序章
***序章***
そこは郊外にある深夜の工場だった。何人もの作業員たちがベルトコンベアーから流れてくる野菜を手に取り、まな板に乗せ、包丁でカットした後、反対側を流れるベルトコンベアーへ移動させていた。
「永峰さんだっけ? 精が出るね」
大勢の作業員たちの中、ひとりの作業員が傍らの作業員へ小声で語りかけた。
「ええ……息子がいまして」
永峰と呼ばれた男はなぜか意気消沈した様子で答える。
「あんた今日が初めてだろ? ま、そう落ち込みなさんな。ここに来る人はみんな色々ある」
皮が剥かれている人参を包丁でさばきながら、男が言った。
「私は……以前プログラマーをしていたんです……」
「それは厳しかっただろうねえ」
「……あなたは?」
「家電メーカーの企画だよ。多分あんたと一緒。人工知能にやられた」
「あ……」
ふたりの男は元々落としていた肩を更に落とし、人参を捌き続ける。
「……昔はピーラーもいたんだ」
佐々木はぽつりと呟きながら、ある一点を指さす。
「この人参の皮を剥くのも、人間がやってた。だが今じゃあ、あの『全自動ピーラーくん』がやってる」
永峰が顔を向けると、佐々木が言ったように大きな機械の中から皮とヘタをはぎ取られた人参がベルトコンベアーへと排出されていく姿があった。その周囲には何人かの人間が作業していたあろう、作業台が不気味に残っている。
「嫌な時代だね」
「ええ……」
そう言って、ふたりはため息をついて作業に集中しようとした時だった。
工場の出入り口が耳障りな音をあげ、ドラム缶のような機械がぞろぞろと作業場へと侵入してきた。
「あれは……!
まさか!」
謎の機械を見るなり、佐々木は包丁をまな板の上に投げ、呆然と立ち尽くした。
「さ、佐々木さん?」
「ヤツらだ……!
とうとうここにまで、ヤツらがきやがった!」
「あの機械が? なんなんです!?」
「『ロボッ太くん』だ! ちくしょう! この工場もか!」
「『ロボッ太くん』……あれが!?」
永峰が見ている間に、佐々木がロボッ太くんと呼んだドラム缶のような機械たちは散開し、作業場にいた人間たちを追いやっていく。そして、人参のカットを始めていった。
その日、永峰惣太を始めとする作業員たちは職を失った。
当然、帰路につく永峰の足取りは重い。深夜、唐突に早退するよう言い渡された永峰は始発までの時間を佐々木と共にハンバーガーショップで潰すことになった。
「ここも店員がいなくなっちまったか」
「これも時代の流れなんでしょうかね」
「まったく便利な時代だよ。愛想の悪い店員を見なくて済む」
そう言って佐々木は寝息を立て始め、それに釣られるように長峰もゆっくりと瞼を閉じた。
長峰が築五十年以上経過したボロボロの集合住宅に帰宅したのは、朝九時になる頃だった。ハンバーガーショップで寝過ぎてしまったのだ。
「お父さん……」
長峰を出迎えたのは、四歳になる息子の貴斗だった。
「なんだ。起きてたのか」
「琴葉さんとお父さんのこと待ってた」
「そっか。悪かったな」
琴葉、とはシングルファーザーである惣太に変わって貴斗の面倒を見てくれているチャイルドシッターである。
彼女との契約は夜十時までだったので、貴斗のことを長い時間ひとりぼっちにさせていたことになる。惣太がそんな生活を息子に強いていることに嘆きそうになっていると、部屋の奥から清潔感を醸し出す女性が姿を見せた。
「すみません。ひとりにするのは可哀想だったので」
「いえ……その……申し訳ありません」
琴葉が気の回る女性であることを、惣太はよく知っていた。こういうことは過去にも何度かあったのだ。しかし、それも今日までである。
「……実は、職を失いまして」
惣太は奥歯を噛みしめながらたどたどしく言葉を続ける。
「契約は……今日で……」
「え…………」
苦々しい表情を浮かべる惣太から何かを察したらしい貴斗は、大きく口を広げていた。契約という言葉の意味がわからずとも、琴葉と別れることになるというニュアンスはわかっているらしい。
「すまん……貴斗……すまん……」
惣太の両目からは、気付けば涙が零れていた。
「父さんは”また”……ロボットに負けた……」
崩れ落ちる惣太を見た貴斗は、途端に顔を伏せる。それから、惣太の横をすり抜けて、靴も履かずに外へ飛び出した。
「貴くん!」
琴葉の制止も聞かず、貴斗はひび割れたコンクリートで出来た集合住宅の階段を駆け下りる。
訳もわからず、がむしゃらに走り続けていると、集合住宅の横にある小さな公園に辿り着いた。
何年も禄に手入れがされておらず、雑草まみれの地面で四つん這いになった貴斗は喚きながら泣き始めていた。
そんなことを何分か続けていると、背後で雑草がガサガサと音を立てた。
突然のことに驚いた貴斗は泣くことを忘れ、ハッと振り返る。
「――泣くな、少年よ」
そこには、長髪の少年が立っていた。年の頃は貴斗よりも幾分か上で、小学生にはなっていると思われた。
「お、お兄ちゃん……誰?」
「ボクのことはどうでもいい。平たく言えば美貴の知り合いだ」
「お、おねーちゃんの?」
驚きながらも、姉の名前を出された貴斗は妙な安堵感を覚えた。
「彼女は戦っている。そしてボクも戦っている」
少年は一歩、また一歩と近づき……やがて貴斗の頭に手を当てた。
「キミも戦え、貴斗」
「戦うって…………何と?」
困惑し、首を傾げた貴斗に少年はニヤリと口元を歪ませ、こう告げた。
「当然――ロボットだ」
***
人工知能とロボット技術が発展した西暦二〇四〇年。当たり前だったが人類の大半は職を失った。
それから一〇年――
これはどうしようもなくなった人間たちの、どうしようもないお話。