍を手にして素振りをしているレインディア姫を見つけた。
邪魔はしないようにと思ったんだけど、私の視線に気がついたのか、振り向いたレインディア姫に見つかってしまう。
「おはよう、アリア」
「おはようございます、レインディア姫。本当に、お早いですね」
レインディア姫の額には、わずかに汗も浮かんでいるように見えるし、季節を考えたとしても、こんなに早朝からでは、短時間にそんなことにもならないだろう。
「ええ。なんとなく、目が覚めちゃって」
ここは王城、とはいえ、レインディア姫は他国の王族で、同盟を結ぶだろう相手だから、たとえば、すれ違っただろう、メイドや庭師に思うところがあっても、ただ槍を持ち歩いていたというだけでは、咎めたりもできない。
もちろん、今までの滞在で、レインディア姫が国王陛下や王妃、それから、王子や王女を手にかけるということはないだろうという、信頼があってのことだろうけど。
「それでも、ひと言おっしゃってからにしていただきたかったところではありますが」
一応、メイドや庭師や、あるいは、騎士団の人たちも、レインディア姫がこうして鍛練をしていることは知っていたみたいだし、挨拶も交わしていたみたいだから問題ないと言えばそうなんだけど。
それに、今は城の中で、先日のこともあって、警備はより厳重にされているだろうから、公爵家令嬢一人程度の護衛がそこまで重要じゃないというのはわかる。浴場みたいに、私とかくらいしかついて行くことができないというわけじゃないんだし。
「ごめんなさい。起こしたり、早朝から付き合わせるのも悪いと思って。結局、こうして会いに来られちゃったんだけど」
「いえ、私もたまたま目が覚めてしまって、こちらこそお邪魔してしまってすみません。もしかして、毎日こうして稽古をなさっているのですか?」
どうぞ続けてください、と下がろうとしたら。
「アリアは稽古をしたりしないの?」
「稽古というのは、剣術に関しての話ですか?」
あるいは、武術とか、魔法とかのことかな。流れ的に、ヴァイオリンとか、ダンスとかってことじゃなっそうだし。
「ええ」
レインディア姫は頷いて。
「あれだけ打ち合えるんだもの。まさか、まったくなにもしていないということはないんでしょう?」
そりゃあ、私も、不摂生にならないようにというか、健康とか、体型維持とか、そういうことのために身体を動かすくらいはするけど。
「まあ、弟や友人に付き合うくらいは」
何十キロも砂を積めた革袋を背負って、剣や鎧の重装備で走り込み、なんて真似はしない。
レインディア姫は期待するような面持ちで。
「アリアの弟君って、やっぱり」
「いえ。弟は魔法師のようですから、母から魔法を習い始めています」
剣術の稽古をしたことがないということじゃないけど、年齢的なことはおいておくとしても、レインディア姫と打ち合えるような実力ではない。それは、魔法を加えても同じだろう。もちろん、今はまだ、ということだけど。
「今度のパーティーには来ると思いますから、そのときに紹介させてください」
「ええ。私も楽しみにしているわね。アリアの弟君なら、きっと、可愛らしいんでしょうね」
それは、そのとおりなんだけど、イシスが可愛いと言われて喜ぶかどうかは微妙なところだ。
レインディア姫が帰国される前には、城でパーティーが開かれることになっている。
面倒なのは、そう思うんだけど、護衛という立場上、しかも、国内貴族もそれなりに呼ばれるみたいだし、この間のことを企んだ相手、みたいな手合いがいないとも限らない。
それに、小さな弟が出るのに、私がさぼるのは良くないし。
「……楽しみにしているというのは、まさか、手合わせの相手の紹介だと思っているわけではありませんよね?」
「当り前じゃない。私だって、パーティー会場に剣を持ち込んだりとかなんて、思っていないわよ」
王族相手に持ち物検査なんてことはされないから。
とはいえ、同盟関係の、あるいは、これから結ぼうとしているのであっても、そんな相手国に招かれたパーティー会場に武器なんて持ち込んだら、同盟どころの話じゃなくなるわけで。
「ガーターベルトで引っ掛かりを作れば、ドレスで隠すことにできる位置に隠し持つことができますよ」
あからさまに剣を引っ提げてなんていたら没収されるけど。というか、なんなら、取り調べまでされるだろうけど。
「そんな風に隠すことのできるような短剣は持っていないわよ。というか、それを知っているって、アリアはしたことがあるってことなの?」
「いえ」
アリア・ユーインとしては、ない。
「とはいえ、パーティー会場で必要になるのは、剣術の腕ではなく、ダンスやマナー、それから、会話や表情を作る腕前でしょうが」
剣舞を披露するとかってことなら違うかもしれないけど、その予定はない。流れるのは、剣舞ではなく、社交ダンスのほうだろう。
「アリアはマーク王子の誕生日に曲の演奏をしているのよね」
「ええ。ヴァイオリンを持っていると、その後でのダンスなどを断る口実にできるので」
そう告げると、レインディア姫は目を瞬いて、ぽかんとした表情を浮かべた。
「冗談ですよ」
半分くらいは。
「ふっ、ふふっ、面白いわね、アリア。でも、私の相手には付き合ってくれるのね」
「父からも頼まれた仕事ですから」
さすがに断れないでしょ。イシスには押し付けられないし、そもそも、イシスは男の子だし。
それに、私だって、人と話すのが嫌いとか、そういうことはないからね。むしろ、子供たちの話を聞くのは好きだし。
「……その、アリアはダンスも得意なのよね?」
「得意かどうかははっきり申せませんが、先生からは合格をいただいています」
レインディア姫は少し逡巡して。
「私に、ダンスの手ほどきをしてくれない?」




