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ライブスドリーミング!

作者: mozno

 


1.デジタル・ネイティブ・問題児

水沢みずさわ、なぜ呼ばれたか分かっているな?」

 放課後、俺を呼び出した元顧問は、電子タバコを口から離さないままそう聞いた。

 職員室の隅の簡易応接間。上座に通されて良い気分でいたが、どうやら俺が逃げないように入り口側を体でふさぐことが目的だったらしい。卑劣な。

 卑劣と言うなら、質問の仕方も卑劣である。だから俺もぼかして答えることにした。

「三つにまでは絞れてます」

「そんなに候補あんの?」

 勘弁してくれ、と言いながら、元顧問の久慈くじ先生は頬の無精ひげを指の腹でもてあそび始めた。じょりじょりと音がする。ワイシャツのよれよれ具合も相まって疲れ切った独身男性という印象だ。やっぱり教師って激務なんだなぁ。

 彼の口振りからして、今回のお説教ポイントは一つだと判断した。一番バレやすそうだなと思っていたものを口にする。

「視聴覚室の件ですかね?」

「そうそう。良かったぁ、違う件が出てこなくて。いや、良くねぇんだけど」

 思っていたよりバレるのが早かった。もうあの環境が使えなくなってしまうと思うと思わずため息が出た。結構快適だったのに……。

「いや、ため息つきてぇのはこっちだよ。んで、今度は何した?」

「視聴覚室のPCで動画編集して、ネットに投稿してました」

 先生がため息とともに口から煙を吐き出した。「またか……」と小さくつぶやいたのを聞き逃さなかった。

「ロック掛かってただろ」

「パスワード『1234』でしたよ」

 元顧問が頭痛を堪えるかのように眉間を押さえた。

「編集ソフトはどうした? 勝手にネット上からダウンロード出来ないように設定されていたはずだ」

 やっぱりか。クラウドからダウンロード出来なかったからそうじゃないかと思ったのだ。だがその辺は抜かりない。

「私物のUSBにインストーラー入れているので」

「お前マジでさぁ……」

「俺が悪意を持ったクラッカーじゃなくて良かったですね」

「バカ、ほんっとにバカ」

 俺が笑って言うと、呆れからか先生の語彙力が極端に低下してしまった。

「なんで俺だって分かったんですか?」

「他の先生から知らないアカウントが増えているって相談があった」

「でもそれだけじゃ俺とは」

「ユーザー名が『水沢けい』だった」

 うーん、うっかり。俺は眉間を指で押さえた。

「いや、初めから疑ってかかっているじゃないですか。俺のせいに見せかけた犯行という可能性もあります」

「こんなことすんのお前しかいねぇだろうが!」

 常習犯が! とガラス製の灰皿に吸い殻を突き立てると、新しいもう一本を取り出して吸い始めた。

「そもそも先生が俺を情報処理部に置いておいてくれればこんなことはしなくても済んだんですよ」

「じゃあ、学校のPC私的利用して、動画編集のバイト受けるんじゃねぇよ! バイト禁止なの、ここ!」

 おかげで退部の上に、部室出禁だ。

「街のPV(プロモーションビデオ)賞の時はバイトじゃないですよ!」

「あれはお前がインタビューで賞金目当てで作ったとか言うから、校長がキレちゃったの!」

 おかげで受賞辞退で賞金がパァだ。

「動画編集は! 自宅でやれ!」

「だから壊れて、金無いから! 新しいPCが買えないって言ってるじゃないですか!」

「だからって学校中のPCに動画編集ソフト入れようとするんじゃない、このバカ!」

 ヒートアップしてきて、お互いに立ちあがってしまったが、冷静になり、再び席につく。

「……先生のPC貸してもらうわけには?」

「話聞いてた? 貸せるわけねえだろ、成績表とかテストの結果とか入ってんだから」

 ダメか……。かくなる上は情に訴えるしかあるまい。

「先生、俺はただネットにちょっと著作権が怪しい感じの映像を切り貼りした面白MAD動画を投稿したいだけなんですよ」

「説得する努力をしろ」

「……ちなみにお金貸してもらうことって」

「親御さんに相談しろ」

 それが出来るならとっくにしているのである。

 父はしばらく家に帰ってきていない。母はとっくの昔にどこかに行ったきりだ。父からの仕送りのうち、昼食を抜いてこつこつお金を貯めてはいるが、快適に動画制作が出来る環境となると、どうしてもそこそこの性能があるPCが欲しい。金が、足りない。


 説教の用が済んだら、職員室を追い出された。

 退室の際に久慈先生から、「今後お前に教室の鍵貸し出さないことになったから」という無情な宣告を受けた。名指しで追加されたルールは二つ目だ。ちなみに一つ目は「図書室のPCに五メートル以上近づくことを禁ずる」というものである。ストーカー加害者か俺は?

「どこかに絶対バレないで、動画いじれて、金払いの良いバイトでも無ぇかなぁ」

 小石でもあれば蹴っ飛ばしたい気分だった。

 しかし綺麗に掃除された職員室前の廊下には小石一つも落ちてはいない。

 ぶらぶらと手足を持て余すようにだらしなく歩きながら、そんな独り言を口にした。

 独り言のつもりだった。

「なら、私のところで働かない?」

 だから返事があったことに驚いて、思わず飛び上がった。それからゆっくり振り返って、声の主を見た。

 吸い込まれるような黒髪の主を。



2.遠野遥香

 吸い込まれそうな黒髪が、自信ありげに伸ばされた背に沿って流れている。

 釣り目がちな大きな瞳からは気の強そうな印象を受ける。彼女が腰に手を当てると、学校指定のスカートが揺れた。

 クラスメイトの遠野とおの遥香はるか

 よく教室で派手目なグループの生徒たちに囲まれて談笑している。

 これまで一度もまともに話したことのない女子に唐突に就業を持ち掛けられて、俺はしばらく唖然としていた。ので、

「あ、あれ。聞こえてなかった? おーい? 水沢君?」

「聞こえてる。……どういう意味?」

 このまま放置していたら、もう一回やり直し始めそうだったので、遠野の言葉をさえぎって質問した。

「水沢君が自分で公言しなければ、絶対バレないで、動画制作が出来るバイトを紹介できるって意味。お給料は動画の出来次第だけど」

「なに? ヤバいバイト? やっぱ陽キャってそういうコネあるの?」

「無いわい!」

 偏見よ、偏見! と遠野が抗議の意を示す。

「別に危ないことだったり、非合法なことじゃないって! そもそも動画作るだけだし! 仕事で知ったことを他言しないって誓ってくれるなら、紹介してあげられる」

 それが怪しいんだけど……。

 俺がいぶかしんでいることに気付いたのか、遠野は気が進まなさそうに仕事についてぽつぽつと語り始めた。

「その、……私が、ファンの、ある配信者が、最近ちょっと伸び悩んでいて……。いや、伸び悩んでないけどね、全然気にしてないけどね! その人のPR(宣伝)になるような動画を作ってくれるなら、ある程度まとまった報酬は出せる、みたいな」

 へえ、いいじゃないか、面白そうで。

 てっきり裏路地で変な薬でも売らされるのかと思っていた。

 より人の目に触れて、かつ登録者が増えるようなプラスイメージを与える動画プランか。といくつか頭の中で考え始めたところで、どうにもならない現実にぶち当たった。

「……悪い。他を当たってくれ。面白そうだとは思うけど、今俺には自由に使えるPCが無いんでな」

「貸せる!」

 まるで待ってました、とでも言わんばかりに食い気味で食らいついてきた。こいつ、さては職員室での俺と元顧問の会話を聞いてやがったな?

「ノートパソコン。スペックはハイエンドとは行かないけど数年前のモデルで、ほとんど触ってない。短い動画ならそれでもいけるでしょう? それにあなたが実績を出してくれたら、もっと高性能なマシンも用意できる」

「SSDは?」

「確か512ギガ」

「なんでそんなマシン余らせてんの?」

「いや、最初は自分でやろうと思ってたんだけど、私ああいう細かい作業苦手で……」

 遠野が挫折した体験を思い出したのか、苦々しげに眉間に皺を寄せている。

「……いいよ。引き受ける」

 ほんの数秒だけ考えて、俺は安請け合いすることにした。

「え? いいの? なんで?」

 俺が急に態度を変えたからか、遠野はぽかんと口を開いた。

「お前が持ち掛けてきたんだろうが……」

 自分で勧誘しておきながら、俺が了承したことが信じられないのか、遠野の手がわたわたと動き回る。

「そもそも金はPC買うために欲しかったんだ。貸してくれるなら別に要らない。もし俺がこれから作る動画で登録者数増えたらそのPCを今後もたまに貸してくれればそれでいい」

「ホントにいいの? え、えっと、じゃあ、……よろしく?」

「ああ、よろしく。明日にでもPC持ってきてくれ。あ、あとそうだ。その配信者の名前教えてくれよ」

「うえっ!? なんで!?」

「いや、名前も知らねー相手のPRなんか出来るわけないだろ。今日帰ったらスマホで過去の配信見とくから」

 遠野はしばらくうんうん唸って、頭を抱えた後に、ぼそりと呟いた。

「……遠野ハル」

 いや、お前じゃねーか。



3.遠野遥香改めバーチャルライバー遠野ハル

『こんハル~。みんな、おはよう! 遠野ハルで~す!』

 画面の向こうで少女が微笑む。

 その真横を視聴者リスナーたちのコメントが流れていく。

『こんハル~』『おはよう(二十三時)』『よし今日は早いな』『こんハル~』と言った具合に。


 遠野ハル。

 活動歴は十か月。現在の登録者数約八千人。

 バーチャル生配信者(ライバー)と呼ばれる種類の、アニメ的外見のオリジナルキャラに声を当てる形での動画配信者(ライブストリーマー)

 黒とピンクを基調とした学校制服のような衣装を身にまとっている。

 設定は女子高生。まあ、それは本当のことか。

 主な活動は夜中の雑談配信がメインで、休日には歌・ゲームの配信もおこなっている。所属企業は無し。収益化済み。

 いわゆる個人勢でここまで続けて来れているなら、大したものだと素直に思う。

 売りのトークは流暢で、聞いていて苦にならない。話す内容は漫画・アニメ・たまに美容品について。

『そういえばこの前の配信でみんなにおすすめされたアニメ見たよ! 超、面白かった~! 神アニメ!』

『十一話で落としたところに、ヒロインのバブみが……こうスーッとみるんだよなぁ』

『そうだよね!? あそこで迎えに行くのって絶対イザナギ意識してるよね!? つまり神話の再演、ってコト!?』

 ……いや、ほとんどアニメかも。

 液晶に映った彼女にはネットミーム含めて、オタク向けコンテンツへの理解がある。だからこそ。

(このキャラと、アレが一致しない)

 俺は顔を動かさないまま、視線だけ、ちらと二年C組の教室の一角へ送る。

 賑やかな四、五人のグループの中心に彼女、遠野遥香はいた。男女の区別なく笑顔を向けて、会話を楽しんでいる。

 他の女子がしている、男性アイドルが主演の恋愛ドラマの話に相槌を打っている。

 落ち着いていて優し気な教室の彼女と、画面の向こうでハイテンションで一人で盛り上がっているオタク女。別人にしか見えないが、間違いなく声は同じだった。


 遠野の存在は俺のインターネット上での趣味人のイメージと大きくズレる。

 これまで俺の偏見ではネットでの活動を熱心に行っている人間というのは、大概現実の生活は悲惨であるか、虚無であるかのどちらかだった。

 だって、見た作品について語り合える友人がいる奴はブログやSNSに長文を投稿する必要無いし……。

 それともこれはリアルが充実してる奴が、俺たちの居場所ネットに入ってくるんじゃねーよ、というネット古参勢としての本能的なものだろうか。うーん、いつから俺はこんなインターネット老害になったのか。

 いや、別に俺のことはどうでもいい。そんなことより仕事だ。今は彼女の過去の配信を見て、PRするポイントを見つけなければならない。

 机の引き出しに隠れるようにスマホを置いて、ペアリングした無線イヤホンを片方指で隠すようにして、再生数の多い動画と高評価の多い動画を確認していく。昨日の夜からやっているが、活動期間の長さもあって、一向に見終わる気配がない。ある程度雰囲気が把握出来たら、別の手段を考えた方がいいかもしれないな、と考えていると、スマホに通知が来た。

『ちょっと廊下来て』

 昨日これからの仕事用に連絡先を交換した遠野からのメッセージだった。動画を止めて席を立つ。それを見計らってか遠野も周囲の生徒に断りを入れて俺の後を追ってきた。

 教室から見えないように階段前に移動する。クラスメイトに見られて関係を聞かれるのは契約違反だ。

「なに考えてんの!?」

「なにが?」

「教室で私の過去配信堂々と見てたでしょ!? 身バレするから!」

 教室の後方、窓際に背を預けていた遠野からは、俺が隠れて動画を見ていたのが丸分かりだったらしい。遠目からでは見えないだろうと高を括っていたが、流石に日常的に目にしている物なら構図で分かるか。

「仕方ねーだろ、数多すぎてこうでもしないと追いつかねぇんだから。それに大丈夫だろ、……イメージ違うし」

「悪かったなぁ、配信ではキモオタで!」

「そんなことより」

 そんなこと!? と憤慨する遠野を尻目に俺は肝心の事を確認する。

「約束のPC、持ってきてくれたんだろうな?」

「ええ。今日の放課後、教室に残ってくれる? その時渡す」

「ありがと。これで仕事に取り掛かれる。それともう一つ頼みたいことがある」

「なに? PCは貸すだけだよ、あげないからね?」

「パクらねぇよ。過去の配信の分析結果、アナリティクスの情報が欲しい。あれ、確か本人しか見れなかっただろ」

 動画配信サービスには大概アナリティクスと呼ばれる自分が投稿した動画が、どんな視聴者層に、どこを繰り返し、再生されたかがわかる機能がついている。配信者側はそれを参考に自らの視聴者層に合わせて、配信内容をチューニングしていける、というわけだ。

「そんなの欲しいの?」

「あぁ。特に繰り返し見られている箇所について知りたい。それだけ面白い部分ってことだからな。伸び悩みを解決したいっていうなら」

「伸び悩んでないけどね!」

「……。解決したいっていうなら、新規参入者向けに目につきやすく、手が伸ばしやすい、短めの紹介動画から作るべきだと思う」

「よくある『十分で分かる』紹介動画みたいな?」

 そう。そう題しておきながら、再生時間が二十分、三十分あるのがお約束のアレである。

 その配信者の特長をまとめた、云わば見どころ集(ハイライト)だ。

「でも、こう言ったらなんだけど、ありきたりじゃない?」

「ありきたり、みんながやってる事っていうのは効果がある証拠だ。もちろん面白いものにはするつもりだ。だからアナリティクスの情報が要る。昔から見ている視聴者にとっては懐かしく、新規にとっては過去配信への導線となる、という確実な証拠として、数字が欲しい。……別に動画の企画にしてくれてもいいぞ。紹介動画作るから、過去の配信でみんなが面白かったと思うシーンを投票してね、みたいな感じで」

 その方法は自分が投票したシーンが採用されていたら嬉しいと思える反面、すべての視聴者が過去すべての動画見ているわけではないし、覚えているわけでもないため、最近の配信内容に寄ってしまうという欠点がある。

 それに投票をしない視聴者も多数いる、という点も忘れてはならない。通常の配信でさえ、視聴はするが一切コメントを残さないという視聴者はいる。そしてそれはコメントを残す視聴者よりもはるかに多い。多くの配信において、画面上に投稿されたコメントが表示されるように構成がなされている。それは視聴者との一体感を出すためであり、荒らしコメントへの抑止のためでもあるが、いずれにせよコメントとは目立つ行為である。匿名で楽しめるネットを一利用者として楽しむとき、目立つことを忌避する人間は想像以上に多い。

 アナリティクスは内部データであり、視聴さえされていれば、視聴者が痕跡を自発的に残しておらずとも数字で彼らの存在を確認することが出来る。サイレントマジョリティーの声を聴ける魔法の道具だ。使わない手は無い。


 俺の提案に遠野は少し悩んだ後で、真面目な顔をして、こう言った。

「……いや、それだと内輪ネタみたいになるでしょ? だから第三者目線で水沢君に作って欲しい。どんな人でも楽しめるように」

 真剣だ。よほど配信が好きなのだろうと思った。

「……分かった。じゃあ、また放課後。PC忘れずに頼むわ」

 思いはしたが、口には出さず、俺は教室に戻るために、踵を返した。その背中に遠野が声をかけてくる。

「うん、また放課後ね。あ、やっぱり教室ではあんまり私の配信見ないでよ?」

 意外と注文多いな、こいつ……。



4.水沢景の得意なこと

 帰宅するや否や、学生鞄を敷きっぱなしの布団の上に投げ捨てる。

 遠野から受け取ったパソコンバッグを机の上に置き、チャックを開ける。赤色のノートパソコンが現れた。派手な色。あいつの趣味か?

 わざわざ保護用のパソコンバッグを持っているなんて、本当に電子機器に詳しいらしい。早速電源コードをコンセントハブに繋ぐ。

 どうやら私用と配信用でスマホも完全に分けているようだし、過去配信での発言から察するに相当ハイスペックなPCを持っているらしい。モニターは三枚だとか。

 ……なんかストーカーでもしている気分になってきた。なんでこの間初めて話したクラスメイトのPC構成知ってるの俺?

「羨ましい限りだね……」

 収益化しているから、投げ銭なども受け取れるのだろうが、それにしたって大したブルジョワっぷりである。意外とお嬢様だったりするのだろうか? こちとら小学生の時に父親が「これからはITの時代だ!」とか抜かして、買うだけ買って放置していたおんぼろPCを私物化して、やっとこさ動画投稿していたというに。ちなみにそいつは今、俺の足元で物言わぬ骸となっている。合掌。

 電源を入れ、遠野から教えてもらったパスワードを入力する。すぐにデスクトップが表示された。良いね、動作が軽い。

 PCの設定画面を開いて、OSの更新プログラムを走らせる。割と長い事いじっていなかったらしく、ずらっと更新対象が表示された。

 更新している間に先ほど放り投げた学生鞄から筆記用具を取り出す。

 動画の構成を考える。

 作るのは十分の紹介動画だ。十分ぴったり。一秒も遅れず、はみ出しもしない。「十分と言っておきながら」というお約束があるが故にきっちり十分の動画は評価される傾向にある。

 ノートを横向きにして、真ん中に横一本の長い線を描く。これがタイムスケジュールだ。

 視聴者は常に見るのを止めるタイミングを探している。だから掴みが弱いとそれだけで見てもらえない。即ブラウザバックだ。

 だからインパクトの強い、かつ短い、彼女を知らなくても面白いシーンを最初に持ってくる。そのあとに初配信での自己紹介、それからその時のぐだぐだっぷりを四倍速で流してコメディタッチにまとめて……。

 スケジュールの横線をおよそ十秒単位で区切って、ざっくりと各シーンの占有時間を決めていく。ノート丸々一ページ使ってアイデアを書き込んでいく。


「よし」

 PCの更新を終えて、再起動。愛用の動画編集ソフトを導入する。その合間合間に書き連ねたノートはあっという間に埋まってしまった。そこでスマホにメッセージが届いていることに気が付いた。遠野からだ。

『アナリティクスってどうやって送ったらいいの?』

『データ出力できないか?』

『どこから?』

 世話が焼ける。俺はデータ出力の仕方をまとめたページのURLを貼り付けてやる。ついでに自分の動画投稿用のアカウントのアナリティクス画面の写真を撮って、送ってやった。

『分かった。ありがと』

 どういたしまして。

『これ水沢君のアカウント?』

『そうだけど』

『私も見るね』

 なんで……? と心で思ったままにメッセージを打つ。

『なんで……?』

『私だけ見られるのは不平等だから』

 まぁ見られて困るような物は、……ちょっとしかないからいいだろ別に。と思っているとメッセージが連投された。

『ウソ』『出力待ってる間ヒマだから』

 けらけらと笑っている顔文字のスタンプが合わせて送られてきた。冗談だったらしい。

 ……仕事の依頼の時と言い、こいつ距離の詰め方、一足飛びすぎないか?

『暇なら動画のイメージ書いたから見といてくれ』

 ノートの画像を撮ってから、メッセージとともに送信する。

『ちょ』『早くない?』

『たたき台だ』『ここからいじってく』

 それに。ここから先は俺の提案だ。

『一周年記念の導線にするなら、これだけじゃなくてもう一本長めの動画を作るべきだ。それを考えると意外と時間無いぞ』

 遠野からの返信が止まる。既読マークはついているので文章に悩んでいるのか。

『そんなことまで考えてたの?』

『そりゃまあ』

 チャンネルの初配信日が去年の七月だった時点で、一周年記念が念頭にあって俺を誘ったのだろうと推測していた。

 それからまたしばらく返信が止まってから、メッセージが来た。

『通話できる?』『PCで』『画面共有したくて』『絶対入れて欲しいシーンがあって』

 連投だ。恐ろしくフリック入力が早い。

『ちょい待ち』

 確かヘッドホンが、借りたパソコンバッグの中に一緒に入っていたはずだ。それをノートPCに接続する。

 遠野宛てに無料会議アプリのURLを送ると、すぐにコールが来た。

『めっちゃやる気じゃん!!』

「うるっさ……」

 音量を下げる。

『え? なんで? 実は元から私のファンだったとか?』

「ちげーよ」

 なんだその都合のいい妄想は。

「引き受けたからにはやるよ。良いPCも貸してもらったしな。そんなことより入れたいシーンってのは?」

『ああ、ちょっと前の深夜雑談でめっちゃ盛り上がったところなんだけど……。え、人と一緒に自分の配信見るのめっちゃイヤ。はじ

 なんなんだよ。そんでもってお前はいつも深夜雑談では一人で勝手に盛り上がってるだろ。

『後で水沢君の動画も一緒に見よ!』

「絶対ヤダ……」



5.最初の仕事の顛末

「十分で分かる遠野ハル」は昨日投稿された。

 コメントは概ね好評で、すでに高評価が千件を超えている。

 学校で見るな、と言われたがどの程度反響があるか気になって、ついスマホを開いてしまう。

 遠野もそれは同じようで、心ここにあらずというか、普段よりも彼女の口数が少ないことを察したのか、友人から体調の心配をされて誤魔化していた。

「お前も学校で動画見てんじゃねーか」

「だって気になるんだもん……」

 放課後残るようにというメッセージを確認し、図書室に向かう。入室時に教師に警戒の目で見られたが、受付のPCには近づかなかったので見逃された。

 生徒のいない図書室で、俺は遠野と対面になるように座り、小声で話しかけた。

 最初の動画作成に着手してからおよそ二週間。ほとんど毎夜の習慣となった打ち合わせ用の作業通話で会話は交わしてきたが、直接こうして面と向かって話し合うのは、最初の勧誘を受けて以来、二度目だ。

「ていうか水沢君だって見てたじゃん」

「気になるし……」

「へえ、意外。作った後は関係ないってタイプだと思った」

「そりゃ見せるために作ったんだから、気にするだろ……」

 それに自分のためだけに作ったわけじゃないしな。

「それで? 俺は遠野ハルのお眼鏡に適ったか?」

「うん! ホントにありがと! 過去の配信のアーカイブもじわじわ伸びてるし、水沢君のおかげ!」

「なら良かった」

「私ね、漠然となんかいい感じの紹介動画欲しいなぁ、くらいにしか考えてなかったんだけど、それが実際に形になって、ちょっと感動しちゃった。しかも一周年用には別の動画も作ってくれるんでしょ?」

「ああ、今回の動画の反響踏まえて、って感じだけど。またイメージとか載せたいシーンがあったら教えてくれ」

「いいねえ、やる気だねえ」

「ああ、良いPCも貰ったしな」

「あげてないからね!? 貸してるだけ!」

 慌てた様子で遠野が俺の言葉を訂正する。

 使ってないって言ってたじゃん……。

「それにしても一周年かぁ。何すればいいんだろう……?」

「ベタなところで、新衣装の発表、オリジナルソングの発表とかか?」

 新しい自分、これからの自分みたいなものをアピールするのが一般的だ。

「企業勢でも無いのに、そんなことポンポンできませんよぅ……」

 遠野が、不貞腐れるように机に上半身を横たえた。髪の毛が顔面にかかると、「邪魔っ」と呟いて姿勢を戻した。

「衣装なら、今のキャラ書いてもらったイラストレーターにでも頼めばいいんじゃないか?」

「いやぁ、お忙しいみたいで……」

 どうやら配信を始める最初の準備の段階で、そこそこ名の知れたイラストレーターに「遠野ハル」の外見を依頼したらしく、今回は都合がつかないようだ。

「それで動画か」

「そういうこと。それで発注しようと思ったところに」

「俺が落ちてたと」

「そうそう」

「なんで俺に?」

 ネットにならそうした仕事を受け付けている人間はいくらでもいるだろう。特に今はストリーミングは大流行中。需要も供給も山ほどある。クラスメイトに身バレのリスクを取ってでも依頼しなくたって、ネットの向こうの相手に発注する方が気も楽なはずだ。

「……実は声をかける前からちょっと狙ってました」

「……」

「あ、いや、違う! そういう意味じゃなくて、動画! 動画制作者としてね!」

 別にそんな誤解はしないが……。遠野は一人であたふたと顔を赤くして、ぶんぶん首を横に振っている。

「街のPVで賞を取ってたでしょ? それ、見たの」

「あぁ、アレか」

 受賞取り消しになったアレだ。正式名称は確か「あなたの街のPV賞」だった。

 賞と言っても県内開催だ。そんなに大々的なものじゃない。

 おまけに俺が取ったのは「高校生の部」だった。「成人の部」で大賞を取った作品に比べたら、恥じ入るような出来だった。

 だからもっともっと動画を作って練習をしたかったのだが……。

「ネットで頼むことも考えたよ? でもどんな感じになるか分からなくない? 技術もそうだし、イメージ伝えるためにお話しもするから、人柄も」

「少なくとも片方に関しては保証されている奴を選びたかった、と」

「もう片方、超不安だったけどね! 水沢君しょっちゅう職員室に呼び出されるし! クラスで不良だと思われてるから!」

 なにそれ、初めて知った……。確かにクラスに親しい相手はいないけども。

「でも水沢君に頼んで良かった。私は正解を選んだよ」

 まだ始まったばっかりだけどな。

 遠野がスマホを再び手に取り、「十分で分かる遠野ハル」を再生する。音量はミュートで眺めるだけ。

 最初のシーンは名乗りを挙げたゲーム内の敵キャラに対抗して、自分も名乗った直後に瞬殺されるところから。全編コメディタッチで仕上げてある。ライブ配信中には無かった字幕とSEは俺が追加した。視聴者とのやり取りの際は、投稿されたコメントを大きく画面上に表示して見やすさを意識した。

 遠野がふふっと笑った。遠野がアニメ語り中に長文キモオタ発言をやらかした時の視聴者の総ツッコミの際は強めのSEが入れてあるから、そこを思い出し笑いしたのだろう。今は聞こえなくても、覚えるくらい何度も見たということだ。

「やっぱり字幕ついてると印象結構変わるよね。テレビ番組みたい」

「確かにな。ああいうのも編集担当の人が入れてるんだろうな」

「水沢君も将来そういう人になるの?」

 遠野が動画を止めて、俺の目を見て、不意にそんなことを聞く。

「私はね、超有名な一流配信者になりたいのですよ」

「ふわっとしてんなぁ。チャンネル登録者数百万人とか、武道館貸し切ってバーチャルライブとかじゃないのか?」

「うわぁ。規模が大きいよぉ」

 具体的なイメージは無いけど、と遠野が続ける。

「出来れば一生やっていたいよねぇ。もし他の仕事に就いたりしても、ずっと……」

「それはまあ、分からんでもない」

 遠野がぺたっと両手の平で頬を押さえて、頬杖をついた。

「でしょ? だと思った。水沢君は私とおんなじでやりたいことをやっている人だから。だから聞いてみたくなったの」


 ――あなたの将来の夢はなんですか?


 茶化すような口調で、自分が先刻語った事の恥ずかしさを誤魔化すように、遠野は俺に問うた。

「特に、……決めてない。でも動画はいじりたいとは思う。さっき遠野が言ったみたいなテレビの仕事とか、CM制作を受注している会社だってあるだろうし……」

 自分で言葉にしていて、妙な気分になってきた。親にも教師にもこんな真面目に答えたことは無いと思う。

「うわ、なんかこれ、すげえ恥ずかしいな……」

「いやぁ、そんなこと無いってぇ」

「お前もさっき照れてたじゃねーか!」

「人の聞くのは純粋に良いなって思うけど、自分で口に出すのすごいハズいよね……」

 へへへ、とおどけて彼女は笑って見せた。

 それは分かる。俺も遠野の「ずっと続けたい」という願いをいと思った。

 俺は咳ばらいをして空気を切り替える。

「そんな先の事より今は目の前のことだ。一周年記念まであと一か月ちょっとしかない。俺との打ち合わせ以外にも、遠野には一周年記念以外の普段の配信もあるだろ。サボってせっかく今回の動画で獲得したリスナー減らすような真似するなよ」

「うわぁ、ヤなこと言わないでよお……!」

 ていうかそれだけじゃないし、ホントにスケジュールヤバいかもね、と遠野が呟く。他にまだ何かあるのか? と俺が首をかしげると。

「水沢君、期末テストのこと忘れてない?」

 そう言えばあったな、そんなものが……。



6.ネタ切れ・メイド・パンケーキ

「萌え萌え~、きゅん♡」

「きゃ~、可愛い~!」

 今、俺の目の前ではメイドの恰好をした少女が手でハートマークを作っている。それを遠野がキャーキャー言いながら囃し立てている。

 俺たちはメイド喫茶に来ていた。そして俺はもう帰りたかった。


『今度の休みに行きたい所があるんだけど付き合ってくれない?』

 遠野からそんな誘いを受けたのは、最早習慣となりつつある遠野の配信前の時間を使った打ち合わせの時だった。

「そんな暇あるのか?」

 スケジュールが厳しいことは遠野も自覚しているはずだ。一周年記念動画の骨子はまだ決まっておらず、テスト勉強に至っては未着手だ。

『それは分かってるんだけど~、配信のネタがもう無くてぇ……』

 なるほど。遠野ハルは一周年記念を前に配信の頻度を増やしている。紹介動画の影響もあってか配信を見に来る人も増えているらしい。それに伴い、雑談のネタが尽きたようだ。

『このままだと友達から聞いた彼氏との痴話喧嘩について話すしかない……』

 誰が聞いて喜ぶんだよ、その話。聞かされる方の身にもなってくれ。

「歌枠、はこの間やってたな。なんか長めのゲームでも始めれば?」

『う~ん、ゲームは雑談に比べてあんまり再生されてなくて……』

 遠野のゲームの腕前は普通である。ホントに普通。見ていてイライラするほど下手でもなければ、魅せるプレイが出来るほど上手いわけでもない。やりこんでいるゲームと言えば島で魚を釣ったり、農作物を作って、住民と交流するというスローライフ物だけだ。

 遠野自身も自らの強みはトークだと理解しているのだろう。

『リスナー減らすなって水沢君が言ったんだから、協力する義務があると思わない?』

「すでに動画で協力してるだろうが」

『そう言わずに~。ご飯奢るから!』

「……まあ、それなら」

『え? それでいいの?』

 チョロくない? 変な人について行ったりしちゃダメだよ? と遠野に妙な心配の仕方をされた。


 休日。

 約束した通り、駅前で待っていると遠野が現れた。

「お待たせ~」

 普段の制服姿とは違う。明るいブラウンのブラウス? みたいなトップスと、幅広のデニムのボトムス。足元はなんか白いサンダルみたいな形状の靴。……女物の服の名前はよく分からんから言い表しようがない。

 制服と違ってパンツルックが珍しいと思った。股下が高いから、身長に比べて脚が長いのが分かる。

「俺も今着いたところだ」

「ほぉほぉ」

 遠野があご下に手を当てて、俺をじろじろ眺めている。

「……なんだよ」

「水沢君って私服そういう感じなんだなって」

「……変か?」

 半袖のTシャツの上に、七分丈のYシャツを羽織ってきただけだ。ズボンは黒、なんか裾に向かって細くなっているらしく、足が細く見えるらしい。この服を買った時に同行していた後輩がそんなことを言っていたような気がする。

「そんなことないって。似合ってる、似合ってる」

 普通男が褒めるもんなんじゃないか、と思ったが、別に俺たちは付き合っているわけでもないし、この考えはいささか旧時代的だ。そもそも俺は今日飯奢って貰いに来ただけだし。でもまあ隣にいて恥ずかしい恰好ではないようで良かった。ありがとう茉莉まつり、と心の中で後輩に礼を言う。

「で、どこ行くんだ?」

 まあ、どこでも奢って貰えるというなら、否やは無い。

「メイド喫茶です!」

 ……早まったかもしれない。


「一度でいいから来てみたかったんだよねぇ」

 フリフリな衣装のメイドさんに案内されて、俺と遠野は席に着いた。初めてということでメイドさんが店のルールを色々と説明してくれたが正直ほとんど頭に入ってこなかった。通貨の単位が「円」ではなく、「にゃん」らしい。外国かここは?

「へえ、写真撮影禁止なんだって」

 遠野がメニューと一体になった店内でのルールを読み込んでいる。

 これだけ衣装や店のセットに力を入れているなら、写真を撮りたい客も多いだろうに。

 店員の服装はいっそ装飾過多とも言えるほどフリルに覆われている。スカートの裾、袖口、ボタンのついた前立て部分、服の端と言える部分にはこれでもかと盛られていた。

 服装だけではない。テーブルに敷かれたクロス、椅子の座面に置かれたクッション、あらゆるものがフリフリしている。その中で、店長の趣味なのか店奥の壁に掛けられたマスケット銃とサーベルの異質さが異世界感を醸し出す。

「なんで?」

「チェキが有料だからじゃない?」

 なるほど、オプションなのか……。

「撮りたかったのに~」

 まあ、珍しい恰好しているからって勝手に写真撮っちゃダメだよな。

「へえ、メイドさんにお触り禁止なんだって」

「……だろうな」

「触りたかったのに~」

 おい。

 てっきり話のネタにするべくメイドたちを観察しているものかと思ったら、ただただ不純な動機だった。

「初めて来たのか?」

「うん。一人で来る勇気はなかったなぁ」

「学校の奴らとかとは?」

「いや誘えないでしょ。私がガチめのオタクってことも、配信してるってことも知らないし」

「じゃあ普段なに話してんだよ……」

「まあ流行ってる漫画とかだったら話合わせられるし」

 クラスでのニコニコしている雰囲気の裏で意外と孤独らしい。確かに配信のスラングマシマシ解釈トークを現実で、それも目の前でやられたら、結構キツイかもしれない。

「俺は良いのか?」

「水沢君は私の正体知ってるでしょ?」

 知ってるっていうか、ほとんどお前が押し付けてきたようなものだ。

「別に隠してるつもりじゃないけど、みんなそこまでライブ配信に詳しいわけじゃないから『へえ~』で終わっちゃいそうというか。急にカミングアウトされても、そもそもそれについて知らなかったら反応の仕様がないでしょ?」

「まあな」

「それ言うと水沢君には最初からほとんど説明してない気がする。いきなりパソコンの性能聞かれたし」

「ネットに触れてる期間が長いからじゃないか?」

 俺がそう言うと、テーブルに乗り出すように遠野が聞いた。

「ねえ、初めてパソコン触ったのいつ?」

「小学生のとき、父親が買ってきた。飽きて放置してたのを使ってネットサーフィンしてて……」

「自分でも動画を作ってみようと思った?」

「ああ」

 遠野が微笑んだ。懐かしむような笑い方。きっと自分のルーツと同じものを俺の話の中に見出したのだろう。

「私もそのくらい。と言っても昔はテレビと違ってずっとアニメが見れる箱としか思ってなかったけど」

 大きくなるにつれて、自分が見ている「これ」を作っている人たちがいる、ということを知った。

「最初は声優さんになりたいと思ったの」

「……今は違う?」

「うん。私はアニメを作る人になりたいんじゃなくて、アニメのキャラになりたいんだって気付いちゃったから」

 だから、自分だけのキャラクターを作って、そのキャラクターとほとんどイコールに近い強度で結びつくバーチャル配信という手段を選んだ。

 遠野ハルはネット上で活動するキャラクターというだけでなく、遠野遥香のアバターであり、仮面ペルソナなのだ。


 遠野はすっかりメイド喫茶を満喫していた。

 メイドさんに積極的に話しかけ、すっかり仲良くなって、オプションのチェキを一緒に撮って、サインまで書いてもらっている。

 それを傍目に見ながら、俺は奢ってもらった九百にゃんのケチャップで猫が描かれたオムライスを食べている。

「彼女さんなんですか?」

 ノリノリで楽しんでいる遠野と数人のメイドから離れた位置にいた別の髪の長いメイドが耳打ちするように俺に話しかけてくる。好奇心だろうか。

「いや。そういうのではなくて……」

 俺と遠野の関係は何なのだろう。あいつが先ほどクラスメイトには話せないと言ったことを俺は知っている。もう一人のあいつを。

 でもそれは遠野ハルの視聴者みんなが知っているものだ。

 視聴者が知らない遠野ハルの素顔を俺は知っている。

 でもそれは遠野遥香が自分の視聴者たちには見せる必要が無いと、もしかしたら見せたくないとすら思っているかもしれない一面だ。

 俺は彼女の隠し事を知っている。その関係を何と呼ぶかと言われたら……。

「協力関係というか、共犯関係というか……」

「え? ご結婚されてるんですか?」

 してねーよ。なんなのこのメイド。結婚観が怖いよ……。


 メイド喫茶を堪能した遠野はすっかりご機嫌のまま、店を出た。色々オプションをつけていたせいでお会計が結構なことになっていた。

 いつの間にやら、次来る約束も取り付けていたし。

 レジの金額を横目で見ると「ヒエッ」と思わず声が出た。奢ってもらいに来たはずなのに遠野に自分の分は出そうかと提案したくらいだ。断られたが。

 俺はもう解散のつもりでいたのだが、遠野はまだ一件行きたいところがあるらしい。

 連れていかれたのはガラス張りのおしゃれなカフェだった。外からレジも客の顔も丸見えである。これじゃテラス席も店内席も変わんなくない?

「ここのパンケーキがめっちゃ美味しいんだって!」

 いや、ここに関してはクラスメイトと来れるだろ。そもそも俺はさっきオムライス食べたばっかりなんですけど……。

「打ち合わせと言えばカフェでしょ!」

 型から入るタイプ?

 先ほどのメイド喫茶が雑談配信用のネタ集めだとするなら、ここからは一周年記念動画の打ち合わせということらしい。

 遠野は複数のベリーと生クリームが載った分厚いパンケーキを、俺はクラシックな平べったい蜂蜜のかかったものを注文した。

「おお、美味い」

 ナイフを入れると、サクッと小気味よい感触が伝わる。溶けたバターと蜂蜜を絡めて、口に運ぶと香ばしさがいっぱいに広がった。

「なんかさっきのオムライスと反応違くない?」

「そんなことないって……」

 遠野は色んな角度から写真を撮っている。SNSにでも上げるつもりなのだろうか。俺は自分の皿が映り込まないようにちょっと手前に寄せた。誰かと一緒に来ていると「匂わせ」とか言って怒られるのだ。キラキラしている方のネット文化には詳しくないが、その程度の知識はある。

「普通に本名でやってる方のSNSに上げるだけだから、そんなに気にしなくても大丈夫だよ?」

「もっと問題なんですけど?」

 満足いく映え写真が撮れたのか、ようやく遠野はナイフとフォークを手に取った。

「あ、ほんとに美味しいね?」

 一口食べると、俺の方に皿を寄せてくる。

「水沢君も一口食べる?」

「良いのか?」

「どうぞどうぞ」

 お言葉に甘えて、一欠けもらうことにした。ラズベリーの酸味、生クリームが交わりあって、俺の選んだものとはかなり味わいと舌触りが違う。生クリームもミルクの味がかなり強い。美味しい。

「……俺のも食べるか?」

 もらったからには返した方が良いのかと思って、そう持ち掛けたが。

「ううん、私は大丈夫。……もう一口食べる?」

「……お前、もしかして」

 そういえばこいつもメイドに勧められるままオムライスを食べていたような……。俺の言わんとすることに気付いたのか遠野がスッと目をそらす。

「そんなことないって……」

「なんも言ってないけど」

「いや、視線が『お腹いっぱいなのに注文してんじゃねー』って言ってたから!」

 結局遠野の分は半分近く俺が食べることになった。その後は二人して満腹で苦しみ、打ち合わせどころではなかった……。


 その日の夜更け。

 遠野ハルは配信で生まれて初めて行ったメイド喫茶について大興奮で話していた。

『写真勝手に撮っちゃダメなんだって~』

『あー確かに』『チェキ有料だもんね』

『そうそう。チェキがあるからね。あとお触りも禁止なんだって~。……触りたかったのに』

『ヤバ』『捕まれ』『出禁になるぞ』『キモ発言は二次元だけにしとけ』

 お、盛り上がっているな。いいぞ、動画のネタが増えてくれるのは大歓迎だ。

『その後、パンケーキ食べに行ったの。ともちゃんへの動画のお礼のつもりだったのに完全に私だけ楽しんでたから』

 ちなみに俺のことは配信内で絶対に言及するなと念押ししてあるので、話題に出すときは友達の「ともちゃん」という役割を与えられている。

『でもオムライス食べてお腹いっぱいだったから私が頼んだ分、半分くらいともちゃんが食べてくれてさ~』

『ともちゃん優しい……』『お母さんかな?』『ともちゃんに推し変します』『ともちゃんペロペロ』

『こら~! ともちゃんをペロペロすんな、私をペロペロしろ! いや、やっぱヤダ。その辺の壁をペロペロしろ!』

『壁ペロはもう妖怪なのよ』『女王様だ~』『壁舐めさせる女王は暗愚だろ』

 ……大した肝の座り方だと思う。

 別に全部が全部嘘じゃない。クラスメイトとメイド喫茶に行った後、パンケーキを食べたことは本当だ。

 最近配信でたまに話題に上がるようになった、PCが壊れて困っていた動画制作が出来る新たな友人の存在も嘘みたいだけど本当。

 嘘はその友人の性別だけ。

 アナリティクスは視聴者側が自身の性別を設定していれば、その動画の再生した人間の男女比も分かるようになっている。

 遠野ハルの視聴者の主要層は若い男性だ。もっともこれは彼女に限らず、バーチャルライバー全体の傾向とも言える。

 見る人間ごとに作品の解釈が異なるように、視聴者ごとに配信者の解釈は異なる。

 遠野ハルにトークの面白さ、ラジオ番組性、芸人・タレント性、あるいはネットの向こうの一人の友人を求める視聴者にとっては「ともちゃん」が男だろうが女だろうが大した問題ではない。

 だけど遠野ハルにアイドル、女優、言ってしまえば処女性を求める視聴者にとっては、男子と二人きりで出かけることはおろか話すことさえ裏切りなのだ。たとえそれが仕事でも。

 だから、この嘘が是か非かは見る人間の価値観次第だろう。

「ともちゃん」の正体を知っている、どころかその正体そのものである俺にとっては、是非以前に遠野が口を滑らせないかで気が気じゃないが。

 聞いているだけで冷や冷やしている俺には配信業は無理だなと独りちる。

 ていうか遠野も含めてこいつら、その「ともちゃん」が動画を作るために配信を見ているってこと忘れてないか?



7.花巻飯店にて

 うーん、と口からうめき声ともため息ともつかぬ音が出た。寝床に身を投げて腕を伸ばす。指先に先ほど放り投げたノートとペンが当たる。ノートには「これまでの活動」、「これからの活動」と大きく中心に書かれている。「これまでの活動」からたくさんの線が伸びている。「深夜雑談」、「ゲーム実況」、「歌枠」などなど。これまで遠野ハルがやってきた活動だ。

「深夜雑談」からはさらに線が伸びて、「最新アニメ語り」、「懐かしアニメ語り」、「アニメ語り(ネットミーム使ったら即配信終了)」など。こいついっつもアニメの話してんな……。

 だが「これからの活動」から線が伸びていない。

 一周年記念の動画はこれまでの活動を振り返りつつ、いわゆる来年の抱負を掲げるものにしたいというのが遠野の注文だった。だが肝心のあいつの掲げる抱負ときたら、

「えー? 配信の頻度上げるとか?」

「それって現実的に可能なのか?」

「いやぁ、どうなんでしょう……?」

 といった体たらくである。

 遠野は部活には所属していないが、クラスメイトとたびたび付き合いで遊びに行ったりしている。そもそも学校に行っている間は配信が出来るわけはないので、彼女の主な活動は深夜になるわけだが。

 二十三時や二十四時から始めて、毎回一時間から二時間のトーク。それ以外にも動画のサムネイルを作ったり、配信するのに許可が必要なものはその権利関係の確認などもあるらしい。いつ寝てんだあいつ。

「単発動画を増やします、とか?」

「……それ作るのって」

 ビッと遠野が俺を両手の人差し指で指さしたのを思い出す。へし折った方がよかっただろうか。

 つまりこの状況は、

「オチが決まらねえ……」

「十分で分かる遠野ハル」は、これまでの配信から面白シーンを抜き出して、まとめ、見やすく加工した見どころ集(ハイライト)だ。手間はあったが、アナリティクスという明確な指標がある以上、悩みは再生順序くらいのものだった。

 だが、今回のケースは少し毛色が違う。最後に視聴者に伝えるメッセージがある。「これまで応援ありがとう、これからもよろしくね!」と。

 これまで、は示せる。これから、どうしたいのかを俺は知らない。遠野遥香がどうしたいのかを聞き出さずに、俺が勝手には決められない。遠野には考えておいてくれと伝えて別れたが……。

「あの調子じゃ難しいかもなぁ」

 時計を見ると二十一時を回っていた。

「……腹減ったなぁ」

 そういえば学校から帰ってきてから何も口にしていない。

 むくりと体を起こすと、スマホと財布だけズボンのポケットに突っ込んで、家を出て、鍵をかけた。

 流石にもう外は暗かったが、随分と暖かい。夏が近づいてきていることを実感する。それはすなわちテストが近づいてきているということであり、もっと言うと締め切りが近づいてきているということなのだが……。

 まあテストの事はテスト解答中に考えればいい。締め切りは……うーん。

「あ~、止め止め……」

 ぷるぷると首を振って無益な考えを頭から追い払う。

 住宅街の街路灯に沿って、夜の街を歩く。横断歩道の赤信号で歩みを止めたが、車は一台も通らなかった。

 横断歩道を渡って、公園の紫陽花の花壇を横目に通り過ぎ、まだ明かりのついている古びた店舗に足を踏み入れた。「花巻飯店」と看板が吊るされている。

 店に入った瞬間、強烈な油の匂いがした。

「おう、らっしゃい」

「ども、オヤジさん」

 白髪頭を短く刈り上げた五十代の店主が声をかけてくる。俺は厨房がのぞき込めるカウンター席に腰掛ける。他に客はいなかった。

 最近は随分繁盛しているらしいが、こんな店じまい直前の夜には滅多に人はいない。

「オメー、またこんな遅くに来やがって、ったく……」

「炒飯ひとつね」

 俺はいつも通り一年無料になっている炒飯を注文する。

「あいよ」

 ぶつくさ言いながらも、花巻のオヤジさんが調理を開始するべく、腰を上げる。

「あ、あと餃子も」

「珍しい。普段タダ飯しか頼まねーのに。雨でも降るんじゃねーか?」

 仮に降ったとしてもそれは六月だからであって、俺のせいじゃねーよ。

「最近はどうなんだ?」

「ん、まあぼちぼち」

「ぼちぼちで餃子追加しねーだろ、お前は」

 餃子で判断すんな。

「PC借りられる当てが出来た。またこの店の動画も作れるよ」

「……変な奴らから借りてんじゃねえだろうな?」

「違うって。クラスメイト。動画制作手伝ったら貸してくれるって条件」

「へえ。……餃子はちょっと時間かかるぞ」

「うん」

 そう言うと、もうオヤジさんは黙ってしまって、代わりに色んな音が聞こえてくる。油の跳ねる音、包丁の音、中華鍋とお玉のぶつかる音、水が一気に蒸発する「ジュッ」という音。

 音がい。かつてこの店のPRになればと思って作った動画にそうコメントが付いたことがある。俺もそう思う。

 その中にとたとたと店奥の勝手口を駆けてくる音が混じった。

「お父さぁん。お店の氷貰ってもいい? 家の方の冷蔵庫の空になっちゃ、うわぁっ、景先輩、なんでいるんですか!?」

「よぉ茉莉」

 俺はピンク色のパジャマを身にまとった花巻飯店の看板娘に軽く手を挙げて挨拶する。

「来るときは連絡してくださいって言ってるじゃないですかぁ。って、わぁっ、私今パジャマだし!? あんまりこっち見ないでください!」

「いやぁ、受験勉強の邪魔すんのも悪いかなと思って」

「勉強なんかしてませんよ!」

「それはしろ。へい炒飯、お待ち」

 カウンター越しに、娘に呆れた様子のオヤジさんから、炒飯を受け取る。

 湯気が立っている。レンゲを突き立てると、パラパラと黄金の山が形を崩す。米一粒一粒が油をまとい、てらてらと輝いている。米と卵とネギと小さく切った焼き豚のシンプルな炒飯を一掬い。息を何度か吹きかけて、レンゲに掬った分を丸々口に含む。舌の上で油が融け、何度味わってもなお飽きない旨味が口の中に広がる。

 匙を止めずに何度か口に運び、水を飲む。空になったコップに水を注ごうとして、茉莉に横からコップを取られた。

 水差しからおかわりを注ぐと俺に手渡してくれる。そのまま俺の横のカウンター席に腰掛けた。

「ありがと」

「なんか私もお腹空いてきちゃいました」

「ちょっと食べるか?」

「食べません。こんな時間に食べたら太ります。先輩も炒飯だけじゃなくて、たまには野菜とかも食べたほうが良いですよ」

「今日は餃子も頼んだ」

「めっずらしい。何か良いことでもあったんですか?」

「PC借りられることになった」

「えっ!? 大丈夫ですか? 借金とかしてないですよね!?」

「なあ、親子で似たような反応すんの止めてくんねーか?」

 カウンターの向こうでオヤジさんが笑っている。

「これでまた動画作れるぞ」

「良かった。またお客さん増えたらお父さんが炒飯無料延長してくれるかもですよ。そうなったら先輩の飢え死にもちょっと遠のきますね」

「最悪うちでバイトすればまかないは出してやるよ。ほら餃子」

「いや、バイト禁止なんだって……」

 すっかり炒飯が空になったところに餃子が出てきた。横長の真っ白な皿に餃子が五つ乗っている。こんがりと焼き目のついた羽に箸を突き立てると、ぱりぱりと音と立てて、四つと一つになった。小皿に醤油と酢とラー油を垂らして、餃子にたっぷりとつける。噛みつくと肉汁が口の中に噴き出した。

「あっつい」

 あごにまで飛んだ肉汁をおしぼりで拭き取る。もちもちした皮に包まれた肉とニラとにんにくを噛むほどに染み出して、まるで肉汁を飲んでいるみたいだ。

 一つ食べると止まらず、あっという間に五つ全部食べてしまった。腹が膨れた。

 空いた皿をカウンターに上げて、オヤジさんに返す。

「ご馳走様でした」

 もう一度お冷をおかわりして一息つく。そして思いついたことを聞いてみる。

「茉莉は将来なりたいものとかあんの?」

「なんですか? 急に」

「PC貸してくれたクラスメイトに聞かれたんだよ。『あなたの将来の夢はなんですか?』って」

「変わった人……。それで、なんて答えたんですか?」

「まあ、動画作れるような仕事。テレビ関係とかCM会社とかかなって」

「へえ、いいんじゃないですか? 先輩好きですもんね、そういうの」

 茉莉は少し悩んだように髪をいじりながら、答えた。

「私は、特に、は決めてないですけど」

「昔はコックって言ってたけどな」

「それ、幼稚園の時とかでしょ!」

 オヤジさんが入れた茶々に茉莉が頬を膨らませる。

「オヤジさんは?」

「あ?」

「だからオヤジさんの将来の夢はなに?」

 俺の問いに面食らった後、くすくすと笑いだした。

「景、お前イヤなこと聞くなあ」

「なにが」

「五十路のジジイにそんなもんねーよ。いや、俺ほどジジイじゃなくても、大人の多くはな、もう将来の夢を聞かれないってことに安心してるんだ」

「別にいくつだろうがよくない?」

「そう思えるのはお前が若いからだよ」

「強いて言うなら、でいいから」

「そうだなぁ。新メニューの考案とかか? あとは、ふっ、……娘の花嫁姿を見るとかな」

「なっ!?」

「あるんじゃん」

 茉莉が俺の横で顔を真っ赤にして立ち上がる。

「セクハラ!」

「いや別にセクハラではねーだろ……」

 茉莉は不満げなまま氷だけになった水差しを持つと、「もう戻る」と裏口に向かった。流石に親の前では話しづらい話題だったかもしれない。俺だって自分の父親の前で「将来の夢」について語れ、と言われたら躊躇うだろう。

「おやすみ」

「はい、先輩もおやすみなさい」

 茉莉の背中を見送ってから、俺も立ち上がる。

「お前ももう帰れ。店じまいだ」

「うん。ご馳走様でした」

「……まだ終わってない仕事があるって感じか?」

「分かる?」

「こんな仕事やってると、仕事の終わった奴の顔ってのは一発で分かるからな。まああんま無理すんなよ」

 流石。

「あと餃子代は置いてけ」

 あぶねえ。忘れてた。



8.遠野の愚痴

 遠野のチャンネルの更新が無い。

 これまでは最低でも三日に一度は配信をおこなっていたのだが、すでに前回の配信から四日が経過していた。

 学校では見かけるので体調不良ではないのだろうが、様子がおかしい。

 普段は秒速で返ってくる連絡が妙に遅い。学校でもどこか上の空に見える。

 前回の配信で何かやらかしたわけではなかったと思うが……。

 俺はついこの間インストールしたSNSアプリで、遠野の配信告知用のアカウントを確認する。SNSで積極的に個人情報を発信している奴は詐欺師だけという持論があるので、始める気はなかったのだが、SNS上での視聴者とのやり取りも切り抜いて、動画の素材にすることが出来るため、わざわざ導入したのである。

 SNS上でも特に投稿はしていない。「遠野ハル」でエゴサーチをしても(俺は本人じゃないから厳密にはエゴサじゃないが)、特に否定的な意見も見当たらない。炎上したわけでもなければ、アンチコメントに落ち込んでいるというわけでも無さそうだ。

 別に理由が無くても、遠野が疲れているなら、もちろん休んでいい。

 だが、配信に限らず、現代日本において娯楽は飽和している。代わりの「推し」がネット上を探せばいくらでもいる状態で、投稿の間隔を開けるのは、それだけでファンの減少には十分な理由になる。

 と、そこまで考えてから、……キモ、と自分で自分を罵倒した。

(後方プロデューサー面杞憂オタク。ああ、キモい。動画一本作ったくらいで、お前は遠野のなにでも無いだろ)

 俺はこれから作る動画ができればたくさんの人間に見てもらえればいいなと思っているだけだ。

 だから遠野には視聴者を出来るだけいっぱい獲得しておいてほしい、それだけだ。

 だから、だから、あいつの活動に支障が出ると俺が困るのだ。

 上手い事やってあのPCも貰いたいしな!

 俺はあいつのなにでも無いのだから、俺のためだけに身勝手に行動する。

 スマホを取り出した。通話ボタンを押そうとして、躊躇って指が止まる。女子に電話かけるのってなんでこんな緊張すんの?

(迷うな。仕事の話をするだけ、それだけだ)

 ボタンを押した。

 数コールして、もう聞き慣れた遠野の声がした。

『水沢君?』

「……よぉ。ちょっと今いいか?」

『なに? 電話なんて珍しいね?』

 普段だったらPCの作業通話で済ませるところだが、思い立ったのが学校からの帰り道だったのだ。

「お前、なんか悩んでない?」

『……分かる?』

「まぁな。配信してないし」

『ちょっとね、配信で口に出しちゃいそうで、どうしようかなって』

「言ったらマズいことか?」

『うん。言うべきじゃないこと、だと思う』

「……俺が代わりに聞けば言わずに済んだりするか?」

『う~ん、……でも、こんなこと聞かせるのも』

「今更遠慮しなくていい。俺たちは――」

 友達? 協力者? どう呼べば適切なのか知らないまま、俺は話す。

「雇用主と従業員なわけだし」

『なぁにそれ?』

「だから、平社員には社長の長い話を聞く義務があるだろ」

 偏見だよそれ、と遠野が電話口で笑っている。ひとしきり笑ってから小さく『じゃあ、愚痴ってもいい?』と聞かれたから、俺は「あぁ」と返した。


 遠野の愚痴はまとめるとこうだ。

 以前語った事でもあるが、遠野は俺と契約するより前に、「遠野ハル」の外見を発注したのと同じイラストレーターに一周年記念に新衣装を用意してもらおうと依頼を持ち掛けていた。しかし、多忙につき、依頼は断られてしまった。

 のだが、同じイラストレーターが外見を担当している他のバーチャルライバーが、ついこの間、新衣装を発表したらしい。

 遠野としてはそれに思うところがあった。

『分かってるの。私が依頼したのが後だったんだろうなって。で、守秘義務があるから他の子の新衣装の仕事を受けているから、忙しくて今は受けられませんなんて、私に言えるわけないってことも。だから理屈では納得しているんだけど! 感情の方で納得できてなくて……。その子が企業勢だから、優先されたのかな、とかイヤなこと考えちゃって……』

「それは配信では言えないな」

『でしょ?』

 遠野の判断は正しい。下手にそんなことを口にしたら、炎上していた可能性もある。遠野の視聴者の中にはそのイラストレーターのファンだから、という理由で配信を見始めた者もいるかもしれない。もう一人の方の配信者を合わせて見ているという者もいるかもしれない。彼らにとってはそんな、いわゆる「お気持ち表明」は聞いていて愉快なものではないだろう。

 ネガティブな意見を言うことが「芸風」の配信者もいるにはいるが、遠野ハルはそうではない。

『でも私、あんまり嘘つけないからさ、ついうっかり配信中に言っちゃいそうで、それが怖くてちょっとお休みしてたの』

「……」

 嘘つけない、は嘘じゃないか? と思ったが、俺には余計なことは言わないだけの知性がある。


「つまり、……ネタ切れなんだな?」

『話聞いてた?』

 遠野の声がちょっと怒っている。が、俺は別にふざけているわけじゃない。

「聞いてたよ。配信で話せないネガティブな話題しかないから困ってるってことだろ」

『そうじゃ、……いや、そうなのかな?』

「そうだろ。だって他に話せる楽しい話題があったら、悩んでないだろ。休んでないだろ。配信以外のことで悩むなんてバカバカしいって切り替えられてるだろ。遠野は今、雑談のネタが切れただけだよ」

『……そっか。なんかめっちゃ病んでるつもりでいたけど、そう言われるとそう、かも?』

「どっか行きたいところ無いのか? 前のメイド喫茶みたいに」

『う~ん……』

「ならあんまり喋らなくても大丈夫な枠とか。楽器の練習とか絵を描くとか、料理とか」

 遠野と知り合ってから調べた彼女と同業の配信者たちがよくおこなっている種類の配信を挙げるが。

『全部できないよ~』

 俺も全部できない……。

 無責任な発言を若干後悔しつつ、遠野とともにうんうん唸る。すると、彼女のわずかな笑い声が聞こえた。

『どうして水沢君が悩んでるの?』

 その言葉にハッとした。また分を超えた考えを抱いていた。

「そう、だな。遠野の配信なんだから、遠野の思うようにやるべきだ。俺の意見は無視していい。さっきの話だって言い回しさえ気を付ければ別に話したっていいと思うし……」

『違うよ、責めるわけじゃなくて』

 わたわたと電話の向こうで、遠野が慌てているのが分かった。

『……今までこういう話だれかに相談したことなかったから』

「聞いてるだけだけどな」

『それでも』

「そうか」

『逆にさ、水沢君が動画としてまとめやすいのってどんな配信?』

「あ? そうだな……。ひとつの配信の中で完結していて、オチが明確な奴かな。ぶっちゃけると長編のゲーム実況を十数回のパートで、とかやられると確認するだけでも結構……、いや、すまん、好きにやってくれていいんだけど」

『いやいや、そういうの聞きたいんだって! 動画編集やってる人すら追うの大変なレベルってリスナー側からしたら半分義務みたいになってるってことでしょ?』

「そうか……。そう言うと、全然ジャンル違いで悪いんだけど、俺が中学時代に作った炒飯作る動画はめちゃくちゃまとめやすかったな」

 オチは器に盛られた黄金色の丸山をレンゲで崩して、湯気が沸き上がるシーンと決めていた。

 オヤジさんの手元を茉莉のスマホも使って、複数視点から録画しておき、それを編集したのだ。

 時間軸が料理の手順そのままだから、悩みどころがどの角度のカメラを採用するか、という点しかなかったのが、まとめやすかった理由だ。

 ちょっと待ってくれ、と伝えて、過去に作成した「花巻飯店」チャンネルのURLをメッセージアプリで送信した。

「これ、近所の中華料理屋が赤字で潰れかけてた時に、俺が作ったPR動画なんだけど」

『へえ~、美味しそ、……はあ!?』

「うるっさ……」

 遠野の叫び声に思わず顔をしかめて、スマホを耳から離す。配信の時の声量を耳元で放つのは止めてくれ。

『なにこれ!? 五十万回再生!?』

「あぁ、なんか結構見られてるっぽいな」

『結構、じゃないでしょ! 私の動画で一番再生されているのでも一万とかなんですけど!』

「いや、そっちよりネギ切ってるだけの動画の方が再生されてる」

『五十三万再生……』

 素人がスマホで撮っただけなので、画質も音質も酷いものだが、被写体の手際の良さだけで作品として完成されているということだ。

 ちなみにオヤジさんが私物のハンディカムも貸してくれたのだが、物が古すぎてスマホの方が画質が良かったというマジで誰も幸せにならなかった裏話がある。

『私は機材に結構お小遣いつぎ込んでるのに、……ネギに負けた』

 遠野の声が今度は極端に小さくなってきた。かなりショックを受けているらしい。

『ていうか、これも水沢君が作ったって言うなら、つまりそざいが悪いってことじゃ……』

「いや、グルメ系は見ている人の母数が違うから……」

『雑談配信はオワコンですか、そうですか』

 ちげーよ、閉じコンだっつってんだよ。もっと機嫌悪くしそうだから言わないけど!

 グルメ系やペット系の動画は老若男女問わず人気のジャンルだが、バーチャル配信は一部のコア層向けだ。広く浅くか、狭く深くかの違いでしかない。事実花巻飯店の動画は、遠野のチャンネルと違って投げ銭機能が使われることはほとんどない。

『じゃあもう雑談とかしないで、ネギ切ってた方がいいんですかね? アハハ!』

「すねんなよ……」

 遠野が壊れちゃったみたいな乾いた笑い方をしていて怖い。

 その瞬間、遠野がハッと息を飲んだ。

『……この話、配信でしてもいい?』

「……具体的な店名出さないならどうぞ」

 病んだり持ち直したり忙しい奴だな……。まあ、ネタを提供出来たなら良かった、のか?



9.夢と現実

『裏切りだよぉ、浮気だよぉ……』

 一度愚痴を許したら、何度でも言ってくるじゃん。

 動画編集作業の手を止めて、あの電話から、もう何度目か分からない遠野の『病んだ……』を、俺は聞いていた。

 今回の内容は、配信にコメントしてくれた人のSNSのアカウントを探し当てたら、その人が最も熱心に応援しているのが、別の配信者だった、というものだ。

 いや、本命が他にいるんだったら、お前が浮気相手じゃん。そもそもリスナーをネットストーキングして特定するのを止めろ。

「リアルタイムで見に来てくれて、コメントまでしてくれてるんだから十分だろ」

『でもぉ……』

「じゃあ今後もっと配信続けて、最推しの座を奪い取るんだな」

『いやそれはそれでかどが立ちそうっていうか』

「……コラボとかする予定でもあんの?」

 それなら確かに気まずい。向こうの配信者もそのリスナーを認知している可能性がある。

『ないけど。ほら将来的にあるかもじゃん』

「たぶんそのころにはそいつの推しは、また違う奴になってんじゃねーかな……」

 かつてオタクは三か月にいっぺん「嫁」が変わっていた。言葉こそ「推し」に変わったが、その浮気性な気質は変わっていないどころか加速しているので、現代では推し変には三日もあれば充分である。

『ねえ~、最近返事が雑になってる気がするんですけど~。前はもうちょっと真剣に聞いてくれてた気がする~』

「うるせーな。毎日ヘラってる方に問題があるだろ」

『だって配信で言えないし……』

「言えばいいじゃねーか。重い方が喜ぶんじゃねーの」

『ほら~、適当じゃん。ていうかヘラってないし、重くもないし……』

 配信で言えない愚痴を言ってもいいとは言ったが、まさか五日連続でこぼされるとは思わなかった。これまで相談相手のいない環境で活動を進めてきて、溜まっていた分が全部俺に向けて吐き出されているらしい。

 その程度の愚痴で終わればよかったのだが。

「俺はそろそろ作業に戻るぞ」

『あー、……うん』

 俺が通話を切ろうとしたタイミングで遠野から漏れた歯切れの悪い相槌が気になった。いつもみたいに「待って待って」とか言われていたら、間違いなくそのまま通話を終えていただろう。

「……まだなんかあんのか?」

『いや~、これは本当にどうしようもないっていうか』

「なんだよ、言えよ」

 躊躇った後に、遠野はぼそりと小声で、不安げに呟いた。

『水沢君、私、配信続けられないかも……』

 彼女のそんな声を聞いたのは初めてだった。


「……なにかあったのか?」

 相変わらずSNSと生配信のチェックは行っているが、遠野自身が気を付けていることもあって、不適切な発言での炎上などは起きていない。メンタル面でも、多少の愚痴程度で大きく負担がかかっているようには見えなかったが。

『えっとね、何から説明すればいいのかな……。お父さんの会社がね、倒産することになったの』

「……えっと、オヤジギャグ的な意味でなく?」

『的な意味でなく。私的整理とか言ってたかな? 詳しくは分かんないけど』

「そもそも遠野、社長令嬢だったのか?」

『えへへ、実はね……。やらしい感じするからあんまり言い触らさないようにしてるの』

「……道理で」

『え? なに? 社長令嬢感出ちゃってたかな? 隠し切れてないオーラ出てた?』

「道理であんなバカみたいな金の使い方すると思った……」

『ねえ、私、今傷ついたからね?』

 もう、真面目な話しようとしてるんだから、茶化さないで、と遠野に叱られた。

『最近さ、色々あったじゃない。感染症、とか戦争、とか。うちのお父さんの会社は海外の食べ物とか取り扱ってたらしいんだけど、その影響で結構ダメージ受けちゃったみたいで……。正直回復の見通しが立ってないんだって。で、経営が立ち行かなくなって、社員全員路頭に迷う前に、って判断したみたい。これからちょっとずつ事業を縮小していくんだって』

「それで、……遠野はどうなんの。学校とか、転校するとか……?」

『ううん。その辺は大丈夫。倒産って言っても借金まみれで明日にも夜逃げって感じじゃないみたい。学校は今まで通り。転校はしないよ』

「引っ越しとか? それで配信環境に影響があるとか?」

『家も変わらないよ?』

「……なら、何が変わるんだ?」

『お小遣い』

「は?」

『お小遣いが無くなってしまうことに決まりました……』

 あまりピンと来ずに俺は聞き返す。

「いや、それが、問題なのか?」

『大問題だよ。だって私、PCとかマイクとか全部お小遣いから出してたんだもん。それだけじゃなくて、バーチャルの外見の依頼料とか。あ、水沢君に今貸してるノートもそう』

「配信の収益で捻出してたんじゃないのか?」

『いやいやいや。そんなの超絶有名配信者じゃなきゃ無理だって。上位0.00何パーセントとかでしょ』

 配信活動だけで見ると大赤字です、と遠野は冗談めかして言った。

『だから将来的に頼もうと思ってた新衣装の依頼とか、ちょっと厳しくなっちゃった……』

『それに今後、もしPCが壊れたら、新調するのも難しいかな、って』

『だから、』


 ――一周年で辞める選択肢もあるのかな、って。


「……マジで言ってんの?」

 しばらく呆けていたと思う。

「だって、お前ずっと続けたいって言ってたじゃねーか」

『続けたいよ。続けたいけどさ』

「なら――」

『今すぐは問題ないかもだけど。そのうち絶対どこかでもうちょっとお金あればなって時が来ちゃうと思う』

「……ならその時は配信でその話をすればいい。クラファンみたいな感じで。応援してくれる人もいるだろ」

『それはイヤ。配信の目的をお金を稼ぐことにしたくないの。これは本当に好きなことだから』

「でも続けられなくなるぐらいなら――」

『水沢君は将来動画を作れる職業に就きたいって前に言ってたよね……? 本当に頑張れる? 自分が別に興味を持てないものをPRするための動画を作ることとか、自分が一生懸命作った動画が何分いくらで流れることになるとか、そういうの聞いても』

「……それは」

 俺には答えられなかった。それを否定するなら、俺が遠野に語った夢をただの幻にしてしまう。頷くのなら、それは遠野に俺とお前は違うと言い放つのと何も変わらない。

『分かったの。私、夢みたいなこと言ってたんだな、って』

 すん、と鼻をすする音が聞こえた。

『現実、見えて、なか、ったん、だって……』

 ……泣くなよ。

『今が、ずっと続くわけないのにね?』

「遠野……」

 俺が何も言えないままでいると、ヘッドホン越しにパンッと乾いた音がした。遠野が自分の両頬を叩いたらしい。

『ごめん! やっぱり話すべきじゃなかったかも! あ~、もう! これから配信あるのに何やってるのかな、私は!』

 無理をして、声を張っていることは分かった。

「遠野。少なくとも今急いで決めるようなことじゃない、と思う」

『そう、だね。でも一周年動画に入れる予定だった「これから」については無しにしても良い? 終わりにするかもしれないのに、それを話すのは、裏切りな気がするから』

「……分かった」

 ごめんね、変な話して、と言うと、遠野は通話を打ち切った。

 たぶん俺は間違えたのだろうなという感覚だけがあった。何か言うべきことがあったはずなのに、と。

 でも何を言えたというんだろう。分かったと答えたが、本当は何も分かっていやしなかった。

 ヘッドホンを付けたまま、ぼうっとしていると、通話アプリがメッセージを出した。

『先ほどの通話はいかがでしたか? ぜひレビューをお寄せください』

 場違いすぎて笑ってしまった。

 最悪の気分だよ。俺はそのポップアップを消して、ヘッドホンを外し、ため息とともに机の上に置いた。



10.再び職員室にて

「今回はなんで呼ばれたのか分かんないんですけど」

 相も変わらず、目の前の元顧問は生徒の前だというのに、電子タバコをくわえている。

 職員室の隅の簡易応接間。一か月近く経っているからか、それともここ最近はやることが出来て忙しなかったからか、随分久しぶりに呼び出された気がする。

「そもそも俺入って良かったんですか?」

 テストが近づいているから前回来た時に比べて、職員室全体が慌ただしい。試験問題を作っている期間のはずだから、原則生徒は立ち入り禁止のはずだ。

「良いよ別に。こっからじゃ見えねえだろ」

「で、なんで呼ばれたんですか? 今回は俺、何もしてないですよ」

「それが怖いんだよなあ。これまで毎週のようにやらかしてた奴が一か月ぱったり動きを止めたら天変地異の前触れを疑うだろ? これから本格的に忙しくなるから、不穏分子は粛清、じゃなかった芽を摘んでおきたいじゃないか」

 これが教師の発言か?

「おとなしくしてるってことはPCの当てが付いたんだな?」

「諦めたとは思わないんですね」

「そんなタマじゃねえだろ、お前は」

 イヤな信頼だ。

「……まあ。新しく出来た友人に借りてます」

「その新しい友達ってのは遠野のことか?」

「……なんで知ってんスか」

「お前たちが廊下で話しているのを見かけたって他の先生から聞いてな。珍しいじゃないか、お前がああいうタイプとつるむのは」

 どういうタイプのことを言っているのか。少なくとも俺はこの一か月で、遠野は俺と同じタイプだ、という認識に改めている。

「仲が良いなら誘えば良い」

「何にです?」

「情報処理部だよ」

「誘うも何も俺はすでに追放されているんですけど」

 まるで当たり前だろ、とでも言わんばかりの口振りで言われたので、俺も事実で言い返す。

「俺が校長に口利きするよ。水沢はいたく反省してますってな」

「……本音は?」

「俺は今、受け持ちの部活が無い。このまま二学期を迎えてしまうと別の部活の顧問を振られるかもしれない。お前は先代と一緒で、非常に優秀な生徒だ。俺が何も監督しなくても自主的に活動を行い、結果まで残してくれる」

 要するに自分の仕事をこれ以上増やしたくないというわけだ。

「お前だって受け継いだ部活をこのまま廃部にするのは惜しいだろう? 卒業した先輩も悲しむってもんだ」

「いやあ、どうですかねえ……」

 むしろゲラゲラ笑ってそうなイメージがあるが……。

「遠野の意思次第じゃないですか?」

「まあな、でも検討はしておいてくれ」

 俺から言いたいことは以上だ、と言うと久慈先生はタバコを灰皿ですり潰した。よっこいしょ、とオヤジ臭い掛け声とともに立ち上がろうとしたところに聞いてみる。

「先生は、将来の夢ってありますか?」

「ん? どうした。進路相談か?」

「そんなとこです」

 へえ、あの水沢がね、とえらく興味を持った様子で、再び椅子に腰を沈めた。

「俺は将来動画を作れる仕事に就きたいと思ってます、……思ってました」

「良いんじゃないか? 好きなことなんだろう?」

 そう言いつつ、胸ポケットから新しいタバコを取り出す。

「ええ、でも、とお、……友達に言われたんです。好きなことを稼ぐ手段にして、それを本当に好きなままでいられるのかって」

「若いな。……若いなあ」

 一回目はほとんど責めるような口調で、二回目は呆れるような懐かしむような口調で、先生は言った。

「断言しておくが十中八九嫌いになるぞ。俺も子供が好きだからという理由で教職を選んだが、今では大嫌いだ」

 おいおいおい、大丈夫かそんなことデカい声で言って……。

「好きで始めた事でもな、金を貰えるとなるとそっちが主になっちまう。いつの間にか金を貰うためにやるようになっていて、気が付いたら最初の気持ちは擦り切れてる」

「……ならなんで続けてるのか、って聞いても大丈夫なやつですか?」

「ああ。生活のためだよ。車のローンのためだよ」

 聞く相手間違えたかな……?

「俺は卒業式が好きだ」

「……大嫌いな子供から解放されるからですか?」

 フッと久慈先生が笑った。その拍子に口の端から煙が飛び出た。

「解放されんのはお前ら学生だけだ。教員は定年するか辞めない限り続くんだよ」

 考えてみれば確かにそうだ。

「俺が卒業式を好きなのはな、巣立っていくお前らを見送る時だけ、教師になったときの気持ちを思い出せるからだ。そのためだけに俺は教師を続けてる」

 彼が背もたれに背を預けると、ぎいと軋んだ音がした。

「俺は教師しかやったことが無いから想像でしかないが、おそらくどんな仕事もほとんどはクソだ。だけどどんな仕事にも、俺はこの時のためにこの仕事をやってるって瞬間がある、んだと信じてる。じゃなきゃみんなニートか飢え死にか、だろ? 別にそれが仕事の後のビール一杯でも良いと思う。本当に一つも無いと思うのはそれを探す努力を怠っているか、……マジで向いてないか、だ」

 よれよれのワイシャツに身を包んだ、疲れ果てた男はどこか遠くを見ている。

「だから、逆に考えてみたら良い。金を稼ぐようになったら嫌いになるのは決まりだとして。嫌いになったとしてもまだ続けたいと思うか、続けずにいられない何かがそれにあるかどうかってな。……参考になったか?」

「正直、あんまり……。よく分からないです」

「今はそれでいい。……お前なりにまとめて遠野にも伝えとけ。得意だろ? 要約するのは」

 この人のことは本当によく分からないと思う。

「それで、ああ、俺の将来の夢だったな……。そうだなぁ、あ、宝くじ当てて、ポルシェ買いたい、ポルシェ!」

 聞く相手間違えたな。



11.美しければそれで好い

 夏休み前の一学期末テストの最終日、俺は教室で遠野に声をかけた。

「ちょっといいか?」

「……うん」

 クラスメイト達がこちらを見て、ざわついている。遠野が不良に呼び出されたという認識なのだろうか。

 教室を出たあたりで、遠野が頬を膨らます。

「もう! ちょっとは考えてよ! 後で説明するの私なんですけど! それに配信のこととかバレたら大変じゃん!」

「気にするんだな。……辞めるって言ってたのに」

 俺の言葉に遠野は、んぐっと口をつぐんだ。

「ちょっと付き合えよ。見せたいものがあるんだ」


 今日の授業は半日で終わりだ。

 俺は遠野を連れ立って、駅とは反対方向に向かって歩いて行く。

「ねえどこ行くの?」

 坂道を登って、疲れたのか少し息のあがった様子の遠野が俺の後をついてくる。

「そのうち分かる」

 しばらく坂を上って、脇道に入る。舗装されてない土を踏んで、さらに進み、見えてきた石段に足を掛ける。

「私、ここ来たこと無いのに見たことある……」

 遠野がぼそりと呟いた。俺は思わず口元が緩んだ。

「本当に見てくれてたんだな」

「え? ……あ、ここ、PVの」

「当たり」

 そう。ここは俺が作成したPVのロケ地だ。あの時は俺が後ろをついて行く側だったな、と思い出した。

 石段を上り終えると、鳥居があって、その奥に小さな社がある。社を背に、振り返ると、街を一望できる。遠野が先ほどまでの疲れも忘れて、たたっと俺の隣まで駆け上がってきて、同じように街を見下ろした。

「うわあ、ホントだ! 見覚えある~。あの映像撮ったのは秋だったの?」

「ああ」

 PVの映像では見下ろす景色は、紅葉で真っ赤だった。今は濃淡様々な緑が、白い日差しを眩いほどに照り返している。

「ここ、水沢君のお気に入りの場所なの?」

「今ではな。最初は、卒業した情報処理部の先輩の、だった」

 あの人には色んなお気に入りスポットがあった。いつもそこらじゅうをうろうろして、カメラを構えていた。ほとんどは写真だったが、時には動画を残して。

『美しいと思った物を切り取るんだよ』

『美しく世界を見ることの出来ない者に、美しい一枚は撮れないよ。別に写真に限らないけどね。少なくともカメラに関してはそうだと私は思う』

『美しければそれでいんだ。善良で無くて構わない。だって人に拳銃を突き付けるシーンはカッコイイだろう? ポイ捨てされた吸い殻が最高に美しいカットがあってもいい』

 ――身勝手に、誰かが傷つくかもなんて捨て置いて、君のフィルターを通した「美しい」を、剥製にするんだ。

 かつて、ここでカメラを構えていた先輩の背中を幻視する。あの日の散る紅葉が足元に落ちた気がした。気のせいだ。

 事実、あの人の残した写真は、映像は、どれも美しいものばかりだった。俺はそれを好いと思った。だから先輩の卒業後、忘れられたままにはしておけず、動画と写真のデータを編集し、PVとして完成させたのだ。


「ここの動画を作っている最中にPCがイカレてな」

 いや、あの時は本当に絶望した。もう駄目だと思った。

 その時は部活のPCを借りて事なきを得たが、その後、部活をクビになってからは遠野も知っての通りだ。

「でも、俺は続けられている。PCを貸してくれるおかしな奴に出会ったおかげでな」

 まあ、そこまでの過程で先生にはちょくちょく怒られたけど。

 続けよう続けたいと、続けずにいられないと思うなら、辞めようとしたところでそれは必ずどこかに引っかかっている。

 遠野、お前もそうなんじゃないのか。

「私にもそういう人が現れるって言いたいの?」

「いや。流石にこれからの活動費全部まかなってくれる奴には会えないだろうな。お前の父親の会社をどうこうしたり出来る人もそんな簡単に転がっているわけ無い。それは俺にはどうしようもないことだ。お前にだってそうだろ?」

 俺たちにはどうしようもないことで、どうしようもないまま環境は変わっていく。

 それを俺たちに止めることは出来ないし、でも責めることも出来ない。だって、環境が変わってきた結果の今に生まれたから、俺は動画編集に、遠野は配信に出会ったわけだしな。

 仮に生まれたのがもうちょっと前の、インターネット技術がまだあんまり発達してない頃だったら、俺たちは俺たちの夢に出会えなかった。

「そういう時代に生まれていたら、なにか別の物を好きになってたんじゃない?」

 そうかもな。そうなんだろうな。でもさ、

「それは俺って言えるのかな。……動画配信なんて存在すら知らない遠野は、遠野って言えるのか?」

 それはきっと別の人だ。遠野も何も言わなかった。

 これからもきっと環境は変わり続けていく。誰かにとっての夢になる新しい物が生まれ続けてくる。

「だからさ、俺たちが、俺たちの好きなものをずっと続けたいと願うなら、走り続けなくちゃいけないんだ」

 俺は遠野の目を正面から、見据えた。

「続けろよ。金を稼ぐ手段にしてでも、そうすることすら出来なかったとしても。それで本当に苦しくて、マイクを前にすると動悸が止まらないってなったら、引退を考えればいい。俺もお前もまだ自分の好きな物を嫌いになってすらいないじゃないか」

 俺は石段に腰掛けて、スマホを取り出し、ある動画を再生する。作りたての新作だ。まだ投稿はしていない。データだけをコピーして持ってきた。俺はそれを遠野に見せて、横に座るように促した。


『こんハル~。みんな、おはよう!』

 いつもの挨拶から動画は始まった。

『今日はね、誰が一番速えのかを決めていこうかと思いますよ』

 開幕は有名なレースゲーム。視聴者参加型の形式で開催されたそこそこ初期の配信だ。

 序盤は二位、三位を取っていた遠野が調子に乗って煽るような発言をすると、次の試合では強者揃いのリスナーに轢かれ、弾き飛ばされ、一気に最下位まで転落した。

 そこでコメントが付いた。

『煽るからこうなる』

『なんでよ! 勝ったら煽るでしょうが!』

『終わっておる』『スラム育ちか?』『よわよわ』

『ハンデちょうだい!』

 ちなみにこの流れ、動画内では、この後の別の視聴者参加型ゲームでも繰り返されているため、いわゆる天丼の形になっている。

 ゲームの後は、メインとしているコメントを拾っての雑談配信のパートが始まった。アニメの話題が多い。

『あ、デビ娘? 最新話見たよ~。やっぱヒロイン可愛いよね~。あの娘の、尻尾でさ、スカートがこうピラッてめくれてさ、裏地がちょっと見えてるじゃん? あそこがさ、ふへっ、いいよね……』

『笑い方キモ過ぎるだろ』『不審者のそれ』『コピペのオタクみたいな笑い方すんな』

『でも絶対パンツ見えないんだよね……。よし、今日はあの娘がどんなパンツを履いているか考察する回にしたいと思います』

『女だからで許されるライン超えてるだろ』『キモオタ』『そういう目で見るの止めてください』


 今回の動画のコンセプトは、「これまでの視聴者とのやり取り」だ。

 ゲームパートは参加型の企画から選出し、雑談パートでは遠野がコメントをピックアップして拾い、その後の会話が盛り上がった配信から切り抜いた。遠野の暴走に対するリスナーのツッコミが多いので、前回からSE、テロップマシマシだが、再生時間は倍を超える二十四分。遠野が好きなアニメの一話当たりの再生時間に寄せた。

 ここのところ、遅くまで(遠野の配信がある時は、それを聞きながら)作業をおこなっていたが、ようやく形になった。おかげさまで今回の期末テストは惨憺たる結果だ。

「こいつらの事も、俺の事も、一人も残らず全員嫌いになったら辞めればいいさ。その時はもう俺には遠野のことを止められない」

 遠野は膝を抱えて、顔を埋めた。

「ズルだよ、これは」

「俺だって、作業のお供にお前の配信を待っている一人だからな。辞めさせないためにズルくらいする」

 遠野がスンと鼻をすすった。

「この動画はまだ完成してないんだ。……最後にお前の言葉が要る。お前が『これから』どうするか、どうしたいか、がな」

「やっぱりすごいね、水沢君は。こんな楽しい動画作れちゃうんだから」

「違うよ、遠野。楽しませるのはお前なんだ。楽しませてきたのもお前だ。俺はそれを切ったり貼ったりしただけだよ」

 炒飯の動画だってそうだ。あれは店主の三十年の腕前があるから、多くの人が見てくれた。

 街のPVだってそうだ。先輩のフィルターを通してみた景色が美しかったから、賞を取った。

 俺は主役じゃない。俺の役目は主役を目立たせ、……そう、美しく見えるように、ライトを当てることだ。

 そして俺は今、お前にライトを当てたいと思ってるんだ。

 遠野が俺の横ですっくと立ちあがった。彼女の体が作った影が俺の顔を覆う。

「もしいつか、私が本当に配信を嫌いになって、もう私には何も残ってないのに、ってなっちゃったら。……一緒に死んでくれる?」

「ああ、好いよ」

 即答かよぉ、と遠野が笑った。


 その後、社前に備えられた賽銭箱に五円玉を入れて、お参りを終えて家に帰ってから、遠野と最終工程の打ち合わせを始めた。

 一学期が終わり、夏休みが始まって、とうとう一周年記念配信当日がやってきた。配信直前、いつも通り遠野とPCで通話をしていた。もう今更相談することは無いが、すっかり習慣となってしまった。

 ヘッドホン越しに遠野が呟く。

『めっちゃ緊張する~』

「いつもと変わらないだろ」

 むしろ話すネタが最初から決まっている分、楽なんじゃないか、と俺なんかは考えてしまうが。

『これ話さなきゃって思ってると、そっちに意識が行っちゃって~』

「じゃあ一旦忘れていつも通り雑談から入ったらいいんじゃないか?」

『そのまま雑談を続行して、忘れて配信を終えそうな気がする……』

「……難儀だな」

 遠野がああだこうだ言っている間にも時間は過ぎていき、十五分前という状況になった。

「そろそろ切るぞ。がんばれ。俺も配信見てるから」

『なんで見てんだよぉ~』

「見なきゃ動画作れねぇだろうが……」

 うぅん、と遠野が唸った。

『じゃあ、行ってきます……』

「ああ、行ってらっしゃい」

 そう言うと、通話が切れた。

 俺は通話アプリを閉じて、動画配信サイトを開く。すでに生配信の予約が取られている遠野ハルの「【祝】一周年記念配信【祝】」のページを開いた。……なんか新装開店した美容院みたいなタイトルだな。

 すでに待機している視聴者が百人近くいる。今は俺もその中の一人だ。

 少し待つと、真っ暗だった画面に色が付く。遠野が配信待機状態に入ったということだ。待っているだけなのに俺までドキドキしてきた。

 そして、

『こんハル~。みんな、おはよう!』

 何度も聞いて、もう耳馴染んだ彼女の声が聞こえてきた。



12.はじまり、はじまり

 一周年記念配信後、遠野から『打ち上げしようぜ!』というメッセージが届き、今日駅前に集合することになった。

 夏の日差しに焼かれながら待ち合わせ場所にたどり着くと、遠野が白い日傘を差してスマホをいじっていた。こちらに気付いて胸元で小さく手を振った。

「待たせたな」

「ううん、私も来たばっかり」

 遠野は涼し気な水色のブラウスに、黒のスカートのコーディネートだった。わざわざ俺の前で一歩止まって、手を腰に当て、「どうだ」とでも言いたげに構えている。

「え? ああ、似合ってると思うけど」

「ふふん」

 満足げだ。なんなの? 新しく買った奴とかなのかな……?


 打ち上げという名の、反省会を兼ねた打ち合わせの会場は駅前のファミレスにした。

「お疲れ様でした~」

「お疲れ」

 遠野が持ち上げたコップに、コップを合わせて乾杯する。中身のオレンジジュースが揺れた。

 とりあえず、ドリンクバーだけ頼んで、乾杯を終えたところで、遠野が一気にジュースを飲み干した。

「今日暑くない?」

「もう夏だな」

 俺も自分のコップに口をつけると、思ったよりのどが渇いていたのか、すぐに飲み切ってしまって、結局二人でもう一度汲みに行った。

「成功って言っていいよね?」

「そうだな」

 ドリンクバーから飲み物が注がれているのを眺めながら、俺は肯定した。何の事かなど聞くまでもなく、昨日の一周年記念配信の事だ。

「『初見です』ってコメント結構あったし。同時接続も今までで一番多かったと思う」

「イラストレーターの人もコメントしてたな」

「そう! あの後、裏でDM(ダイレクトメッセージ)来てさ、この間はすみませんって言われちゃった。別に気にしてないのにマメだよね~」

 いや、思いっきり気にしてただろ……。

 自席に戻り、遠野が何食べようかな~、とメニューをめくり始めたので、本題に入る。

「……で、一万人記念動画ってなに?」

「うぐっ」

 遠野が苦々し気に声を詰まらせた後に、目をそらす。

「いや、あの場で盛り上がっちゃって、つい」

 こいつは昨日の一周年記念配信中に、もともと目前には迫っていたが、念願のチャンネル登録者数一万人を達成したのだ。

 俺が作った過去の動画を配信中にリスナーと一緒に見る中で、その朗報に舞い上がったこいつは、ぽろりと『じゃあ一万人記念動画も作ってもらっちゃおっかな~』などと抜かしたのである。

 コメントも湧き、期待する声も多かった。みんな笑っていた。あの配信を見ていて頭を抱えていたのは、たぶん俺だけだろう。

「一周年と一万人じゃ、まとめる対象が被ってんだよなぁ……」

 ついでに言うと、自己紹介動画とも被っている。要するに面白いところはもう使ったネタばっかりなのだ。

「そこはこう先生のお力でなんとか……」

 調子の良い奴め。

「そもそも事前に相談してからにしてくれ」

 流石に反省しているのか、「はぁい」と言って肩をすくめた。

「というか別に動画である必要も無いだろ。それこそ連絡が付いたんだったら、新衣装の依頼でもしたらどうだ?」

 昨日の記念日配信ではそこそこ投げ銭されているのを確認した。タイミングとしては悪くないと思うが。

「でもこれからは支出絞っていかないといけないしなぁ……」

 収入(お小遣い)という生命線が断たれた遠野は、これまでと完全に同じようには活動出来ない。多少は残りがあるようだが、無駄遣いは出来ない。

「バイトでもすれば?」

「うちの高校バイト禁止だってこと忘れてない?」

「いや、お前収益化してるんだから、とっくに校則破ってるだろ」

「え、バイトじゃないし。職業だからセーフでしょ」

 そんな抜け道が?

「読者モデルしてる娘が『先生に聞いたら、それはOKって言われた』って言ってたよ」

 そういえば確かに俺は、学生時代からプロの写真家として活動していた例を知っている。

「人見て判断してんのかな。許せん……」

「ちゃんと相談すればOK出るんじゃないの? 家庭の事情とかある子だっているだろうし」

 確かに俺は無許可でやったが。

「……で、お前は相談してんの?」

「……してないっすね」

 じゃあ、ダメなんじゃないですかね……?

 まあ、確かに教師に説明しようと思ったら、ライブストリーミングのなんたるかから話さなきゃいけなくなって、話したうえで良く分からんからダメと言われるだけな気がする。話さなくても伝わるくらいある程度デジタルに明るい人間と言うと、……一人思い浮かんだ。

「まあ、そこは何とかなるかもな」

 誘えって言われてたしな。新しい部活を一から振られるよりは、他の教員の説得の方が楽なんじゃないか? 知らんけど。

「前までみたいにメイド喫茶とか、パンケーキとかそういうの止めればまだいくらか余裕はあるわけだし、依頼してもいいんじゃないか? 新衣装」

 だからこそ今日は価格が安めのファミレスなのだ。遠野はカフェがいいと主張していたが却下した。

「いや、あれは話題のための必要経費だから」

 真顔で言いだした遠野に、俺は思わず眉間を指で押さえた。

「遠野、お前、金遣いの荒さマジでヤバいからな」

「はあ!? そんなこと無いし!」

 如何にも心外といった様子で、遠野がテーブルに手をついて、肩を怒らせた。

「水沢君だって、ホントにデリカシー無いと思うんですけど! 教室で配信見るし、結構ずけずけ言うし、何考えてるか分かんないし。あと、前一緒に出掛けた時、なんかメイドさんとこそこそ話してたし。女子中学生と一緒に買い物してたとかいう噂あるし!」

 なんか全然関係ない話がぼろぼろ出てきたな……。


 遠野がジュースを飲み干して、立ち上がった。

「トイレ!」

「はいはい……」

 忙しないな……。配信の時のテンションが抜けきっていないだけか?

 手持無沙汰になった俺はスマホとイヤホンを取り出して、動画配信サイトにアクセスする。

 再生するのは昨日の遠野の配信だ。ちなみに俺が作成した動画は、配信後に個別にアップロードされたため、今は遠野のチャンネルページのトップに配置されている。順調に再生されているようで良かった。

 遠野と相談してタイトルは「ひとくち遠野ハル」となっている。シーンが切り替わる時間は遠野にメモで渡して、視聴者が任意の場所から再生できるように、チャプターごとに分けて貰った。これでどこが繰り返し再生されているのかがより分かりやすくなるはずだ。

 自作の動画の内容は、この一か月でイヤというほど繰り返して見たため、配信のうち、動画を流しているシーンは飛ばす。

 配信での高揚と、登録者一万人という驚き、そしてこれまでの道のりを動画で振り返ったことで、遠野は感極まって半泣きになっている。

『この動画もね、ともちゃんが作ってくれたのぉ……』

『実はね、ちょっと環境変わって、配信続けられないかもって思うことがあったんだけど……』

『でも、この動画を見たら、やっぱり私、配信が好きだなぁって、もっとみんなと話したいなぁって、思ってぇ……』

 視聴者側も普段の冷やかしを控えて、遠野に励ましや感謝のコメントを送っている。

『やっぱり私、ずっと続けていきたいな。ううん、きっと、ずっと続ける、って言い切らなきゃダメなんだよね』

『だから、続けたい、じゃなくて、続ける。そのためにもみんな、これからも応援よろしくねっ!』

 このあたりから持ち直して、いつもの喋り方に戻ってきた。

『でね、これから。次の一年はもっとみんなと話そうと思ったの。これまで雑談って私がずっ~とアニメの話をしてたけど、いやそれはこれからもするんだけど、お題と言うかテーマを決めて、みんなからもお便りもらうようなスタイルもやってみようかなって』

 これは遠野が自分自身で決めた物だ。視聴者との一体感をより強める方法であり、普段コメントしない層も匿名のままであるなら参加してくれる可能性がある。ラジオ的ニーズにこたえた形だ。

『最初のお題はもう決めてるの。ずばり、あなたの将来の夢はなんですか?』

『漫画家!』『陸上選手』『小学校の先生』『ひっさびさに聞かれたわ、その質問。小説家、かな……』

 ずらずらとコメントが流れていく。

『いいね、いいね! 後でお便り用のプラットホームを開くからそこに送ってね!』

『夢とか特に無いよ~』『もうおじさんだからな~、夢とか難しいな~』

『ダメ! 言い訳として年齢、性別、人種? 海外勢いるのかな……? 分かんないけど、その他諸々は認めません! 全員参加! 強制です! いや、強制じゃないけど、出来る限り全員強制参加です!』

 遠野の放った滅茶苦茶なフレーズと、強権にコメントが湧く。

『出来る限り強制とは』『草』『圧政だ~!』

 コメントもいつもの調子に戻ってきた。遠野はそれを見て、静かに笑った。

『――ねえ、みんなは将来、何になりたいの? 私はそれを知りたいな』

 急に放たれた真剣な口調の問いに、コメントたちは――。

「うわああ! 何見てんの! バカじゃないの!」

 机の上に置いていたスマホを遠野に奪われ、動画の再生を止められる。どうやらいつの間にやら戻って来ていたらしい。

「外で見るな!」

「好いじゃん、ここ。後でアナリティクス見せてくれよ」

「ううう、非公開にしてやる~!」


 環境が変わることはこれから先、何度も起こりうる。進学でも就職でも。遠野が言った「ずっと続けたい」は自分だけでどうにもならない形で邪魔をされるだろう。

 それだけじゃなくてトレンドが変わることもある。流行遅れにならないように新しい配信の形式や、アプリが出たら追いかけなきゃいけない。

 だから「ずっと続けたい」なら、全力で走り続けなきゃいけない。

 現実はどうしようもなく、常に環境は変わっていくけれど、無くしてしまいたくないなら走り続けるしかない。夢を見ながら生きることが、たとえ溺れる寸前の息継ぎを続けていくのと変わらなくても。

 遠野、お前の夢は大変だよ。これから先、どの地点でもスタートラインなんだから。それは俺も同じか。

 ああ、そうだ。おはなしはここから始まるのだ。

 さぁここからは、俺たちが自分の夢を叶えるまでのおはなしの、はじまりはじまり。






(了)



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