第一章「虚無の時代」(1)
第一章「虚無の時代」
ゆとり世代がどうとかこうとか、さとり世代がどうだとか。そんな時代は競争相手が同じ人間だっただけ、まだ良かったかもしれない。日夜進歩する人工知能により生み出されるロボットたちが生み出す利益に比べ、人間のそれなどクソ以下の役にも立たないのだから。
そんな世の中なので、前時代から言われ続けていた『学校の勉強なんて役に立たない!塾へ行くんだ!』という風潮はますます加速していたし、学歴は己の学力の証明と言うより、親の経済力がどれほどの物かの証明という、一見酷くなったようでいて、『冷静に考えると前からそうだった』状況が目に見えてわかりやすくなっただけだった。
もちろん、わかりやすいのはいいことだ。だが、この時代はあまりにも分かり易すぎた。
三〇年ぐらい前、日本の庶民は『勝ち組と負け組』などと呼ばれる○×クイズに勤しんでいた。が、それも十年ぐらい過ぎた辺りで『勝ち組』の上には『超勝ち組』たちが存在しており、『超勝ち組』たちは所謂、『超超勝ち組と超勝ち組』サバイバルゲームを繰り広げていることが段々わかってきて、庶民は○と×の差などミジンコかゾウリムシぐらいの違いしかないのだとわかった。
そうしてまた十年が過ぎた頃、人工知能が普及し、そもそも人類皆全てがミジンコに過ぎないとわかる。ならば精々ミジンコらしく生きようと心を入れ替えたものの、今度はロボットが普及し、ミジンコですらなくアメーバのようなものだったとわかってしまう。
そうしてやっとこさやってきた二〇四〇年はミジンコかアメーバになるかが人生の分かれ目であり、その差すら一〇が十一になる程度の話だということは現役高校生にもわかることだった。
幼い頃、仕事をロボットに奪われ、アメーバと化した父に愛想を尽かし家を去ったミジンコの母との間に産まれた永峰貴斗はそういうことをうんざりするほど知っている人間だった。
そんな彼が公務員試験の役にも立たない学校の授業を終え、自宅のマンションへ帰宅すると、玄関にはくたびれた革靴と小さな子供用のスニーカーが目に付いた。
どうやら父と妹が帰宅しているらしい。
そのまま貴斗が居間へとやってくると二人の姿を発見する。
「パパ、だいじょうぶ?」
「ああ、パパに任せとけ……こう見えてもパパ、昔はゲームプログラマーだったんだぞ」
見ると携帯ゲーム機を持った御年四五歳になる父の横顔を、小学生の妹が不安げに覗き込んでいた。ちなみにこの時代の携帯ゲーム機は十年ぐらい前まで『スマートなんとか』と呼ばれていて電話の一種だったことを貴斗はギリギリ知っていた。
「『タマごろにゃん』、みつからないよね?」
「少し落ち着きなさい美幸。パパは昔ゲームを作るお仕事をしていたんだ。だから、わかる」
父は額に汗を滲ませ、随分真剣な様子で液晶画面を睨み付けていた。その姿は貴斗にとっても珍しい物だった。
「父さん?」
「なんだ? 帰ってきたなら『ただいま』ぐらい言え」
貴斗の呼びかけに父は目もくれずに応えた。
「話があるんだけど」
「なんだ?」
尚もピンク色のゲーム機に手汗を滲ませる父に対し、貴斗はちらりと妹である美幸の顔を一瞥する。
「……おかえりなさい?」
「ああ……えっと」
困惑したように首を傾げる美幸に、貴斗はバツが悪そうに頬を掻く。それから口を何度か開閉したの後貴斗は、
「アルバイトしたいんだけど」
と告げた。
刹那。父は突然貴斗の方へ首を曲げる。
その形相はまるでツチノコかネッシーを偶然発見してしまった男のそれだった。
「――お前正気か!?」
「お父さん……?」
突然の父の豹変に、美幸が更に困惑を深める。
「あ、ああ……そうだな……夢か何かだ。『タマごろにゃん』だったな……」
父は狼狽え、両手を震わせながら再びゲーム機へと視線を移す。
「言っとくけど正気だよ」
しかし、貴斗は尚も話を続けたので、父は再び貴斗を見た。
「いや。お前は頭が狂ったんだ。バイトだぞ? バイトって言ったら、仕事だぞ?」
「そりゃそうでしょ」
「そうじゃない。その歳で仕事をしようなんて狂ってるぞ。公務員かロボットメーカーに就職できるように勉強しろ」
「それこそ無茶だよ」
ちなみにこの時代、公務員とロボットメーカーの社員は最高の人気職業であり、倍率もほぼ全て五十を超えていた。
「あーそうか。わかったぞ。お前はアレだな。俺が佐々木さんと一緒に就活とは名ばかりのボランティア活動をしているのが気にくわないって訳だな」
「誰もそんなこと言ってないじゃないか」
「いっとくが、国が提供してくれるボランティア活動は二十歳超えてからだ。つまり高校生がバイトできる場所なんてないんだ」
「それは授業でやったよ」
「そうか。ならいい。俺の今の仕事は『タマごろにゃん』だ。だからお前は勉強しろ。いや、フリでいい。勉強してるフリでいい」
「……働きたいんだよ」
「そうか。じゃあお前が『タマごろにゃん』を見つけろ」
「…………」
自分に対しゲーム機を突きつけてくる父に向かって、貴斗は苦虫を噛みつぶしたような顔
をする。
「なあ貴斗、どうして働きたいんだ?」
「それは……」
そこまで言って、貴斗は僅かばかり言い淀んだ後、
「お小遣いが欲しくて。エアネットってあるでしょ? あれ欲しいんだよ」
エアネットは最新型のコンピュータ端末で、部屋中をVRモニターとして扱えるようにするプラネタリウムのような機械だった。
「なんであんなもの欲しいんだ?」
「そりゃまあ、友達が持ってて……」
人間、欲しい物を親にねだるときの文句など、高校生になっても変わらない物だ。とは言え、貴斗が欲しい物は勿論エアネットではなく、働くことそのものの許可であるのだが。
「それいくらだ?」
「え?」
「そのエアネットってやつの値段だ」
「えーっと、多分……十万円ぐらいかな」
貴斗は後頭部を軽く掻きながら、適当な値段を言った。
当然父はそんな貴斗のいい加減な態度が気になったらしく、
「お前本当に欲しいのか?」
と呆れたように言った。
「ホントだよ」
「はあ……」
バツが悪そうに視線を逸らす貴斗を見て、父は大きくため息をついた。
「わかった。後は”母さん”に任せる」
「”琴葉さん”に!? なんで!?」
「なんでって当然だろう。家族のことなんだから」
父の言葉に、貴斗は二の句が繋げなかった。別に養母が苦手という訳では無い。むしろこんな話でなければ普段、父など通さず直接彼女に相談するぐらいだ。
だからわざわざ父に話したというのに、これではなんの意味もないではないか。
「多分そろそろ帰ってくるぞ。今日は早いらしいからな」
「あっ、ちょ……」
貴斗の呼び止めも聞かず、父は再び腹違いの妹へと駆け寄っていた。
「パパ、お話終わった?」
「ああ~。もう大丈夫だ。けどとーちゃんは晩飯の準備があるからな。後は兄ちゃんがタマごろにゃん見つけてくれるって言ってたぞ」
「えっ!?」
父の言葉に貴斗は素っ頓狂な声をあげる。
「そうなの?」
見れば妹の視線は貴斗の持っているゲーム機へと注がれていた。
妹を盾に取られた以上、もう貴斗に反論の余地は無さそうだった。
「わかった。見つけるよ」
妹に聞こえないよう、小さなため息をつきながら貴斗はゲーム機を操作し始める。
どうやらモンスターが出てくるゲームで、それを捕獲するというよくある物らしい。
問題はその『タマごろにゃん』なるモンスターだが、全然出てこない。十分以上プレイしても出てこない。
そんな状況に耐えかねた貴斗は携帯電話を取り出し、
「タマゴロにゃん検索して」
と呼びかけた。するとモニターには『タマゴロにゃん』について、インターネット上の検索結果がはじき出された。
するとどうやらこのゲームは常時ネットワークに接続されており、ネットワーク上に存在するモンスターの数は決まっているらしい。
そして件のタマごろにゃんだが……どうやら既に他のプレイヤーたちに乱獲された結果ゲーム内の野生環境では絶滅してしまったとのことだった。単純に可愛いからと言うのも理由だが、対戦で使ってもかなり強かったのがその要因らしい。
「えーっと……ダメみたい」
喉に魚の骨が刺さったようなものを感じながら、貴斗は妹に告げた。
「みんな持ってるのに?」
「そ、それはそうなんだろうけど」
先程、自分が語った言い訳と同様の言葉に貴斗は狼狽する。同時に、『元・末っ子』であった貴斗は『新・末っ子の力』がいかに強大であり、親への言及力が強いかを思い知らされた。
「ただいま~」
そんな中、玄関から陽気な声が聞こえてきたかと思うと、三十代後半の笑顔が似合う女性が居間へ姿を現した。
「あっ、ママ。おかえり」
女性を見るなり、それまでふて腐れていた美幸が一変して笑顔を浮かべる。
「あら美幸、貴くんとゲームしてたの?」
「う~ん、うん」
美幸は思うところがあったのか、一瞬貴斗の顔を伺いながら母親に対して頷いた。
「貴くん、今日は早いのね」
「ええまあ……その、色々あって」
義母に話を振られ、貴斗は敬語ともタメ口ともつかない微妙な返答をする。
ちらりと台所を伺うと、父が貴斗をじっと見つめていた。
「あの、琴葉さん……」
「ん? どうかしたの?」
貴斗の呼びかけに、義母である琴葉は一瞬寂びしそうな顔を浮かべつつ対応した。
「ちょっと相談があって」
「もう、そんな前置きしなくたっていいのよ。何かあったの?」
「……アルバイトがしたいんだけど」
「そっ――」
おずおずと切り出した貴斗に対し、琴葉は口に手を当て両目を見開く。
「そんな……。貴くん、熱でもあるの?」
「ない! ないですって!」
額に手を当てられた貴斗は、思わず後ずさりながら声をあげた。
「なあ、母さん。困っちまうだろ?」
面倒くさそうな顔をしながら、父が台所から姿を見せる。
「惣太さん……。貴くん、一体どうしちゃったの?」
「きっと悪い物でも食ったんだろう? それかゲームのやりすぎで」
「いや、ちょっと。そこまで言わなくても」
自分をそっちのけで話し出した両親に対し、貴斗は異を唱える。
「なんでそこまで働くことにダメ出しされなくちゃいけないの? 昔は高校生がアルバイトすることも普通だったんじゃなかったの?」
「そりゃあ確かに私たちが子供のころはそうだったけど……ねえ? 惣太さん」
「ああ。今は未成年を働かせるなんて……虐待だぞ」
「そうよ。このご時世、未成年を働かせる職場なんて危ないところばっかりよ」
両親の言うことは間違いでは無いということは、貴斗にもわかっていた。
飲食業や小売店の大部分が機械化された現代、大人でも雇う場所が稀だと言うのに未成年を雇うなどとは、よっぽどの理由があるからだろう。そしてよっぽどの理由というのは大抵、碌でもないことであるのは昔から変わっていない。
「それは……そうなんだろうけど」
「さっきも言ったが、マトモに雇ってくれる場所がないんだ。その時点でこの話は終わりなんだよ、貴斗」
「ええ……。もしちゃんとした会社が雇ってくれるなら話は違うけど……」
話を切り上げようとした義母が呟いた一言を、貴斗は聞き逃さなかった。
「ちゃんとしたところが雇ってくれるなら、いいの?」
「だから、そんなところはないって言っただろ」
尚も食いつく貴斗に父は半ば苛立ったように告げた。だが、その一方で琴葉は、
「ええ。ちゃんと私たちが見て、納得行く場所ならいいわ」
と答えたので、父は驚いたように表情を変えた。
「か、母さん……?」
「いいじゃない。ちゃんとした場所があって、仕事が得られるなら何も悪いことでは無いわよ」
「うーむ……」
父は未だ納得がいかない様子だったが、琴葉に弱い彼はそれ以上言及しなかった。
「わかった……。頑張って探してみるよ……琴葉さん」
「ええ。できる限り、貴くんがやりたいようにやるのが一番だから」
どこか寂びそうな顔を浮かべる琴葉に対し、貴斗は曖昧に頷いた。