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南風(はえ)吹かば  作者: 悠鬼由宇
7/7

戦慄の一次予選、そして…

 あああーーーーーーーーー

 行っちゃった。


 でも。

 楽しかった。うん。マジ神タイムだった。うん。

 なんか一人でくっちゃべっていた気がするけど、こんだけゆっくりゆ−だいさんとお話ししたのは初めてかも。

 ゴルフの話するとゆーだいさんの事だからメチャ心配してくれそーなんで、あえてゴルフの話はせんかった。

 その代わり、アタシの話をいっぱいした。ゆーだいさんはアタシの二人の弟と会ったことないから、アイツらの話をいっぱいした。

 下の弟の源次郎の話にちょっと食いついてたなあ。へっぽこだけど、一応中学まで野球部で四月からは大多慶商業入って野球部入るらしいから。

 ウチの野球部は詳しくは知らんけど、ゆーだいさんはちょっと知ってたわ。何でも十数年前にプロ野球に行った凄え選手がいたとか。

「ちなみに、源次郎くんってポジションは?」

「んーー、お茶汲み?」

 運転中にズッコケさせると命の危険に犯されることを、齢十九にして初めて知る。

「お兄ちゃんの、えーと、大次郎くん? も大多慶商業なの?」

「それがさ。アイツ突然変異でさ、チョー頭良いんだわ」

「へえー。じゃあ別の高校に?」

「そ。県立の千葉一高行ってんだ」

「凄いじゃん! 俺でも知ってるよ、千葉の公立でダントツ一番じゃん!」

「誰に似たんだか。アタシはちょっと怪しいとにらんでんだけどさ、母ちゃんが誰か頭いい人と浮気したんじゃね? って」

「まーさーk…… いや… マジで、無いよな? そんなこと、ないよな?」

 ウケる。マジゆーだいさんが青ざめてるし。

「うん。ねーし。あー見えて母ちゃん、実はいまだに父ちゃん一筋だし。」

 メチャホッとしてるゆーだいさんにキュンキュンする。

「そ、そっか。良かった。じゃあ大次郎くんは来年受験生かな?」

「だな。早くアタシが稼がねーと。大学行かしてやんねーと」

 と当然の事を呟くとゆーだいさんはポツリと、

「俺、甘やかされてきたんだ、ってつくづく思うわ。学費も小遣いも全部親が出してくれたし。未だに実家暮らしだし。」

「だーかーらー。同情するなら、金落とせっつーの(笑)大多慶市に、さ。」

ゆーだいさんはすぐ自虐ネタに走るから。スポーツ選手だったのに、ちょっと暗いんだよなあ、でもそれが素敵! 好き!


 そーんな今日のシンデレラタイムももうおしまい。てか。チゲーよ、アタしゃ戦いに来てんだっつーの。敵をぶっ潰しに来たんだっつーの。ふんっ。

 サービスエリアでの電話からゆーだいさんの表情が固いんで、きっと彼女のチャラ子に色々言われてんだろーな、って想像し、暇そうな親友の春香に直電して聞いてみたら、

「チゲーねーから。早く帰してやんねーと、いつかみなみ刺されるで」

 背筋に冷え汗が流れ落ち、試合終わったら久々のランチを約束して電話を切る。そんでゆーだいさんを急かしてとっとと今夜からの宿に送ってもらう。

 ホントはね、もっとドライブしたかったな。それか、部屋に上がってもらいたかったな。んで、叶う事なら明日の朝まで一緒にいたかったな。そんで、許される事ならば金曜まで一緒に…

 …アカン。あかん。秋には人夫になる男になんてことを…

 車は無常(無情)にもホテルに到着してしまい、今のアタシが一番嫌いな時間となる。

 ゆーだいさんも早く帰りたそーだし。グダグダワガママ言わずにサッと身を引こう。そんで明日からの戦闘モードに仮装(?)しなければ!

 でも… やっぱ、やなものはヤダ。離れたくないよお、別れたくないよお、帰したくないよお… とリトルみなみが泣き叫ぶ。

 時計を見ると九時半。じゃ、せめてあと三十分、いいや十五分…

 アタシは首を振る。

 これ以上、甘えちゃいかん。

 アタシは戦に来たのだ。プロになる為にここに戦いにやってきたんだ。

 ゆーだいさんの車のテールランプを眺めながらちょっと涙をこぼし、一つ大きく深呼吸してクルリと反転し、荷物を持ってホテルのエントランスに入っていく。


 そー言えばホテルに泊まるなんて、修学旅行と家族でよく行くホテル三日月以来だ。一人で泊まるのはマジ初めてだ。

 今まで泊まったホテルよりちょっとちゃちな感じがする。これがビジネスホテルってやつなんだろーな。荷物を持ってくれる人もいなく、フツーに鍵を受け取って自分で荷物を運んでく。それにしてもなんか狭いな。三日月はもっと天井も高くって廊下の幅も広かったかも。

 でもぜいたく言っちゃいけねえ。あたしゃまだ研修生なんだし。プロになったらもっとすげーホテル泊まってやるだし。

 五日分の重たい荷物を担ぎ、渡されたキーの部屋に入る。うん、大多慶の寮の部屋よかはるかにキレイじゃん! よーし、五日間がんばっか。

 思ったより広い部屋の隅に荷物を下ろす。明日の練習ラウンドは朝八時二十分スタート。お迎えのバスが七時にホテルフロント前。さて、とっとと風呂入って、寝るか…

 …風呂桶がねーから、シャワーだけ… 仕方ねえ、明日からはゴルフ場ででっけー風呂入ってくるか。

 シャワーから出て明日の支度をして。さて、寝る前にアドレスの練習だけでもしとくかな。7番アイアン使って。

 7番アイアン使って。

 7番アイアン、使って… あれ…

 ゴルフバック…


 どーしよー、マジどーしよー…

 完っ璧に、ゆーだいさんの車のトランクん中に置いてきちゃった…

 すぐにゆーだいさんに連絡して、持ってきてもr…

 いや。ダメ。今、十一時。もう東京帰ってるかも、これから持ってきてもらったらメチャ遅くなっちゃう。

 宅配便で送ってもらう? それだと明日の練習ラウンドはゴルフ場のレンタルクラブ使うしかない。最悪、明後日の初日も…

 どーしょう。

 持って来てもらう… でも遅くなり迷惑かけちゃう。

 送ってもらう… 明日と明後日、ラウンドにならないかも。

 他に方法、ないかなあ、ゆーだいさんに迷惑かからず自分のクラブをゲットする方法…

 ………

 ダメだ、時間がどんどん過ぎていくだけ。このままじゃらちあかん。

 時計を見る。十二時近く。仕方ない。ゆーだいさんにトランクにアタシのゴルフバック置いて来ちゃったごめんなさい、と泣きのラインを送る。

 ひょっとしたら朝まで既読つかないかも。

 そしたら仕方ない。レンラルクラブで何とかするしか…


     *     *     *     *     *     *


 ちょっと眠たくなったのでブラックコーヒーでも、と練馬I Cを降りてすぐのコンビニに車を停める。最近のコンビニのコーヒーは相当美味い。ゴルフの帰りもよく買う。お気に入りはセブンのだが、ファミマでも遜色なく思う。

 そんなファミマでコーヒー代をスマホで払い、ふとライン着信に気が付く。みなみちゃんのありがと、お休みなさいメッセージかな、と開いてみて息が止まるー

 停めている車のトランクを開けると、大多慶で積み込んだままのみなみちゃんのゴルフバックが鎮座しているー

 やっちまった!

 なんてことを…

 どうしてホテルに送って行った時にゴルフバックの事から意識が飛んだのか… ああ、そんなことはどうでもいい、すぐに引き返して渡さなければ!

 慌てて車に飛び乗り、ナビをセットし直し、車を発進させる。到着予定時刻は一時三十七分。スマホをスマホ置きに固定し、みなみちゃんに電話をかける。

「ゆ、ゆーだいさん? ごめんね、なんか…」

「いや。俺がミスった。俺のせい。ホント申し訳ない。それで今から送り届けるから。明日早いだろ、もう寝ていてくれ。ホテルのフロントに預けておくから、明日の朝受け取ってくれ、いいかい?」

「だ、ダメだよ… もう遅いし、それに疲れているでしょ、コンビニから宅急便で送ってくれれば明後日(明日)には間に合うよ」

「明日(今日!)の練習ラウンドに必要じゃないか! 疲れ? そんなのないし。一時間半でそっちに着くから。一時半にはそっちに着くから、な、さっき言った通りにもう寝ていてくれ」

「そ、そんな… アタシのせいで…」

「いや。俺の責任だ間違いなく。すまん、許してくれ…」

「でも、ホント遅くなっty…」

「もう高速乗っちゃったよ。だから。な?」

「…あ、り、が、と… あの、お願いだからっ…」

「え? なに?」

「事故にだけは… 気をつけて…」

 俺はハッとする、そう言えばみなみちゃんのお父さん、交通事故で…

「絶対、ぜったい安全運転で、お願い、遅くなっていーから…」

 語尾が震えている。俺は一つ深呼吸をして、

「わかった。法定速度以下で向かう。絶対安全運転を維持する。そして安全にそこに着く。だから…」

「うん… なんか寝れそーにないけど…」

「…ま、まあベッドに横になって目を瞑るだけでも。わかったかい?」

「うん。無事に、ね、安全に、ね?」

 電話を切ってから思い返し、思わず首を振ってしまう。

 そう言えばみなみちゃんは俺が迎えにいく時や送迎後に一人で帰る時、やけに安全運転を口にしていたな、ちょっとでも遅れると涙目でエントランスで待っていたな、それって…

 そういう事だったんだな。

 俺はオートクルーズを80キロにセットする。どうせフロントに預けるのだから遅くなっても構わない。ゆっくり、行こう。

 ちょっと冷めたブラックコーヒーが何故か胸に沁みる。


 今夜二度目の上里サービスエリアでトイレ休憩をする。スマホに陽菜からの着信があり、

『明日朝から料理教室あるから帰宅するね』

 …すまん。

 これから先、どれほど陽菜をヤキモキさせることになるだろう。俺がみなみちゃんを応援し続ける限り、ずっとだろうな…

 でも。ゴルフ、そしてみなみちゃんに関しては、譲れない。俺の聖域と言えよう。もしここが崩されるならば、婚約解消になっても吝かではない。その結果会社にいられなくなろうと…

そう思っていると、こんな時間に、

『運転、気をつけて。お休みなさい』

 とメッセージが来る。おやすみ、のスタンプを返す。そしてまだ息が白い深夜のサービスエリアを見渡し、両手をポケットに突っ込みながら車に戻る。

 時計を見ると一時過ぎ。ナビの到着予定時刻は一時四十三分。

 みなみちゃんはもう寝たであろうか。否、きっと起きていることだろう。

 到着したらみなみちゃんには知らせずに、フロントにそっと預けて引き返そう。それが俺に出来る陽菜へのたった一つのこと。

 エンジンを切り、すっかり冷めたコーヒーの紙カップをサービスエリアのゴミ箱に捨てに行き、代わりにホット缶コーヒーを自販機で買い、車に戻る。そしてエンジンをかけ、車を走らせる。

 あと僅かな距離なのに何故か永遠の道のりを感じる。

 どうか、ホテルのエントランスでみなみちゃんが不安げな表情で待っていませんように…


     *     *     *     *     *     *


 また、迷惑かけちゃった…

 どーしてアタシってこんなにドジなんだろ。こんなんじゃプロ失格だ。自分の道具の管理も出来ないなんて、絶対ダメ。

 アタシ、ゆーだいさんを好きでいる権利、ない。

 好きな人にこんなに迷惑かけちゃダメ。こんなに甘えちゃ、ダメ。

 ゆーだいさんは明日の練習ラウンドに気を使って、もう寝てろって言ったけど。寝れる訳ないじゃん。急いで届けようとして事故ったらって考えたら、眠気なんて一ミリもおそってこないよ。

 スマホの時計は一時半過ぎ。寝巻きから普段着に着替え、一階に降りてフロント前のソファーでスマホをいじくる。明日のコースの復習でも、と指を滑らすけど、全く頭に入ってこない。

 車が一台到着して思わず立ち上がるが、赤い車だったのでソファーに沈み込む。中年の男女ペアがフロントでチェックインの手続きをしているのをボーッと眺める。

 いいなあ。朝まで、一緒。

 間違っても夫婦に見えねえその二人が、心からうらやましい。どんな関係であれ、好きな人と一緒に朝までいれる。チョーうらやましい。

 寄り添うようにエレベーターに乗り込んでいく二人に、アタシは大きなため息が出てしまう。外に出よう。そう思いソファーから立ち上がり、エントランスに向かって歩き出す。


 外は息が白いほど、寒い。明日のスタート時もこんくらい寒いのかなあ。両手をポッケに入れて、ホテルの入り口前の大通りに出てみる。

 車通りはほとんどなく、たまーに大型トラックが白い煙を吹き出しながら通り過ぎるくらいだ。ゆーだいさん、疲れたろーなー。眠いだろーなー。スマホを見るともう一時四十五分だ。これから帰ったら、自宅にたどり着くの、一体何時になっちゃうんだろう。

 あ。

 そうだ。

 いーこと、思いついた。

 ピンときたアイデアを練り直そうとした時。

 見慣れたヘッドライトの色が目に入る。やがて見慣れたシルエットの車が見えてくる。アタシは思わず車道に飛び出し、両手を振ってしまう。

 よかった、無事に、来てくれた…


「ほんっっと、ゴメン!」

 ゆーだいさんは車から降りてくるなり、土下座に近い角度で腰を曲げる。

「アタシこそっ すんませんっした!」

「いや。俺がちゃんと確認しなかったから。本当、申し訳ない!」

「ううん、アタシが大事な商売道具なのに忘れる方がダメ、もうプロ失格。」

「そんなことない! 俺があの時ボーッとしてたから…」

「アタシがあん時、ボーッとしていたから…」

 二人の言葉が重なる。

 ぷっ

 二人して、吹き出す。

 いいよね、ごめんね、もうがまんの限界っす。

 思いっきり、ゆーだいさんの胸に飛び込んだ。そして両手を背中に回し、ギュッと、いやギュウーっと抱きしめる。

 ゆーだいさんは一瞬凍り付くも、五秒後にはアタシの背中にそっと両手を回し、ムギュしてくれた。


「それでね、アタシ五時半に起きるんだ。だから、ゆーだいさんもそれまで寝て、帰りなよ」

 さっきひらめいたアイデアを口にする。ほう、意外にすんなり言えたし。

「いやそれはできないよそれじゃみなみちゃんちゃんとねれないでしょう」

「今から帰ったらクタクタじゃん。ゆーだいさんも明日仕事でしょ? 寝れないじゃん」

「いやへいきへいきおれのことよりみなみちゃんのたいせつなれんしゅうラウンドが」

「ダメ。心配で寝れない! ゆーだいさんが無事に家に着くまで、心配で絶対寝ない」

「そそんなむちゃなほらきみのへやシングルでしょシングルベッドでしょふたりじゃむりでしょねるの」

「そんな歌、あったよね(笑)何とかなるって。あー、エッチな事考えてね? いやらすー」

「ないないないそんなことぜったしないってかんがえてないって」

「じゃあ、いーじゃん。朝まで、仮眠しなよ。それでゆーだいさんは会社に行く、アタシは練習ラウンドバッチリ頑張る。ね?」

 一応ムダと思えるが、テヘペロも足してみる、とー

「そそうだななにがおこるわけでもないもんなだいじょうぶだよなあんしんだよな」

「やったあー あ、駐車場あっちみたいだよお」

 よっしゃーーーーーーーーー

 ゆーだいさんと、初お泊まりゲットオーーーー

 それにしても(笑)

 ゆーだいさん、メチャ分かりやすいわーー。


 フロントの人に事情を話すと、

「本当はもう一名様の料金をいただきますが、そういった事情なら構いませんので、どうぞごゆっくりお休みください、あ、枕追加しましょうね、後でお部屋に届けますね」

 メッチャいいホテルじゃん。安中で試合ある時は、死ぬまでここ使おっと。

 それにしても…

 男子と、お泊まり。

 それも、大好きな人との…

 かつてない緊張感が一緒に乗ったエレベーターの中で込み上げてきた。すげーな、延岡まゆ。この緊張感にヤツは打ち勝って数々の男を落としてきた、のか…

 エレベーターがアタシの部屋のある四階に着く頃には、吐き気が込み上げてくる位だ。恐る恐るゆーだいさんを見ると、あれ? 心なしか、ゆーだいさん、顔が真っ白で何となく息が荒い…

 まさかの、アタシほどではないにしても、キンチョーってヤツですか? メッチャ聞いてみたくなるが、男のプライドってえのもあるだろーから、聞くのをやめておく。

「ねえ、ゆーだいさん、キンチョーしてる?」

 やっぱ、聞きくなってもうた〜 てへ。

 ゆーだいさんは、ハッとした顔で〜


     *     *     *     *     *     *


「ままさかそんなはずないだろおっさんおばかにするなよな」

 …さっきから、俺…

 イケナイ事ばかりが頭に浮かび、頭が真桃状態なのだ…

 自信は、ある。この子を傷付けるような事をしない。それはみなみに誓える。のだが。

 俺はどちらかと言えば、華奢な体付きが好みだ、例えば楠坂のちなみちゃん、例えば陽菜、理想体はみなみである。

 なのでみなみちゃんの筋肉質のガッチリガテン系の体つきに全く興味ないし興奮もしない。筈なのだが…

 おかしい。さっきからみなみちゃんの筋肉モリモリの立派なヒップ、そしてそこから流れるように垂れ下がる意外に細い足、もっと言えば太そうで意外に細い太腿から目が離せんくなってしまっている。

 三月初旬なのに寝巻きの?ハーフパンツ姿なのだ。上はトレーナーなのだが、妙に艶かしく感じてしまう俺は、東京と群馬を一往腹(復!)半して頭がおかしくなったのかも知れぬ。

 いかんいかんいかん。ちょっと三時間ほど、仮眠するだけだ! 雑魚寝するだけだ! 別にベッドで一緒に寝る訳じゃねえ!

「いやいやいや。こんな固いとこで寝たら疲れ取れないって。ちょ、狭いけど、一緒に寝よ」

 …この子。本当に彼氏歴ゼロか? なんでこんなに落ち着いていられるの? 流石、大多慶小町、いや大多慶美魔女の娘だ。天然でこれなら、相当ヤバい。

 時計を見ると、二時。スマホの目覚ましを十五時半にセットする。兎に角、目を瞑ろう。そして寝たふりをしよう。

「へへへ。ちょっと狭いかも。なんか〜ドキドキだね〜」

 な、なんだこの余裕は! 恐るべし、美魔女の娘。俺はカクカク頷き、失礼します、と呟きながらみなみちゃんが横たわるシングルベッドにそっと横になる。


 絶対、寝れない。

 寝れるはずが、ない。

 だって、今この世で一番一緒にいたい女子と一緒に、寝ているのだから。

「えへへ〜 ねーねー、ちょこっとだけさあ、腕枕って、してくれない〜?」

「いいけど」

 スッと左腕を伸ばすとみなみちゃんはちょこんと頭を載せ、

「うおおおおお〜〜、人生初腕枕ゲットおー」

 と大喜びしている。

 ぷっと吹き出すとともに、かつてない愛おしさが込み上げてくる。可愛い、可愛すぎる。見た目は正直ゴツいのだが、やる事なすこと言うこと、一々可愛い。全て俺のドストライクである。

 これでは益々、寝れそうにない。みなみちゃんがエヘヘと言いながら俺の胸に頬を載せる。安っぽいシャンプーの匂いが鼻と胸を満たす。左手でみなみちゃんをそっと抱く。

 更に大きく息を吸い込む。最早みなみちゃんの匂いで胸が、肺胞がいっぱいである。

 心臓が激しくたかな…らない。あれ?

 代わりに、激しい睡魔が俺を襲ってくる。まだ、もうちょっとこのまま、という微かな願いは却下され、意識がうっすらと遠くなっていく…


 気が付くと、ここはどこだっけ。

 ああそうだ、海ほたるグランドホテルの最上階のスイートだ。窓の外は真っ暗で遠く東京や横浜の夜景がキラキラしている。大型ジェット機が目の前を通り過ぎ、羽田空港に着陸するのだろう。

「ゆーだいさん、これじゃだめなんだっけ?」

 全裸のみなみちゃんが胸を両手で頑張って寄せている。

「そうじゃないよ。お尻と脚がいいんだ」

 みなみちゃんは頷き、

「そっか。お尻と脚はこれでいいんだね」

 俺は頷き、みなみちゃんに近づく。

「アタシはゆーだいさんの全部いいと思うんだけど」

 俺は声を立てて笑い、

「俺もみなみちゃんなら全部良いや」

 みなみちゃんはムッとした顔で、

「それじゃあ陽菜はどうなるの?」

 俺はちょっと考えて、

「陽菜も悪くはないんだ。うん。」

 みなみちゃんは深く頷き、

「そうでしょ。むしろ良いんじゃないの」

「そうだね。良いんだ。でも、みなみちゃんはもっと良いよ」

「そんな優しさ、要らねーーーーーーーーーーー!」

 みなみちゃんが俺の左胸を平手打ちする。


 痛っ

 あれ… ここ、何処だっけ…

 暫くぼんやりと何処かも意識できない天井を眺める。そして左胸に見える短い黒髪を穏やかに眺める。

 誰だろ。何処だろ。今、何時だろ。

 サイドテーブルの上の赤いデジタルの文字が09:37と見える。

 部屋を見回し、ああここはみなみちゃんの宿泊しているホテルと分かる。

 首を傾け、あどけない寝顔をみなみちゃんと認識する。

 うわあ  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 真っ先に思い浮かんだのは五時半にセットした目覚ましが何故鳴らなかったのか、だった。慌ててサイドテーブルに置いたスマホをひったくり、目覚ましを見るとー十五時三十分!

「みなみちゃん! 起きろ! ヤバい、マズい! もう八時半だ!」

 この数年間で、こんなにテンパった事はない。

 みなみちゃんはパッと上体を起こし、俺を見下ろす。

「…あれ、ゆーだいさん? 何で…?」

「今日! 練習ラウンド! スタート何時だったっけ?」

「ええと。どーしてゆーだいさん?」

「それ、いいから! 何時だった?」

「……ここ、どこ?」


 みなみちゃんスイッチがオンになるまで更に二、三分かかる。

「や、やば…」

 人間、本当に慌てると何をしていいかわからなくなり、グルグル回り出す、と聞いた時は何の冗談かと聞き流していたのだが…

 今、俺とみなみちゃんは、さながらちびくろサンボの虎の如く、二人で狭い部屋の中をグルグル回っている。このままでは二人してバターになってしまう!

「ま、まずは。電話だ、コースに電話。事情話して、空いている所に入れてもらうんだ」

「わ、わかった!」

 人間本当に焦っている時にはスマホよりもガラケーの方が良い、と初めて知る。みなみちゃんは何度もタップミスを繰り返し、真面に安中C Cに電話出来たのは五分後だった。

「はい、はいっ、ああ、そーですか、ああ、いえ、仕方ないっす… あー、全然。ハーフで大丈夫っす、はい」

 どうやら、午後からハーフだけ回れそうだ。

「ま、いっか。コースの事は、ここに全部詰め込んできたからさっ」

 と言って、懐かしのジャポニカ学習帳の自由帳を差し出す。渡されてパラパラ眺めてみるとー

 あら凄いじゃない。字も絵もヘッタクソながら、1番から18番まで、びっしり書き込んでいる。流石、プロ候補生!

「なんで、これから安中CCに送ってくれる?」

「勿論。お安い御用だ」

「で。ゆーだいさんの方は?」

「…会社に連絡、半休取るわ。午後はどうしても外せないリモート会議があるんだわ」

 本当は午前もリモートがあったのだが、まあ何とかなるだろう。

「あのさ、シャワー浴びたら? 昨日も浴びてないじゃん?」

 お言葉に甘え、さっとシャワーを浴び、ホテルを出たのは九時半だった。


     *     *     *     *     *     *


 思い出すだけで、腹筋が痛くなる。

 あの、ゆーだいさんの慌てっぷり。

 今はすました平常運転だけど、さっきはマジ慌ててて、チョー笑えた。って人のことは言えねーんだけど。

「朝ご飯、しっかり食べろよ」

「ゆーだいさんも、サービスエリアかどっかでちゃんと食べなよ。一旦家帰るん?」

「いや。直で会社行くわ。」

「そっか。気をつけて、ね…」

「ああ。夜、ラインする。明日は何時スタートだっけ?」

「九時十八分。」

「わかった。取り敢えず、今日のハーフラウンド、しっかり!」

「あい」

「昼飯も、夕飯もしっかり食って、今夜はよく寝ろよ」

「あい」

「応援してるから!」

「あい」

 今度はちゃんとゴルフバッグを下ろし、ゆーだいさんは立ち去った。車が見えなくなり、袖で目をこすり、アタシは戦闘モードに入る…


「ありがとうございましたあ、明日からよろしくおなしゃす」

 午後のハーフラウンドを終え、明日から共に戦う同伴者にお礼を言う。彼らは三人で午前のハーフを回ったところに急きょアタシが加わったので、ちっと迷惑かけちゃった。

 理由を話すと(単に寝坊、とだけ言っといた)三人は爆笑し、

「あんた大物だね。初の受験なのに〜落ち着いてねー」

 アタシのドライバーショット見て、

「あんた… 何者?」

 ハーフを36ちょうどで周り、

「名前、なんてったっけ?」

 どーやら三人から、ライバル認定されたらしく。

 ホテル行きのバスに乗って、今日のラウンドを振り返る。大体がノートに記した通りだったが、グリーンの傾斜なんかはやはり直接体感して正解だった。っつーことは、アウトの9ホールは体感できなかった訳だが、まー、なんとかなんだろう。

 こんなちゃんとした大会(競技会)に出場すんのは初めてなんだけど、今日一緒回った三人を見て、ああこれならなんとかなっかも、明日からは自分のゴルフだけに集中しよっと、そう決意する。

 前回の予選結果によると、まー大体3日間54ホールで一つもぐるくらいで一次予選突破、って感じみたい。なので、今日のハーフを最低ラインにすれば、まーなんとかなんじゃね?

 この一次予選にはシード選手とかは出てこないんで、マジ自分との戦い、だ。他人に惑わされず、己のスコアを一つでも上げる。これに尽きる。らしい。良太さん曰く。

 二次からはナショナルチームのメンバーとかも入ってくるし、最終予選にはアマの大会優勝者や女子ツアーのローアマなんかも入ってくるから、気を引き締めてかからにゃ、いかん。涼太さん曰く。

 何だかんだで今日はあんまし寝てなかったので、ホテルで夕飯食べたら速攻眠たくなる。明日は六時のホテル発のバスに乗らにゃならない。五時半には起きなきゃ。

 ゆーだいさんにチャチャっとラインを送り、その返事を待たずにベッドに入る。一瞬にして意識を失った。


 五時きっかりに目が覚める。目覚ましは五時半にセットしたけど、なんか早起きして得した気分になる。

 まだ外は真っ暗だが、初日なんで少し気合を入れるためにホテルの周りを軽くランニングすることにする。

 スマホの天気情報によると、今日は曇り。気温は今現在4度。まあ、寒い。吐く息は白く、吸う空気はそこそこ冷え。

 昨日はバタバタしてたんで、この辺りの分(雰)囲気なんて感じる余裕がなかった。まだ暗くてイマイチ分かんねーけど、J R何ちゃら線の磯部っていう駅近にホテルがあって、なんか大多慶の町にちょっと似てる気がする。

 走りながら街並みを眺めてると、どーやらこの辺りは温泉街らしく、あちこちにちょっとした民宿や旅館が立ち並んでいる。千葉には温泉街がないんでちょっと新鮮だ。

 アタシはあんま風呂が好きでなく…ゆーだいさんに言ったら嫌われそーなんだけど…シャワーで体洗ったら、ドブんと入って二、三分、ってとこなのだ。じーちゃんと母ちゃん、そんで二人の弟は温泉が大好きで、三日月に行くとやたら風呂が長えのがウザい。

 まあせっかく温泉街に泊まるんだから、一回くらい温泉に入ってみてもいーかな。じーちゃんや母ちゃんをうらやましがらせてやる。ふふふ。

 しばらく走ってると、ちょっとした川が見えてくる。橋のたもとに碓氷川って書いてある。有名な川なのかな、この川も大多慶の町にある夷隅川に似てる。

 何だか、いいな、こーゆーの。あんまし大多慶から出たことのないアタシにはメッチャ新鮮でいい。これから二次予選、最終予選、そんでプロになって日本中のツアーに出れば、こんな風に色んなとこに行けるんだ。

 川にかかる橋から碓氷川をボーッと眺めていると、川の上流の山々がうっすらと明るくなってくる。結構高い山があるけど、あれがゆーだいさんが言ってた浅間山ってやつなのかな。千葉には無い高い山が徐々にその姿をクッキリと見せ始める。みるみるうちに空がぼんやりと明るくなり、あたりの景色が浮かび上がってくる。

 目を閉じてみる。川のせせらぎが耳に入ってくる。大多慶とは違うちょっと湿った空気の匂いが鼻をくすぐる。

 空は一面の雲、残念ながら朝日は拝めまい。よーし、頑張るぞおと(多分)浅間山に向かって叫び、来た道を戻り始める。


 六時のバスに乗り、途中何箇所か宿舎を経由し、安中カントリーに到着する。昨日一緒に回った女と目が合い、目礼する。皆キンチョーした表情で、ああこれが予選会なんだ、と思い知らされる。

 さっき軽く走ったんで、メチャ腹へったからまずは食堂で朝飯をかっこむ。そーいえばここのクラブハウスも大多慶カントリーと同じくらい古くて似てる。スタッフのおばちゃん達も朗らかで、メチャ和む。ただ、飯は大多慶の方がすこーし美味いかも。

 ゆっくりと飯を食ってからストレッチ、柔軟運動をして練習場で軽く打つ。アプローチとパットの練習を集中してやってると、あっという間にアタシのティーオフの時間がやって来る。

 初日の今日は運良くインスタート、すなわち昨日回った方だ。よし。前半からガツガツ行こう。そんで昨日回れなかったアウトは伸張(慎重)に行こう。

 今日の目標は、そーだな、2アンダーかな。

 ゴルフバッグの中の愛するデカ男こと425が「早く、早く打たせろ!」と大声で喚いている気がして、アタシも冷たいアドレナリンが脳内に満たされていく。


     *     *     *     *     *     *


「凄いじゃないか! 昨日が2アンダー、今日が3アンダーなんて! これでトータル5アンダー? 明日はイーブンパーで楽勝じゃないか!」

「えへへ。なんか出来過ぎだわ。てかね、聞いて聞いてゆーだいさん、あのねあのね、なんか似てんだわー、町の雰囲気も、ゴルフ場も、あとおばちゃん達も、大多慶にさ」

「へええー、そーなのか。だからいつも通りの力が出せたんだな」

「かもかも。って、あっ、まだ仕事中だよね、ごめんねー、切るわー。んじゃ」

「あ、ちょっt…」

 スマホが切れる。15時28分の表示が画面に現れる。

 そうか、良かった。これで明日途轍もないハプニングさえなければ、一次予選は楽々突破だ。実は正直ここまでみなみちゃんがやれるとは思っていなかった。月曜日夜の俺の大失敗もあるが、これまで大多慶からあまり出たことのない彼女が一人で五日間も頑張れるとは思っていなかった。

 高校時代の延岡まゆとのトラブルも含め、彼女は常に身近な家族、友人、知り合いに助けられて来ており、一人きりの境遇で何かに対処したことがないからである。

 コミュ力は相当低く、すぐに友人を作れることはまずあるまい、そもそも予選会なのだから友人どころか周囲は全員敵なのだが。

 誰にも相談出来ず、誰にも頼れず彼女は昨日、今日をいつも通りのスコアで上がってみせた。今回の予選会で彼女は一回り大きな人間になるであろう、そう俺は直感しスマホをポケットにしまう。


「なーになになに。みなみちゃんかなーり良かったのかー?」

 リューさんがニヤニヤしながら俺のデスクに近づいてくる。なんで分かったんだろう。

「そりゃあ、お前の顔見れば即分かるって。スコアまで分かるぞー、えーと。二日間で、5アンダーってか?」

「え? マジ? なんで?」

「俺とお前、何年の付き合いだっつーの。でさでさ。実は一昨日、ヤっちゃったんだろ? みなみちゃんと〜」

「それは、ない。断じて、ない。」

「えーーー、顔に書いてあるぞお。僕はーみなみちゃんとおー何も付けずにー あいたっ」

 遠慮なくリューさんの頭を叩く。

「陽菜に言いつけてやる! ゆーだいがみなみちゃんとお泊まりした事、バラしてやるっ!」

 俺はリューさんの顔に自分の顔を近づけ、

「じゃあ。X Aソリューションとの打ち合わせ、お一人でお願いします」

「いやいやいや…」

「アバロンに提出する資料、ご自分でまとめてください」

「おいおいおい…」

「土日ですが、溜まりに溜まった書類の整理、出社してお願いします」

「ゆーだい様… 俺が悪かったっす… 許して…」

「では、妹君への通達に関しては?」

「はい、愚妹への告げ口はキャンセルっす…」

「これからも?」

「これからも、ずっと…永遠に…」

「その線でお願いしますね課長。では。」

 俺は全身凍りついたリューさんをひと睨みし、コーヒーを買いに席を立つ。


「本当は明日有給とってさ、応援行きたいんだよな」

「えへへ。でも予選は関係者以外、出禁(立ち入り禁止)なんだよねー」

「…だよね。でもその辺りさ、温泉街で羨ましいよ」

「あれ、ゆーだいさんもまさかの温泉フェチ?」

「フェチじゃないけど… 普通に温泉は好きだな」

「ほーん。そーなん」

「そっか、みなみちゃんは風呂嫌いだもんな」

「なんだよねー。あー、でもー…」

「ん?」

「ゆーだいさんと一緒なら、入るかも〜 きゃっ」

 俺は完全スルーし、

「で、明日は終わったら電車で帰るのかい?」

「そーかな、今のトコ。明日終わったら、荷物は宅急便で送って、電車で帰るかな」

「何時に終わるんだい?」

「えーと、最終組のスタートが10時15分だからー、二時半には終わって、四時にはホテル戻ってー、電車に乗る の、五時すぎじゃね?」

「ふーん。それならさ、俺明日半休とるから、迎えに行こうか?」

「…………」

「え…なに? 迷惑?」

「じゃなくて。あんま甘やかさない方が、良いかと…」

「ど、どうして?」

「じゃないと、離れられなくなっちゃう〜 キャ」

 今度は俺が黙り込む番。

「…はは、ははは… なんちって、うっそー。え、マジで? 本当に迎え来てくれんの?」

「うん。行きに迷惑かけたからさ、その罪滅ぼしも含めて」

「うわあーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!」

 その素直な喜び方に胸が少しときめく。


 いつもの日課の寝る前のパット練習をしていると、陽菜から電話がかかって来る。

「式場の予約、明後日でいいよね?」

「うん。俺は問題無いよ」

「ゆーだいくん、ごめんね…」

 俺は持っていたパターを壁に立てかけて、

「ん? 何が?」

「だって… ほんとは土曜日、ゴルフ行きたかったんじゃ…」

「そう思ってくれて、俺は本当に嬉しいわ。ありがとう」

 スマホ越しにホットした表情を感じる。

「ま、日曜日は行って来るけど、な」

「あはは。それにしても〜、あの契約書? マジウケるんですけどー」

 先週。高千穂先生のアドバイス通りに、結婚後のゴルフに関する契約書を陽菜に提出し、何故かバカ受けされた。

「甲は月にラウンド6回の権利を有するって(笑)それに応じて乙の求める家事一般を行わねばならないって(笑)別にいーのに、フツーにゴルフ行けば。」

「まあ、なんだ、その、ケジメって言うか、踏ん切りって言うか…」

「それって、まるっきりパパとママと一緒なんだもん、マジウケる〜」

 そうなんですか社長… あなたも、ちゃんと家事を…

「やるよお、パパ。お料理もお掃除も。ゴルフの衣類は自分で洗濯しているし〜」

 な、成る程。では、俺も…


 その社長からの電話がかかって来たのは、寝ぼけ眼で時計を見たら、二時四十五分。こんなことは今迄無かった、まさか取引先からの急なクレームか何か…

「こんな時間に申し訳ありません、然し乍ら緊急事態です、雄大君」

 俺は一瞬にして目が覚め、スマホに向き直り

「どうしましたか社長? どこか取引先にトラブルでも?」

「いや、そうではない。雄大君、社長命令です、今日有給休暇を取ってください」

 俺は未だ寝ぼけているのかと自問し、

「それは、問題無いですが。理由は?」

「それに、他言無用です。琉生にも、特に陽菜には」

「はあ。」

「今から大多慶の日向さんのご自宅に向かってください」

 いやマジで…寝ぼけているか、夢なのかこれは…

「そして、みなみさんの予備のゴルフセットを受け取り、安中カントリーへ向かってください」

「へ?」

「大至急、です」


     *     *     *     *     *     *


 ゆーだいさんとの電話を終え、そーだ試しに温泉入りに行ってみよう、と思い立つ。バスタオルを抱えて、ホテルの近くの公衆温泉に行ってみる。

 時間が遅いせいか、人はあまりいなくって、ほぼお一人様状態の内湯に浸かってみる。アチい。すぐに飛び出す。露天風呂があるんで、そっちに行ってみる。婆さんが一人入っている。

「あんた、予選会の人かい?」

 そろりと足だけ入れてみる。外が寒いので体が冷えて凍える。

「てんでいい身体してんねえ、さすがプロ目指してるだけあるわにゃあ」

 思い切って肩まで一気に湯に浸かる。あれ、なんか気持ち良い。

「で、明日はいけそうなのかい?」

「まーね。何とかなるっしょ」

 婆さんはニヤリと笑い、

「あーね。油断大敵、悪いもんここで洗い流して行きんしゃいな」

 婆さんの教えに従って、アタシにしてはのんびり浸かることにする。露天の空を見上げると、昼間かかっていた雲が晴れ、星空がキレイに見えている。

「ここも、星がキレーだね、婆さん」

「あんたどっから来たん?」

「千葉。大多慶ってとこ。知ってる?」

「知らんなあ。いいとこなん?」

「なんかここにちょっと似てるよ。温泉はないけどさ」

「ほーかほーか。そんなら、のんびりしてきんしゃいな」

 婆さんはそう言ってシワクチャの体から湯を滴らせながら出ていった。

 シンとなった露天風呂に一人。もう一度空を見上げてみる。いいじゃん、温泉。なんか心があったまったわ。アタシは立ち上がり寒空に向かって大きく伸びをしてみる。うん、メチャ気持ちいい。

 もしここにゆーだいさんが居たら。一緒に露天風呂入れたら…

 いい事を思い付く。二次予選を無事突破したら、こんな露天風呂のある温泉に連れてってもらって、一緒に入る。よーし。明日、お願いしてみよっと。


 寝る前にちょろっとアドレスの確認したくなったんで、フロントに預けているゴルフバッグを取りに行く。

「少々お待ちください、日向さま」

 さま、なんて言われて… へへ、なんか小っ恥ずかしいわ。待ってる間スマホをちょいちょいいじっていると、

「あの、日向さま? 本日はゴルフバッグ、お預かりしていないようですが…」

 おっと… そーだったそーだった! ホテル着いてあまりに腹減ってたんで、レストランの横に置いたまんまにしたんだった。やべ、取りに行かねえと… まさか無くなったりしてねーよな…


 …ねえ。置いた場所に、バッグがねえ。


 慌ててフロントに戻り、

「レストランの横にゴルフバッグ置いといたんすけど、知りませんか?」

「ちょっとお待ちください」

 いや、まさか。あんなん持ってく奴、いねーだろ…

「日向さま、こちらには届いておりません。何時位に置かれました?」

「えっと…六時過ぎかと…」

「少々お待ちください」

 それから十分ほどして、

「日向さま、ちょっとこちらに…」

 フロントのバックヤードに連れて行かれると、パソコンのモニターの前に座らされ、

「このバッグ、に間違いありませんか?」

 モニターにはアタシのバッグがポツンと置いてある映像が写っている。

「そーです、このバッグ!」

「あの、残念ですが…」

 フロントの人がパソコンを操作すると画像が動き出す。早送りしている画像を見てると…

「あっ… こ、この人…」

 なんと! 見知らぬおっさんがアタシのバッグを覗き込み、辺りをキョロキョロ見回すとバッグを担いで行ってしまった…


 おい、クッシー。シャレになってねーよ。何が東と南に気を付けろ、だよ。

 盗難じゃねーかよ、これ!


 それから警察を呼んで、事情徴収(聴取)され、バタバタして部屋に戻ったのは一時過ぎだった… どうしよう。クラブが、無い。明日、どうしよう…

 ずっと頭は真っ白、ベットにねっ転びながらことの重大性が徐々にわかってくるー 明日までに盗まれたクラブ戻るだろーか。もし戻らなかったら明日、レンタルクラブ出来るだろうか? アタシに合ったクラブあるだろーか。

 体は疲れているはずなのに、全く寝れそうにない。ありとあらゆる不安がアタシに襲いかかり、どうしていいか全く分からんくなる。

 そうだ、ゆーだいさん…

 あかん。それだけ、はアカン。

 それに、さすがのゆーだいさんにも、どーしょうも無いだろう。どーにも出来ないだろう。スマホを眺めながら溜息をついていると、弟の大次郎からラインが入る。

『明日、頑張れよ!』

 こんな時間に起きていやがって… 思わず電話してしまう。

「ど、どーしたねーちゃん… 直電なんて初めてじゃね?」

「大、どうしよ、ゴルフクラブ、盗まれちゃった…」

「なん、だってえーー?」

「ハー、参ったわ…」

「ちょ、ちょっと待ってて、ねーちゃん」

 電話を切らずに大次郎が何かバタバタしている。ま、高校生にはどーすることも出来まいが。

「なんだ、みなみ。盗まれたって、本当か?」

 じーちゃん…

 思わず涙がブワッと溢れ出す。

「ど、どーしよ、じーちゃん、父ちゃんのパターが、フェアウェーウッドが…」

「そんなん、どーでもええ、それより、明日の、クラブは、レンタル、出来るのか?」

「分かんないよ、こんな時間じゃ。分かんないよ…」

「ふむ。よし。わかった。みなみお前はもう寝ろ。俺が何とかするから」

 そう言うとガチャっと電話が切れた。キレた。


 じーちゃんが何とかするって… まさか車運転してアタシの予備のクラブ持って来てくれるのか? いやいや、膝悪くしてからじーちゃんは全然運転してねーし。じゃあ母ちゃんが? いやいや、あの人はそんな事ぜってーしねえ。

「自分のせいでしょ! 自分で何とかしなさいっ」

 がオチだろう。

 深夜の宅急便とか? バイク便?

 ハーーーー。

 ま。じーちゃんがこう言うから、仕方ねえ。

 寝るか。

 横になる。ダメじゃん、無くなったクラブのことがすぐに頭に浮かんできやがる。あかん。寝なきゃ。明日になれば、目が覚めれば何とかなる!

 目を瞑り、ゆーだいさんの事を思い浮かべる。ゆーだいさんと行く露天風呂の事を妄想する。川のせせらぎがすぐそこに聞こえる、緑に囲まれた露天風呂。ホッコリとあったかいお湯。そんで、たくましいゆーだいさんの裸の背中。ねえ、こっち向いてよゆーだいさん…

 むふふ、と一人笑っていると、不思議な事にすぐに意識が遠のいて行く…


     *     *     *     *     *     *


「雄大。お前にしか頼めない、だから頼む。」

 深夜。四時十五分。大多慶市の日向邸。

俺は源さんと向かい合っている。源さんはみなみちゃんの予備のクラブセットを俺に託し、これから安中カントリーに行って欲しい、と言う。

「それにしても、クラブセットを盗まれるなんて… でも、3W、5W、7W、それにパターは?」

「俺のを入れておいた。あとはみなみが何とかするじゃろ」

「わ、わかりました。取り敢えず、これ持って行きますから」

 源さんが俺の肩を握り、

「頼む、みなみを助けてやってくれ…」

 俺は深く頷き、バッグを車に載せた。


 スタートは十時十五分なので、時間は十分に間に合うだろう。今の所渋滞もないようなので、安中には七時半には到着するだろう。

 しかし… まさか源さんが社長に直で連絡するとは。俺が思っているよりも二人の間柄は深いのかも知れない。

 それにしても、どちらにせよ夕方には安中に行く予定だったのだが、まさかこんな朝イチで行く事になるとは。今日は想定外の事ばかり起こる日だ、自然、みなみちゃんの最終日の出来が不安になってくる。

 ネットの情報によれば、今日はイーブンパーで楽々一次予選突破である。だが、予備とは言え、ウッドやパターがいつもと違うものを使わねばならない、従って今日は何が起こるかわからないだろう。

 それにしても。到着日のバタバタと言い、昨夜の盗難事件と言い。安中という町はみなみちゃんにとって鬼門なのかもしれない。せめて今日、予選通過して気持ちよく引き上げて欲しい。

 車は順調に安中までの距離を縮めていく。ほんのりと空が明るくなってくる。眠気は一切ない。寧ろアドレナリンが出て逸るアクセルを抑えるのに苦労している。

 途中、コーヒー休憩をし、それでも安中市に予定通りの七時半に到着する。


 ホテルの駐車場に車を停め、トランクからみなみちゃんのゴルフバッグを取り出し、フロントに走る。エントランスに入った所でー

 朝食を食べ終わった、みなみちゃんにバッタリ出くわす。

「え… 嘘でしょ… なんで、ゆーだいさん…」

「社長命令で、さ(笑)さあ、ちょっとこのクラブ、チェックしてくれ」

 だが。みなみちゃんは呆然として俺を見詰めたまま動こうとしない。

「おーい、みなみー、どうしたあー?」

「だって… まさか、ゆーだいさんが…」

「俺もビックリだよ。深夜にさ、社長から電話かかって来てさ、今日は有給休暇です、今から大多慶の源さんの所に行きなさい、って。」

「じーちゃん…」

「で? スタートは十時十五分だったよな、何時にホテル出るんだ?」

「八時…」

「そっか。よし、俺が送って行くから。クラブ確認してくれ」

 ようやくみなみちゃんは事態を把握したようだ。顔を紅潮させたまま俺の持ってきたクラブバッグを覗き込む。

「うん、これで大丈夫。ウッドもパターも、じーちゃんのだし。何度も使ったことあるし」

 俺は心底ホッとし、

「良かった… じゃあ支度しておいで。この辺で待ってるから」

「あい」

「あ、源さんに連絡しておけよ」

「あい」

 いつまでも部屋に上がろうとしないので、軽くお尻を叩いて促すと漸くエレベーターホールに歩き出した。


「残念だなあ、予選会じゃなくってツアーだったらさ、このままゆーだいさんにキャディーやって貰えるのに〜」

「ハハ、俺もちょっと残念」

 プロテスト予選会は選手に付き添いは認められていない。

「まあ、クラブハウスで待っているよ」

 選手のコーチ、家族などの関係者でクラブハウスはいっぱいだろう。あまりに混雑しているなら、時期も時期なので温泉にでも入りに行こうかな。

 車は安中カントリーに到着する。エントランスの雰囲気といい、大多慶カントリークラブにそっくりだと思う。

「そんじゃあ、アタシはここで。練習場に行ってるね」

「うん。車停めたらちょっと見に行くよ」

 俺はみなみちゃんを降ろし、車を止めに行く。既に関係者の車で駐車場はいっぱいだ。一番端っこにそっと停め、クラブハウスに歩いて行く。

 大多慶と違い、ここは山に囲まれている。遠くに浅間山が鷹揚と佇んでいる様はちょっとした旅情を感じさせる。大きく息を吸い込むと、大多慶とは違う山の空気に胸が満たされる。

 こんな所でゴルフがしてみたい。いつかみなみちゃんを連れてラウンドしたい。クラブハウスから見える各コースを眺めながらその思いで胸が昂まる。

 練習場には関係者以外でも入れるので、早速みなみちゃんを見に行く。体付きが他の選手と一回り違うので、すぐに視認する。

 うん、気持ちよさそうに打っている。やはり予備のクラブを購入してやって、本当に良かった。プロでも無いのに、と彼女は断ったのだが、実際こんな事態も起こるのが人生だ。

 確かに出費は相当なもので、俺のボーナスは綺麗にすっ飛んだ。だが。彼女の嬉しそうなスイングを見て、自分の判断の正しさに打ち震える。

 その時、みなみちゃんがこちらを見つけ、軽く右手をあげ、指でO Kを作る。俺は満面の笑みでそれに応える。


 その後選手とは会えることもなく、スタート時間が過ぎていく。予想通り、クラブハウス内は大混雑なので、俺は一人駐車場に向かい、さっき調べた仮眠できる温泉旅館をナビにセットし車をスタートさせる。

J  R信越本線の磯部駅が安中市街に最も近い駅であり、この辺りの温泉街は『磯部温泉』と呼ばれているらしい。俺はこれまで知らなかったが、温泉通の人々にはかなり有名な温泉らしく、温泉記号発祥の地であり、そして明治の児童文学者である巖谷小波がこの地に伝わる舌切り雀伝説を元に、御伽噺の『舌切り雀』を書き上げたことで有名なのだそうだ。

 車を旅館に停め、フロントで手続きをする。小腹が減ったので駅前にあると言ううどん屋で山かけうどんを喰らい、腹をさすりながら温泉街を散策してみる。

 街を流れる碓氷川にかかる愛妻橋から妙義山が綺麗に眺められる。へえ、こんないい所にみなみちゃんは泊まっていたんだ、この景色は堪能したかな、いや試合に来ているからそんな余裕はないだろうな、などと独り想いに耽りつつ旅館に戻り自慢の温泉に浸かる。

 この数日のバタバタ感が綺麗さっぱり流れ去り、仮眠の為に借りた部屋の布団に入ると秒速で意識が遠のいて行くー


「この温泉いいじゃん、ゆーだいくんすごく嬉しいでしょう?」

 陽菜が半身浴の細く白い背中を見せながら素っ頓狂な声をあげるものだから、

「そんな声あげるなよ、他の人に見られるだろ」

「部屋のお風呂なんだから他に人いる訳ないじゃん」

「それでも隣に聞かれたら恥ずかしいだろう」

 陽菜が急に立ち上がり、こちらを振り向きながら

「それ、みなみちゃんに聞かれたら困るんじゃん?」

 俺は目を瞑りながら必死に

「そうじゃないよ、一般論として言っているだけだよ」

 言った後に薄目を開けると、

「ったく、ゆーだいさんは助平なんだから」

 と言ってみなみちゃんが豊かではない胸を張って俺に微笑む。

「ダメだってみなみちゃん! ちゃんとタオル巻かないと!」

「温泉にタオル巻いて入っちゃ、ダメだって! ワンペナだよ!」

 そうか。タオルを巻いて入ると、一打罰だったか。

「ごめんねみなみちゃん、俺がルールちゃんと知らないから」

 すると全裸のみなみちゃんは悲しそうな顔で、

「仕方ねえって。だって、ゆーだいさんは、ゆーだいさんなんだから…」


「ゴメンっ」

 そう叫びながら、ガバッと布団から跳ね起きる。

 あれ、ここって何処…


 暫くして、全ての状況を把握する。時計が四時過ぎを指しており、とっくにみなみちゃんの試合が終わっていることもー

 慌ててスマホを拾い上げ、みなみちゃんからのライン着信をチェックする。


     *     *     *     *     *     *


『今日はイーブンパーでした。トータル5アンダーで一次突破でーす(絵文字)』(スタンプ)

 アテストを終え、真っ先にゆーだいさんに連絡をする。

 それから同じ文面をコピペしてじーちゃん、母ちゃん、支配人、良太さん達に一斉送信し、ロッカールームに向かう。

 シャワーを浴び、着替え終わる頃に

『やったね(スタンプ)おめでとう!(絵文字)何時に迎えに行こうか?』

 と興奮気味のゆーだいさんからのメッセージに、

『あざーす、じゃあ三十分後に』

 即、既読が付き、

『了解です』

 それから色々な人々のオメに一々返事を書いてたら、あっという間に

『玄関に着いたよ』

 とゆーだいさんからメッセージが来たんで慌てて荷物をまとめてロッカールームを飛び出し、クラブをピックアップして玄関に出る。

「おめでとう。よく、頑張った!」

 何故かメチャスッキリした顔でゆーだいさんが微笑んでくれる。

 不意に視界がぼやける。

 あれ、花粉症かな、鼻水が垂れちゃう。

 ゆーだいさんが車から降りてきて、大事そうにゴルフバッグをトランクに入れてくれる。アタシは荷物を後部座席に放り込み、助手席に飛び乗る。

「ホテルはチェックアウトしたんだっけ?」

「そーでーす。荷物はこんだけっす」

「よし。どうだ、お腹空いてないか?」

「うーん、まだ胸一杯で、空いてないかも」

「あは、堂々の三位で一次予選通過だしね、わかるわかる」

 いーや。分かっちゃいまい。だって胸一杯なのは、あなたが来てくれたからだし。

「じゃあ、大多慶に戻ろうか」

 ゆーだいさんがカーナビをセットする。到着予定時刻が八時十七分と言っている。


「それで警察は何だって?」

「犯人が見つかり次第連絡くれるって。ただ、クラブセットが戻ってくるかは分からないって」

「そうだな、とっとと処分されてたら、取り戻すのに時間かかるだろうね」

「まあ、最悪今のセットで二次予選以降やれるかも」

「ほう、違和感はなかった?」

「全然。ま、F Wはちょっとは…」

「早く見つかると、いいな。いやあ、それにしても今回は最初から最後まで、ホント災難だったなあ、よく頑張ったね」

 て、照れるじゃねえか…

「で、次の二次予選はいつだっけ?」

「確か、五月だったかも」

「そか。時間はたっぷりあるな。良い準備が出来るといいな」

「そだね。ゆーだいさんは、これから忙しく、なるんだよね?」

「いや、別に…」

「だって、秋に結婚式でしょ? 準備が忙しくなるじゃん?」

「まあ、でも土日のどっちかは必ずゴルフ行けるから」

「は? どゆこと?」

「陽菜…フィアンセと、そーゆー契約書をかわしたの。」

「契約って… 何それ?」

「月に六回はゴルフに行く権利がある、っていう契約。」

「…結婚って、そんなもんなん?」

「…わからん。」

「ほ、ほーん…」

「……」

 それっきりしばらく会話が途切れる。外はすっかり真っ暗になり、Bluetooth接続のカーオーディオから流れるジャズを聞いてるうちにまぶたがたまらんく重たくなってくる。


 パッと目を開けると、トンネルの中を走っている。やがてトンネルは大きな口を開け、光る宝石のような海ほたるに近づく。

「あ。ゆーだいさん、トイレ行きたいかも」

「丁度よかった、俺も!」

 ごめんねえー、ずっと我慢してくれてたんだあ。車はスッと海ほたるパーキングに入り、いつもよりずっと車の数が少ない駐車場に停車する。

 トイレを済ませると自販機の前でゆーだいさんが待っていてくれる。

「何飲みたい?」

 アタシは咄嗟に、

「あのさ。ちょっと散歩したいかも」

「いいね。ちょっと歩こうか」

 去年のクリスマスの帰り道が思い出される。あの日はずっと幸せだったな、結婚の事を聞かされるまでは。あの日と違い今日は何の期待もトキメキもなく、ただ好きな人との夜の散歩を楽しむんだ。ゆーだいさんの腕にアタシの腕を絡める、そっと身体を寄せる。

「ところでさ、みなみちゃんは結局温泉には行かなかったの?」

「昨日、ちょろっと入ってきたよお、ゆーだいさんはガッツリ入ったんだよねえ」

「ガッツリって… でも、そう、うん。凄く良い湯だったよ」

「そだね。あんなに長く入ったの初めてだったかも」

「な、結構良いもんだったろ?」

 まあ、良かったっちゃ良かったけど。

「ゆーだいさんと一緒に入ったらメチャ良さそうかも〜」

「俺さ、昼にそんな夢見たんだわ」

「えなにそれ夢にアタシ出てきたん?マジそれチョー嬉しいかも」

 何気に、今日イチ嬉しかったかも。アタシはゆーだいさんの腕を離し、海ほたるの最先端めがけて走り出す。目の前は真っ暗な海だけど、海の向こうには光り輝く東京の湾岸のキラキラした夜景が薄く横に広がっている。

 柵に両手を突き、その遠くの街燈を望む。ゆーだいさんが息を切らせて隣にやってくる。

「何故、走り出す… 元気あるなあ、試合終えたというのに…」


 それはね。あなたがいるからだよ。

 秋には結婚しちゃって、人のモンになっちゃうけど

 でも、いいんだよね、

 ずっと好きでいて、いいんだよね

 アタシは今年、プロになる

 絶対試験に受かってみせる

 そんで、走り始めるよ、女子プロゴルファーの道を

 ねえ、その先には、

 あの街の明かりがあるんだよね

 目の前は真っ暗な海だけど

 その向こうには眩いばかりの光が

 あるんだよね

 アタシはそこに向かって走るんだ

 だからお願い

 しっかりとアタシを

 見守っていてください。


「一次試験突破のご褒美、まだなんすけど」

「え、ええ? あ、ああ、ごめん。何がいい?」

 アタシは遠慮なく、豪快にゆーだいさんの首にしがみ付き、ゆーだいさんの唇に自分の唇をしっかりと重ねる。

 ゆーだいさんの腕が力強くアタシの背中に巻き付く。


 今日イチの、いや今年イチ、いやいや人生イチのナイスショットな気分じゃん!


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