表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界軍記  作者: 白川からし
棋家争乱篇
2/2

第二話 心労

 数日後、兄に特に大きな動きはなかった。そのため、何の問題もなく俺は恩家の女を迎えることになり、今日はそれと初めて対面する日だ。ちなみに兄は既に五日ほど前に出立しており、もうそろそろ花家に着く頃合いだ。

 花家に婿入りしても一応定期的に兄の様子を報告してもらうことにしている。


「かわいい人だといいねーお兄ちゃん!」

「そうですね。政略結婚ですから、俺も相手に好かれるようにしなくてはなりませんね」

「お兄ちゃんなら大丈夫だよ! ねー!」


 なぜか出発した四日ほど前から横にくっついている棋扇は「お兄ちゃんの結婚相手見たーい!」と言って離れない。棋扇の付き人も気持ちは同じなのか、一応注意してくれてはいたが強くは離そうとしない。

 もうかれこれ一日半ほど領内の関所で待っている。

 暇だし[特性]でも見てみるか。

 [特性]をみるのは案外楽しく、いい暇つぶし程度にはなる。取扱説明書を読むのと同じ感じだ。

 棋扇は[愛され上手]という[特性]らしい。立場が上の相手に好かれやすいというものだ。その立場とは何でもいいらしく、俺と棋扇の場合は兄と妹であるから[特性]が発揮される。付き人と棋扇の場合も世話する者と世話をされる者、年上と年下。ということで[特性]が発揮される。逆に真っ向からの敵対者であれば年上や年下など関係なく上下関係は発生しないため、これは発揮されない。


「お兄ちゃんアレじゃない?」


 そうして付き人や関所の兵などを片っ端から見ていたら、棋扇が指差した先には馬車と護衛の者たちが数人いた。旗は「恩」と書いてある。

 急いで関所をの扉まで降り、それを開けさせる。


「遠路はるばるようこそお越しくださいました」

「おやや? お待たせしちゃったね〜。しかも、話にない人も来てるみたいかも」

「いえいえ。こちらが早く着きすぎたのですよ。そして、すみません。こちらは俺の妹です。どうしても着いて来たいというので」

「こっんにちわーっ! かわいい人だね〜お兄ちゃん!」


 棋扇の言う通り、幼い顔立ちに肩までかかる濡羽色の髪を携えており、無邪気さと高貴さを併せ持つ不思議な魅力を持つ外見だった。

 さて、と。

 なんか癖になってきたな、人の[特性]見るの。でもなんか覗き見してるようで申し訳ないけど。

 えーっと、[神機妙算][深謀遠慮]に[弁才無礙]……おいおい。ちょっと待ってくれよ[特性]を三つ持ってるのは数千年に一人なんじゃないのか。

 目を見開く、数千年に一人がそこにいる……。しかも、その三つはどれも[上位特性]。[神機妙算]は人知を超えた謀を即座に思いつきやすい。[深謀遠慮]は事前に考え事を張り巡らせる時、これまた人知を超えた謀を弄する。つまるところ、頭脳戦最強。それに加えて[弁才無礙]は弁論が上手く、自らの主張の正しい正しくないに関わらず相手を丸め込む能力がある。これは厄介というかなんというか。こんな人間が内に入り込むというのは本人の意図に関わらず厄介だ。

 父の机上の空論だけつったのは間違った認識だったっぽいな。そうとうに面倒な相手だな。警戒せざるを得ないってだけで本当に心労がかかる。


「あのー、人の顔見て何かな……?」

「あ、いや……」


 なるべく動揺を悟らせないようにしないとな。こんな怪物を内側に入れて敵にしてしまったら棋家はどうなる? 内憂なんてもんじゃない。


「もしかしてお兄ちゃん一目惚れってやつ?」

「えー、照れちゃうかも」


 一見すると、害はないように見える。だからと言って油断はできない。が、油断しているように見せることはできるか……。いや、無駄に考えて刺激したらどうする。

 まぁ、この[慧眼]は便利だな。最初にこれが見れてよかった。


「あ、あぁ。まぁそんなところです」

「ふぅん? 嬉しいかも」

「キャー! アツアツだよー!」


 今は棋扇の能天気さが心地いい。まだまだ兄の懸念があるってのに……。


「ま、よろしくしく〜。旦那様?」

「よ、よろしくしく〜……です」


 いや[特性]の効力もよく分かってない。想像してるより[特性]は弱いかもしれない。

 いや、俺の[人徳]の効力を考えてみろ。やばいだろ……これ。


「というか、こんな所で話すより城戻ろうよ、お兄ちゃん」

「え、えぇ。そうですね」


 帰り道では取り留めのない話をしていた、棋扇と恩教が。俺はと言えばその二人を後ろから眺めていた。

 こうして[特性]のことを考えずに見るとただの少女にしか見えないな。十四、五といったところか。


「お兄ちゃーん! お兄ちゃんも恩教さんと話なよーっ!」

「いや、俺はいいですよ。後でいくらでも話せる時間はありますからね。帰り道くらいは扇に譲りますよ」

「私は旦那様とも話したいかも〜?」


 適当に言葉を返してやり過ごす。

 いくらとんでもない天才でも凡百な者でも情報を元に思考する。だから俺が天才に勝てる唯一の分野は情報量。そしてその情報量が終局的な勝敗を左右する。

 完全に安心できるまでは何の情報も与えず、置物にする。まぁ、これが今できる対処法かな。もちろんこれは邪推だ。でも警戒はしておくべきってのは間違ってない。


 二日ほどして城に着く。その間、俺と恩教は話を最小限に留めた。棋扇はだいぶ楽しそうに話していた。

 釘を刺しておくべきか、いや、棋扇が何か重要な話をするとも思えない。むしろ[愛され上手]を上手い具合に使って引き込んでくれるかもしれない。

 そうだよ、敵として見るから怖いんだよ。味方に引き込めばいいんだよ。俺の[人徳]と扇の[愛され上手]の二つで挟み込んでいざハニートラップ作戦だな! いや、確実性薄いだろ……。

 色々な挨拶を済ませて、自室に戻る。


「私はこれにて、あとは夫婦水入らず! じゃあね〜お兄ちゃん! 恩教さん!」

「またねんねん〜」


 一応、恩教の自室は用意しているが、今日は初夜ということになる。だから今日だけは俺の自室で過ごすのがしきたりという奴だ。


「ようやく話せるねん、旦那様」

「えぇ。そうですね」

「評判は聞いてたよ。何でもすんごい人望があるらしいね〜。にいにを引き摺り降ろせるくらいに」


 引き摺り降ろす、か。まぁそう見えるのだろうな。とは言ってもな。


「……ま、父の思い描いていた当主像と、兄の思い描いてた当主像が違ったってだけです。それでもってたまたま俺が父の当主像に当てはまったってだけです。俺は穏健派ですからね、兄はまぁ血の気多いですからそこが合わなかったんでしょう」

「ふぅん? たまたま……」


 まぁ、本当にたまたまなんだけどね。ここはやり手っぽく演出してみようかな。


「たまたまですよ、たまたま」


 はい、最後に意味あり気なウインク! これはだいぶやり手っぽいんじゃないか。

 バレてないか気が気でなくて汗止まんないけど。


「旦那様から見た私ってどんな感じ?」

「……いや、まだ会って一日目ですから、そう言われましてもね……」

「ふぅん?」


 こちらの顔を覗き込む恩教と目を合わせないようにしてしまう。全てを見透かされてるような気がする。[慧眼]とやらは厄介だな。どうしても心配性になってしまうな。


「私から見た旦那様言っていいです?」

「どうぞ」


 恩教はぐっとこちらを見据えたかと思えば、急に背中を反って伸びをし始めた。

 月明かりが雲にかかって部屋を暗くした。


「って思ったけどやっぱや〜めた。私もじっくり見定めるとするよん」

「そ、そうですか……」

「あ、第一印象は悪くなかったから安心してねん」


 窓を開けて月を見上げる恩教に夜風が吹き抜け、髪を靡かせた。そうして、どこか悲しい目をしていた気がする。

 そうして、寝た。同じ床についたが、特に何もあるわけではなくそのまま寝た。


 寝ている男を横目に、月を見た。

 月は好きだ。私が月を美しいと言えば皆が共感してくれる。

 花も好きだ。花を美しいと言えば皆が共感してくれる。

 一般的に美しいとされているものは好きだ。それを美しいと言えば皆が共感してくれる。


「旦那様に冷や汗かかれちゃってたな〜、ざんねんねん」


 一目見て私を警戒していた男に若干期待した。だからこそ第一印象は悪くなかった。兄から当主の座を強奪した手腕にも興味があった。なんでもほとんどの人間がこの男の味方についたらしい。領民からの評判もすこぶる良い。

 でも、それだけだった。

 人を見る目があるのは認めよう。民心を掴む手腕が素晴らしいのは認めよう。でもそれだけだ。

 蓋を開けてみればその実、凡才。悪くは無いが良くもない。その程度の才覚で私の旦那とは笑わせる。


「ま、いっか。疎外感はどこでも変わらないもんね」


 物心ついた時からそうだった。将棋を指しても、囲碁を打っても、論戦をしても、どんな知恵比べだってただの児戯。いつの間にか私の周りには誰もいなくなっていった。いや、最初から誰も私に着いて来れない。


「誰も私の考えは理解できない。誰も私の意図を理解できない。誰も私と分かり合えない」


 なぜなら私は常人に理解されない。なぜなら私は───。


「私は、化け物だからねん」


 いつからか私は、誰かに期待するのをやめていた。



 朝になり、体を起こす。

 陽光に照らされた部屋がいやに眩しい。恩教は既に起きていたらしい。


「おはよん、旦那様」

「おはよんです……恩教」

「敬語やめない? ちょーっと疎外感かも」

「そうですか。では、そのように心掛けます」

「話聞いてた?」


 兄は上手くやってるだろうか。こっちは昨日から気が気でない。内憂外患とはこのことだ。


「棋秋様、奥方様。お入りしてよろしいでしょうか」

「どうぞ」

「失礼します。朝食はお二人でお召しになりますか。ご家族でお召しになりますか。ご当主様も太后様もどちらでも構わないと」


 親からすれば子の妻なのだから話をしたいのだろう。でも強制はしたくない。そういったところか。


「私はお義母様とお義父様とお食事とりたいかも。大事な家族だからねん」

「……そうですね」


 こうして食事を家族で取ることになった。正式な婚姻の儀式は後日という話になっている。

 

 そして、日は流れて結婚式の儀式の日も過ぎ、三年間特に大きな動きはなく、良好とは言えぬような夫婦関係であった。兄にも変な動きは見られなかった。

 が、花家が急遽棋家に向け、挙兵した。旗頭は棋會だった。定期的に報告を寄せさせていたが、兵を集めてる情報はなかった。相当上手く隠したか、金で急遽色々なところから兵をかき集めたかのどちらかだろう。

 だがどちらにせよ山間からの侵攻のため、兵数自体は少ないだろうと思われる。数自体は問題ないはずだ。

 だが、問題なのは実践経験がない。兵士も訓練しかしてないのがほとんどであり、俺らも兵法を学んではいても実践経験はない。せいぜい仲間内で模擬戦をした程度だ。

 とりあえず兄は俺が目当てで兵を向けたのだろうから俺が前線に赴けばそこで侵攻は止まるはずだ。戦場だって侵攻を許せば食い込むのは元々は兄の領内。変な真似はしないだろう。

 出陣の準備をしていると棋扇が自室を訪ねてきた。


「お兄ちゃん……會兄は一体……何考えてるの……?」

「まぁ、取りに来たんでしょうね、俺の立場を。三年間も他家でよくもまぁ準備したもんですよ。兄はこの日を朝な夕なに待ち望んだんでしょう」

「……殺すの? 會兄を……殺すの……?」

「…………棋家の跡目争いであれば命までは取りませんでした。しかし、これは三家の信頼を大きく揺るがす行いです。もはや殺すか死ぬかしかありません」

「…………そっか……」


 悲しそうに呟くと、目から大粒の涙を流し始める。拭っても拭っても涙は止まらずそればかりか徐々に涙の量は堰を外したように増えていく。

 俺はそれを見てもなお、後には退けない。


「すみません、扇」


 ただその一言だけをかけて俺は部屋を後にする。

 副官に遊月、そして恩教をつけた。

 遊月が俺の手足、恩教が俺の頭脳になって働いてくれる。

 特に恩教に関しては反対文が多くあった。恩教は積極的に人と関わろうとせず唯一棋扇だけとはよく話すようであったがそれも棋扇が訪ねてくる時だけであり、交流は少ない。だから信頼も少ないのだろう、また若いということもそれの要因の一つだ。父からも変えるように言われたくらいだった。

 それでも俺は恩教を副官につけた。

 俺はこの戦いで恩教を見定めることにした。棋家の利益になるのか、害となるのかを。

 利益になるならそれでよし。害となるなら……まぁもう全て諦めて兄に全部お任せするとしよう。

 斥候の報告から花家領内の山間の入り口で戦うことになるだろうとなった。


「山での戦いは数頼みにはならない。平野を通って攻められるよりかは……ってところですね。とは言っても棋家は弱兵」

「ねぇねぇ旦那様? どうして私を副官にしてくれたのん?」


 そりゃもちろん[特性]を見込んだものと、先述したように見定めるということだが、そういった話をしても仕方ないな。


「あなたは何というか、棋家に嫁いだとはいえ、あまり信頼されていない様子。ここで一つ棋家のために働き信頼を得られればと思ったのです。そのためにはまずは俺があなたを信頼しなければなりませんから」

「そっかー……お優しいかも」

「かもではない。お優しいのだ」


 遊月が口を挟んだ。彼も恩教を信頼してないようで、あまり仲はよろしくない。


「あの、遊月。仲良くしてくれないと困りますよ」

「そうだよー、仲良しさんで頑張っちゃおう」


 こういった軽い口調も信用されない要因の一つらしい。まぁ坊主憎けりゃ袈裟までってやつだな。


「とにかく、作戦は全て恩教に任せることにしました」

「分かっている」


微妙な雰囲気の中、目的地の山間部に到着した霧が深く、視界が悪い。こりゃ俺らも向こうも戦い辛いだろうよ。

 帷幄に二人を呼び恩教に作戦を立案させ、それを聞くためだ。


「恩教、頼みましたよ」

「斥候の報告から敵さんは一万ほどで侵攻してるみたいだねん。で、こっちは二千五百くらい」


 立場は危うい。この二千五百はそれなりに頑張って集めた数だ。遊月に千、恩教に千、俺に五百。戦場に出ない大将が兵を持ってても仕方ないのだから、内訳はこんなものだ。


「まずは拠点を山道に沿って三個築こうか、それは私がやっておくよん。前に三百、真ん中に三百、後ろに四百。この兵数で守ってほしいかも。やってくれるかなん? 遊月くん?」

「軍令とあれば。しかし、三百で到底太刀打ちできるとは……」

「あー、危なくなったらとっとと逃げちゃって。破られそうになったら即後退、わかったかな?」

「……分かった」

「恩教はどこの守りにつくのですか?」

「ううん〜、私はどこも守らないよん。色々やることがあるかも」

「そうですか、分かりました」


 早いところ時間稼ぎというやつだな。時間を稼いで何になる? まぁ二千五百でつっこめってのも良くないが、千で時間稼ぎってのも……なんだかな。


 不安を抱えたまま、戦端は開かれる。それなりに丈夫な拠点が山道に三つ置かれた。気と藁で作られたにしては丈夫な拠点が作られた。

 相手は先鋒隊の三千で一つ目の拠点に突っ込んできた。遊月の特性は[守り刀]。防衛戦に長けている。それでも結局どうにでもならず、二日持ち堪えるのが限界のようで、一つ後ろの拠点に撤退。損失は少ないものの相手もほぼ無傷。


「次はここを守るのか……いや、余計なことを考えてはならない。軍令は絶対。絶対だ」


 遊月は不安に駆られていた。しかし、その不安を抱えたままでも軍令を守り恩教の指示通りに動いていた。

 内心では不信感は募るばかりだが、恩教の指示は棋秋の指示でもある。そう自分に言い聞かせた。


 次の拠点での防衛戦もそう長くは持たなかった。兵数自体は六百と増えたため堅くはなったが、それでもどうにか持ち堪えられて三日四日がやはり限度。決死の覚悟で戦えばまだ耐えられるが、それは厳禁とされている。

 戦えぬ身が惜しい。そう思いながら遊月は撤退していく。

 撤退した先の拠点には恩教が先にいた。


「やぁやぁ。遊月くん? 頑張ってるみたいだねん」

「……お前か。あと拠点は一つしかない。ここを最終防衛戦にするのか」

「違うよん。遊月くんが時間を稼いでくれたおかげでなかなか立派な拠点を後ろに二つ作ったよ。一度目と二度目で戦った兵士の中から疲れの酷い者を一番後ろの拠点にその他の戦った兵士は真ん中の拠点に移しておいてくれると助かるかも」

「…………分かった。だが、せめて狙いを聞かせてくれないか? まともに戦うこともなく二連敗。兵の士気にも関わる」

「敵を欺くにはまず味方から……だよねん。遊月くんはね、私の言う通りに動いてくれればいいからねん」

「棋秋がお前に任せると言っているから俺は仕方なく従ってるのだ。それを勘違いするなよ。俺だけではない」

「うんうん、分かってるよん。でも今は私に作戦の決定権がある。だから私が外されるまではちゃ〜んと従ってねん?」


 遊月は思わず舌打ちをする。もどかしさと不安が怒りになり始めていた。


「分かっている」


 そして、その不安は連日敗戦の知らせが届く場内にも立ち込めており、恩教に対する不信感は外にも内にもあった。


「そもそも、あの女が指揮を取ること自体最初から反対だったのだ! 年端も行かぬ少女に何ができる! 棋秋様も棋秋様だ! これだけ敗戦を重ねても未だに副官から外そうとしない!」

「やはり嫁だと情があるのだろう。お優しい方だからな……」

「しかしそれで命を落とされるやも知れなぬのだぞ! ここは棋秋様のご意向を無視してでも行くべきではないのか!」


 不満の声は高まり、いよいよ花家と恩家は繋がっているという噂まで出てきた。

 その声は嘆願書として毎日のように棋秋の帷幄の元に届けられた。

 一応、目は通すがどれも読むに値しない。けれど、一理あるのもまた事実。頭を悩ませながら嘆願書の入った箱が積み重ねられている。


「なぜ、私を副官から外さないのん? 連戦連敗の私を」


 無論、この嘆願書は恩教の耳にも入っていた。なるべく隠すようにはしていたが、こんだけ毎日毎日色々と届いてりゃ気付きもするか。


「……なんだ、知っていたのですね」

「うんうん。知ってるよん。でも、てっきりすぐ外されちゃうかもと思ってたんだけどね。ほら、私友達少ないし? というかいないし?」

「言ったはずです。俺は周囲の反対を押し切ってあなたを副官につけたと」


 箱の中の嘆願書を一つ取り出し、それを筒状に丸めて、手のひらをポンポンと叩く。


「今更、嘆願書がいくら届こうと変わりません」

「でも、結果を見る前と見た後の周囲の説得力は違うでしょ? どうして?」

「連戦連敗の結果を招いた恩教を戻したら必ず罰を受けることになるでしょう。そうはならなくとも侮蔑の眼差しで恩教を見るでしょう」

「そうだね〜、居辛くなっちゃうよん」


 一つ咳払いをし、手に持った紙をそのまま箱に放り投げる。


「本音を言えば、俺はお前の狙いはよく分かっていない。終局的な敗北も目の前にあるのかもしれないと思わない日はない」

「ならどうしてかな? 外さない理由なんてないと思うんだけど? 私が花家と内通してるって噂もあるらしいよね? それ本当かもよ?」


 諦めもある。それでも、三年間寝食を共にした情もあるのだろう。内心、信じたいのだろう。恩教が棋家の利益になる存在なのであればそれもまた心強いというのも理由付けとしてあるのだ。

 だからこそ啖呵を切った。


「俺は、お前を信頼すると決めた。なら、生死栄辱はお前と共にあると知れ! お前が敗れ棋家でお前が蔑まれるなら俺も蔑まれよう! お前が勝ち棋家で俺が讃えられるならお前も讃えられよ! お前だけ蔑まれたり、俺だけ蔑まれぬことは断じて許さない! その逆もまた然りだ! だがこれは俺がお前を一方的に信頼したもの。お前が本当に花家と内通してており、俺を敗死に追いやっても俺を恨みはすれど、お前を恨みはしない! 俺はお前を信頼すると決めたのだから二度とつまらない言葉など気にするな!」


 目を見開き、信じられないという顔でこちらを凝視している。


「これだけ言っても未だにこの紙切れの言葉が気になるならばよかろう! よく見ておけ!」


 嘆願書の入った箱を全て持ってこさせた。

 それに火をつけ、一切が灰になるまで燃やした。文書の山を全て燃やした。パチパチと音を鳴らしながら煙を上げる。その煙が目に入ったのか、恩教は目に涙を浮かべている。

 晴天高く、雲は開かれる。二匹の渡鳥が肩を並べて飛んでいく。


「…………勝手に信頼されても困っちゃうんだけどな〜……旦那様」

「頼みましたよ」


 恩教は棋秋の帷幄を出ると、自分の帷幄に戻った。あと寸でのところで自らの術中に棋會は落ちる。けれど、棋家への帰属意識などない恩教にとっては滅びようがどうなろうが、困らなかった。だからこそ、城に戻されるならそれも良いと思っていた。というよりも、一応の作戦は考えながらも心の内でどこか、どうせすぐに帰らせられるだろうと思っていた。


「”信頼すると決めた”……か」


 あの男は凡百。けれど、どうしてこんなにもあの言葉が嬉しいのか。

 居場所などこの世のどこにも無いと思っていた。

 陰で化け物と呼ばれていたし、この家に来てからもあの男からは避けられていた。それに伴って棋家での立場もおよそ次期当主の嫁とは思えないものであった。でもそれでもよかった。何も変わることはない。いつからか期待なんてしなくなったのだから。

 けれど、なんの気の迷いか私を信頼すると言った。決して見せかけの言葉ではない、それは行動から分かる。嘆願書を燃やしたこともそうだが、一体この数日、どれだけの不安と重圧に押し潰されそうになっていたか、想像に難くない。

 いくら凡百とは言えど、一万の兵士がほとんど無傷でこの山を突破すれば棋家は危急存亡を迎える。いや、今ですら危急存亡の時であることは分かっているはずだ。国を挙げての反対をどうして……。


「頑張っちゃおうかなん。旦那様」


 しかし、その後も状況は好転することなく、最後の拠点も侵攻が開始されてから数えて二週間ほどで破られた。

 そうして最後の最後にもう棋秋の控える本陣が目と鼻の先にあるほど近い距離に今までのどの拠点よりも堅牢な拠点を築いた。


「ここが本当に最後の防衛線になると考えて良いのか」

「うん。ここが最後の戦い。ここになるべく敵を引きつけてほしいかも。でも絶対に打って出ないこと。耐えて耐えて耐え続けて」

「……同じことか。分かった」

「最低でも三日間は頼んだよん。そして、その次の日の夜の内に落とされると思ったら私にすぐに知らせて。分かったかなん?」

「承知した」


 最後の戦いが幕を開ける。遊月の千人足らずと棋會の先鋒隊三千の最後の攻防戦。

 一日目から激しく猛攻をかける相手に苦戦を強いられている。それでも巧みな防衛術でなんとか耐え続ける。

 この拠点は脅威の粘りを見せ、三日経とうと、落ちる気配は見せなかった。

 そうなると徐々に盛り返すのは守備側であり、攻めあぐねる相手は徐々に「今回は今までとはまるで違う」と追い詰められる。

 しかし、そこは数を増やせばどうとでもなる。中軍の二千を持ってきて、計五千で拠点を落としにかかる。

 そうして、六日目。とうとう持ち堪えられなくなり、落ちるのも時間の問題となった。


「……もう落ちると、恩教に知らせを出せ」


 一日もすると恩教は最後の防衛線がもう落ちるという知らせが届いた。


「う〜ん! じゃあ、そろそろ動きたいかも」


 夜になると半壊状態の拠点に敵雪崩れ込んできた。

 瞬間、風雲が山際を抜ける。

 それを合図にしたように拠点に火が射かけられた。山間の霧と夜闇に紛れた恩教の部隊が奇襲を掛けた。

 木と藁で作られ拠点はすぐに火の手が回った。

 それはすぐに棋會の耳にも入った。


「今になって抵抗する気になっても遅いぞ、秋。火がどうした! 一度後退して立て直せ!」

「そ、それが……すでに中軍にも火はかけられており」

「斥候は森の中にも放っていただろう。何の問題も無いと言っていたでは無いか!」

「続けて報告! 先鋒隊壊滅!中軍ももうどれだけ持つか……!」

「先鋒隊だけでも五千だぞ!! 中軍も二千いるはずだ! そんなに早く壊滅するか!」

「し、しかし! 事実でございます!」


 実際は未だに先鋒隊は奮戦している。この偽報も恩教の手回しによるものだった。

 千人の内百人程度を偽の斥候として動かしている。実際の斥候は見つけ次第殺し、その衣服を自分の部隊の者に着せている。

 恩教の工作は完璧だった。森の中の包囲網を誰一人として逃さなかったため、報告に矛盾もなかった。

 残りの九百人で今は火による猛攻を遊月と仕掛けている。


「……今すぐ撤退の準備を!!」

「………………くそ。いや、まだだ!! まだ本陣には三千いるだろ!」

「火の中に突っ込むのですか!! 悪路の森の中を闇雲に集団で進むのも下策です! 立て直しましょう」


 しばらく棋會は考えて、苛立ちを隠せず物に当たってから伝えた。


「……撤退だ」


 こうして、棋會は撤退命令を出した。

 未だに奮戦している中軍も先鋒隊もその知らせを聞くと、意気消沈した。

 火の中で奮戦していると知れば、助けに来てくれると思っていたからなんとか戦えていたのだ。にも関わらず、出たのは撤退の報告。

 つまるところ、見捨てられたのだと思った。

 撤退を確認した恩教が先鋒隊に「投降すれば命は助ける」と約束した。先鋒隊、中軍の一部はそれぞれ降伏した。

 こうして、この山間部での戦いは終わりを告げた。


「旦那様〜戻ったよん」


 恩教と遊月が棋秋の帷幄に戦勝報告をしにきた。

 前線で戦った遊月は返り血で刀や鎧が濡れていた。


「よく無事に戻ってきてくれました、恩教。遊月、お前もよく耐えてくれましたね」

「過分な言葉だ。俺はこの女の言う通りに動いただけだ」


 遊月は帷幄に帰って初めて生き残ったと実感したのか、心底安堵したような表情を見せ、そばの椅子に腰を下ろした。だいぶ疲れが溜まっているのだろう。


「會を逃したのは惜しいですが、撃退しただけでも大金星です。胸を張って城に戻れますね」

「ねぇねぇ、私すごくなかった〜?」

「えぇ、とてもすごかったです」


 恩教は嬉しそうな、照れくさいような顔で少し笑いながら、目線をわざとらしく逸らした。


「えへへ……じゃあさ……今後も信頼してくれるかな?」

「もちろんですよ。生死栄辱を共にすると言ったではありませんか」

「うんっ!」


 次の日、投降兵を吸収した軍は城へと戻る。このまま攻め込むにしても兵糧諸共燃やしたため戦う余力は残されていなかったからだ。

 城に着くと、棋扇と付き人が真っ先に出迎えた。


「お兄ちゃぁん!!」

「棋秋様っ!! ご無事で何よりでございます!!」

「心配をかけてしまいましたね。すみません」


 戦勝報告を父に済ませると慰労を解すために風呂に入るように促された。

 この一戦で恩教の評判は高まり、棋秋も周りの反対を押し切り恩教を信じ続けたことで名君としての名も高まった。猛攻を凌ぎ切った遊月もまた、棋秋が当主になってからの右腕候補として噂されるようになる。


「っはぁ〜。久々に風呂に入るなぁ。ふぃ〜」

「一人の時は敬語じゃないんだねん?」


 声の方を向くと恩教が風呂場に入室してきた。寝食を共にしていたとはいえ、混浴はしたことない。まぁ冷めきっていたからな。


「……恩教!? どうして!? さ、先に入りたいなら俺は今上がりますので」


 人払いをしていたはずだが、恩教ということで付き人が通したのだろうと思われる。

 とにかく湯船からとっとと上がろうとすると、恩教が慌てて止めてきた。


「待って、一緒がいい。夫婦なんだからいいでしょ?」

「……そうですね」


 一応なるべく恩教の体の方を見ないようにしておく。

 それを知ってか知らずか恩教はぐいぐいと距離を詰めてくる。


「旦那様は私のこと好き好き?」

「夫婦といえど、政略結婚ですから」


 照れ隠しになるのだろうか。だが、どうだろうか。好きとか嫌いとかそんなもの分からない。


「私はね、好きだよ、旦那様のこと」

「そうですか、意外です」

「うんうん。私も意外。最初見た時はこんな凡人が私の結婚相手か〜って思ったんだよね。今だから言えるけど」

「まぁ、あなたから見たら俺なんてそんなもんでしょう」


 背中合わせで姿は見えない。


「でも私の目は節穴だったよ。旦那様にはとんでもない才能があったんだね。人をたらし込む才能が」

「なんか嫌ですね……それ」


 月明かりの中、湯気が立ち込み、頬が赤みを増す。


「まぁまぁそう言わないの。すごいことなんだから。はぁ〜あの時の旦那様かっこよかったな〜。これからもあの時の口調でお願いしたいくらいだよん」

「そうですか……では、お前といる時だけはそうさせてもらおうかな」

「お、いいねいいね!」

「あ、そうだ。この姿は俺とお前だけの秘密であるからして、他言無用だぞ?」

「まーた、たらしこむんだから」

「べ、別にたらしこんでは……」

「そのかっこいい旦那様、他の人には見せちゃ嫌だよ? 私、案外嫉妬深いんだから」


 ほどなくして風呂場を出る。もう結婚して三年か。それが今日初めて新婚らしいことをしたなと思った。

 一つ心労が取り除かれたと思っていいのかも知れないが。


「旦那様〜、また一緒に入りましょうね!」


 また新しい心労が一つ増えたのかも知れない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ