3話
一日の授業が終了し、僕は帰宅の準備をしていた。
「辰也!帰ろうぜ」
「誠、お前部活行けよ。昨日もズル休みしただろ。僕は先生に呼ばれてるから」
そうだ。忘れてはいけない。僕が放課後、職員室に来いと平坂先生に呼ばれているということを。
「そーなのか?じゃあ、俺は部活行こうかな」
「私は待ってるわ」
背後から聞こえた声にびくりと反応し、振り向いてみると帰宅準備の終えた坂口が立っていた。
坂口は自分の席に再度、鞄をおろすと
「あなたのバッグ見といたげる」
そう呟いた。
「ありがとう。じゃあ頼むわ」
僕は坂口に鞄を任せ、誠とともに教室を出た。なぜか職員室まで来た誠はそわそわしている。
「誠が呼び出されたわけじゃないのに何そわそわしてんの」
「いや…別に…」
曖昧な返事を返す誠は何か隠している。僕には見当もつかないが、そんなに大事な事ではないのは分かった。
職員室の扉。僕はノックをしようと構えた時、誠にがしりと手首をつかまれる。
「そのまま帰ろうぜ…」
尋常じゃないほどの恐怖が顔に表れている。
「大げさ…」
僕は呆れながらも誠のつかむ手を振り払ってノックをしようとするもまた防がれる。何度も何度も振り払っても誠はまるでストーカーのごとく僕の腕にまとわりつく。
「おい!」
僕が誠を注意しようとしたとき、
「何してんだ、お前ら」
教員用トイレから出てきた平坂先生と偶然会う。
誠の顔はさらに真っ青になる。誠は先生の前に立ちはだかり、
「先生、セクハラは良くないですよ!」
「んな!!」
と叫んだ。先生もびっくりしている。
「せくはら??」
「先生が??」
誠の声に反応した職員室内の先生たちがこぞって扉から顔を覗かせる。
「違います違います!!」
なぜか僕が弁解する。
そんな間も誠と平坂先生はにらみ合っている。あれから平坂先生は何も言わない。
しばらくの沈黙が続く。先ほどまで覗いていた教職員たちに弁解をし終え、なんとかギャラリーを遠ざけた。
「ぷはっ」
先に口を開いたのは先生だった。
先生は唐突に吹き出し、笑い始めた。
「はははははははっははは」
「何がおかしいんだよ」
相手は先生だというのに誠は喧嘩腰だ。
まさか先生がセクハラするわけないだろう。誠は何を勘違いしているのだ。
「お前らほんっとに仲がいいんだな!!」
それでも尚、笑い続ける先生。挙句の果てにはお腹を抱えて、廊下にひっくり返る。廊下を通行していた女子生徒の足元に転がり、笑いをやめたと思いきや、
「君は黄色かぁ~。先生はピンクが好きだぞ」
「きゃぁ!!」
と女子生徒に顔面を蹴られている。
「先生、それよりも呼び出しって何ですか」
そんな先生の醜態を見て、さらに激怒する誠を後ろに追いやって、先生に近づく。
「俺は野郎のパンティーなんざ見たくねぇぜ」
「僕も野郎にそれもおっさんにパンティー見せて、興奮させたくありません」
「可愛げのねぇ奴だな。伊賀原」
「余計なお世話です」
先生は僕の表情を見るとしぶしぶ立ち上がる。
誠はまだ、後ろで「あんなセクハラ教師に俺たちの担任が務まるか!!」などとぶつぶつ言っている。
「伊賀原の両親の事なんだが…」
急に真剣な顔になったかと思いきや、先生はちらりと僕の後ろの誠を見る。誠はそれに目を丸くさせる。
僕は振り返り、
「ごめん、誠。席を外してくれないか?」
「え…?」
中々部活に行こうとしない誠を先生は
「これは伊賀原の家庭事情だ。日比谷には関係ない」
先生はどこかの教室のカギを持ち、すたすたと歩いてく。
僕は誠に顔の前で手を合わせて、ごめんと口パクで伝え、先生の後を追いかけた。
*
先生は生徒指導室へ足を運んだ。唯一普通教室にクーラーの存在する教室。
平坂先生は電気をつけ、扉がきっちりしまっているのを確認すると、教室の真ん中に向かい合わせに置いてあるイスに座る。
向かいには僕が座る。
平坂先生は何やらファイルからプリントをチラチラと見ながら話を始める。
「さっき、日比谷に他人の家庭事情だから関係ないって言ったところで悪いんだが」
先生はどうやら僕の家庭事情に口を出すらしい。僕はじっと先生を見つめながら次の言葉を待つ。
「お前の父親、養育費払ってないみたいだな」
そこから告げられた事は母さんが見て見ぬふりをしている事であった。
平坂先生は担任としても人としても見過ごせなかったのだろう。どこまで良い先生なのだとつくづく思う。
「そうですね」
僕には父さんに無理矢理養育費を払わせる力も働きに出る力もない。僕の通うこの学校もバイト禁止であり、見つかれば即退学。
高校にあがる際は、「働きに出る」と母さんを説得しようとしたものの母さんは笑顔で、「学生は青春を楽しむものよ」と高校へ背中を押してくれた。
「僕が不甲斐ないばかりに」
先生はそんな僕の表情を見て、頬を緩ませる。
「顔は親父に似てるのに、性格は真反対だな。伊賀原の親父とは小学生の頃からの知り合いでな、あの頃はよく遊んでいたよ」
先生は過去を懐かしむかのように目を細め、話を展開させる。
「あの頃から伊賀原はあんまり性格ってのが良くなくてな。高校にあがれば毎日のように女とっかえひっかえだ。挙げ句の果てには気の弱そうなサラリーマンの胸ぐら掴んでかつあげ、近くのコンビニに寄っては商品盗む。」
僕の父さんは相当な問題児だったようだ。
平坂先生はそのときの様子を呆れたように話している。
「そうだな。お前の母さんと付き合いはじめてかな。そのくらいからアイツは変わったと思っていたんだがな。」
ここからは僕も母さんから聞いてる。
父さんは母さんと付き合い始めてから、女遊びや盗みをやめたらしい。
「あれも一時的なものだったのかもな」
寂しそうに呟く平坂先生。
「ほんと、アイツ何してんだよ。親父の所在、分かるか?」
などと聞かれてもこちらが知ったこっちゃない。
そして、呼び出した内容は両親の事であるのだが...
「伊賀原、お前に来週の地区会議に参加してきてほしいんだよ」
地区会議...??
地区会議とは特定の地区の高校の代表生が行事毎に集まり、地区の活性化を目指して合同行事を計画する会議の事である。
今回は合同文化祭の件である。
「本来は生徒会長が参加すんだけど、偶々生徒会揃って不在でな」
「いや、僕じゃなくても2年生、3年生に頼めばいいじゃないですか!」
先生は困ったようにはにかむ。
「それがな。3年生は受験対策で忙しくって、2年生は過去最高の不良学年で先生たちが会議に送るのが心配なんだよ。」
お願いだよ分かってくれよとでも言うように目の前で手を合わせている平坂先生。
*
「分かりました。引き受けましょう」
あまりにも先生が頭を下げてくるものだから僕は首を縦に振った。
先生との密会も終了し、僕は一度坂口が待つ教室へと戻った。
外は暗くなり始め、教室には明かりがついていた。そっと扉を開けて、顔を覗かせると坂口と目があう。
「ごめんな、待たせて」
「いいのよ」
背筋を伸ばして凛々しい立ち姿で窓の外を眺めていた。坂口は鞄を手に持つと僕をじっと見つめる。
「好きな人…いるの?」
突然の質問に僕の脳内はその質問をうまく処理できなかった。
好きな人…
なぜ、坂口はそんなことを聞いてくるのか。さほど興味もないだろうその質問に僕も適当に答えた。
「いないよ」
その返事に教室が静まり返る。はじめから坂口と二人きりの教室だというのに人の気配すら感じない。目の前の坂口は生きているのか。そんなことすら感じてしまう。
坂口はそんな眉を寄せる僕を見て、不敵に笑った。
「そうなのね。」
それだけ言うと僕の横を素通りし、教室を出て行った。
あれ…?
彼女、僕と帰るために待っていたんじゃないのか??
平坂先生の元へ行く前の教室での出来事を思い出し、慌てて坂口を追いかけるももうすでに昇降口に坂口の靴は残っていなかった。