プロローグ その1 ステラ
理由は山ほどあるのだろう。
やれ、領地がほしいだの、物資や資源が入用だの、目障りだ、娯楽のため、なんなら、大した理由なんてなくても、なんとなくなんて理由だって、人は争いを起こす。
人は知性を身につけ、獣とは違うと言う者もいるけれど、とくに、自分が強者だと、奪う側だと思い込んでいる――その自覚があるのかどうかはともかく――相手に、そんな、あるいはどんな理屈も通じはしない。
けれど、そんな相手も同じ人間だ。
仕掛けられた側は堪ったものではないし、理不尽な事態に憤り、恨み、気力も奪われてしまうだろう。
しかし、私はそれを一方的なものだとは、どうしても思えなかった。
「鍋はぼこぼこ、食材は切れ端ばかり、でも、量はある」
戦いなんてしてほしくはないけれど。
私にあるのはそんな想いと、ほんのわずかな魔法の力だけだけれど。
それでも、私にできることをと、鼻歌を歌いながら鍋をかき混ぜていれば、匂いにつられて、今日も一日戦って、疲弊し、消耗した兵士の人たちが、空かせたお腹を抱えてやってくる。
「今日もお疲れ様です、ヴェルツさん」
「おお、今日もうまそうだなあ。もはや、このためだけに戦ってるよ」
料理が食べたいのなら、戦争なんてやめてしまえばいいのに。
でも、彼らは国からの命令で、隣国の侵略戦争に対抗して戦っている兵士だ。納得しているかどうかはともかく、呑み込んで引き受けている以上、ここで私がいくら戦争の不毛さを訴えたところで無意味だろう。
それに、結局、戦わなければこちらが侵略され、蹂躙されてしまうことには変わりがないのだから。戦闘をこなすという意味では、前線に向かうことのできない私にできることは、こうしてシチューを煮込み、パンを焼くくらいだ。
それから。
「ステラ。ちょっと」
野戦病院の同僚から声がかかる。
私は女だから戦いに行くことは免除されているが、魔法、治癒の魔法を使えるため、こうして負傷した人の治療に駆り出される。
治癒の魔法を使うことだけであれば、国にもほかに何人も適格者はいるけれど、戦場に耐えうるだけの治癒魔法を使える存在は貴重なのだ。
とはいえ、完全回復、というわけにはゆかない。あくまで、再行動、つまり、再出撃可能と判断できるレベルだ。
次から次へと送られてくる負傷者全員に対応するには、そのくらいでなければ、こちらが倒れてしまう。治癒術師は、敵側からすれば最優先の排除対象であり、それはつまり、逆に言えば、味方からすれば最後まで倒れてはならない存在だということなのだ。
「行ってきていいよ、ステラちゃん」
「こっちは俺たちでやっとくから」
「ステラちゃんにしかできないことだろう、あっちは」
べつに、私だけが治癒魔法の使い手というわけではない。他にも一緒に働いている女性は何人もいる。
男性なら、それこそ、前線へと連れて行かれてしまうため、この基地にはいないけれど。
「ありがとうございます。失礼します」
私は、比較的動ける、自分たちで配膳を始めた兵士の人たちに頭を下げて、呼ばれた建物のほうへ向かう。
元は民家だったこの家は、戦場、つまり、国境に近いということで、国に買い上げられ、今はこの村一帯が野戦病院のような感じで使われている。
ここへ運ばれてくるのは、兵士としての戦力を保てなくなった人たちばかり、つまり全員重傷者だ。そうでなければ、この人たちは前線に立つことを止めない。
彼らにも家族や大切に思う人たちはいて、それを守るために戦っているのだから。
それでも、私はため息を漏らす。
「……いったい、これはいつまで続くのでしょうか」
最前線に立つ私がこんなことを口にすれば、冗談でも、反逆行為と受け取られかねない。
まあ、こんなことくらいで反逆など、本当に今さらなのだけれど。
「さあな。俺たち一般兵には上層部のお偉方の考えはわからねえよ」
「あいつら、兵士は消耗品だと本気で思ってるからな」
「相手国側はどうなの、ステラちゃん」
普通、戦争している二か国で、一方の兵士が他方の情報を、それも、一介の治癒術師に対してこんなに軽く聞くはずもないし、答えられるはずもない。ましてや、私は今回、この戦場に来ている治癒術師の中では、一番の下っ端で、当然、軍事戦略やら、軍事情報を知ることのできる立場ではなく、そもそも、知ることができたとしても、理解できないことばかりだろう。
「そうですね。あちら様も、前線の方たちは似たような感じです」
にもかかわらず、なぜ、私に相手国側の、それも、軍内部の情報などというトップシークレットを聞いたりするのか、そして、なぜ、私がそんな答えを返すのか。
それはもちろん。
「それはこれから見てまいりますから」
私は自国の兵士の方たちに頭を下げて、今夜も、夜の闇に紛れて走り始めた。
「――という次第でして、どうにかそろそろ停戦してはいただけないでしょうか。このままでは消耗戦です」
私は先程とは違う旗の立つテントで、同じように配給と治療をさせてもらっていた。
もちろん、先程、自国の方に振舞ったように、私以外の治癒術師を連れてきて、などということはできない。たとえ、直接戦場を見てはいない上層部以外にとっては、公然の秘密であったとしても。
「無理無理。あ、いや、俺たちだって戦争なんてしたくないよ? でも、俺たちも食っていきたいとは思ってるし、そのためにはお上の命令には逆らえないんだ」
「ステラちゃんなら、うちの禿げ上官も説得できるんじゃない?」
「そもそも、会いに行かせられねえよ。なんて説明するんだ? 有志の配膳者で、敵も味方も関係なく、自作の手料理を振舞って、さらに治療までしてくれる、相手国の天使だって紹介でもするのか?」
そんなことはしないでほしい。
私は混乱を治めたいのであって、引き起こしたいわけでは断じてないのだ。
そんなことになれば、上がどう判断するのかは、火を見るよりも明らかだ。そのくらいの自覚と覚悟はあってやっていることではあるけれど。
「けど、本当に良いのか? ステラちゃんから見れば、俺たちは敵国、侵略者だろう?」
たしかにそのとおりで、実際、私の友人も危険な目に遭っている。
むしろ、こうして敵国の兵士の方たちまで治療する行為は、私の知り合いの故郷を奪い、絶望させることに繋がるのかもしれない。少なくとも、反逆行為ではあるだろう。
天使どころか、死神と言われても仕方がないのかもしれない。
でも、やっぱり私は、目の前で助けられる命があるのになにもしないでいることには耐えられそうにないし、それが敵国の国民であっても変わらない。
「本当にそう思ってくださるのなら、どうか、あなた方の上官を説得してください。お願します」
ここは最前線。
敵味方入り乱れ、常に剣戟や銃声、爆発音がそこかしこから響き、激しい光と熱が舞い踊る激戦区。
「でも、終わるとステラちゃんに会えなくなるからな」
「どう? 今のうちにこっちで俺と一緒に暮らさない?」
「ただでさえ心身共に疲れてるステラた……ちゃんを、これ以上煩わせるな、馬鹿」
さすがに私も、敵国の偉い方に直接会いに行くのは、まだ勇気が足りない。
そろそろ、そうも言ってはいられないのかもしれないけれど。
「本当に――」
なにが起こったのかはわからなかった。
のちのち考えてみれば、推測くらいはできたけれど、そのときは、ただ、眩いどころではない光という、それだけが最後の記憶だった。
そして、それが初めての記憶でもあり、始まりの記憶でもあった。