第一話 転生
はじめまして書く鹿です。
よろしくお願いします。
初夏、満天の星。山々の草木は生い茂り生命の隆盛を感じさせる。
俺はそんな素晴らしい景色を堪能する余裕なく、遭難していた。道なき道、不安定な足元に注意を深く向けていたが、一寸先は闇の木々に慣れない足元。体力も限界に近く、意識は薄れる。
瞬間突風が吹き、足を滑らせた。転がりながら絶命し、眠るように遠い場所へ意識は飛んだ。
〜
「起きてください」
重い体をどうにか起こし、目を覚ますと目の前には流れるように真っ直ぐな金髪とどこまでも透き通った碧眼、豊かな頬であった。
白を基調とした西洋風の布に身を包んでいた。声は清澄、しかし厳かな威を持ち合わせていた。
「ここは……」
見渡すと辺り一面黒く、どこまでも広い空間。
「地獄と天国の狭間、とでもいうべきでしょうか。あなたは死にました。よってその命の裁量は……そうですね、神とでも言いましょうか、私に委ねられております」
「地獄と天国……神……」
荒唐無稽な話であった。が、どこか真実味のある言葉であった。
夢かとも思ったが、いや、夢でなければおかしいが、意識がそう認識させない。
「それで……俺はどっちにいくんでしょうか?」
善人であった自信はない、悪人であった自信もない。ほどほどに善行をし、ほどほどに悪行も行った。小さな範囲での善と悪、正と邪の二面性であった。
つまり、地獄でも天国でも納得できるというものだ。
「どちらでもございません」
「……どちらでもない? 亡霊にでもなるのですか?俺は」
「いえ。そうでもございません。あなたには私の管轄するもう一つの世界を救っていただきたくお願い申し上げます」
やはり何を言っているかわからなかったが、疑えるものでもなかった。なぜか状況がスッと頭に入ってくる。
なんとも不思議なものだった。信じられない、しかし疑えない。相反するとでもいうべきだろうか、そうでもないような気がした。
「……ふふっ、と言っても答えなど聞きません」
厳かな雰囲気が一転、朗らかな姿に変わった。「えいっ!」という可愛らしい掛け声を合図に杖をぶんっと振り下ろす。
意識はまた遠くへ飛んだ。
〜
鳥明々に鳴き、意識は徐々に覚醒し、先ほどの言葉を反芻する。「世界を救え」と言われた。夢だったのだろうか。いや、やはりそうは思えない。
手を見る。そして閉じては開く。首に手を当てる。脈はある。部屋を見渡すと中華風のようであった。服装はゆったりとした浴衣のようなものを来ていた。いや、浴衣というものよりも、禅か。
緑を基調にされたこの部屋はさほど広くはないが、狭すぎるでもない。
死んだ記憶はある、しかし体は未だ動いている。もしや、現実だと思っていたものが夢であり今が現実だというのだろうか。
「棋秋様、よろしいでしょうか?」
棋秋……というのは俺の名前なのだろう。
声からして女だった。恐らく執事? いや、メイドとでもいうものだろうか。とにかく分からないがそういったものだろう。
「どうぞ」
「失礼します」
中華風の装いかと思っていたが、和風なメイド服を着ていた。
「棋秋様。おはようございます」
「おはようございます」
「ふふっ、いつも言っておりますが、私たち付き人にはそのようなお言葉遣いは威厳に欠けますよ?」
威厳か。
タメ口で話せということだろうか。しかし、柔らかな表情を見るに、そういうことでもなく冗談なのだろう。なら、冗談で返してやるのがいいだろう。
「では、側に控え、頭を垂れよ。とでも言ってみますか?」
「えへへ。威厳あるお姿も素敵です」
どうやら、結構好かれているらしい。嫌われてる人間に転生するよりかは幾分よかったと安堵した。
いや、そもそも転生なのか。胡蝶の夢とも言う。こちらが現実なのかもしれないと思い直した。いや、深く考えるのもやめておくのが良さそうだ。
付き人は側に控え、咳払いを一つすると、仕事モードというべきか、スッと雰囲気が変わった。真面目な雰囲気だった。
「では、本日のご予定のご確認をお願い致します」
「分かりました、お願いしますね」
父・母・兄・妹と朝の食事を摂る、政務、昼食、政務、政務、政務……そして夕食、また政務。
え、やっぱ現実なのか? 昨日の神とかいう存在はどうも引っ掛かっていたが、幻の類だろうか。世に聞く異世界転生とやらを期待しないこともなかったが、それがこれとは思いたくない、ずっとオフィスワークっておいおい。
「棋秋様? 何か問題がございましたか?」
「いや、なんでもありませんよ。少し考え事をしていたのです」
「そうですか。では、食卓まで供させていただきます」
廊下に出ると、長い道がまっすぐ伸びていた。照明はなく暖かな陽光が廊下を照らしていた。
「そうだ。皆は父や兄などどう見てますか」
「……そうですね。ご当主様は上手く近隣諸国との調整を行っており、棋家が存続しているのはご当主様のお力添えに他なりません。第一子様は……血気盛んにして勇猛。もし後継なされればご当主様と同じやり方はしないでしょう。と、このような凡百な見方しかできませんが」
ふむと思案した。
近隣諸国との調整を現在行なっているということは、厳しい立場なのだろうか。単に穏健派ということもあるが。そして、俺の兄とやらはそれを不満に感じていると。この付き人の様子を見ると、後者は望んでいないようだな。
跡目はすんなり決まれば良いが争いに発展すれば凄惨な結末を迎えるのがほとんどだ。家が二分する……とは考えたくないが。
いや、考えす───。
「棋秋様。私たち一同は棋秋様にご当主様の座を継いでいただきたく思います」
今、なんて?
俺に跡目を継げと言ったか? え、なに。もう家二分してた? いや、俺がその気を見せなければ良いのだ。
「滅多なことを言うものではありませんよ」
「棋秋様……申し訳ありません。しかし、本心でございます。臣下の心の拠り所はご当主様、棋秋さま、太后様、第一息女様……様々かと思いますが、もっとも民心を掴み、臣下らの信頼も最も厚かろうは棋秋様かと存じ上げます。何卒、ご再考のほどをお願い申し上げたく」
「…………そうですか」
まだ状況がわからない中、家を二分したくはない。というか、人を殺すのか。俺は人を殺せるのか。察するに戦乱。戦国時代に詳しいわけではないが、想像に難くない。
「何を話してるかと思えば、跡目争いだけは勘弁してね? お兄ちゃん」
後ろに目をやると、女がいた。やはり付き人を連れて。
お兄ちゃんと言っていたから妹なのだろう。名前は棋扇という、前から知っているようだった。
容貌は赤茶髪が肩までかかり、美しい髪飾りをしていた。黄色を基調とした刺繍の施されたこれまたゆったりとした服装だった。
「分かっていますよ、扇」
「これは、第一息女様。おはようございます」
「うんうんっ。おはようっ! まーもし跡目争いなんて事態になったら……私は……辛いよ、お兄ちゃん」
「……そうですね」
たまたま会った妹と共に食堂を目指した。
「あら〜、おはよう〜秋、扇。それと付き人の皆もね」
「おはようございます」
「おっはよ! お母さま」
「おはようございます、太后様」
真ん中で分けられた美しい絹のような金の髪は背中まで伸びている。衣装は朱を基調としていた。
柔和な笑顔は誰をも安心させるようなものだった。
しばらく歩いて食卓に着く。部屋の外には付き人が控える。すでに父と兄は席についていた。
「母上、おはようございます。扇、秋、お前らは父上をお待たせしたのだぞ!!」
「良い、老人は朝が早いのでな」
兄の名は棋會、威厳壮大にして雄大であった。父は骨張っており、頬の肉は落ちていた。それでもまだ勇壮である。老いて益々盛んという言葉が似合う。
「父上は甘すぎるのです! そもそも、棋家はただの地方の名家で終わるようなものではありません! 天下に雄飛し、掴む! それだけの力がある! ……私には策謀の類はいまいち分かりませんが、父上であれば策謀を用い、我らを駒とすることで少なくとも隣接した恩家、花家は攻め滅ぼせたはずです! いえ今からでも!」
「言葉を慎め、會」
どうやら、仲はあまりよろしくないらしい。
方針の違いというのはどこにでもある。若いうちはなんでもできると思い込む。それが悪いとは言わない。過信が良い結果を招くことが無いことはない。が、過信は過信。いずれ身を滅ぼす。その前に歳を重ね、経験を重ね、いずれ無謀と勇気の違いを理解する。しかし、無謀と弱気を履き違えるようにもなる。
俺はどちらが正しいかは分からない。けれど、家が二分し得る事態なのは理解できた。
二分した時、俺はどちらに付けばいい。
「まぁまぁ〜ご飯を食べましょう? 冷めてしまいますよ」
「えぇ、そうですね」
「今日はなにー? 魚かなー? 魚の気分だなー」
すんすんと鼻を鳴らす棋扇につられて腹が鳴った。魚……ではなく、米と野菜だった。
炊き立ての米と採れたての野菜が良い塩梅で噛み合っていた。
「魚じゃないけどおいしーねー、お兄ちゃん!」
「うん。美味しいですね。後で料理人に感謝を言いましょうか」
「ふん、強かだな秋」
目をこちらに向けて兄が言った。何やら変な勘繰りをされているらしい。いや、変な勘繰りかはわからないな。以前の俺は何か腹に一物を抱えていなかったとも言えない。
「よせ、會。案ずるな。跡目はお前に譲る。秋も怪しげな行動は慎め」
父がしわがれた声で兄を制止した。俺にも一応釘を刺すようだったが、それほど問題視していないように思えた。
「えー? お礼言うのもだめなのー?」
「言うならお前だけにしろ。秋の立場は危うい、無論俺もな。俺はお前に人望という点では勝てぬ。跡目争いになれば、俺はお前には勝てんだろう。だが、軍事指揮能力はお前は俺の足元にも及ばぬ。俺が当主となり、お前が俺を支えれば最強だ。扇、お前の力も頼みとしている。俺に無い人望・智謀、その二つを持って俺を支えろ」
「はいは〜い。って私? やだなー頭使うの疲れちゃうんだよー?」
「食事の時くらいそのような話はよせ」
「そうよ〜もっと楽しいお話しましょう〜?」
なぜだろうな。
この食卓はなぜか暖かい気がした。家が二分する危険性はもちろん孕んでいる。しかし、それは俺次第。なら、心配はない。
俺は家を二分になどしない。それに俺は棋會の考えに反対する気持ちはない。
“世界を救っていただきたくお願い申し上げます”
あの夢とも思えぬ夢は……天啓ともいうべきものなのだろう。
しばらくして朝食を終え、部屋を出た。
「じゃーねーお兄ちゃん! 料理人にお兄ちゃんも美味しいって言ってたよって言ってくるねー」
「うん。頼みますね」
背を向ける棋扇。
「おい、扇」
棋會は棋扇に声をかけた。
「なに? 會兄」
「俺からも美味かった、と」
「うんうんっ、分かったよっ!」
また背を向けて棋扇は厨房に向かっていった。棋會はとっとと自室に戻る。
俺は待たせていた付き人に声をかけた。
「お待ちしておりました」
「うん。お待たせしましたね」
政務室に向かい、運ばれてくる書類に目を通す。
といっても狭い地方を治めるだけの棋家。それを父が大部分、兄・俺がその他の地域を領している。俺が管轄しているのはただ村を一つ二つほどのみ。
特に何も問題はない、仕事量も質も、と思ったが。
「秋、おるか」
父の声が廊下からした。とりあえず政務室の中に入れることにした。
「どうぞ」
「失礼するぞ」
父は扉を開けて、神妙な面持ちで向かいの椅子に座る。目線で付き人を外に出すように促す。
付き人は頷き、外に出た。
「話とはなんでしょうか」
「好いた女はいるか」
好いた女……か。いるはずもない。記憶は曖昧、というか今日からのものしかない。
例え誰かに恋心を抱いていたとしても忘れている。
「いえ、おりません」
「ふむ。それは良かった」
安堵したような父の顔から察するに婚姻の話なのだろう。俺も今しがた政務を終えたところだ。父はまだ政務があるだろう。それを切り上げてまでこちらに話にくるほど重要な婚姻なのだろうか。
「で、お話とは」
「察しがついておろう。恩家、花家。どちらを味方につけるがいいと思う」
知らない。情勢を理解しないと答えなど出せない。そこのところは覚えてない。が、覚えてないとは言えない。
「その前に一つ、父から見た三家の情勢をお教えいただけますか」
「ふむ。三家は均衡しておる。と言ってもどれも小国。戦争になれば、三家の内一家が漁夫の利を得るか、周りの家が攻めてくれば三家は瞬く間に滅びるだろうよ。我ら棋家は内政はそれほど豊かとは言えぬ。ひとえに外交で綱渡りをしてきた。南に隣接する恩家は豊かで物資も豊富、されど将の質に乏しく、戦争の経験も少ない、息女の恩教とやらは傑物と言われておるが、兵法においては所詮は机上の空論を述べるだけ、実力は計りかねるだろう。東に隣接する花家は山々に囲まれ、人口は少ないが、山から採れる銀で豊かな経済力を有している。戦争をすれば攻めにくい上に豊かな経済力。恩家よりも攻めるは辛かろうよ。だが息女の花翠とやらは引きこもっているらしい、家と本人の資質は別だろう。お前の嫁にするには……少々不安だ」
「……もう一つ、お聞かせ願いたいことがございます。なぜ、兄ではなく俺を?」
眉を顰める父の姿に一抹の不安を抱える。そもそもこの程度の話、人払いをする必要はない。跡目の結婚ではない。第二子の結婚なのだからな。しかし、人払いをした上に兄はおろか母や妹にすら話してはいない様子。
これは、まずいかもな。
「會は人望に欠ける。当主の器ではなかろう。本人は人望あるお前を側に控えさせれば良いと考えているのだろう。しかし、そうでは遅かれ早かれ、家臣はお前を担ぎ上げるだろうよ。拡大路線の會ではこれよりもっと国を大きくするだろう。国が大きくなればなるほど、乱れは大きくなる。お前にその気があろうとなかろうと、大火は棋家を包む。その前にお前に跡を継がせたいのだ。その為にはお前は妻を迎えねばならぬ」
この世界では所帯を持って初めて立派な人間とされるらしく、当主を継ぐのにはそういった理由からだ。
「恩家か花家、どちらかの嫁を頂けば強力な後ろ盾となろう。會は納得せぬだろう。だが、大きな力がお前の背後にあれば、当主の座を諦める……と思う」
野心家にして自信過剰。一見頼もしく見えるが、その実は大言壮語を吐くだけか、或いは状況が読めていないだけ。
そんな人間が誰かの下につくなんてことがあるのだろうか。
器が矮小とは言わない。その見せかけの頼もしさもいつか役に立つだろう。だが、ことこの状況においては、そうではなかろう。
「……どうか、兄にそのお話を。俺にはまだ妻を迎えるには早いかと思います」
「…………分かっている。だが、家は必ず二分される。これはお前を殺すか、會を殺すかの二択なのだ。どちらも殺したくはない。しかし、會には悲しいかな当主の器はない。武将の子として産まれておれば長生きできただろう。逆にお前は武将の子として産まれれば長くは生きなかっただろう。しかし、当主の子として産まれた。血を分けねばお前たちは良き主従であっただろう、だが血を分けたが為にもしかしたら殺し合わねばならぬ。これほど不幸なことはない。いや、せめて逆に産んでやれば……お前たちは良き兄弟であったはずだ。許せとは言わぬ。憎んでも良い」
「……」
情はない。
血を分けたと言われても記憶がない。けれど不思議なものだ。家族というだけで殺したくない。兄が当主には向いてないのはすぐに分かった。しかし、それを補佐すれば良いだけだと感じていた。父はそう感じていないようだが、じき父は死ぬ。もう長くはない。それは見ればわかる。
一旦ここでこの話を承諾してから、約束を反故しても良いだろう。だが、兄の目にはそうは見えぬだろう。俺が妻を迎えた瞬間から疑う。兄もまだ妻を迎えていないのだから。
結局は俺が跡を継ぐにしても時期尚早。それだけもう容態がすぐれないのだろう。朝食も米と野菜だったのは父の体調を危惧してのものなのだろうと思う。
「焦っておる。わしは焦っておるのだ」
「分かりました。では、二人娶りましょう。俺と兄で一人ずつ。これではどうでしょうか。俺は相手方の家に婿に入ります」
「……良かろうよ」
納得はしていないようだった。しかし、それは次善の策として考えていたものなのか。許容……と言ったところだろう。
「では、そういうことでよろしくお願いします」
「うむ……」
父は退室し、付き人が中に入った。
「なんのお話を?」
どうやら会話は外には漏れていないようだった。
少し考えたが、特に隠すようなことでもないと思い話すことにした。
「父は後継の件を話されました」
「そうですか。では、跡目を継がれるのですか?」
「継ぎませんよ、俺は。というか、婿入り先の家に移ります、こことももうすぐお別れということです」
瞬間、付き人が腰を落とし、その場に倒れるように座り込んだ。
目には涙を浮かべている。そんなにも好かれているのかと困惑した。
「棋秋様が……この家を……離れる?」
「はい……そうですね。悲しいですが、今生の別という訳でもありません、どこかでまたここに寄ることもあるでしょう」
「そんな……私たちだけでなく、臣下の皆様も置いて行かれるのですか? ご当主様に嘆願いたします! どうかこの家を離れるのだけは……!!」
どうしてこんなにも好かれているのかはわからない。この付き人が特別俺のことを好きでいてくれてるだけなのか、他の人たちも同様なのか、覚えていない。そして、なぜこの人望を集めたのか? 集めていなかったとしたら不気味なほどに好かれている。それとも俺という人間は本当に根からの善人であったとでもいうのか? そんな者がこの世にいるのか?
「……父の決定です」
「そんな……」
こうして最後に一悶着あったが、午前の政務を終えると昼食を取る。昼食は家族で取るわけではない。付き人や家臣と取るのが一般的らしい。
俺としては家臣の顔を合わせるのは初めてだが、たがたが二、三人程度、名前を覚えるのは容易い。中でも、遊月という男は覚えやすかった。筋骨隆々にして寡黙、年齢は俺と同じくらいの……そうだな、十七頃だろうか。
食事の席では俺の人望がどんなものか試してみた。
「そういえば、跡目の件ですが───」
「ようやく決心したか。棋秋」
口を開いたのは遊月だった。
ようやくということはこの話を俺は何度もされ、その度に断っていたのだろう。我ながらと言ってもいいのか、野心がなく、穏便に済ませる事なかれ主義だったのだろう。或いはその逆に胸中に野望を秘めながらそれを誰にも話さず虎視眈々と機会を狙う獰猛にして残忍な人の皮を被った獣かもしれない。
「いや、俺は恩家か花家に婿に行くことになる。この家には残らない。父と棋會にその忠誠を尽くしてくれ」
「なに!? 棋會様の根回しだろうか……いや、ご当主様も口ではああ言っているが、どちらかといえばお前を推したいはず……」
どうやら好かれているようで不安になった。これは兄も不安になるもんだと思った。
これは困ったものだが、もちろん棋會派閥もいるはずだ。それらに頑張ってもらうしかないだろう。
「俺はそろそろ行きます」
とはいえどこに行くことかと言えば管轄の村にでも出かけようかと思った。机の上では問題はないようだが、実際に赴かなければわからないこともある。
付き人をつけて村に赴く。城下の門を抜け、しばし馬を走らせ、少ししたら村に着いた。馬の乗り方はなんとなく覚えていた。
「到着いたしました」
「周囲の警戒ありがとうございます」
村で畑仕事をしていた男がこちらの馬の足音に気づいて視線を向けた。
俺だと気づくと朗らかな笑顔を向けて汗を拭った。
「棋秋様! 遠路はるばるお越しくださりありがとうございます!」
世辞ではない歓迎だった。その声につられて、村の老若男女のそれぞれが出迎えにきた。
「きしゅーさまだー!」
「またいっしょにあそんでー!」
まさに全員が俺を敬愛していた。自分のことながら引いてしまう。
そして、俺の人望を知るたびに俺は俺のことが怖くて仕方がない。人の集まりとはそのまま力になる。数によって成り立つ正義、それは場合によって暴徒となる。
俺がもし、反旗を翻せば棋家を乗っ取るなど容易だろう。特に棋會が当主になったとしたら、俺が意図せずとも旗印に掲げられるというのも考えられる。
「えぇ、一緒に遊びましょう。今日は何をしますか?」
「おにごっこー」
「おーまーまーごーとー! きしゅーさまがおとーさん!」
「かくれんぼだよー!」
すぐに子供の群れが側に寄ってきた。付き人にも子供の群れができている。腕を引っ張られていて困っているようだが、笑顔であった。
子供たちと遊び、村の農業を手伝い、女性たちの旦那に対する愚痴に耳を傾け、村長と話をし、気づけば日はもう落ちかけていた。
「棋秋様、ありがとうございます! またどうかお越しください」
「きしゅーさま! またあそんでね!」
「えぇ、また来させていただきます。君もまた遊びましょうね。次のかくれんぼは負けませんよ!」
村を出ると姿が見えなくなるまで村人は手を振り続けた。俺もそれに応えながら手を振り返す。
斜陽眩しく、目を覆わねば前すら見えぬほどに輝きを放っていた。田園はその輝きを反射させていた。少し目を外にやると小川の音が静かな虫の鳴き声によく響き合っていた。ここは平和なのだと痛感する。
それが領主の跡目争いに巻き込まれ戦火が及ぶのは避けたい。
「棋秋様、よい風景ですね」
「そうですね。いつまでもこのような自然が残る世にしたいものです」
醇風、頬を撫でる。
「棋秋様、改めてご提案させていただきます。ご当主様の後継になられてください」
「その話は───」
「私は戦争孤児でございました。子供の頃は長らく一人で生きてきました。農作物を盗むことも、腐ったゴミを漁ることも多々ありました。時にはそれすら無く死にかけることもです。そんな状況を知りながら、村々の様子をご自身が確認される者など私は見たことがございません。そればかりか搾取することだけを考えている者がほとんどです。棋家の方々はそうではありませんが……。しかし、棋秋様は搾取しないことに加えて、棋家領内では比較的豊かであり、治安も安定していながら時折村に赴かれては民に寄り添い、子供と一緒になって遊び、家庭の愚痴にすら耳を傾ける。それは棋家でも棋秋様だけでございます。そんなお優しい棋秋様にこそ、もっと大きな領土を治めてほしいのです。お願い致します。棋秋様、どうにかお願い致します。再三お願い申し上げます。どうかご再考の程をお願い致します」
「……兄は領土を拡大させたいようです。それに伴って、俺の治める領土も広がるでしょう」
「棋秋様でなければならないのです! どうして、どうして分かってくださらないのですか! どうして!! 棋秋様に野心があれば領民はもっと幸せになれるのに……どうして……神は棋秋様に野心を与えられなかったのか……残念でなりません。最後にご再考のお願いを申し上げます。お願い致します……」
「この風景を見て、村の方々の姿を見て、美しいと思いました。汗をかいて畑を耕す者。純真爛漫な子供たち。家を守る強い女性。村を愛している村長をはじめとする村民たち。これらが戦火に包まれてほしくないと感じます。そしてそれはよもや外敵の襲来ではなく私たちの跡目争いに寄って引き起こされたのなら、俺は後悔の念に耐えません」
「……そうですね。…………そう、ですね」
夕陽の中に包まれるように帰路に着いた。城に入ると、付き人とは違う者が言伝に来た。
「棋秋様、ご当主様がお呼びでございます、二刻ほどしたら玉座にお越しください。付き人も連れてくるように仰せです」
「付き人も……? 分かりました」
基本的に付き人は部屋の外を警戒するため中に入ることはない。付き人が中に入るということは、第三者が必要な話ということだろう。
自室に戻り、付き人も用意があるからと戻った。
まぁ、とりあえず深く考えずに少し横になってから玉座に向かった。
大きな扉の前で立ち止まり、付き人は一呼吸置いて、声を出す。
「ご当主様、ただいま到着いたしました。棋秋様とその付き人でございます」
「うむ。入りたまえ」
大きな扉を付き人が開ける。すでに棋會と棋扇、母の姿もある。付き人を連れていた。
それにしても性急すぎると感じた。或いは前々から準備していたのだろうか。父は外交によってこの家を守ってきたという。いつでも動けるようにしていたのか。
「この度は恩家と花家、そして棋家で三家同盟を結ぶことにした」
「私どっちに嫁ぐの? お父さま」
どちらから嫁を迎え、どちらかに嫁を出す。それぞれ三家がそうすることで、公平な三家同盟が成る。個人的にはどちらに嫁いでもいいが、山間に位置する花家に嫁がれると行くのも来るのも面倒だなとくらいにしか思わない。
「お前は嫁がぬ」
父はそう言った。俺の言った意見を容れたのだろう。となると俺が婿入りするのだから山はちょっと面倒臭い。
まぁそれで内乱にならないなら山登り程度軽いものだ。
「會、お前は花家に婿に入れ。秋、お前は恩家から嫁をいただけ。わかったか」
「……今、なんと…………?」
棋會は信じられぬという顔で父を見た。俺も信じられない……とまでは言わないが、こうなるとまずいなという気持ちはある。
もし万が一だ。いつでも軍を動かせる状態であれば、明日にでも今日でも反旗を掲げる可能性がある。まぁ、棋會の力がどの程度かは分からない。そうならないといいが、まぁその可能性が低いからこの話をしたのだろう。
「この同盟は信頼が大事だ。跡目の第一候補であるお前を婿に出せば大きな信頼を得られる。やってくれるか」
「……詭弁な…………これは実質追放ではありませんか! どうか考え直していただきたい!」
「父、俺からもお願い致します、いくら信頼を得るためとはいえ、兄を出すのはあまりに過大。俺が花家に婿入り致します」
「秋……お前なんと強かな! その化けの皮いずれ剥いで貴様の悪辣にして邪智奸佞な様を白日の元に晒してやるぞ! 父上を唆しよって!」
「父。周りの方々はこう見ます。要らぬ混乱を招かないためにも───」
このまま俺が当主になったらどうなるか、想像に難くない。棋家がもっと大きくなるためにはこんなところで躓いてる暇はないはずだ。
ただもう足掻くだけ足掻くしかできない。
「お兄ちゃん、會兄。決まったことは決まったことだよ。今更もう覆すことはできないよ。これは棋家だけの問題じゃない。會兄を出すって言って実際に来たのがその弟って知ったら花家の信頼はどうなるの? 恩家だって良い目では見ないよ。會兄、くれぐれも間違った考えを起こしちゃだめだよ?」
「しかし!!」
「負けたんだよ、會兄。お兄ちゃんに會兄は負けたの」
「いや、俺は───」
当主に就く気持ちはないことをとにかく主張しなくては……いやでもそれも結局……いやだからと言って俺が辞退を繰り返さないと何になる? このまま俺が当主になるぞ。そうなったらもう……家はこのまま二分されるのか……。
「秋は関与しておらぬ。全てわしの考えと一存だ。會、扇。粗末な邪推はするな」
「……ごめんねお父さま、お兄ちゃん」
苦虫を噛み潰したような顔をしながら兄は吠える。
「ならば尚のこと納得できませぬ! 当主の座につくほどの野望もない男に何ができましょう! いくら人望を得ていても! 行動無くして棋家の繁栄はありませぬぞ! どうかお考え直しを!」
「見苦しいですよ〜會〜」
「母上まで!!」
笑顔を浮かべてはいるがその目の底は怒りの色に濁っていた。この空気はまずいと思い俺が話を切り出す。
「……はぁ。俺が兄の名を騙って花家に行きます。それでどうに───」
「なりません棋秋様!」
俺の言葉を遮って付き人が声を上げた。何やら片手にはかなり長い巻物状の紙を持っており、それを広げてみせた。
「ご当主様。我ら棋家の付き人の多くの者の名を記載した推戴文でございます! 棋會様がご当主になられた暁にはこの推戴文にある者は全て反逆者としての証拠となり、全員が喜んで死罪を受け入れるでしょう! 中には臣下の名もございます! 棋秋様。この推戴文に名を載せた全員をお見捨てになられるのですか!」
最悪だぞ。こんなん確実に、跡目争いになるに決まってる。
これ……大丈夫か。大丈夫なわけないだろ。本当に殺さなければならないのか、俺が。いや、もうこうなったら折れてくれるのを祈るしかないか。
「…………そうですか。俺はもう当主に就くしか……」
「では、せめて恩家に婿入りさせてください父上」
「もう決まったことだ」
「…………そうですか」
もう決まったことか。それにしてもなぜ恩家に? 結局追放に変わりはないだろ。何か狙いがあるのか。それとも普通に恩家の女に惚れてるのか? 分からないな。
「話は終わりだ」
そうして結局何も変わらず退室する一応棋會の動きを見ておくか。
自室に戻り床につくと、扉を叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
入ってきたのは付き人だった。
「この度は出過ぎた真似をしてしまい誠に申し訳ありません」
「……良いのです。俺が当主になるのはまだまだ先の話。それまでにどうにか兄を説得できれば家は分かれません」
「…………」
俺の心痛を汲み取ったのか付き人は目の端には涙を浮かべている。苦悶の表情だった。
「兄を陥れるためではなく、棋家のためにしてくれたのでしょう? なら、咎められる者など誰もいません。もう眠って明日の業務に支障がないようにしてください」
「寛大なお心に感謝申し上げます。では、失礼致します」
付き人は扉を閉めて自室に戻った。今夜、自室の警戒をしてくれる護衛を労い就寝する。
夢に落ちると、そこは見たことのある黒い空間だった。
「ご苦労様でございます」
「あなたは……これは夢なのですか、それとも本当に神が天啓を与えに来たとでも?」
目の前にはあの時の神を名乗る存在がいた。
「私は二つの世界を管理していると言いましたね? あなた方が元いた世界はそれなりによく管理できました。初めは世界中で戦乱が起きましたが、今ではごく一部の紛争を残しているに留まっています。ですが、あなたが今いる世界はどうにも上手くいきません。かれこれ一万年ほどこの世界は大規模小規模問わず争い合っています。あなたを呼んだのは一万年の騒乱に終止符を打っていただくためです」
「なぜ俺なんですか」
「それはあなたの[特性]に関与しております」
「[特性]?」
「はい。[特性]とはあなた方が持つ資質のことであり、基本的にみんな一つ持っており、最大で三個持っています、特性を二つ持つ者は数百年に一度……特性を三つ持つ者は数千年に一度くらいの頻度です。また[特性]の中には上位互換も存在し[人徳]は[カリスマ][人たらし]などの上位互換であり、下位互換の[特性]は付与されません」
「そして棋秋、あなたであれば先述した[人徳]をこの世界で、元の世界では[野心家]を持っています。[人徳]はある程度の悪業の基準を越えなければ例外を除いて好感度が上がりやすくなります。例外とは[悪徳]やあなたに復讐心を持つ方々です。そして[野心家]とはあなたが能力相応以上の社会的地位を欲しやすくなるものです。今あなたがいる世界には野心が無く、元いた世界には能力が足りなかった。これらが合わさればあなたは無比の英雄になれるのです、どうか、乱を沈めてください」
俺がなぜこんなにも好かれているのかは分かった。それに対する邪推をするのもだ。しかし、今のところ俺に野心は無い。あれよあれよと当主になる話になったが、正直乗り気じゃ無い。
「俺は野心なんて持ってないですよ本当に」
「恐らく魂を無理矢理移したので上手く同調できてないのでしょう。私が管理する二つの世界は相互に同一の魂を持つ存在がいます。全く異なる性質の[特性]であっても根幹は魂です。それに人格や価値観が詰め込まれており、[特性]が付与されるのです。例えば同じ[野心家]という特性が付与されていても魂が善であれば、慈善事業団体の会長などを目指すことになります。逆に魂が悪であれば社内で専横を振るうことを目的に出世を望み続け、時には犯罪を犯します。そして、この魂と[特性]が上手く噛み合わなければ、多重人格と呼ばれるものになったり、自暴自棄になったりします。分かりましたか?」
「……なるほど、それで同調しないというのは? 魂は同一存在なのですよね?」
「はい。魂は主に善・中庸・悪に分類されます、程度はありますが。そして棋秋の魂は善、[特性]は[人徳]。うまく噛み合っており、魂はかなり快適であったでしょう。しかしそこに無理に[野心家]という[特性]を付与したことになります。魂は急な[特性]の付与に混乱しているのでしょう。まぁ、いずれ同調してくれると思います」
「そうですか……」
それはつまり俺に今後野心が芽生えるということだった。
俺はそれを御しきれるのか? いや、御さねばならない。
「さて、あなたを呼んだのはもう一つ理由があります。この世界の説明を行なっておりませんでした。魂が同調し記憶が戻れば説明の必要はありませんが、遅くなってからではまずいので今説明しておきますね」
「はい」
「まずこの時代を百家争鳴時代と呼びます。人間、魔族、妖精、小鬼、獣人など、多くの種族がこの世界におり、同族他族を問わず争っております。ただ魔族は一人の魔王によって統治されておりますので比較的平和です。また、小鬼は被差別階級に当たります。特に妖精たちによって虐げられている状態です。また、これらの種族が集まった地域が世界の真ん中辺りにあり、いわばそれぞれの種族のはぐれものたちです。なので多種族でありながら団結力は強いものがありますが、ここでも小鬼の立場苦しいようです。ここからみて、南東が獣人、南西が妖精、北東が魔族、北西が人間。大まかにこう別れています。そして棋家は、人間領域の中で南東寄りに位置しており、周辺国家は知っているとは思いますが、恩家と花家が、北に進むと一番大きな都市があり、そこは鄒家という者が支配しており、そこに我々神の血を引く一族も支配されています」
「神の血を引く一族?」
「はい。私がこの世界を作った際に繁栄を願って血から人間を作りました、男女をそれぞれ五百人ずつ、計千人を。なので大元を辿れば皆私の血を引いているですが、特に色濃く私の血の特色が強い[神性]を持つ者たちです。と言っても信仰が薄れ、乱れている世界でそれは持つだけ無駄な[特性]となってしまいました。まぁ、それは今問題ではありません。とりあえず人間領域を統一し、その後世界を統一しなさい。狭めに作ったから世界と言っても元いた世界の一国ほどが統一するくらいのものです」
「くらいのものですって言われましても……」
神は威厳のある姿をやめ、指を慣らし、椅子を出現させた。それに座り肘をつきはじめた。
「かの織田信長も[野心家]と[先見の明]でなんとかしましたし、なんとかなりますよなんとか」
「いや、織田信長と比べられましても」
「不安であれば[特性]をもう一つ付与いたします。[慧眼]です。人の[特性]を見ることができます。それを元に頑張りなさい、頼みましたよ。では」
その椅子から立ち上がり杖を携えてにじり寄ってくる。
「えいっ!」
杖で殴られ、意識がまた遠くへ飛ぶ。いよいよそれ以外の眠らせ方は無いのだろうかとちょっと思ったりする。
目を覚ますとやはり、中華風の部屋にいた。
「ただの夢と片づけるには惜しいな……[特性]か」
あれが本当なのであれば、[特性]とやらが見えるはず。
「付き人の者はいますか?」
「はっ、ただいま」
付き人が扉を開ける。
昨日と変わらない様子だが……。[慧眼]ってどうしたら発動? できるんだ。
「え、あの……棋秋様? そ、そんなに見つめられると照れてしまいます……えっと……」
長時間眺める必要があるのか、あるいは意識をもっと向ける必要があるのか。
「き、棋秋様は! 近い内にご結婚なされる身! そ、それに私と棋秋様とではた、たた、立場が……!! で、でも棋秋様がお求めになさらるなら、その……側室に置いてくだされば!!」
ん? 見えてきたぞ。顔の右上……[忠義の犬]? あ、下に説明が……。これは、忠誠を誓った相手のために戦った場合、一度だけ必ず目的を遂げ一命は取り留めて主人の元に帰る。か。
「あの……棋秋様」
「あ、あぁ。申し訳ありません。あなたの忠誠心にはいつも感謝しています」
「は、はい!」
未だに自分の置かれてる状況はよく分かってない。しかし、あの夢のような現象も現実だと分かった。そして、この騒乱を鎮めるために呼ばれたのであれば、そうすべきだろう。
俺もこの世界が平和になればと思う。魂とやらの混乱が解けた時に全てが遅くなる前に前準備くらいはしておくべきだろう。
窓から差し込まれる朝日を見ながら、そう誓った。