壊れたクラブ
茫然自失。
大学一年の時に、二年生エースの山田さんのストレートを受けた時の衝撃以来かもしれない。
18番グリーンで会員さん達にもみくちゃにされているみなみちゃんを眺めながら、俺は完全に抜け殻となっていた。
凄い。凄すぎる。
最後にバーディーで上がったまゆゆんよりも、遥かにプロとしての風格を感じる。いや、モノが違う、スケールが違う。
まゆゆんだって今や日本を代表するトッププロに仲間入りしそうな勢いの子である。それ相応のオーラが出ている。
だが。
みなみちゃんのソレは、あの9番ホール位から『女王の威厳』とでも言うべきものであった。申し訳ないがまゆゆんのソレとは比較にならないレベルのオーラだった。
流石に都井翔プロはそれに気付いたようで、
「あの子。日本の器じゃないですね。世界で戦える子ですね」
と感嘆している。
「えっと、あのー」
「あ。宮崎です」
「すいません。宮崎さん。あの子は宮崎さんと付き合っているんですか?」
うわ… 流石名門東北工大キャプテン、ワールドカレッジトーナメント個人優勝者! ついでに言うと、去年の秋、在学中にプロ宣言し日本オープン四位タイ。今年もツアー2勝、全米オープン出場、賞金ランク三位の本物の実力者だけあるわ。話が豪速球ストレート過ぎる(笑)
「付き合っていません。俺彼女いるし。でも、どうして?」
トイショーは口笛を吹き、
「だって。ラウンド中、ここぞと言うとき、必ず宮崎さんをチラ見してたから」
うわ… 流石一流スポーツ選手は周りがよく見えている…
「そっか。後で連絡先聞いちゃっても、いいですよね?」
ニッコリ笑っているが目が俺を睨み付けている。怖え。
「先週スマホ手に入れたばかりだし。貴方と連絡先交換できて喜ぶんじゃないかな」
と心にもない事を言ってしまう俺。
てか。俺が貴方の連絡先、欲しいんですけど。
延岡まゆ。流石、人気女子プロゴルファーである。
因縁の後輩に三打差もつけられて惨敗したと言うのに、悔しげな表情なぞ一切見せずにギャラリー相手に笑顔で布教活動を行っている。
きっとこれでまゆゆんちゃんねるのフォロワーが二十名ほど増えた事だろう。凄い子だ。
暫くして。俺が市木プロのバッグを片付けていると、そっと横にやって来て、
「宮崎さんって、みなみちゃんとお付き合いしているんですか?」
あああ。この子も間違いなく来年か再来年、トッププロになるに違いない…
「いいえ。俺、彼女いますから。」
あの、画面と同様の可愛い仕草で、
「ふうん。宮崎さんって、I T企業にお勤めなんですって?」
は? どこでいつ誰に聞いたの?
「すごいですねえI T企業ってー。だってえその若さでここの会員さんでえ、外車乗ってえ」
舌ったらずの語尾に脳が蕩けてくる。この女、ヤバい。
「あのー、連絡先、教えてもらってもいいですかあ? 今度一緒に回りませんかあ?」
マジか! 嘘だろ? あの、まゆゆんの連絡先ゲットオー!? そんで、二人で接待コースでデートラウンド!?
「みなみと一緒に」
…ですよね。
ライン交換しながら、
「あの、どーして俺と?」
小悪魔な笑みで、
「ジョーホー源は、多い方がいーですから」
全身から出ていた変な汗が、一気に凍りついた。
「連絡しますねー。今度ディナー連れてってくれますかあー」
首を横に振れない、俺であった。
二人のプロと俺はバッグを持ち帰りなので、キャディーマスター室の椎葉さんがバッグ用のカートを回してくれる。マスター室から玄関まで線路みたいな地面に埋まった電線沿いに動く電動カートにバッグを乗せるためだ。
何故か俺が二人と自分のバッグをカートに乗せる。
「宮崎ちゃん、仕事が板についてきたねえ、ぎゃは」
マスター室のお局、いや女帝、と言われる椎葉さんこと、節子ママに言われてちょっと嬉しい。
「身体大きいし、力持ちだし。どお、会社辞めてウチで働かない? ついでにアタシと付き合わない? ぎゃは」
即レスすると失礼なので、困ったフリを五秒していると、カートがピーっと鳴って動き出す。ノロノロ動いている割には力強く、アレに轢かれたら間違いなく骨は粉砕するだろーなー、なんて思っているとー
突然
「キャッ」
と言う声と、
ガッシャン
と言う音がマスター室に響き渡る。
声の主はキャディーマスター室長の串間さんと話し込んでいるまゆゆんだ。
そして、もう一つの音源は…
みなみちゃんのゴルフバッグだったー
キャディーマスター室に置かれていたみなみちゃんのゴルフバッグをまゆゆんが誤って倒してしまったようだ。
だが。倒れ先が、不味かった。
二人のプロと俺のバッグを乗せた電動カートの通り道に、みなみちゃんのバッグは倒れたのだった。
誰もどうすることも出来なかった。倒れた時にはもうカートはすぐの所まで来ていたのだ。
皆が呆然とする中、
バキバキっ
グチャっ
と言う無惨な音が鳴り響いた。カートは止まることもなくみなみちゃんのバッグを踏みしめながら、玄関へと登って行ったー
ドライバーはヘッドが粉々に砕け散っていた。
アイアンのシャフトはひしゃげて折れ曲がり、何本かのアイアンはヘッドが潰されていた。
バッグはぺしゃんこになり、もはや原型を留めていなかった。
人でなくて良かった。そう思える程の無惨な現場であった。
誰も何も言えず、ただ呆然としている中。
「何、何? 今の音―。カートがなんかふんづけたんじゃね?」
と無邪気にみなみちゃんがやってくる。
現場を一眼見て、
「あ、アタシ、の?」
みなみちゃんが氷結する。
延岡まゆがみなみちゃんにしがみ付く。
「ゴメン! ゴメンみなみっ 私が不注意でみなみのバッグ倒しちゃって、ゴメン!」
と言って泣き始める。
己が次に何を言い、何をすれば良いか、誰にもわからなかった。
* * * * * *
父ちゃんのクラブ。
十年前、アタシにゴルフを誘われて渋々揃えた、キャロウェーのクラブセット。
アタシに似て大柄で、日本モデルだとどうにも合わないと、良太さんの知り合いのゴルフ屋で揃えた、アメリカ仕様のゴルフセット。
揃えてから二週間後、ゴルフ練習場の帰りに交通事故に巻き込まれ、父ちゃんは天国に行った。けどコイツは傷一つ付かず残された。
当然のようにアタシが使うことになったが、当時はシャフトが硬すぎて使えなかった。高一の時も、ちょっとムリだった。でもこの四月、大多慶に入って試しに振ってみると、ビックリするぐらいピッタリだった。
十年前のモデルだから、古い。今ならもっと高性能でもっと簡単なクラブが山ほどある。
でも。コイツは父ちゃんの最期を看取ったんだ。父ちゃんが最後に触れたものだったんだ。そう思うと、コイツを手放そうとか乗り換えようとか、一瞬も考えた事はない。大事に使えば、あと十年は使えるってじーちゃんも言ってたし。
それが…
まさか…
交通事故に、会うなんて…
延岡まゆが、ウザい。
化粧が全部取れてるくらい泣きじゃくっている。
「いいよ…アンタのせいじゃない。てか、アンタじゃなくて、良かったよ」
そう言うと、声を張り上げて号泣しちまった。
節子ママも鼻をすすらせてる。
良太さんが走って来て、
「どうした、大丈夫か、怪我はない… ゲッ」
と言って、立ち尽くしてしまった。良太さんが父ちゃんのために選んだクラブの死に様に、吐きそうな顔をして突っ立っている…
それからの事は、あんまし覚えてない。
後で聞くと、必死で延岡まゆをなぐさめた後、寮に戻って次の朝まで部屋から出なかったって。次の日、朝起きて腹減ったから食堂行くと、皆が寄ってきてメチャクチャなぐさめてくれた。
へーき、へーき。と言いながらいつもみたいにお代わりしないで朝食を終え、部屋に戻ってスマホ見ると、ゆーだいさんからアホほどメッセージが来ていた。
一つ一つ読んで、その中に、
『新しいクラブが必要だよね。俺が買ってあげるから今週の夜空いている日を教えて欲しい』
ってあるのを読んで、それから涙が止まらなくなった。
多分、昼まで泣いてたんだろう。泣き疲れて一眠りして、時計見ると十二時過ぎてた。
食堂にフラフラ行くと、またしても皆になぐさめられる。
「支配人が、ここのレンタルクラブ、好きなの使えってさ」
「でも、まゆゆんが絶対弁償するって言ってたし。なんでも契約してるメーカーとー」
「佐藤さんが、使ってないゼクシオやるって言ってたよ」
「佐藤さんて、ああ、昨日観てた地主の…」
「それにトイショーもスポンサーに聞いてあげるって。確かダンロップだよな…」
皆の優しさに、また泣けてくる。もう、こんなアタシにみんなが… くそー、大声で思いっきし泣いてやる!
うわ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~―――――――――ん
すると健人、翔太、みうがギュッといつまでもいつまでも抱きしめてくれた。
メチャ、あったかかった。
次の日の朝。
ご飯三杯おかわりする。そんで仕事に取り掛かる。
昼飯も3杯おかわりをする。
午後から練習グリーンで、ゴルフ場のレンタルパターで転がす、転がす、無心に転がす。
夕飯後。
ゆーだいさんに、連絡する。
『もー大丈夫です。クラブはレンタル出来そーです』
即既読。電話がかかってくる。
「心配したよ、本当に大丈夫?」
優しい声にまた涙が込み上げてくる。ダメだなアタシ。
「レンタルクラブなんてダメでしょ。君はプロになるんだから。ちゃんとフィッティングしないと。市木さんに聞いたんだけど、市木さんの知り合いのゴルフショップでフィッティングから全部やってくれるって。今、十一月だろ? あと四ヶ月しかないじゃない。早目に合わせておかないと、四月からの苦労が水の泡になるぞ。」
…なんか吹いてしまった。
「え? なに? 俺、何か変なこと言ってる?」
「ううん。違うの。」
「へ? どうした?」
「だって。みんなミョーにチョー優しいから」
「それは…それだけみなみちゃんが、周りに愛されてるからじゃない?」
ドキッとしてしまう。そして、
「え? それって、ゆーだいさんも?」
うわ…彼女いる人になんて事お…
でも…
ウソは、つけないよ…
案の定、あれだけ一気にいっぱい喋ってたゆーだいさんは無言となる。
心の中で十数えてから、
「なーんて。うっそー(笑)」
と大笑いしてみる。頬に涙が零れ落ちる。
「ビックリした… あんまりこんなオッサンいじめないでくれよ…」
「えー、ゆーだいさんオッサンなの? 何それマジウケる(笑)」
今日から。悲しいのに笑うことの出来る女になりました。
「そんな事より。どお、明日の夜とか。お店は千葉市にあるんだって。車で迎えに行くから、寮の夕飯キャンセル出来る?」
この人、結構いつもこーだ。あっという間に予定をパパって決めちゃう。ホントにパパって呼んじゃうぞ。
「でも。メチャ金かかりますよ…」
「知ってる。だって俺夏にフルセット揃えたから」
「あー、実はドライバー、ちょっといいなーって思ってたんですよお。410。いーなあーってえー」
と延岡スキルを使ってみる。馬鹿じゃねアタシ。しかしー
「でしょ、でしょ? てかさ、こないだ出たじゃん、ニューモデルの425が。そっちにしなよ、飛距離15ヤードアップじゃね?」
マジでゴクリと唾を飲み込む。
飛距離。
欲しい。欲しい。マジ、欲しい。
「…じゃあ。プロになって、初めて賞金入ったら、返しますんで…その…」
ゆーだいさんが咳払いしながら。
「良いから。気にしないで。俺はみなみちゃんファンクラブ会員番号ゼロ番。ファンクラブ永久会長なんだからさ。ここは俺の顔を立てて、買わせてくれよ。な?」
今度こそ、本気で鳴き声をあげてしまった。おえつが止まらなかった。
どうしてこの人はこんなにも優しいんだろう。多分、アタシの好意に気づいてるはずなのに。クソ女とは言え、彼女持ちの自分に気があるとわかっているはずなのに。タイプじゃない年下に好かれて迷惑だろーに。電話口でこんなにワンワン泣いている面倒臭い女なのに…
どうしてこの人は、ここまでアタシを…
アタシの何を…
(身体じゃねーのは間違いない。)
アタシの…
「じゃ、明日五時に。ショップには連絡しておくから。今夜はゆっくり寝るんだぞ。おやすみ」
それからしばらくの間、スマホの画面に映る泣き腫らした目の女をじっと眺めていた。
そんで。よーやく気づいたことがある。
どーしょーもないくらい、あの人を好きなコトに…
* * * * * *
電話を切った後。ふと考える。
みなみ以外の女子に、これ程お金を使った事があるだろうか、と。しかも彼女でもない、狙っている子でもない子に、俺はどうしてこんなに散財しようとしているのだろうか、と。
恐らくフルセットで四〇万円(と市木さんが言ってた)、予備がいるだろうから倍の八〇万円。中古なら車が買えてしまう程である。
みなみにもここまで散財した事はない。去年のボーナスでヴィトンの財布が一〇万円程度だった気がする。
コロナ禍にも関わらず、我が社の業績は順調で冬のボーナスが多分それ位出るらしい、リューさん情報によると。俺はボーナスを全てあの子に注ぎ込んでしまうのだ。
不思議と勿体無い感は全く無いし、見返りも全く期待していない。女子に投資と言えば、そのリターンは殆どが『身体』だろう。だが、正直、彼女の身体には全く興味が…なく…はない?
ええい。兎に角だ。この投資が彼女の身体目的でないのは断言できる。逆に身体目的で八〇万円って、どんだけー?ではないだろうか。
ふむ。もし相手が樫坂の高松ちなみちゃんだったら……それでも八十万円は、無いわ。
ちょっと自分が分からなくなり、パットの練習がてらにみなみの部屋をノックする。
「うっそー! みなみちゃんに、そんな高いクラブ、買ってあげちゃうの?」
案の定、みなみはびっくり仰天だ。
「でも。そのクラブ壊した延岡まゆって、ホント強かだね。怖いわ〜」
「へ? どゆこと?」
「だって。わざとやったんだよ。それ」
「まさかー。まゆゆんに限ってそんなことが… だってその後、みなみちゃんにしがみついて泣いて謝ってたんだぜ」
みなみはフンと鼻を鳴らし、
「そんなんだから、お兄ちゃんは女子に騙されるの。大学二年の時のチアリーダーの事、まさか忘れたわけじゃないよね?」
んぐうー。痛いところを突くじゃないか。
大学二年の春。当時人気実力ナンバーワンだったチアリーダーの子に告られ、即付き合い始めたのだが、俺が肩を壊した途端、離れていった。
「もうすぐ一軍入りだったお兄ちゃんを見越してたんだよ。もしかするとプロ入りするかもってね。女子はそれ位強かなんだよ。その延岡まゆって子も」
そんな筈は… だって昨日も今日も、こんな俺にメッセージくれちゃうあんないい子が…
「怖いと思ったんだよ、みなみちゃんのコト。このまま順調にプロになったら、絶対自分を追い越すって分かったんじゃない。だから今のうちに叩き潰しておこうってさ」
みなみいー。お前、いつからそんな良くないことを考える子に…
「えっと。ほら、これ。延岡まゆのブログ。『今日はイケメンプロ野球選手とランチでーす』だってさ。このご時世に。全然、反省してないじゃん。」
こわ。女子、怖!
「一緒にラウンドして敵認定する。まず大切な思い出の籠ったクラブを完膚なきまで破壊する。次に敵が好意を持つ男に近付く。そして横からちょっかい出す。敵は精神的にズタボロ、ゴルフどころでは無くなるーって感じじゃない。」
みなみー 俺、どうすれば…
「知らないよ。ってか、この事ちゃんと陽菜に話してる?」
最近。俺が家に帰ると、陽菜が我が家にいることが増えた。お袋とみなみと三人で夕食を作っていることもある。
「ゆーだいくんの好きな味、覚えなきゃでしょ?」
先週、突然髪の毛が黒になり、カラコンをやめて普通の眼色に戻り、その辺に良くいる女子大生みたいな服装の陽菜との会話が、これまで以上に増えている。
でも流石にこの話は陽菜には関係ないから話していない。あれ以来、ゴルフの話も殆どしていない。
「いや。話さない。それよりさ、これって人道的に倫理的に、良くない事かなあ?」
みなみは腕を組み、うーんと唸りながら、
「第三者的な視点からだと、美談だよね。別にお兄ちゃんはみなみちゃんの身体目的とかじゃないんだし。だよ、ね?」
おう。と深く頷く。
「まあ、応援しているゴルフ選手の卵が困っているから、余裕ある分で援助する。身体抜きで。でしょ?」
おう。更に深く頷く。
「まあ、良いんじゃない、お兄ちゃんらしくて。でも、本当はお兄ちゃんさ、」
「何だよ」
「みなみちゃんのこと、好きなんじゃないの?」
一瞬、何も言い返せなかった…
それを誤魔化すように、
「いや。俺が好きなのはお前の方のみなみだぞ」
みなみは嫌そうな顔で、
「それ、もうやめようね。本当にキモいから」
いつもなら悶絶死確定の一言なのだが。みなみの一言が地味に頭から離れない…
「そろそろ、妹離れしなくちゃ、でしょ。でないと、結婚出来ないぞ。」
頭に残っていたみなみちゃんへの想いをそっとフォルダに放り込み、目前のみなみを見つめる。別に、他の女と結婚なんかしたくねえし。
「それ、陽菜に言える?(笑)」
無理。絶対、無理。
「あの子、今必死だよ。お兄ちゃんのお嫁さんになるために。ママにレシピ教わったり、料理教室通い始めたり。どーする、お兄ちゃん?(笑)」
……陽菜と、結婚…
確かに。顔の好みで言えば、(みなみを除けば)断然陽菜だ。みなみちゃんは俺が好みのアイドル顔からは一線を画したしっかりした顔付きの、どちらかと言えば美人顔、である。
体型も、俺は細くて華奢だが豊満な感じが好きなのだが、みなみちゃんはがっしりどっしり、安定感が半端ない。腕と太腿は俺ほどではないが、女子としてはあり得んくらい筋肉で覆われており、肩幅はほぼ俺と同じくらい広い。胸は目を向けてはならない地域に指定済みだし、何より今の坊主頭には全く女子を感じる事はない。
ただ。膝下の長さと、スッと伸びた細さは魅力的だ。スカートを履いた時には思わずガン見したくらいに。
だが。
俺は、何故そんな女子に、援助しようとしているのだろうー
まさか、みなみの言った通り、俺はみなみちゃんの事…?
「それさ、やっぱ陽菜には内緒にしとき」
「だろ?」
「じゃなくて。多分ね、お兄ちゃんとみなみちゃん、繋がってるよ。」
「へ?」
「魂が。ソウルが。繋がっているんだよ。だからお兄ちゃん、放って置けないんだよ」
「なんだよそれ? 意味がわからん。」
「だからね。多分、前世でなんかあったんだよ、みなみちゃんとお兄ちゃん」
出た…みなみスペシャル…
昔からかなりスピリチャルに興味があって、俺も親父も相当それに苦しめられてきた。例えば服の色だとか。例えば玄関の置物だとか。
初詣とかで神社仏閣に行くと、そのマナーには殊更厳しく、昔は何度もダメ出しされ、お参りのやり直しを何回させられたことか。
「だって。全然タイプじゃないじゃない。寧ろ真逆なんじゃない? なのにこうして気にかかって困っていると助けたくなる。メールの返事が無いと、オロオロウロウロしちゃう」
んぐ… 流石俺の妹。良く見ている…
「それって絶対、前世からの因縁なんだよ。だかr…ちょっとお兄ちゃん、まだ話が…」
俺はパット練習に参ることにし、みなみの部屋を出る。
翌日、俺は仕事を三時で切り上げ、一旦帰宅し車で大多慶に向かう。ゴルフショップの店長はみなみちゃんの事を良く知っており、
「じゃあ、大体良い感じのクラブ、用意しておきますから」
と言ってくれている。
平日の夕方。だが車の流れはそれほどでもなく、アクアラインの海底トンネルを悠々と通り抜ける。通い慣れた道なのだが、いつもは朝早くなのでいつもと違う風景の色合いに、軽く心が躍る。
東京湾を渡りきり木更津のアウトレットを左に見る頃には既に四時半だ。急ごうとアクセルを踏み掛けるが、この先は覆面パトカーの名所なので、焦る右足を宥め、法定速度を遵守する。
結局、クラブハウスには五時十分頃に着く。すっかり辺りは暗くなっていたが、またもやゴルフ場の入り口でみなみちゃんが足をブラブラさせながら腰掛けているのを俺の車のヘッドライトが照らし出す。
暗闇の中に照らし出された、さながら深夜のアクアラインの海ほたるの輝きの如きその姿に何故か胸がキュンとなり、顔が赤くなるのを感じるー
ったく。みなみのやつが変な事を言うから。俺がみなみちゃんの事が好き? んな訳ないだろうが。まだ10代のこれから羽ばたき光り輝くあの子がこんなオッサンの事なんか…
それに、俺とみなみちゃんが前世からの繋がり? それって、前世では夫婦だったの? それとも彼氏彼女だったの? 殿と側室? 大尽と花魁? まさかの殿と小姓?
俺が車を転回させると、テケテケと駆け寄って、
「どもー。よろしくオナシャス!」
といつもの感じで助手席に飛び乗ってくる。
それからカーナビに従って館山道を北上し、千葉市に向かう。千葉市の外れにあるゴルフショップまでの間、俺たちはこないだのラウンドの事で大いに盛り上がる。
「俺さ、目の前でホールインワンが観れるとは思わなかったわー。あれ、何回目?」
「初めてだし。アタシだって初めて見たし。」
「えー、そうなの? プロとかなら良くあるじゃん?」
「そーでもないっしょ。少なくともあの場にいたプロは経験ないってさ。」
「そっかあ。でも、あの時のまゆゆんの悔しそうな顔、見た?」
「見てねえ。何、引きつってた?(笑)」
「みなみちゃんの事、殺しそうな目つきだったよ(笑)」
「マジか。今度、〆る。」
「先輩じゃない… さておき、来年の一月か二月、まゆゆんが又みなみちゃんと回りたいって。何故か俺も一緒に…」
一瞬怪訝な顔をした後、
「いーんじゃね。かかって来いやコラ。こっちはおニューのクラブで返り討ちしてやらあ」
って、その坊主頭で言われると、マジ怖いんだけど…
「いっその事、真っ赤に染めちゃおうかな。なんちって」
それだけは、やめような。変なバスケ好きのオッサンにバカ受けしちゃうからな。
なんてアホな事を話しているうちに、どうやら目的地付近に着いたようだ。
* * * * * *
「みなみちゃんのヘッドスピードとボールの回転数なら、L S TよりM A Xがいいと思うよ。あとは、シャフトだねえ、T E N S Eでちょっと打ってみようか?」
夢みたい…
ゆーだいさんと同じ(型は違うけど)ドライバーが手に入る? 嘘でしょ?
そんな夢心地でパカスカ打ってたら、
「ハハ… やっぱ、その辺のアマとは全然違うなあ」
「やはり、ミート率ですか?」
「ええ。これだけ毎回ちゃんとミートしてくれたら、このクラブも悦びますよ、ヒーヒー言って(笑)」
…このオッさん、ちょっと、変。でも、許す。何故ならゆーだいさんがいるから。
「でもこのモデル、納入に時間掛かるとか…」
「そうなんですよ。今大人気で。生産が追いつかないくらいに」
「なる早で、いつ頃納入できますか?」
「確か、選考会が三月でしたっけ? 今からだとクリスマス位かなあ」
「それだとたった三ヶ月… みなみちゃん、間に合いそう?」
アタシは力強く首を縦に振る。
「任せなさーい。大丈夫でーす。」
ゆーだいさんはホッとした顔で、
「わかりました。じゃあお願いします。」
「ありがとうございます。二本、ですね?」
「ええ。二セットで」
ハアーーー?
「いいよ、一つで。大事に使うし」
ゆーだいさんは首を振って、
「ダメ。だってこないだみたいな事が又起きないとも限らないだろ。プロになるんだから、予備のセットはちゃんと持っておけよ」
いやいやいや…そんな研修生、いねーって…
「研修生? キミはプロになる。違うか?」
はあ。
「ですよね、店長?」
まあここでうなずかない店長なら店はとっくに倒産してるだろーな。快く頷いた店長は、
「アイアンは来週用意できますので。二セット、間違いなく」
と言って超うれしそうな顔でニコニコしてる。
何だかメチャ申し訳ねーんすけど…
「なんか、申し訳ないっす…」
だってさ。ゆーだいさん目立たない様に会計してたんだけど。アタシ視力だけは自信があるんだわ。多分3.5はあるんじゃねーかな。そんでさ、レシートを遠くからちょいと見てみたらー
見たことのない数字が書いてあるじゃありませんか!
そりゃ、おニューのセットを二つ揃えたら、そんぐらいイっちゃうのは知ってたけどさ…
「あの、なんならこの身体でお返し、しますけど… なんちって」
アタシの寒いギャグにまさかの爆笑で返してくるとは。
「勿体ないって、みなみちゃんの身体くれるなんて。ファンクラブの会長はそんなこと求めてないって(笑)」
「ですよねー。この貧相なゴツい身体じゃ、値段つかないっすよねえ、痛―(笑)」
「いやいや、こんな綺麗な顔した若い子、俺には勿体ないって話。それより、何食べる? とんかつ?焼肉?」
上手に流されちゃう。
「何でもいいっす。今、胸一杯で食欲ないんで」
「嘘つけ(笑)さっきから腹鳴ってんじゃねーかよ(笑)」
「バレたか。てへ。」
何故かゆーだいさんがテレる。やっぱこの人、そっち系が好みなんだな。ま、アタシがやったら単にキモいだけだからやらんけど。
「じゃあ、中華がいいっす」
「よーし。好きなだけ食べろよ。今、探すからさ〜♪」
あかん。好きすぎる。
幸せ、すぎる。
どーもアタシは昔から年上好きな様だ。同年代や年下には全く興味がねえ。初恋は良太さんだったし、中学の時は新人の理科の先生。アレはマジヤバかった、出来れば駆け落ちしたいくらいに惚れてたわ。
高校時代は…特にいなかったかな。強いて言えば路線バスの若い運転手だった杉山さんかな。ま、一言も話しかける事もなく、ある日いなくなっちゃったけど。
ぶっちゃけ。彼氏歴ゼロな訳で、男子と二人きりでこれ程親密に会ったことはなく。今でさえ、ゆーだいさんが来るまでの間、いても立ってもいられなくて思わず入り口まで走っちゃう程で。会うまではマジ緊張してドギマギするんだけど、助手席に座って運転席の横顔を見ると、緊張よりも喜びが勝り、嬉しくなってくるのだ。
もしも。ゆーだいさんに彼女がいなかったら。アタシの事を選んでくれるだろうか。
そんな妄想遊びが最近のアタシの日課だ。
だけど今日は。妄想遊びじゃなく、ごっこ遊びの日。
今日は私はゆーだいさんの彼女の日。ゆーだいさんは私の彼氏の日。二人でドライブ、お食事。そして…
きゃっ
妄想の世界で一人盛り上がるアタシを不思議そーに眺めながら、ゆーだいさんは車を走らせる。
腹一杯に中華をゴチになり、時計を見ると八時過ぎ。門限の九時まで小一時間。名残惜しいがそろそろ帰宅の途につかなけりゃならない。
「アイアンは直接大多慶に送ってもらえるそうだから、届いたらすぐに使ってみてな。」
「あい。」
「俺、今週末から師走、一二月にかけては仕事とか用事があるんで大多慶行けないけど、クリスマス明けには行くから。その時は新しいアイアンとドライバーショット、見せてくれな」
「あい。」
「それまで、ドライバーはどうする? よかったらさ、俺の410使ってていいけど…」
「あい。」
「…? みなみ、ちゃん? 聞いてる俺の話?」
ゴメンなさい。何も聞いてませーん。だって。仮想彼氏との夜のドライブ満喫中なもんで…
「うわ…あと三十分か。門限に間に合わせないと…」
軽い加速感を感じる。シートに遠心力(加速力?)で押さえ付けられる。そっと眼をつむる。ベットに上で彼氏に押さえ付けられ感に変換されるー
「みなみちゃん… 目瞑ってニヤニヤして… さっきの北京ダック、そんなに旨かった?」
もちろん美味しかったですとも。でもでも、今はちょっと寝たフリさせてね。
あと三十分だけ、あなたの彼女でいさせてください。
* * * * * *
師走に近づき、仕事が増える。主な要因はリューさんのスケジュール管理によるものだ。二社からソフト開発を依頼されており、その締め切りに追われリューさんも俺も流石にゴルフどころではなくなっている。
師走に入ると年末締めの急な仕事が入り(社長、マジ勘弁してくださいよ…)、更に忙しさは増していく。
「大丈夫ですよ。始めて四ヶ月で100切りの雄大くんなら、問題ありませんよね」
なんてニッコリ笑顔で言われてしまうと、
「ええ。問題ありません。年末までには終わらせます。」
なんて大見え切ってしまい、
「ゆーだいー、お前なんて事をー 俺、そろそろ死んじゃうよおー」
と哭きのリューを叱咤激励し、三つの仕事を平行させていく。
「あの、流石に小林さん、いっぱいいっぱいなのでは?」
秘書課の鈴木さんが心配そうに俺に問いかけるも、
「まだまだ。あの人、まだ本気出してないから(笑)大丈夫。」
「そーなんだ… 小学生の頃からのお付き合いだものね、雄大くんと小林さん。」
「そーです。まだまだ。絞れば絞るほど、いいもの出しますからあの人。いひ」
串間さんの口癖がつい出てしまう。鈴木さんはぷっと吹き出し、秘書室に戻る。
リューさんにはキッチリ年内に三つあげてもらわねば。そして年始から嫌と言うほど、ラウンドしてやるのだ!
冬のラウンドは初めてなので、一日十八時間は働かせているリューさんに、
「ねえ、冬ってどんなウエアや装備が必要なの?」
「ゆーだい… お前を殺して俺も殺すよ」
などと意味不明な事を曰うので、みなみちゃんに聞いてみる。
『そーだね(絵文字)極暖の下着と(絵文字)熱を逃さないウエア(絵文字)、それに風を通さないパーカー(絵文字)とかかなー(スタンプ)』
最近、みなみちゃんとのラインが、楽しい。現役10代の子のメッセージは仕事とリューさんの愚痴に疲れ果てた俺の心の大いなる癒しとなっている。
『アイアン(絵文字)絶好調〜(絵文字)早く一緒に(絵文字)回りたいデス(スタンプ)』
よし。年末まで、ではなく、クリスマスまで、に三つの仕事をあげてしまおう。
「奇跡、ですか…」
「マジで…あげちゃったのか… 小林さん…」
「信じられねえ… あのリューが… 年末どころかイブに…」
あれから俺の持ちうる全ての人脈とスキルを動員し、リューさんを極限の究極の限界まで追い込み、とうとう三社のプログラムをクリスマスイブの夜に完成させたのだ。
「すげーな雄大… 流石甲子園球児…」
「人間って、極限まで行くとこんな事まで出来ちゃうんだ…」
「そこまで人を追い込む雄大って… 凄いと言うか、恐ろしい…」
何とでも言ってくださいよ。今なら許しますので。
俺は人間の抜け殻と化したリューさんに、
「さ。これで明日から年始まで、ゴルフ三昧だね。まゆゆんが毎回、可愛い女子プロ連れてきてくれるって。」
リューさんが人間に復活する。
「ゆーだい… ホントなんだろーなー まゆゆんとラウンド出来るってー」
そう。俺はリューさんを極限まで追い詰める為の餌に、延岡まゆを利用させてもらった。あれ以来まゆゆんとはメル友であり、一回ディナーをご馳走した仲である。
リューさんの話を(相当盛り込んで)すると、
「へえーーーー I T企業の社長のイケメン御曹司― 会いたあーい」
リューさんには、
「まゆゆんが、リューさんとラウンドしたくて堪らないって。早く回りたいって。クリスマスの日に回りたいって。クリスマスディナーご馳走して欲しいって」
まあ、ゴルフ好きの男なら100%、極限状態に自らを追い込み仕事を完膚なまでに終わらせるだろう。
リューさんも例外ではなかった。いや寧ろ、俺が知っているリューさんの限界をはるかに超越した仕事ぶりだった。
小林社長は、
「やはり君に当社に来てもらったのは大正解でした。本当にありがとう」
息子の進化ぶりに感無量の父、といった風情である。
「今夜、なんやら陽菜がご馳走を振る舞うって、家で艱苦奮闘中だそうです。琉生と三人で一緒に帰りましょうか」
そう。今夜は小林家でディナーなのだ。妹のみなみも一緒なので、俺は素直に楽しみだ。みなみ曰く、最近の陽菜の料理の腕は目に見張る物があるらしい。それもちょこっとだけ楽しみだ。
驚いた。正直、ここまでやるとは…
陽菜の作った料理はどれもレストランに出されても何の引けをとらない程の出来栄えであった。みなみによると、料理教室の先生も感嘆する程の腕前らしい。
「陽菜―、おまえシェフになれよおー、パパが出資してレストラン開いてさあー」
リューさんが酷使され壊れた頭のまま曰う。
「いや、本当に美味しいよ陽菜。ビックリしたよ」
社長も眼を丸くして驚いている。
「陽菜ちゃん、家でもお料理頑張ってるものねえ。もうママなんかよりずっと上手よお」
社長令閨も目に涙を浮かべて喜んでいる。
「ね、言った通りでしょお兄ちゃん。陽菜と結婚したら毎日こんなお料理楽しめるんだよ」
おい、よせ、みなみ。場の雰囲気を壊すんじゃない… ん? あれ…
「いーなーゆーだい。俺も毎日こんな飯食わせてくれる子がいーなあー」
リューさん、頼む、壊れたままでいてくれ…
「はっはっは。あとは掃除と洗濯だな、陽菜」
社長、勘弁してくださいよ…
「それはママがみっちり仕込むから大丈夫よ、ゆーだいくん」
奥方… そんな…
「でも、ゆーだいくんが息子になってくれたら、ママ幸せだな〜 だってゆーだいくん、すっごく気が利くし優しいし。ウチの男達の気の利かなさと言ったら、ねえ陽菜ちゃん」
陽菜がニッコリ笑ってー先月までのアホっぽさは微塵も無く、フツーのJDっぽく
「だよねー、ママ」
ゴホンと咳払いをした社長が、急に改まって、
「雄大くん。どうだろうか」
熱い視線が三方向から俺を直撃する。赤、オレンジ、そして薔薇色の…
「陽菜との将来、真剣に考えてみて、くれないか?」
実は最も強く光り輝いた金色の視線が社長から放たれる。
流石一流経済人の渾身の一言、そしてその目力だ。俺は首以外全く身動きが取れなくなる。蛇に睨まれたオタマジャクシだ。
気がつくと俺は静かに首を縦に振っていた。
* * * * * *
クリスマスには良い思い出は一回しかない。子供用ゴルフクラブをサンタさんからもらった時だ。中学、高校時代に良い思い出は一度もなかった。
今日。サイコーのクリスマスがやって来る!
一昨日の昼頃、ゆーだいさんから連絡が来て、
『明後日のクリスマスの日。リューさんと延岡まゆさんと、四人で回らない?』
チャラ男かあ。ウザいけどまいっか。延岡。あれからしつこいくらい詫びの連絡がウザいので、丁度良いかもしんない。会って、このおニューのアイアンと、明後日丁度やってくるドライバーを見せれば気がおさまるだろう。
そして。
大好きな大好きなあの人と、クリスマスラウンド!
余りに嬉しすぎて、健人と翔太に蹴りを入れてしまった。みうを肋骨が折れるほど抱きしめてしまった。(ホントに肋骨一本、ヒビが入ったらしい)
年末で相当忙しかったのか、あれからゆーだいさんは一度も大多慶に来ていない。一ヶ月ぶりだ。
買ってもらったアイアンは一週間後に届き、すでにモノにしている。正直言って、父ちゃんのアイアンよりはるかに使いやすい。てか、簡単。楽チン。楽勝。最新のクラブって、マジ神だわー。
シャフトも調整は不要。アタシのスイングにしっかりとついて来てくれる。お陰でアイアンの精度、飛距離、どちらも飛躍的に工場(向上)し、良太さんをビビらせている。
「俺も、クラブ変えようかな…」
「え? そんな金あんの良太さん?」
「うわー、それ言うかみなみー」
泣かせてしまった。ゴメンね良太さん。てへ。
そして。待ちに待ったドライバーがクリスマスの日に届く。
さらに。待ちに待ったゆーだいさんがクリスマスの日にやって来る!
「おーい、みなみちゃあーん。来たわよおー いひー」
どっちが? ドライバー? ゆーだいさん?
「ドライバー、来たわよおー いひ」
あれから。え? アレって? ゆーだいさんと千葉市デートした一月前以来、ゆーだいさんが使っている410を借りっぱなしだった。
さすが、元球児が使っているモノだけあって、アタシにはシャフトがやや硬い。だが父ちゃんのキャロウェイよりも遥かにスゲくて、すでに飛距離は10ヤードアップしている。その410の後継機種である、425MAX。更に5ヤードは伸びるはずだ。
アタシはモノも言わずに包装を破りさり、サランラップみてーなのに包まれた425と対面する。思わずため息が出てしまう。あふん。
鈍く黒光る大きめのヘッドに一瞬で恋に落ちる。名前は『デカ男』に即決。好きだわ。あかん。もうアンタ無しのゴルフなんて考えらんない… キュンキュン。
「みなみちゃあん、いらしたわよお、宮崎さん いひ」
キュンキュン。
「おーい 聞いてるのおー みなみちゃーん?」
きゅんきゅん。
「こら みなみっ 聞いてんの?」
最後は久しぶりのクッシーの怒鳴り声でハッと我に帰る。
アタシは425を胸に抱きながら、ゆーだいさんをお迎えに上がるー
「そっか、丁度さっき届いたんだ。早速ラウンドで試してみる? それとも今日は俺ので回る?」
「さっそく試すっしょ。なので、これ。長らく貸してもらって、あんがとね」
一月間の彼氏だった410をゆーだいさんにお返しする。なぜか胸がチクリと痛んだ。彼と別れる時ってこんな感じなのかな。経験ないから知らんけど。
「おーおーおー、お久しぶりいー、みなみちゃあーん」
久しぶりにウザいチャラ男だ。懐かしいそのウザさに思わず頬が緩んじゃう。
「みなみっ 良かった、ドライバー届いたんだねっ これで、全部揃ったのね?」
延岡まゆがチャラ男に引っ付きながら歩いてくる。ほーん。こうして見ると、この二人、ウザさがよくお似合いだ。
「さあ、回るわよっ 本気だしなよ、みなみっ」
望むところだわ。今日も軽くぶっ潰してやるし。このデカ男さえあればー
「小林さあーん、エブリワンあげますからあー何かかけますう?」
「うおー まゆゆんと賭けゴルフっ 世界のまゆゆん教信者に怒られるうー」
「えー そんなのいませんよおー」
「そーだなー、じゃあ、俺が勝ったら明日の朝までまゆゆんは俺の彼女になることおー」
「きゃあー じゃあ、まゆが勝ったらあー?」
…この二人の会話。マジ殺意を感じる。ゆーだいさんも呆れ顔だし。
「そーねー じゃあ、まゆゆんが勝ったらあ、俺が明日の朝まで彼氏になるよおー」
アタシとゆーだいさんが同時にチャラ男の頭をど突く、なんて失礼なヤツ…
「えー、絶対ですよおー?」
アタシ一人が延岡の頭を叩く。コラ、チャラ男を騙すな!弄ぶな!
騙されてるとも気づかないチャラ男が飛び跳ねて喜んでいる。まあ、チャラ男がこの女にメチャクチャにされても一ミリも心は痛まないだろーけど。
ゆーだいさんは真面目にチャラ男に説教だ。アホくさいので練習場に向かうことにする。今日からアタシの恋人となった、デカ男を大事に胸に抱きながら。
延岡まゆが呆れ顔でアタシのショットの行方を眺めているー
「あんた、280は飛んでんじゃね?」
「そーかも」
「ちょ、ちょっとそれ貸してみ」
「いーけど。壊すなよ」
「壊さねーし。黙って見てろや」
延岡まゆの平常はこんな感じさ。騙されている世間のオッサン達がたまに憐れに(哀れに)感じるぜ。
「硬っ あんたこんなシャフト使ってんの? これ完全男子仕様だし。あんたやっぱゴリラ?」
「っセーな。」
「参ったな… 40ヤードも置いてかれんのか… なんとかしなきゃ…」
「ハア?」
「なんでもねーし。で、幾らした? あとで払うよ」
いやいやいや、いーって。てか、へ? なぜ?
「弁償するって言ったろ。」
「ゆーだいさんが買ってくれたから」
まゆは冷たい表情で、
「あんたもうタニマチいんのかよ… こんなブッサイクなくせに」
「っセーな」
「それにこんなに生意気なのに。あたし先輩だぞ、敬語使えやコラ」
「部やめたし。だからアンタ先輩じゃねーし。ただの加害者だし(笑)」
大きな溜息を吐きながら、
「はーーー しゃーねーな。じゃあ代わりに夕飯奢ってやるよ、焼肉な(笑)」
でた。面倒見の良さ。これを三年前、仲良い後輩にしたせいでアタシは…
でも、もーいーや。水に流す。忘れてやる。アタシは前に進むんだから。過去にこだわるのはもーやめたんだから。
「っざーす! 黒毛和牛でおなしゃーす」
まゆゆんは呆れ顔で、
「ったく。マジムカつく。さ、オッサン達待ってっから、そろそろ行くか」
「って、あんた勝ったらマジ、チャラ男が朝まで彼氏?(笑) ウケるー」
「バーカ。アイツ、I T関連だろ? 社長の御曹司だろ?」
割と真顔で言うから、ちょっとドン引きながら
「まあ、そーかも。年収、億って言ってたかも」
延岡の目がギラギラに光りだす。
「それな。それなー。よっし。今夜は本気出すか。」
本気? 何それウケる… ってか、なんか怖え…
チャラ男は今夜、どうされてしまうのだろう… 彼の近い将来に心から同情するぜ。なんなら愛刀(哀悼)の意を捧げるぜ。
そんな事はどーでもいい。
この425、通称『デカ男』との相性は、チョーサイコーだ。
初めはこのデカヘッドにマジ違和感を感じてたんだけど、ゆーだいさんに借りてた410を一月打ってたらだいぶ慣れたし。
打感もサイコー。打音もギュイーン、中々イカす音だ。
「みなみちゃん、すげーよ、ゆーだいと同じくらい飛んでんじゃん…」
…ゆーだいさんと比較されるのがビミョー…
「てか、まゆゆーん、エブリワンじゃ足りないよお、あと3つずつちょーだいよおー でないとお、負けちゃうよおー」
「ええーー、2つずつならあ、いいですよおー」
「まじー? 神ってるわあーまゆゆん マジ尊いわー」
「もおー、小林サンってお口上手なんだからあー まゆ、キュンキュンしちゃうよお」
…この二人から可能な限り遠ざかる。アホが移ってしまう。まだコロナの方がマシだ。
さて。
大好きなゆーだいさん。ひと月ぶりのせいか、右に左にまた右に〜♪ フェアウェーよりも林にいる時間の方が長いかも。
「ご、ごめんな、これじゃ二人の練習になりゃしないよな…」
ありがと。気使ってくれて。
「あ。ゆーだいさん、あったよおー 木の根元だわー アンプレだねー」
「サンキュ、こんなとこにあったか… 」
二人同時に木の根元にあるボールに手を伸ばす。肩と肩が触れる。真横に顔がある。ゆーだいさんの大人な匂いがする。
このまま時間が止まればいーのに。このボールに根っこが生えて、拾おうとしても拾えなければいーのに。
このボールが、大きなかぶだったら良かったのに。アタシとゆーだいさんは二人でかぶを引っ張ります、それでもかぶは抜けません…
神様、どうかこのまま時間を止めてください…
* * * * * *
「ゆーだいさん、あったよおー 木の根元だわー アンプレだねー」
流石みなみちゃん、あっさり林に入った俺の第一打を見つけてくれる。
それにしても、酷い。確かにこの一ヶ月間、究極的に仕事が忙しく、ゴルフの練習は殆ど出来なかった。それにしてももう少し真面に回れる、打てると思ったのだが。
特にみなみちゃんに貸していたドライバーショットが全くダメだ。さっきから真面に当たる事はなく必ず林かO Bだ。
よし、明日からはドライバー主体の練習だ。そう決意し、木の根元の球を拾おうと…
同時にみなみちゃんが屈んでくる。
肩と肩が触れる。真横に顔がある。みなみちゃんの爽やかな匂いが鼻腔に入ってくる。
時間が止まる。あれ、なんだろう、この懐かしさ…この愛おしさ…
ボールに手を伸ばす、みなみちゃんの手も伸びてくる。
無意識のうちに、その手を握ってしまう。みなみちゃんはビクッと肩を震わす、が、俺に握られた手はそのままだ。
静謐に包まれた林の中で、二人。
顔を少しだけみなみちゃんの方に向ける。耳まで真っ赤になった彼女の横顔に愛おしさが湧いてやまない。
そのまま目を閉じてみる。
鳥の鳴き声ひとつ聞こえてこない。風もなく、木に残る枯葉の擦れる音さえ聞こえない。ただ木漏れ日が差し込む辺りの地面の、なんとも言い難い温もりが立ち上がる音が耳に届く。
それと。彼女の怯えた様な、それでいて何かに期待するような浅い呼吸が聞こえてくる。
握った手を更にギュッと握ってみる。触れた肩の重みが増す。浅い吐息が更にハッキリと聞こえてくる。
ゆっくりと目を開く。
彼女の恥じらう様なつぶらな瞳がすぐそこにある。
愛おしい。
抱きしめたい。
そんな欲望が頭を支配する。その欲望に従おうと、ゆっくり握った手を離し彼女の背中に回しかけた時、
「見つかったあー?」
枯葉を踏む音と共に、リューさんの何かを咎める様な声音が背中から聞こえ、回しかけた手の行方に戸惑う。
パーパットを狙うリューさんをぼんやりと眺めながら、俺はどうしてこれほどまでにゴルフにのめり込んでいるのかをふと考える。
初めはこの人の挑発に乗っかった。止まったボールを打つだけなのに、それが満足に出来ない自分に苛立ち、それを容易にこなすリューさんを乗り越えるべくゴルフにのめり込んだ。
練習を重ねる内に少しずつ打てる様になり、ラウンドを重ねる内に人並みに回れる様になった。
そしてー
彼女に出会った。
彼女のショットに、パッティングに魅了され、気が付くと自分のゴルフではなく彼女のするゴルフ、に嵌まっていた。
そこまでは実感しており自己認知済みであった。
だがー
先程の林の中にて。
俺はハッキリと気付いた。
俺は、彼女のするゴルフ以上に、
彼女自身に魅了されている事に。
好きだとか、抱いてみたいとか、普通女子に対し抱く感覚ではない。
それはもっと心の奥底に蠢く欲望、いや願望。この子と一緒にいたい。この子をずっと見ていたい。この子をずっと見守りたい。そして、壊れるほど抱きしめたい。
離したくない、離れられない。ずっと繋がっていたい。
25年生きてきた経験上、この感情を『恋』と呼ぶのに吝かでない。ない、のだが。『恋』とは違う気がする。
この子を好きだ、と言うのとは違う気がする。
ではその感情をなんと呼ぶ?
女子に対してこんな感情を持った事のない俺は、クリスマスの聖なる日差しを全身に受けつつ、一人身を焦がす。
その問いを求めるべく彼女を見る。彼女が見返しニッコリと微笑む。
ああ… また愛しさで胸も頭もいっぱいに充たされる…
これ程時が経つのが早いラウンドは初めてだ。気が付くと最終ホールを終え、クラブハウスに向かっている。
嘗てない程ご機嫌のリューさんは、
「マジ楽しかったあ、チョー楽しかったあー、まゆゆんサイコー、ウエーい」
などとはしゃぎまくっていて気持ち悪いし気味悪い。
俺は今日はスコアが全く気にならず、クリスマスなのに除夜の鐘を聞いても(108叩いても)あまり気にならなかった。
俺とリューさんはシャワーを浴び、広々とした風呂にゆっくり浸かる。
「ゆーだい、サンキューなー。まさかマジでまゆゆんとラウンドできるとは思わなかったわ〜、仕事メチャ頑張ってよかったー」
「だろ。ちゃんとご褒美あったろ。」
「うん。ゆーだい、マジ神! 来年も頑張ろーな」
ハーと小さく溜息を吐く。きっと俺は定年までこの人の尻を引っ叩き蹴っ飛ばす人生なのかも知れないな。
「そーれーよーりー 今夜、俺、まゆゆんと消えちゃうからさー 応援、ヨロヨロなー」
嬉しそうにいやらしそうにリューさんがほざく。
「あのねー。あの、まゆゆんがリューさん如きに靡くわけねーだろ?」
「えーー、そんなー、でも、そっかなあー 結構ラウンド中、いい感じになったんだけどなあー」
「あの、まゆゆんだぞ。30前のホワイトアスパラガスみてえなオッサンに、振り向くわけねーだろ。ま、遊びでちょいと付き合ってくれる、かもだけど」
「えーー、遊びじゃいやだあ、ちゃんとお付き合いしてえよおー ゆーだい、助けてよお、なんとか手伝ってよおー」
あああ… 俺はこの人のコレに、どれ程悩まされてきた事だろう。勉強、合コン、仕事…
社長お墨付きの俺のサポートのお陰で、この人はこれまで留年した事はなかったし、気になる女子との接近率は80%以上。仕事に至ってはかくの如きである。
でもなあ、流石にあのまゆゆんは無理だろうなあ…
「この後さあ、川崎でチョー焼肉パーティーしよーぜー、まゆゆん空いてるってえー」
へー。空いてんだ。意外。
「いやそれ、二人で行けよ」
「ムリー、ゆーだい一緒に、頼むよおー」
「俺はみなみちゃんと二人でいつものとこ行くから。」
「ええー、いーじゃん、四人で一緒に行こうよおー そんでさ、その後、横浜にホテル取ってあんだわー、部屋でシャンパン飲んでさー、ゲームしてさー、」
はーー いつの間にそんな手筈を… その段取り、仕事でも活かせやコラ!
「そんでー、俺が合図したらあー、みなみちゃん送って帰ってくんね? これで、朝までまゆゆんと〜 うわー、マジキンチョー」
はいはい。勝手に夢見てなさい。どうせ
「あ、じゃあ私も帰りまーす」
ってパターンじゃね?
聖夜の結末を残酷に思い浮かべる俺は、
「まあ、いーけど。ただし、条件。」
リューさんはお湯で顔を洗いながら
「なーに?」
「この事、陽菜には言わない事。リューさん、なんでもペラペラ陽菜に話しちゃうから。もしそれが出来ないなら、俺らは今夜は別々。わかった?」
リューさんはドヤ顔で、
「あったりまえっしょー。オトコとオトコの約束? 陽菜には内緒にしとくからー、頼むぜ、ゆーだいちゃーん」
五歳年上とは思えないこのはしゃぎっぷりに、溜め息しか出ない。しかし、クリスマスをみなみちゃんと二人っきりで過ごすのはやや意味深で、お互い勘違いしてしまう可能性を鑑みると、四人ではっちゃける方がいいかも知れない。
風呂から上がると、予約しておいたいつもの高級焼き肉屋にキャンセルの電話を入れ、ついでにみなみちゃんに四人で焼肉の旨、伝える。のんびり女子二人で風呂に浸かっているのか、なかなか既読はつかなかった。
会計を済ませ、リューさんとラウンジでコーヒーを飲んでいるとようやく既読が付き、
『あのー、まゆの奴がチャラ男狙ってんすけど〜(絵文字)大丈夫っすかねえ(スタンプ)』
マジか?
『まあなんとかなんじゃないかな。生暖かく見守るとしますか(笑)』
と送ると、りょーかい、の大きなスタンプが送られてくる。
なんだかちょっと羨ましいのと嫉ましいので、その旨はリューさんには黙っておこっと。そして、朝まで永眠してもらうために、今夜はメチャ飲ませてやる。
そう心に誓い、コーヒーを一気に飲み干した。