表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

第一章「虚無の時代」(3)

 ***

 美貴、と言う名前は貴斗が生き別れた姉のものである。

 いつも母親に怒られないか常日頃からビクビクしていた貴斗と違い、彼女は随分活発な子供で、母に何を言われようがすぐに反発し、反省など微塵もしなかった。


 そんな彼女を父である惣太は随分と可愛がっていたこともあり、貴斗は長年なぜ自分が父に、そして母に引き取られたのか不思議に思っていた。もっとも、その理由は今も明らかになっていないが。

 そんな姉の記憶を思い起こさせたのは現在貴斗が握っているこのチラシだが、美貴という名前こそ合っているものの、現在の名字がわからないため確実に彼女であるという保証は無い。

 それでも……何かが貴斗の脳裏に突っかかる。


 結局貴斗ははやる好奇心を抑えきれず、学校が終わるなり、チラシに書かれている住所へと直行した。

 そこは一階に喫茶店が入っている小さなビルだった。

 随分と古いらしく、昔住んでいた集合住宅を思わせる作りで、外壁にはところどころヒビが入っている。

 率直に言えば、入るのを躊躇(ためら)う外観だ。普段から全く発揮しないちっぽけな勇気をこんなところで消費したくない貴斗は回れ右をする。

「おおっ! やっぱり来てくれたのか!」

 コンビニの袋を持った瑠依がそこにいた。彼女は空いている左手で貴斗の腕をグッと掴み上げると、そのまま喫茶店の横にある階段へと貴斗を引っ張って歩き出す。

「早く行くのだー!」

「あっ、ちょ――」

 思いの(ほか)力の強い瑠依の手をふりほどけず、貴斗は二階へと連行される。

 それから”株式会社タカト”と書かれた安っぽいプレートが下げられている扉を、躊躇いもなく瑠依が開け放つ。

 そこには外観とはうって変わって、そこそこ綺麗かつ、なかなかそれらしい事務所が広がっていた。

 窓際には中々お洒落な応接スペースが出来上がっていて、そこのソファにドカッと寝っ転がっているひとりの女性がいた。


 貴斗は妙な胸の高鳴りと、地に足の着かない奇妙な感覚と共に女性へと近づいていく。

 それまで携帯端末を(いじ)くっていた女性がそれに気付いたのか、バッと立ち上がり、貴斗を見た。

 刹那。貴斗の胸の高鳴りはそれまで感じたことの無い安堵感へと変化する。

「ねーさん……」

「貴斗!」

 貴斗の呼びかけに、実貴はパッとにこやかな笑みを浮かべた。


 ――ああ、変わらない。


 この女性は間違いなく姉なのだ。と貴斗は胸に何かが染みこんでくる感覚を噛み締める。

「んもう~! こんなに大っきくなっちゃってえ! 一瞬別人かと思っちゃったわ!」

「うん、ねーさんは……」

 興奮しながら貴斗の全身を見回す実貴に倣い、貴斗も彼女を見渡していく。

 子供の頃から二〇センチぐらいは伸びたであろう身長……。当時と変わらない、あどけない顔。相変わらずのツインテール。ささやかな胸……。

「ねーさんは、変わらないね」

 身長が伸びた以外、殆ど当時と変化の無い姉に対し、貴斗は呆然となった。

「ふふん、嬉しいこと言ってくれるじゃない」

「十八歳、だよね?」

「そうよ!」

「そっか」

 全く一八歳に見えないどころか、貴斗よりも年下にしか見えないのだが、当人が特に気にもしていないようなので、貴斗はそれ以上突っ込むのをやめた。

「それでその、ここ、何?」

「会社よ。見てわかんない? 私が作ったの」

「タカトって名前の?」

「うん、あんたにあやかって」

「変えよう。今すぐ。うん、絶対それがいい」

「ええっ!? 嫌よ!」

 なぜ嫌なのだ。

 日本全国を探せば、タカトという名前は何人、何十人といるだろうが、あやかって付けたと言う以上、自分本人ではないか。そんな物を看板にされるなどたまった物では無い。

「いくらなんでも恥ずかしいよ!」

「待ってくれ貴斗! 会社の名前を変えるのにはお金が必要なんだ!」

 貴斗を遮るように瑠依が声を荒げた。

「えっ、そうなの!?」

「我々はこれ以上借金するわけにはいかないんだ! 勘弁してくれ!」

「借金? 借金ってどういうこと?」

「あ~いや、それはそのぅ」

 貴斗の追求に実貴はバツの悪そうな表情を視線を泳がせる。

 次の瞬間、事務所のドアが勢いよく開いたかと思うと、謎の三人組が姿を現した。

「皆瀬実貴!」

「げっ!? こんな時に!」

 謎の外国人らしき二人組に挟まれている少女が実貴の方をキッと睨み付ける。

「返済期日は今日よ! もちろんわかってるわよね?」

「と、当然よ!」

 少女に対し実貴が狼狽える中、困惑した貴斗はすぐそばにいた瑠依を見る。

「だっ、誰?」

「『ハッピー金融』の借金取りなのだ……ねーさまはあの女から五〇〇万円借りたのだ」

「ごっ、ごひゃ――」

 ハッピー金融はインターネットでよく広告を出している消費者金融であるということを貴斗は知っていた。だが一介の高校生である貴斗には今日まで縁の無い存在であったため、それが具体的にどういう存在なのかもわからなかったし、一万円以上の現金を持ったことの無い彼にとって五〇〇万円とは”欲しい物はなんでも買える”ぐらいの認識しかなかった。

「きょ、今日売り上げ金が振り込まれる予定なのよ! だから後数時間……」

「はぁ? 売り上げ? 馬鹿なこと言ってないで現実見なさいよ。一体どんな商売してるわけ?」

「そっ、それはほら……あ、そうそう。人材派遣とか、色々よ」

「ここ数日間、ボブとマイケルに監視させていたけど、あなたが何か利益を得たという報告は一切なかったわ。どーせ他の会社に行って借金するつもりなんじゃないの?」

「うっ――」

 どうやら図星らしく、実貴の顔がみるみる青ざめていく。

 そんな彼女を見ているうち、貴斗の中で実貴に対する僅かばかりの尊敬の念は一気に崩れ落ちていった。

「ねーさん……」

「そっ、そんな目で見ないでよ貴斗! この女が言ったとおり、他から借りてくればなんの問題もないわ!」

「そういうわけにはいかないわ。ボブ! マイケル!」

「わきゃっ!?」

 ボブ、並びにマイケルと呼ばれた黒い肌の外国人たちは実貴の左右に並び立ち、それぞれツインテールを引っ張り上げた。

「は、離しなさいよ! 髪をっ! ツインテを引っ張るなー!」

 そのまま玄関へと連行される姿は、その体格差もあり、さながら宇宙人かチンパンジーのようであった。

「ねーさま!」

「ふん。みすみす利益を手放すもんですか」

「ね、ねーさんをどこに連れて行くんだ!?」

「決まってるじゃない。働いて貰うのよ」

「働くって、まさか!」

 貴斗の脳裏に怪しげな光景が浮かんだ。

 時代劇などで貧しい家にやってくる狼藉者たち。払えねぇなら体で払って貰おうかという、アレな場面。

「キミまだ若いのに恥ずかしくないの!?」

「はぁ?」

「見た感じ俺とそんな変わらない歳じゃないか! それなのにそんなハレンチな……借金取りだなんて……羨ましいじゃないか! 俺のこと雇って下さいお願いします!」

 突然土下座を始めた貴斗に対し、少女と瑠依は口を大きく開けて困惑し始める。

「……あの女の弟だけあるわね。言っていることがまるで意味わからないわ」

 やがて我に返った少女は貴斗を見下しながら深くため息をついた。

「言っておくけどあなたのお姉さんは、これからインドネシアでエビの皮むきをするの。こればっかりはまだロボットに代用できないからね」

「えっ、エビの皮むき?」

「まあ時給は安いし、このままじゃ数十年働いて貰うことになるでしょうけど」

「えっ、エビの皮むきだなんて! ねーさまの手が荒れてしまうのだ! 酷すぎるのだ!」

 瑠依の抗議の声を片手で虫を追い払うような動作で受け流しつつ、者基金取りの少女は貴斗の方へとやってくる。

「とりあえず後はこれね。はい」

「なっ、なんだよこれ……? 連帯保証人?」

「そっ。連帯保証人はあなただから。よろしくね」

「ちょ、ちょっと身に覚えがないよ!?」

「知らないわよ。あなたのお姉さんが持ってきたんだから」

 受け取った書類の束を急いで貴斗が見返すと、確かに『永峰』と書かれた印鑑がバッチリと押されている。どうやら実貴が勝手に作った印鑑のようだった。

「とりあえず、次の返済日は一ヶ月後よ。利子分だけでも返してね」

「あっ、ちょ――」

 バタン、と音を立てながら事務所の扉が閉まり――

 貴斗の手元には、書類の束、もとい借用書の束が残されていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ