18.異変
「貴方こそ誰なのよ?」
いきなりレディの口を塞ぐような奴なんて碌な奴じゃない。強い口調で問い質すと、男は驚いたような表情をしたまま、しばらく黙ってこちらを見つめていた。
冗談だろ、という目で見てくる。そんな顔をされても、私はやっぱりこの男を知らない。そういえばどこかで見たことあるような気もする……。いや、やっぱり知らないわね。
「……失礼。テオ・ガーランドと申します」
胸に手を当てて、僅かに腰を曲げて丁寧に挨拶する。テオ・ガーランド、ダニエル王子の弟だ。まさか、そんなことがある訳ない。
「信じないわ」
思わず本音が口から出てしまう。無礼なことだとわかっているが、無礼なことをしたのもこの男だ。
「無理もない」
男はそう言ってまた楽しそうに笑っている。私の無礼な態度を気にする様子もなく、親しげに話を進めてくる。
「で、君は誰だい?」
「……ジゼル・サマー」
名乗るまで諦めそうにない。仕方なく、小さな声で答える。
「君が? 似てなくない?」
「……遠い親戚ですから」
「それでもさ、面影とかあるじゃない。なんか、少しもそういうのを感じないんだよなぁ……」
まじまじと覗き込むように顔を見つめながら、納得いかないとでも言うようだ。
「……ア、アリシアと親しかったのですか?」
話を変えよう。
「んー、まあね。少し、」
テオ王子の顔が一瞬曇った。知り合いでもおかしくはないのだが、少し意外だった。
「少し手を繋いでお散歩したくらいかな。あと、キスも」
「キスも!」
想像以上の仲で、私は思わず大きな声を出してしまった。ごめんなさい、と小さく詫びると、面白い子だねぇと朗らかに笑っている。
「それは……お辛いでしょうね」
「ああ、可愛い子は総じて幸せにならなくてはいけないよね」
薄い瞼を閉じてしみじみと語るが、どうにもその答えは軽い。
「お二人は……深い仲だったのですよね……?」
「何言ってるんだ、彼女は兄上の妃候補だぞ」
いや、貴方こそ何を仰っているのですか。と言葉が喉まで出かかっていた。
「ねえ、君本当はアリシアの遠い親戚なんかじゃないだろう?」
「何を根拠に……」
思い出したようにまた、しっかりと目を合わせてくる。漆黒の瞳が、新しいおもちゃを見つけた子どものようにキラキラと輝いている。
「わかるよ。ジゼルはさ、フィンの友人の紹介でここに来たんだろう? 目的は謝礼金? それともあわよくば、ってやつ?」
彼も一国の王子であるはずなのに、ぽんぽんと出てくる言葉は随分と世俗的だ。
「だったら、なんです?」
「協力してあげる」
「なんで、貴方が……結構です」
ーーフィン以外は信用してはならない。もちろんそのつもりだ。
「まあまあ、なんか面白そうだからさ。それに、謝礼金って本当に支払われるの? それならさ、いっそ王妃になった方が一生遊んで暮らせるぜ?」
「いいの、私は今だって命懸けで参加してる。借金返して、少し贅沢できたら満足です」
生き残る為には、多くを望まない。私はそう決めていた。
「へえ、借金があるんだ。サマー家の人間が?」
「……」
迂闊だった……。つい喋りすぎってしまった。ロイドに知られたら怒られるわ。
「でもさ、それなら余計に味方は必要だよ。お友達はフィンを信じているかもしれないけど、君は?」
痛いところを突かれてしまった。フィンのことは好きだ。丁寧で優しいし、良くしてくれる。ロイドは昔からの彼を知っているけど、私はよく知らない。
「私は……」
「ジゼル様!」
よく通る声が廊下に響いた。
「ロイド……! どうしたの?」
「お戻りが遅いので、テオ王子とご一緒だったのですね」
テオとの間に割って入るように立ち塞がる。ふと、ロイドが肩で息をしているのが目に入る。
やっぱり体調が優れないんだわ。
ロイドの背中に触れると、しっとりと汗ばんでいた。きっとなかなか戻らないから心配して探しに来てくれたのだ。ごめんね、と心の中で謝る。
「ああ、君が。あまり夜遅くに女性を……主人を一人で歩かせるのは感心しないぞ」
テオが冗談っぽく笑っているのに対して、ロイドはにこりとも返さない。表情を変えずに冷たい視線を向けている。
「お言葉ですが、ガーランド家の者は例外なく立ち入り禁止の筈です。ふらふらと立ち入られるのも感心しませんね」
いつの間にか合流していたフィンが冷ややかな声で諫めると、テオは意地悪そうに笑った。
「はいはい、ところで兄上はお元気だったかな? 最近ゆっくり話せなくてね」
「……!」
フィンは少し驚いたようだったが、すぐにまたいつもの冷静さを取り戻した。
「人に見つかる前に、どうかお戻りください」
「言われなくてもそうするさ、またね。ジゼル」
そう言って、私の手を取りそっとキスをした。そして、颯爽と闇夜に溶けていってしまった。こんな風にアリシアにも近づいたのかしら。
「大丈夫か、ジゼル」
「何もされていませんか?」
二人が口々に気遣うように言葉を掛けてくれる。
「まったく……あの人はああして妃候補の女性に声を掛けては摘み食いをするのです」
「摘み食い?」
「ええ、おかげでダニエル王子ではなく、テオ王子と結婚したいと言い出す女性が出てきてしまう……」
フィンは苦々しく吐き捨てるように言った。
「女性を口説くのが趣味のような男です。あの容姿で言葉もお上手……危ない男です」
「まあ、そうなの」
フィンは私が口説かれていたと思っているようだ。実際はただ怪しまれていただけだったのだが。
「気をつけてくださいね、ジゼル様は可愛いから放っておかないでしょう……ロイド?」
ロイドは壁にもたれかかりながら、ずるずると座り込んでしまった。
「フィン、ロイドさっきから体調が良くないみたいなの……」
慌てて側に駆け寄ると、額には玉のような大粒の汗が吹き出している。熱はないようだが、顔色は悪くとても苦しそうだ。
「……とりあえず、医務室に運びましょう。おい、ロイド大丈夫か?」
「……ああ」
大丈夫、と小さく唇を動かしたように見えたが、ほとんど声になっていなかった。ぐったりとフィンに体を預けている。
ロイドに何かあったらどうしよう……。
私は、たちまち不安になった。彼はいつからこうなっていた? どうして、こんなになるまで気付かなかったのだろう。心臓の音がうるさくて、手の震えが止まらない。フィンは、心配そうに私を見ると、少し強張ったような顔で無理に笑ってみせた。
「大丈夫ですよ。さあ、行きましょう」




