表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
南風(はえ)吹かば  作者: 悠鬼由宇
3/7

初の100切り、そして感謝の気持ち。

 土曜日が来るのがこんなに遅いとは思いもよらなかった。

 働けど働けど、どれほど練習に打ち込もうと、良太さんと二日もラウンドしようとも、ちっとも土曜日になる事はなかった。

 ああ、スマホ。同じ研修生仲間の翔太も健人もみうも、みーんな持っている。

「てか、今時スマホ持ってねえの、お前くらいじゃねここで…」

「マジ? そう、かなあ…」

「みなみん、いいパパ見つけたじゃん。羨ましいわ〜」

「パパじゃねーし。あっち彼女いるし。」

「でもさ、毎週ラウンドレッスン代貰って焼肉ご馳走になって、その上スマホ貰うって。それ完全パパじゃん(笑)」

「いやいや。坊主頭の女にパパする男なんて、いねーって。なあ、みなみ(笑)」

 いちいち笑うなボケ。その通りだよ。こんな坊主頭の女に貢ぐ男なんて、よっぽど仏教に心酔してる仏オタくらいじゃね?

「それもそっか。みなみんのその頭、町中の話題だし既に(笑)」

「そーそー、ガス屋のバイトの奴も知ってたし(笑)いやー、バズってるわー」

 コイツらにバカにされ、それでも土曜日はやって来ない…一体地球の自転(公転)はどーなってんのよ!

 こんな思いは小学生の頃のサンタさん以来だ。クリスマスに子供用のクラブをサンタさんが届けてくれると言う怪情報に、心惑わされ気が狂いそうになったあの時と同じかも知れないー

 結局クラブは本当にサンタさんによって届けられ、だが体の成長によって二年間しか使えなかったのだがー

 この間、先週と同様にゆーだいさんから一日毎にメールが送られてくる。ちょっと面倒臭かった、今までは。一々返事するのも読むのも。

 でも、今回ばかりは本心で

『土曜日が来るのが待ち遠しいです』

 と私にしては長文を送ってみたりしたものの、やはり中々土曜日はやって来なかった。

 スマホ。スマホに会いたい。スマホが欲しい。

 木曜日頃にはもはや病に犯された(冒された)感がパナく、うわ言のようにスマホ、スマホとつぶやいていたらしい。

 金曜日になり。ゆーだいさんに

『早く明日にならないかなあ』

 と朝送ってみると、即レスで

『天気良いといいね』

 なんて見当違いなレスに思わずブチ切れそうになったり。そして思わず、

『早く会いたいデス』

 と送信してから、『スマホに』を入れ忘れたけどまいっか、と思いきや、だいぶたって

『俺も』

 と返信が来て、頭にクエスチョンマークが浮かぶ。は? 誰に会いたいんだろ、ゆーだいさん。それはそれっきりに放置し、スマホに何入れよーか考えていたら金曜の夜は一睡も出来なく、それでも目はギンギンの土曜日が、とうとうようやくやってきたよ!


 今日はクラブの積み下ろしを買って出て、十一時過ぎに来るはずのスマホ…ゆーだいさんを九時くらいからまだかなまだかなと待ち続けている。

 待ち焦がれながら、ふと考える。あれ、どうして私こんなにスマホ欲しくなったんだろ。みんなの言う通り、この町でスマホ持ってないの私だけかも知れない。それは高校の時、みんながスマホ持っていたけど特に欲しい気持ちにならなく、それまで使っていたガラケーで何ら問題なかったからだ。

 それがなぜ、今これほど?

 完徹で半分寝ぼけている私の脳みそでは、その答えは出てくるはずもなく、時はフツーにすぎて行く。

 十一時になった。まだ来ない。

 十一時一〇分になった。まだ来ない。

 十一時十五分になった。まだ来ない。あせる。

 十一時二〇分になった。ガラケーを見てみるが、何の連絡もない。かなりあせる。

 十一時二十五分になった。いてもたってもいられなくなり、ゴルフ場の入り口に走り出す。おかしい、事故にでもあったのか。

 息を切らせて入り口に立つ。東京方面の道路をながめる。オンボロトラックが無常に通り過ぎていく。

 十一時三十五分になった。なぜだか目に涙が浮かんできた、その時。多摩ナンバーの黒の外車が米粒に見える。コガネムシになる。筆箱になる。引越しの段ボールになる、そして…

「みなみ、ちゃん… どしたの、こんな所で…」

 驚いた顔のゆーだいさんが、左の窓から顔を出して私に問いかける。

 視界がちょっと、にじんで見える。


「ごめんねー、色々このスマホの手続きしてたら遅くなっちゃってさ」

 私は首を振り、

「事故ったかと思った」

「わりー。ちゃんと遅くなるって連絡入れときゃ良かったな。次から気をつけるわ」

 私は手渡されたスマホを手のひらで温めながら、不思議な気分に落ちいる。

 スマホ。やっと手に入れた。

 なのに。なんでうれしくないんだろ。それより、

 事故じゃなく無事に来て、今運転してるゆーだいさんが、

 めちゃくちゃうれしいのは、何なんだろ。

 ゴルフ場の入り口からクラブハウスまでの一瞬のドライブ。こんなにときめいたドライブは今まで知らない。

 半分ねとぼけてる私の脳みそがささやく

 やっと会えたね、よかったね

 いやいやチゲーよ、そーじゃねーし。

 それでも顔がニヤける私、何なんだろう。


「今日こそさ、100切りてえなあ。頼むぜみなみちゃん。」

 顔に精気が満ち満ちている。完徹明けの私とは真逆の顔つき。こんなコンディションでは今日は私自身の練習にならんと、電動カートを使うことにする。

 久しぶりだな、カート使うの。こんなん使ったら、100ホール以上回らないと疲れる気がしない。ま、今日は仕方ないか。完徹明けだし。

 クッシーの許可のもと、今日はフェアウエーに乗り入れOKだ。

「今日の呪い、何さ? クッシー」

 クッシーはアタシをいちべつし、

「残念だけど… 悔しいけど、何もなし。むしろいい事あるんじゃない? いひ」

 あら珍しい。落雷だとか水没だとか、これまで散々人を脅しておいて… てか、災難を予言しやがって… でも、今日はいい事ありそうなのか。ふーん。

「ま。せいぜい、ゆーちゃんとの楽しいドライブ楽しんでらっしゃいな いひ」

 ゆーちゃんって…

 互いにティーショットを終え、ゆーだいさんの運転でカートが動き出す。

 曇り空のもと、赤く染まりかけた紅葉が逆に目にまぶしい。

 カートは風を切りあっという間にセカンドショット地点に到着する。私は難なくグリーンに2オン、ゆーだいさんは5ヤードショート、全く問題なし。

 カートは風を切りグリーンへと向かう。ビックリするほど速く早くグリーン脇のカート道に乗り入れる。

 私がバーディー、ゆーだいさんは3オン2パットでボギー。

 カートは風を切り2番ホールへ走り出す。

 ゆーだいさんとの、ドライブ。

 そっと左のゆーだいさんをチラ見する。緑のちょっと冷たい空気にゆーだいさんのオトナな匂いが混じって私の鼻をくすぐる。

 山ガラスの鳴き声に木々を見上げる。その先の曇り空に一群の渡り鳥がまるで飛行機の変態(編隊)飛行のように飛んでいる。

 ゆーだいさんがさっきから何かしゃべっているけど、ドライブに夢中な私は完全スルーする。てか、会話が全く脳みそに入って来ねえ。

 ねえクッシー、カートドライブ、マジ楽しすぎるよ…


     *     *     *     *     *     *


「そのフックラインがさあ、スライスに見えて… って、聞いてる?」

 今日のこの子の様子は明白に変だ。

 いや。今週のこの子、に訂正しよう。

 まず、メールの量がべらぼうに増えた。先週まで一日おきだったのが、今週は一日最低5往復… 昨日なぞ10往復は交わした筈だ。

 それに、昨日のあの一文には度肝を抜かれたー

『早く会いたいデス』

 読んだ瞬間、固まった。これってまさか…

 昼休み中、この一文の真意を考え抜いたのだが、午後になっても理解不能だったので、まあ、何となく、ノリで

『俺も』

 と返したらそれっきり連絡無し。

 俺も数多くの女性とコミュニケーションをとってきたが、この子ほど難解な相手は初めてだ。この一文を普通に考えれば俺に好意有り、なのだろう。だが、俺の返答に以後全く返信が無いと言うことは、別に俺に好意を持っている訳ではなく、俺と『早く会いたい』らしい。

 そう考えると解は唯一つ。先週約束した「スマホ」に、早く会いたいのだろう。

 俺はそう結論付け、ようやく金曜日の午後の仕事に取りかかれた。取り掛かりに時間を要してしまった故、仕事終了は九時を過ぎてしまい、行く筈だった練習にもスマホの手続きにも行けず、仕方なく今日の朝イチで手続きを済ませてきた為、約束の時間に三十分ほど遅れてしまった。

 途中で連絡しようかと思ったが、車の流れは早く、これなら車を止めてメールしなくてもいいかって思いゴルフ場に着くと、まさかの彼女が入り口で仁王立ちしているではないか…

 そんなに、スマホが待ち遠しかったのか。それならもっと早く、水曜日辺りに郵送してやればよかったか、と思いきや。スマホを渡してもそれほど喜んでおらず、寧ろ俺が事故ってたのではないか、と心配してくれていたようだ。無事に来てくれて良かった、と嬉しそうに微笑む彼女に、俺はまた理解不能となる…


 何でもスマホにどんなアプリ入れるか徹夜で考えたとかで、寝不足で歩いて回る元気がないとの事なので、カートで回る事になる、しかもキャディーマスターの串間さんの好意でフェアウエーの乗り入れを許可してもらった、これは素直に嬉しい。

 完徹でゴルフなんて俺には不可能だ。まともにボールにクラブを当てる自信が無い。だがこの子は信じられない事に、これまでよりも遥かに凄いスコアでホールアウトしたのだ!

 8アンダー、即ち64で回ったのだ!

 開いた口が塞がらなかった… ドライバーのフェアウエーキープ、100%。グリーン上では3メートル以内は全て沈め、二回チップインを見せてもらった。

 俺もそんなペースに乗っかって、18ホールを上がってみたら、なんと94だった!

 何とも、呆気ないものだった。あれ程100切りを切望していたのだが、こんなにもあっさり簡単に切ってしまうとは。

 スコアカードを写メし、リューさんに送ると即レスでお祝いのスタンプが俺のスマホを埋め尽くす。それを見た時にやっと100切りの実感が湧き、脳天を突き抜ける喜びに身を震わせる。

 ゴルフを始めて四ヶ月。ようやく初心者脱却である。次の目標は80台を出すことだ。

 明日からの練習が待ち遠しい。

 スコアカードを提出し、ロッカーで着替え、クラブを受け取りクラブハウスのエントランスに車を回し、クラブを詰め込む。

 みなみちゃんを待つ間、妹のみなみに100切り報告をしていると陽菜から、

『明日はシーだよ。忘れてないよね』

 100切りの興奮と喜びが一気に冷え込む。俺のこの喜びを共有できないこの子と、どうして俺は付き合っているのだろう。

 目を瞑る。すると蜘蛛の糸に絡め取られた俺の姿がありありと浮かんで来る。

 目を開き、何度も首を振る。

 ふと見ると、坊主頭を隠すかのように帽子を被ったみなみちゃんが、首を傾げ車を覗き込んでいた。


 今日は焼肉じゃなくて、トンカツな気分、との事なので、スマホで調べて町一番のトンカツ屋に車を停める。

 まさか二人前、頼まないよな、と思いきや。

 上ヒレカツ定食と海老フライ定食をオーダーした時は俺の分かと思っちまったわー

 俺は普通に上ロース定食。だがよく考えてみると、焼肉屋よりも遥かにずっとコスパが良いではないか。まさか彼女が気を遣って?

「いや。だってゆーだいさん、初の100切りでしょ? おめでたい時にはトンカツじゃん」

 というこの町のローカルルールに則った模様。

「みなみちゃんはゴルフ始めて100切ったのどれ位かかった?」

「うーん… 覚えて無いけど…」

「え? 覚えてないの?」

「うん。じゃあさ、ゆーだいさん学校のテストで初めて百点とった日、覚えてる?」

 うん、確かに覚えてない。

「うーん、あ! そーだった、そーだった。私、初めてコース出て、96だったわ。覚えてるよ、初めてコースをじーちゃんと良太さんと一緒に回った日のこと」

 俺は箸を落とす… 何この子。やっぱ天才じゃん…

「この辺で開かれたジュニアの大会で、予選落ちって経験無いわー。小五までは優勝しかしたことなかったし」

 …そ、そんな、なんだ…

「中学入ってからは周りが上手くなってきたからあんま勝てなくなってきたっけ。大会にもあんま出なくなったし。 そんで、高校は良太さんのススメで大多慶商業入って。」

「ゴルフ部、全国レベルだっけ?」

「そ。だけど一年の夏前で辞めて、ゴルフもやめちゃった」

 これまでの断片的な会話で何となく知っていたが。

「部でなんかあったの?」

「夏の全国大会の出場選手の選考会でさ、アタシが代表に入ったんだけど。色々揉めちゃって、代表から降ろされちゃって。そんでアホらしくなって、やめた」

 上ロースを口に咥えながら、

「何を揉めたの?」

 上ヒレと海老を咥えながら、

「要は、ぽっと出の一年生が代表に入ったのが気に食わんと。態度も悪いしマナーも良くない。名門大多慶の代表に相応しくない、って。」

「何それ、上級生が言ったの?」

「そ。最後の夏になる三年生。そん中でも特に、延岡まゆって女が。」

 耳を疑う。延岡まゆって、YouTubeの『まゆちゃんねる』の延岡まゆなのか? 俺のアプローチの師匠である、まゆゆんの事なのか?

「ああ… あれな。観た時吹いたわ。可愛こぶってあのクソ女。マジウケるわ」

 え、そうなの? あの子のアレ、根じゃないの?

「チゲーチゲー。先生や先輩、オトコにはあんなだけど。私ら後輩には鬼だったわ。」

 嘘だろ… まさかまゆゆんが…

「あのクソ女が贔屓してた二年生が調子崩して選考漏れて、代わりに私が代表になったのが全力で気に食わなかったんだわ。そんで私の態度、マナーを捲し立ててさ。あん時はあの女がエースだったから顧問も先輩もまゆがそう言うなら、って流れになってさ。やってらんねーわって。その日のうちに退部届出して。あー、今でも思い出すだけで、血管切れそーだわ」

 と言いながら、ライスのお替りを頼むみなみちゃんである。


     *     *     *     *     *     *


 なんでこんな事、話してんだろ。

 この話、誰にもした事なかったのに。

 あの時ほど、この世の中がクソだと思ったことはない。この世の地位や名誉ってヤツは、実力じゃなくってエコひいきで決まるってわかって。

 確かにアタシは上級生や顧問に対する態度は悪かったし、あんま敬語とか使わんかったし。あとミスショットの後クラブ投げつけたり、大声で「クッソー」って怒鳴ったり。

 でも実力では、あの延岡まゆの次の次くらい、部内でも三位には入ってたはず。なのに、実力よりもそんなちっぽけなどーでもいーことでメンバー外されるなんて。

 プロだってクラブ叩きつけたり、パッと外して「ノーーー!」って叫んでんじゃん!当時も今も、アタシは全然納得いってない。あんな部活、やめて正解だったと心から思っている。

「んーー、そっかあ。ただね、みなみちゃん」

 アタシの話を最後まで何も言わず聞いてたゆーだいさんが渋い顔で口を開く。

「確かにプロは実力の世界じゃん、何をしてもスコアが良ければそれで良し、かも知れない。でもね、プロってただお金稼ぐための職業なのかな?」

「へ? 違うの? 他に何かあんの?」

「うん。プロスポーツ選手はね、見ている人に夢や希望を与える、それが一番大切な仕事なんじゃないかな」

 うわ… 良太さんと同じこと言ってる…

「俺がやってた野球もそうなんだけど、ただお金を稼ぎたいならもっと効率の良い他の仕事があるじゃない。株や不動産、ビットコイン、銀行強盗、殺人請負、とか」

 いやいや、人殺しちゃアカンやろ…

「でも周りから見て、その人達って魅力ある? 真似したいと思う? 元気でる? 希望持てる?」

 ねえし。したくねえし。でねえし。持てねえし。

「でしょ? じゃあ逆に。キミのお師匠さんがツアーに出てたら、みなみちゃんどんな気持ちになる?」

「そりゃあ、全力で応援するし。良い成績だったらマジうれしいし。」

「だよね。もし優勝したら?」

「ギガうれしい!」

「私も練習頑張って、優勝したくならない?」

「うん。ぜってーそーなる」

「私も優勝したいって思わない?」

「うん。ぜってー勝つ!」

「ほら。お師匠さんのプレーは、みなみちゃんに夢と希望を持たせるじゃない?」

「あっ」

「でね。もしお師匠さんがパーパット外して「ちくしょう、死ね!」って叫んだのが全国ネットに流れたら? ネットで炎上したら?」

「メッチャ悲しい…」

「だろ? みなみちゃんのプレーはみんなが応援もすれば、みんなが面白おかしくネタにもするんだよ。だから。プロ選手は、紳士であれ、淑女であれ。応援してくれる人の夢と希望を壊さぬように。言ってる意味、わかるかなあ」

 この人。頭イイ。こんなアホな私にも、スッと入ってくる。

 そっか。アタシがクラブ放り投げたり悪態ついたりすれば、応援してるじーちゃんや母ちゃん、春香や良太さん、クッシー達が悲しくなるんだ…

 プロって、良太さんやじーちゃんがよく言う、「自生(制)心」がマジ大事なんだ…

「特にゴルフってメンタルのスポーツって言うじゃない? 俺、ほんとそう思うよ。野球とは集中力が全然違う。毎ショットが超集中だもんね。相当心が強くなければ、とてもツアーを生き抜くなんて出来ないよね」

 心の強さ。

 アタシって、心、強いのかなあ。


「うーん… まだ短い付き合いだから、ハッキリとした事はわからないけどー」

 頭イイゆーだいさんに、直撃してみる。

「強くて、弱い。のかな。」

「へ? 何それ?」

「ハッキリ言っちゃうけど、良いかな?」

「どーぞ。おなシャス!」

「弱い自分を、強く見せられる人。」

 ………

「本当は弱いし臆病なんだけれど、それを気合と根性で周りにも己にも強くあれる。本当は行きたくない困難にも、気合と根性で立ち向かえる。弱いけど、強い。そんな感じ。」

 ………そーなの?

「もし本当に強い心を持っているなら、部活はやめなかった筈。先輩のイジメに耐えて最後までやり遂げていた筈。」

 あっ……

「弱いから、耐えられずに逃げた。違うか?」

 こんな事、誰からも言われたことないし、自分で考えたこともない。なので、今は大ショックで口がきけないナウ。

「でも。逃げたままじゃダメなのがわかっているから、陸上部に転部して、一人で頑張ってそれなりの成績を残せた。そこが強い心の所。」

 瞬きが出来ねえ。ゆーだいさんの顔から目が離せねえ。

「高校卒業後、一度は諦めたゴルフをやり直している。これも強い心があってこそ。だよな」

 ゆーだいさんが歪んで見えてくる。

「弱さ故の強さ。諸刃の剣だよね。自分がうまく行っている時は最強だけど、上手くいかなくなると弱さ故に逃げ出すか捨ててしまう。そんな脆さが心の弱さ。」

 頬に涙が伝う。鼻水が上唇を伝う。かなりボロカス言われているんだけど、何故か心に染み渡る。

「もし。みなみちゃんがその弱い心を克服できたら。強い心と強い心。二つの強い心がある選手は、世界を制すんじゃないかな。内村航平。大阪なおみ。渋野日向子。世界を制す人は、強い自分があって、しかし自分の弱さを認めてそれを強く出来た人、なんじゃないかな。」

 アタシ。弱い。ゴルフから逃げた。延岡まゆから逃げた。

 そうだ。もし本当の強さがアタシにあったなら、そんなイジメみたいな事なんてシカトして黙々と自分のゴルフをしていただろう。

 あの時点でーアタシのゴルフは延岡まゆより下だった。それを受け止めたくなかったから、ちょっとした揉め事を利用して、延岡まゆから逃げ出したんだ。

 弱い。アタシは弱い。自分が弱いことが認められない。逃げ出すことさえ自分に許してしまう。

 こんな自分では、プロでは通用しない。絶対ムリ。

 じゃあ、どうすれば…


「感謝、じゃないかな」

 ……へ?

「さっき言った、世界を制した人達って、インタビューで真っ先に言う言葉がさ、誰かへの感謝なんだよ。支えてくれたコーチ、親兄弟、仲間、それに応援してくれた人達。」

 …はあ

「それも、口先だけでなく、心からの感謝の気持ち。ちなみにみなみちゃんは今まで、心底他人に感謝したことってある?」

 ………

 すっかり冷え切った海老フライと上ヒレカツを眺めながら、思い返してみる。

 ねえ。じーちゃんや良太さんにさえ、感謝したこと、ねえ。あ。唯一あるのが、クリスマスにクラブセットくれたサンタさん…

「彼らに限らず、人は他人の助けなしでは何も為せないんだよ。世界でトップ取るなら尚更。海外行くのに必要なスポンサー。バッグ担いでくれてコース戦略を助けてくれるキャディー。体調管理のトレーナーや栄養士。通訳もしてくれるマネージャー。その人達の助けがなければ、そしてその内の誰か一人でも欠けたら。まともにツアー回るのすら難しいと思わない?」

 …確かに。その通りかも。

「自分の出来ないことを他人に任せられる、即ち自分の弱みを他人に任せられる。これが素直に出来る様になって、そしてその事に心から感謝出来るようになればーみなみちゃんは弱さを克服して強さを得るんじゃないかな。」

もはや食欲なんて無い。

 強く、なりたい。もう逃げたく、ない。

「だから、そーだな〜。まずはさ、今の自分の周りをよーくみてさ、今のみなみちゃんを支えてくれている人に感謝出来るようになってみたらどうかな?」

 気がつくと勢いよく立ち上がっていた!

「そーする! まずはじーちゃんと良太さんと、あとクッシーとテツさんとー」


 ゆっくり席に座りながら、

「ゆーだいさんに感謝する。ゆーだいさん、スマホくれてありがと。ご馳走してくれてありがと。それと。こんなアホなアタシに色々教えてくれて」

 ゆーだいさんの目をまっすぐ見ながら、

「ありがと」


     *     *     *     *     *     *


 つい熱が入って、かなり偉そうなことを言ってしまった気がする。

 夜のアクアラインを通りながら、東京湾の奥に煌めく東京と横浜の夜景をぼんやりと流す。

 ゴルフ場の寮に送った後、見たことのない最高の笑顔で、

「ゆーだいさん、今日もありがと。また来週ね」

 と言ってくれた。

 心がポカポカどころか、かっかしてくる。

 どうやら言いたかったことは大体伝わったみたいだ。彼女の強さ故の弱さは前から認識していたが、俺がどうこう言うべきで無いと思い封印してきた。

 それをさっき、ダメ元でぶつけてみた。

 来週以降、彼女がどんな態度で予選会に向けてやって行くか、そっと見守ろうと思う。

 俺は野球部を通じて似た様な奴らを多々見てきた。途轍もない素質を持ちながら弱さを認められない弱い心のせいで一流になれなかった奴。技術は拙くも信じ難い心の強さでドラフト入りした奴。

 彼女には、一流になって欲しい。出来れば超一流になって欲しい。ゴルフの事はよくわからないが、遠くからそっと見守る事くらいは俺にも出来よう。

 そんな決意を胸で温めているとーラインの着信音だ。

 海ほたるに停車し、スマホをチェックすると受信件数がすげえ事になっているー

 一々メッセージをやり取りするのが面倒臭いので電話をかける。

「お兄から聞いたんだけど。ゆーだいくん、若い女子と二人でゴルフしてんだって? それどゆこと?」

 あー、面倒くせ。ってか、リューさん、言うなや、それ。

「せっかくのお休みなのに、女子とゴルフ? ハア? もうムリ。これ以上、ムリ。もう別れよ」

 ふー。

「いいの、それで?」

 ふう。

「もう知らない。」

 電話が切れる。これで四度目? 五度目?

 明日の朝にしれっと連絡が来るに千円かけても良い。

 海ほたるのデッキから、東京の夜景を溜息混じりにゆらゆらと眺める。冷たい潮風を胸一杯に吸い込むと、何故だろう、みなみちゃんの笑顔が遠く揺らめく光の波間に見えた気がした。


「お兄ちゃん。起きて。話がある。」

 みなみに起こされる。うわ…陽菜のやつ、そうきたか…

「陽菜に冷たくしてるって、ホントなの?」

 別に、冷たくしてはないと覚えるのだが…

「こないだの、研修生の子と付き合ってるって、ホントなの?」

「ハアー? んな訳ねーだろ!」

「でも昨日、二人っきりでゴルフして夕ご飯食べて、その後ドライブしたって。ホントなの?」

 その、最後のドライブって店から寮まで送ったやつ…

「二股? 信じらんない。ねえ、陽菜って私の親友なんだよ、何考えてるの!」

 寝起きということもあり、少々カッとしてしまう。

「チゲーって言ってんだろ! うるせえな。」

 あ。

 やっちゃった。

 みなみを怒鳴りつけ、ちゃった。

 こんなの、初めt…

「怒鳴らなくてもいいじゃない! それって事実を誤魔化してるから? 二股を肯定されるのが怖いから?」

 こわ!

 みなみが、激怒している!

 こわ! こわ! 何これこわ!

 みなみが怒鳴ってる、こわ! 初めて聞いた、こわ!

「どうしたっ 何があった?」

 親父がすっ飛んで来る。御年五四ながら、階段を一瞬で駆け上がってくる。

「お父さんっ お兄ちゃんが、陽菜と別の女子を二股かけてる!」

「何だとっ 雄大! 貴様、なんて事してんだコラ!」

 うわ… 親父まで…

 恐るべし、陽菜。

 昼までの間、俺はみなみと親父の吊し上げを食い、最後には泣く泣く陽菜に直電入れる羽目になってしまう。

 親父はともかく、みなみに二時間も責め続けられると、心がバッキリ折れる。俺はみなみの言うがままに電話をし、ひたすら陽菜に詫び続け、今夜の夕食の約束をして電話を切り時計を見ると午後二時になっていた。


 食事を終え店を出ると、すっかり秋は深まりセーター一枚では薄寒い。月が雲に隠れ鈍い月光が俺の気持ちを何処までも暗くする。陽菜を送る途中にある某見晴らしの良い公園にもすっかり晩秋の気配が満ちている。

 どちらともなく中目黒を一望するベンチに腰かける。丘を駆け上がった冷たい秋の夜風が二人の温度を低下させる。

 陽菜はしばらく晩秋の風に震えていたが、徐に

「ねえ。ホントは陽菜のこと、そんなに好きじゃないんだよね」

 とストレートに切り出す。コイツは俺と面と向かっている時には変化球を投げてこない。いつもストレート一本だ。

「そんなこと、ねえよ」

「じゃあさ。陽菜とゴルフ、どっちが好き?」

 こいつ…

 顔面スレスレのブラッシュボールじゃねえか…

「ゴルフ。」

 嘘を言うと後が面倒臭い。ここはハッキリ伝えておく。

 俺の人生だ。したいことをする権利が憲法で保障されているのだ。

「陽菜といるより、ゴルフしたいの?」

「その通り。」

 これで、諦めてくれないかねえ。もっと陽菜にぞっこんのチャラい男と付き合ってくれねえかなあ。俺を諦めてくれねえかなあ。

 そんな思いを込めてハッキリと言葉にする。

「俺はゴルフがしたい。土曜も日曜も、休みの日はゴルフがしたい。お前とデートする余裕はない。もう邪魔しないでくれ。俺とキッパリ別れてくれ!」

 …とは流石に言えないので、

「今はゴルフに夢中なんだよ。野球で体壊して選手諦めて以来、こんなに打ち込めた事はないんだ。だから、悪いけど…」

 陽菜が急に立ち上がる。

 わかってくれた、のか?

 来週から、週末は土日とゴルフに行けるのか?

 もう毎日ウザいラインのやり取りをしなくて、いいのか?


「いいよ。」

 薄暗い街灯に照らされた陽菜が決然と言い放つ。

「それなら、ゴルフして、いいよ」

 …お、おう。

「その代わり」

 街灯が陽菜の目の涙を妖しく照らす。

「陽菜と、婚約して」

 全身の力が脱力する。

 一際冷たい一陣の風が俺の顔を吹き払った。


「お兄ちゃん、ちょっと。話がある。」

 帰宅すると、みなみが玄関で仁王立ちして俺を待っていた。

 またかよ。もう勘弁してくれよ。お前の怒鳴り声とか怖い顔、もう無理だって…

「なんで陽菜にちゃんと返事しなかったの? お兄ちゃん、どんなつもりで陽菜と付き合ってきたの?」

「いや、それは、その…」

「陽菜はね、子供の頃からお兄ちゃんのことが大好きで、大好きで。お兄ちゃんのお嫁さんになるのが陽菜の夢だったんだよ。今でも!」

「おも…」

「ふざけないで! お兄ちゃんは陽菜の純粋な気持ち、全然わかってない!」

 その後ろで親父と、お袋までもが真顔で俺を睨みつけているじゃありませんか… 公開処刑ってやつなんでしょうか…

「お兄ちゃんが野球部で頑張ってる姿、陽菜はずっとずっと見守ってきたんだよ!」

 知らねえよ。

「甲子園にも陽菜は全試合観に行ってたんだよ。お兄ちゃんが出るかどうかわからないのに」

 知らねえ、よ。

「最後の打席でお兄ちゃんがヒット打った時、陽菜号泣してたんだよ。周りが引くくらい」

 …知らねえよ。

「大学でさあ、お兄ちゃんが肩壊して選手諦めて主務になった時も、陽菜は自分のこと以上に落ち込んでたんだよ!」

 …知らなかった、よ。

「あの子さ、あんなに可愛いのに、男子と二人でデートとかしたことないんだよ。勿論彼氏なんて一人もいなかったんだよ」

 知らねえよ。

「あの子、何であんなチャラい格好してるかわかる? お兄ちゃんが昔、俺はアイドルが好きだ、何とか坂の誰々が好きだって言ったからなんだよ!」

 …道理で… 俺の大好きだった楠坂48の高松ちなつちゃんに風貌が似てるのは気のせいではなかったのか!

「ホントはあの子は地味でシャイで内気で。だけど人気者でコミュ力高いお兄ちゃんに合わせるため、メッチャ背伸びしてるんだから!」

 マジか… あのチャラチャラはデフォルトではないのか?

「地味だとお兄ちゃんの目に留まらないからって、髪を染めて化粧して派手な服着て。見てて耐えらんない。痛過ぎる。あんな純粋でピュアな子がお兄ちゃんのせいであんな様に…」

 みなみの目にも涙。純粋もピュアも同じなのに気付かぬ程の涙…

「どうして、付き合ったりしたのよ! お兄ちゃんにその気がないなら、振っとけば良かったのに。そうすれば昔の陽菜に戻ったのに…」

 正直言おう。このコロナ禍の夏。数年ぶりにじっくり会った陽菜の俺好みの容姿に、俺はすっかり参ってしまったのだ。合コンや飲み会が皆無のこの夏、小林家に詰めていた俺のそばにパッと咲いた花だったのだ。

 女友達とも会えず、合コンも無く、会社の女性は女子力低過ぎており、俺は正直女に飢えていた。そこにフラフラと俺の横にちょこんと座る高松ちなつ似のJ D。気が付いたら付き合っていたのだったー


 なんて事だ。全然知らなかった。陽菜がそんな昔から俺一筋だったとは。思い起こせば確かに陽菜と昔はまともに喋った記憶がない。話しかけても返事すらまともに返さなかった気がする。

 それは照れだった、とみなみは言う。恥ずかし過ぎて、お兄ちゃんの顔をちゃんと見れないくらい陽菜は俺に憧れ、俺を好いていたと言う。

 そんなことも知らずに俺は陽菜を…

 無理矢理待ち受けにされた陽菜の写真を眺める。そこには痛々しい今時の馬鹿女が映し出されている。

 何でそんな無理してまで…

 明日の夜、ちゃんと話し合おう。そうラインすると、

『はい。お願いします』

 と返信が。急に胸が熱くなる。


     *     *     *     *     *     *


 なんか、キモい。

 周りが、急にキモくなって、困ってる。

 アタシはただ、ゆーだいさんに言われた通りに、いつも世話になってるなーと思ったクッシーに、

「クッシーさん。いつもあんがとね」

 って言ったり、グリーンキーパーのテツさんに

「グリーン、いつも使わしてくれて、あんがとね」

 って言っただけなんだけど。

 あとは研修生仲間のみうに

「いつも色々代わってくれて、サンキューね」

 キャディーマスター室のお局の節子ママに、

「ママー、いつもワガママばっか言って、ごめんね。いつもあんがと」

 あとはー。支配人の日南さんに

「アタシん事受け入れてくれて、あんがとね。予選会頑張るし。一発で合格すっから」

 そしたらさ。

 クッシーはロストボール、タイトリストだけ選んで、アタシにくれた。テツさんは18番のグリーン、何ミリがいいかって毎日聞いてくる。みうはおかずを多めによそってくれる。節子ママは毎日自家製の干し柿を食わしてくれる。

 日南さんに至っては、

「予選会のエントリー、いつまで? 会場はわかるよね? 当日は僕が送って行くからね」

 何なんだ、一体全体。

 極めつけは、良太さん。

「合格できたら良太さんのおかげだね、そしたら焼肉ゴチるからねー」

 握っていたドライバーを落っことして、

「どした、みなみ… 変なもん食ったか?」

「は? 意味不。それより、今までありがと。これからもヨロヨロ」

 秋の優しい日差しがビックリした良太さんの目に入ったのか、ポロポロ涙をこぼしちゃったし。


 そんな週末が迫った木曜日。

 良太さんがアタシのとこにやってきて、

「みなみー、日曜日空けといてなー」

「ほーい。ラウンドっすか?」

「そ。知り合いに頼まれてさ、ツアープロ二人と回ることになってさ。みなみも一緒に回ろうよ」

「へー。いーけど別に。ちな、誰と誰?」

「都井翔と延岡まゆ。まゆちゃんはお前の先輩だったよなあ?」

 ちょっと、待て。

 延岡まゆ。あの、延岡まゆ。

 そして、

 都井翔だと?

 イケメン若手実力派で去年一世を風美(靡)した、あのさわやかイケメン都井翔だって?

 クラブハウスに落ちてるゴルフ雑誌に必ず載ってる、あのイケメン都井翔と回るだと?

「それ、どんな話なん?」

「知り合いのゴルフ雑誌の編集長に頼まれてさ、今イケてる若手の男女プロと昔イケてたオッサンの対談を記事にしたいんだと。」

「ひゃー、そりゃ大変じゃん… てか。何でアタシ?」

「あの延岡まゆが認めたプロテストを目指す女の子、って言うのもいいじゃんさ(笑)てか、勉強になるよー、俺と回るよりも」

 確かに。今、現役でバリバリツアー参戦して結果を残している二人と回るのはメチャ魅力的だ。いっぱい色んなものを盗める!

 だけどー

「日曜日さ、宮崎サンと約束しちゃってんだわ〜 時間ずらしてもらうかなあ」

「誰? 宮崎さん?」

 みうが横から、

「みなみのパパさんでーす」

 持っていたP Wでみうのケツをちょっと本気で叩く。

「違うわよおー、みなみのタニマチ候補の人よーん いひ」

 良太さんはポカンとして、

「へー。研修生のくせに、もうファンがいるのか。みなみなのに(笑)」

 皆が爆笑する。ひどくね?

「会員さん? どんくらいで回るの?」

「こないだやっと100切ったとこ。」

「そっか、それじゃ一緒に回るのは厳しいな。あ、そしたらさ、みなみ、」

 良太さんは手をポンと打って、

「俺、重たいバッグ持って歩くのしんどいから、宮崎さんに担いでもらうってのはどうよ?」

「ちょっと、良ちゃん。会員さんにキャディーさせるなんて、聞いたことないわよお」

「あ、でも喜ぶかもだよ。すっごい勉強熱心な人だから」

「よし。じゃ決まり。ラッキー。担がなくて済む〜♪」

 あくまで、そこかよ…


 ゆーだいさんに連絡すると、初めて直電がかかってくる。ちょっと驚き、あたふたし。

「な、何、どったの? 今仕事中っしょ? 大丈夫なん?」

「う、嘘だろ? 市木良太…さんのバッグ担げるって… それに、都井翔と、それにそれに、まゆゆんのラウンド、間近で見れるって、嘘だろ…」

「いや、マジ」

「スゲー。大多慶G C正会員、凄すぎる… なんてホスピタリティーなんだ。費用対効果があり過ぎて開いた口が塞がらん。これであの会員権の価格とはコストパフォーマンスが〜〜」

「あのー。何言ってっか意味不なんすけど。じゃ、オケと言うことで?」

「ああ、ああ。しかし大多慶のイノベーションの進み方は弊社としても多いに〜〜」

「じゃ、時間決まったら知らせますんでーヨロシコ」

 ガチャ。切る。

「やっぱ、頭ぶっ壊れるくらい喜んでたわ」

「そりゃ、フツー嬉しいわよー、まゆゆんのラウンド一緒回れるなんて いひ」

「私、トイショー(都井翔)のキャディー、やるっ!」

 みうが高らかに宣言するやいなや、聞きつけた健人と翔太が

「お、俺、まゆゆんのキャディーやるっ」

「じゃ、じゃあ俺、まゆゆん背負って歩く!」

 馬鹿を放置して、良太さんとラウンド始める。


 日曜日は絶好のゴルフ日和。でも冬が近づき、ちょいと肌寒い秋の午後。日没が早くなってきたので、スタートは一時となる。

 練習グリーンで転がしていると、あの女がトイショーらしきイケメンと連れ立ってやってくる。三年ぶりの対面だ。てか、アタシの事なんて覚えちゃいまいが。と思いきや、

「みなみちゃーーん、チョー久しぶりいー 元気だったあー?」

 うわ。覚えてやがった…

「しょーくーん、この子、私のお、高校の後輩なのお。日向みなみちゃん。飛ばすんだよおー」

 フルネームで覚えられてた。なんかムカつく。

「都井翔です、よろしくね。」

 爽やかすぎる。メチャイケメンだ。この世にこんなゴルファーがいたとは。遠くでみうが凍りついてるし。ウケるー

 あっという間に、練習グリーンに人だかりが出来た。そりゃそーか。日頃大人しい紳士なオジさま達が、アイドルを囲んで大はしゃぎだ。

 昔は良太さんもこんなんだったなあーなんてほくそ笑みながら、アタシは転がすのをやめてキャディーマスター室に向かい、自分のバッグを確認する。

 確認と言っても、持ってるクラブは父ちゃんのお古そのまんま。ドライバーもアイアンもキャロウェイの十年前のアメリカ仕様。みんなからは古い、へたってる、替えろと言われてるけど、何やかんや試打してみたけどこれが一番アタシには合ってるので、このままだ。問題ない。

 むしろ今のデカヘッドのドライバーは構えててキモい。ウザい。

 よいしょ、とバッグを担ぐと、何故かメチャ緊張した面持ちでゆーだいさんが入ってくる。

「お、俺、ホントに今日、いいのかな」

 と人だかりの練習グリーンを恐る恐る見ながら呟く。

「いーって。良太さん、こないだ腰やって、重いモン担ぐの大変なんだってさ。助かるって喜んでたよ」

「嘘でもその言葉は嬉しいぞ…うわー、マジ緊張だわー」

「嘘じゃねーって。あ、それが良太さんのバッグ。重て−からしっかり頼むねー」

 良太さんはウッドよりアイアン派なので、未だに3鉄入れてるしウェッジも四本入れてる。ちょっと頑固なとこのある職人肌の尊敬すべき大先輩なのさ。


「あのー、良ちゃん。会員さん達がね、ラウンド見学させて欲しいって。ダメかい?」

 日南支配人が申し訳なさそーに良太さんに言うと、

「いーじゃないですか。これも会員様へのいいサービスになりますよね。ただ、S N Sとかにあげるのはちょっとー」

「心得ておりますよ、ちゃんと説明しますので、撮影もスタートホールのみとしますので」

 ゴクリ。

 え… ギャラリー付きなん? マジ?

 顔を引きつらせていると、

「何だよみなみ、ビビってんの? そんなんじゃプロにー」

「なれねーよね。うん。いい。ギャラリー、サイコー。会員さん、マジ神。でも、キンチョーするわーー」

 弱み。ちゃんと出す。私、弱い。ギャラリーの前で、怖い。

 良太さんはニコニコしながら、

「ホントみなみ変わったよ。絶対弱音吐かない子だったのに。でも、絶対今の方がいい。自分の弱味と向き合える方が絶対いい。」

 私が引きつった笑顔を返すと、

「どーしたのさ、何かあったの?」

「うーん。実はさ、あの宮崎サンがさ、そーした方が良いって。世界を制するには弱さを乗り越えた強さが必要だってさ。だからさ、」

 良太さんは驚いた顔で、へーーっと唸ってバッグをヘナヘナと担いで1番ホールに歩むゆーだいさんを目で追う。

「みなみ。こういう出会いは大事にしろよ。人との出会いが、その後の人生変えちまうからな。」

 ふーん、そーなん?

「そうよお、みなみ。大事にしなさいよー いひ」

 妙に説得力あるんだよなあ、クッシー。

「それとおー。今日は犬の穴。注意しなさいよお いひ」

 …んだよ、それ…野犬の掘った穴にハマるってか?


     *     *     *     *     *     *


 勿論、プロの試合を生で見たことはない。プロのプレーを間近で見るのも初めてである。

 開いた口が塞がらない、なんて言う表現では飽きたらない。それ程彼らのプレーは初心者の俺にとって青天の霹靂なのである。

 まず、スイングの音が全然違う。俺やリューさんのが「ビュッ」なのに対し、彼らのは「ビュンンンンー」である。まるでその音がそばで見ている俺を殴りつけるかの様な音色なのだ。

 アドレスに入った瞬間の表情。今回は半分遊びみたいなラウンドにも関わらず、彼らはアドレスに入るや否や、目の色が変わり獣の目付きとなる。

 二〇名弱の会員さんのギャラリーを引き連れながらなので、ショットの合間には気さくに会話をしてくれたり、ニコニコ笑っているのだが。アドレスに入るとその表情が一変し、ハンターかスナイパーと化すのだ。

 ショットの精度。トイショーなんて、コンスタントに300ヤード超えのドライバーショットなのに、まあフェアウエーを外さない。二度ほど林に入ったが、完全完璧なリカバリーショットでスコアには全く影響無し。俺には全く信じ難い光景である。

 そしてー俺らアマチュアとの決定的な差がーパッティングである。俺たちアマは5メートルを超えたらまずカップインは考えず、如何にピンに近くまで寄せれるかを考えてしまう。なのに彼らは普通に、狙う。そして何回かに一度は、沈める。

 4〜5メートル以内なら半分は沈める。3メートルなら殆ど沈める。

 その様子はギャラリーの会員諸氏も同感のようで、

「俺、パター替えようかな…」

「この後、ちょっと転がしてこうかな…」

 なんて呟きが漏れる程である。


 だが。何と言っても、一番の最大の想定外の驚きー

 ショット、パットを含めた全てにおいて、みなみちゃんが三人と全く引けを取っていないのである!

 1番は緊張からか力みからか、ドライバーを左に引っ掛けて林に入れてしまい、ボギーを叩いたのだが、2番以降は三人にピッタリと並んでパーをとり続け、5番のパー4、8番のパー5でバーディーパットを捩じ込み、現在1アンダーなのである!

 如何に毎日回っているゴルフ場とは言え、ギャラリーがいるわ、今をときめく男女ツアープロに古の賞金王とラウンドしているわで、スコアが乱れてもおかしくない、いや乱れるのが普通であろう。

 だが側で観る限り、彼女は「勝負」に没頭しているようにしか見えない。これ程集中してラウンドしているみなみちゃんを俺は初めて見るのだ。

「あのデカいねーちゃん、なかなかやるじゃねーか」

「あの僕たちに態度悪い、研修生ね。まさかこんなに凄い子だったとは…」

「まだ高校出たばっかだろ? こりゃ大物だわ。これから応援してやっか」

「あの仏頂面でキャディーやってる子が、まさかこんなに上手なんて… 今度教えてもらおうかしら」

 9番パー4。みなみちゃんは残り4メートルのバーディートライだ。だがカップの上につけてしまい、かなりの下りのパッティングだ。弱く打てば曲がるし、普通に打ったらオーバーしてしまう。

 俺ならパー狙いで弱めに打つだろう、しかし彼女はー

 打った瞬間、トイショーが「ああー」と軽く悲鳴を上げる程、強くタップしたボールは、まるで吸い込まれるようにカップに転がり込んだ!

 ギャラリーの歓声と大きな拍手が9番グリーン上に響き渡る。


 10番ホールに向かう途中。

 この前半、市木プロとの会話が弾んでいた。それこそ互いの素性や現在の状況。市木さんは茨城生まれで高校卒業後に研修生でこの大多慶CCに入り、プロテストを経てツアープロとして活躍したそうだ。俺が子供の頃に賞金王になり、そのお金で奥さんと結婚し、近所に家を建てたそうだ。

 二人のお嬢さんがいて、こんなど田舎から早く東京に引っ越したいと煩いらしい。歳を聞いたらまだ小学三年生と一年生だとか…おい。

 俺の経歴を話すと、

「そっか、野球で甲子園か! それでそのガタイ。ドライバー飛ばすんだろうねえ(笑)」

 最後の笑いは元球児ゴルファーあるある、なのだろうか。

 そんな互いの素性を分かり合った頃。10番ホールへの道すがら、

「あの子、変わったの。君のお陰の様だね」

 そう言って、半分嬉しそうに、半分寂しそうに呟く。

 元キャッチャーな俺は、人の顔色を読むことに長けている。自分の愛弟子の心情の変化に驚きと戸惑いを隠せない師匠なのであろう。

「あの子ね、技術は申し分ないよ。小さい頃から僕と源さんでみっちり仕込んだからね」

「源さん?」

「あの子のお爺さん。この辺りでは知らない人がいない程の、トップアマ。アマチュアで日本選手権で入賞しちゃう位、凄い人。」

 それは… 聞いた事がなかった。みなみちゃんは家族や友人のことは俺に一切話さないから。

「美加ちゃんと、みなみのお母さんね、美加ちゃんの亡くなった旦那はゴルフ一切しなかったから。源さん、みなみのことそれはそれは可愛がっててね。あ、源さんはこの土地の酒造の杜氏やってるの。気難しい職人気質の人なんだ。でも、みなみちゃんにだけは甘くて蕩けてるよ今でも(笑)」

 10番パー4のティーグランドが見えてくる。まだ日は十分に高く、冬の始まりの暖かな日差しが嬉しそうに語る市木さんの頬を明るく照らす。

「ゴルフをさ。三歳位から教えてたのよ。小学生になってからは僕も教え始めてさ。とにかく運動神経の良い子で。勉強はあんまり出来なかったけどね(笑)僕や源さんが教える事をさ、一聞いたら五出来ちゃう子だったんだ。でも、ね…」

 市木さんが俯くと帽子のひさで顔が日陰となり表情が見えなくなる。

「あの頃からずっとね、強情で自己中だったんだよ。あ、でもね、この性格は実はトッププロには必須の性格なんだけどね(笑)」

 それはまるで、自分がトッププロになれなかったのが性格の為である、と告白しているようにも取れる。

「源さんとおんなじ。その性格は。ただ、その性格が今まであの子に好影響だったとは、言い難いんだ。寧ろあの性格のせいで、随分損をしてきてるんだ。」

「それは、高校時代の事とか、ですか?」

「それもそうだし。でも一番障害だったのがね。あの強情で自己中の裏にあった、『弱さ』だったんだよ。あの子の『弱さ』は、ここぞと言うときに出てしまう。例えばね、さっきのパッティング。下り4メートル、今までのあの子はもっと弱いタッチで打っていたんだ」

「それは…大オーバーするのを恐れて?」

「と言うよりも。その一つ先の、『返し』を外すことを恐れて。」

 返しとは、カップをオーバーし、反対側から再度打つ事。

 即ちこれまでのみなみちゃんは、今目の前にある失敗ではなくその先の失敗を恐れていたと言うのだろうか?

「そんな奴。そんな臆病なヤツ、絶対プロになれない。目の前の失敗に向き合うどころか、その先を心配し恐れて目の前のプレーに弱気になってしまう様では。これって、野球もそうなんじゃない?」

 確かに。パスボールを恐れて低めのボールやフォークボールのサインを出せないのと一緒かも知れない。それでは強打者を抑えることは不可能だ。

「でも。突然あの子は、変わった。」

 本当に寂しそうに、市木さんが呟きながら俺が手渡すドライバーを握りしめティーグランドに登っていく。


 10番ホールをパーキープした市木さんがパターを俺に渡しながら、

「なんでも。みなみに、弱さを乗り越えた強さを持て、って言ったんだってね?」

「ああ。あの子、弱さを必死で隠して強がっていたじゃないですか。ですので、それは本当の強さではない、本当の強さとは自分の弱さを認めることだよ、って。言いました、先週かな。」

 ほーーー、と市木さんが感心した様に、

「宮崎くんって、その若さで、よく…」

「ああ。これは大学の野球部の監督に年がら年中言われてたんです。俺も二年の時に肩やっちゃって選手降ろされた時にちょっと荒れてて。肩を痛めて野球が出来ないという事実と向き合える強さを持ちなさい、って何度も言われて。」

 俺はまだ暮れそうもない柔らかな太陽に顔を向け、

「弱さと向き合う。弱さを認識する。そして弱さと共に生きていく。それが出来るようになったら、あまり動揺したりテンパらなくなりましたね、実際。」

 先週の陽菜の求婚には正直頭真っ白になったが。

「それだよ!」

 急に市木さんが大声を張り上げるものだから、パット名手のまゆゆんがショートパットを見事に外しちゃった。あーあ。

「酷―い、市木さあーん。まゆ、外しちゃったよおー」

 ギャラリーの半分が市木さんに罵声を浴びせる。何なら落ちていた木の枝を投げつける。

「ごめーん、ごめん! 今夜奢るから許してえー」

「えー、特上カルビですかあ?」

 流石、ギャラリー慣れしたツアープロ。不穏な空気を瞬間浄化してしまう。いや別に不穏でもなかったか…

 咳払いをしてから市木さんは、殊更小声で、

「それだよ、あの子に必要だったことは。失敗しても向き合える勇気。その勇気を持てる強さ。9番のパットは、まさにそれだったよね?」

 俺は深く頷く。俺には絶対打てないな、なんて思いながら。

「今のあの子なら、間違いなく一発合格出来る。僕は今日のこのラウンドでそれを確信した。それはあの子がプロとして、いやトッププロとしてやっていける強さを持ち始めた事がわかったから。」

 11番ホールに歩きながら、

「宮崎君。本当に、ありがとう」

 一瞬立ち止まり、俺に軽く頭を下げる。

「本当は僕がそこまでしてやりたかったけど…出来なかったんだ。どうしても…」

 市木さんはゆっくりと歩き出し、半分落葉した広葉樹を見上げる。

「暫くの間。みなみの事、よろしくお願いします。」

 また立ち止まり、さっきより深目に頭を下げる。

 その姿に何事かとギャラリーは首を傾げる。


     *     *     *     *     *     *


 それにしても…

 延岡まゆ。マジ強え。

 こんな遊びのラウンドなのに、一切手を抜いてこねえ。てか、むしろアタシにガチンコで勝負挑んできている!

「そっかあ、あれからみなみちゃん、陸部で頑張ってたんだあー」

 陸部に追いやったの、テメーだろーが。死ね。

「へー、四月からここで研修生で頑張ってんだあ。研修生って、色々仕事したりとかでえ、大変なんだよねえー」

 テメーは卒業後、即プロ宣言。研修生の苦難を知らねえもんな。死ね。

「ねー、ショーくーん、凄いでしょおこの子。私の後輩ちゃん。飛ばすでしょお?」

 ビミョーに顔引きつらせてんじゃねえよ。死ね。

 1番の林入れたのが響いて、アウト終わってアタシは1アンダー。延岡は3アンダー。死ね。

 インに入り、この女を気にするのをやめる。他人を気にしていたら、スコアが全然伸びねえことに気付いたからだ。ついでにクッシーの言ってた野犬の掘った穴も忘れる。ってか、そもそも意味がわかんねえし。

 それより。ギャラリーが、優しくて、嬉しい。最初はこの女に歓声あげたりトイショーに拍手喝采で正直ウゼエなあ、なんて思っていたけど。途中からアタシのショットやパットに拍手してくれるし、何か応援してくれるし。

 9番の下りは、シビれたわー。先週までだったらあんな強く打てんかった。カップに入った瞬間、思わずガッツポーズが出ちまった。それと、未だかつて聞いたことのない、歓声!

 あれからギャラリーがアタシの味方になってくれた感がパナい。あの人達、普段はツンとしてそっけないウザい客で、キャディーやってる時なんか早くおわんねーかなあ、ってずっと祈ってた人達なんだけど。

 インに入って腰があったまってきた気がする、ドライバーの飛距離がいつもより5ヤード伸びてる。これもギャラリーの人達の歓声と拍手が後押ししてくれてるのかも。

 この女も、毎週こんな嬉しい状況でゴルフやってんのか、ちょっと、いやかなーりうらやましくなってくる。

 絶対アタシもプロになる。

 こいつなんかにはぜってー負けたくない。

 あ。また意識しちゃった。消そう。コイツを、意識から。

 まだ二打差。十分チャンスは…

 消そう。コイツ…


 16番パー3。目の前の池を見ると、どうしてもあの時のことを思い出しちゃう。良太さんの隣でなんかミョーにキャディっぽくたたずむゆーだいさんを見て、自然に微笑んでしまう。

 事件現場は次の17番パー4なのだが。それでも池を目の前にすると、つい吹いてしまう。

 実は犬神家の一族って、知らなくて。あの後寮でその話したら、翔太がレンタルビデオ店で借りてきてくれて。食堂でみんなで見て、大爆笑したわー アレは、犬神佐清の足だったのだ!

「スケキヨのバカやろー」

 って叫んでたゆーだいさんを思い出し、涙流しながら爆笑したもんだった。

 なんかニヤケが治らないまま。なんか、あの日の笑えたラウンドを思い出しつつ。なんか、あの人の明るい笑顔を思い出しつつ。

 いつになく軽い打感でボールはピン目掛けて一直線に飛んでいく。

 ギャラリーのナイスショット、と言う掛け声が耳に優しい。ところが、ギャラリーが徐々にザワザワしてくる。飛球線から目を外し、オッサンオバはんの方を見る。顔という顔に驚きの表情が出てくる。目が大きく見開かれていく。口が大きく開いてくる。おおお、という唸り声が段々大きくなっていく。

 それは遂には叫び声に変わるー

「行けー!」

 え? 池?

「入れえーー!」

 え… あの大人しい淑女のオバはんが…


「う…そ…」

 と言う延岡まゆの声と同時に、ギャラリーがアタシに襲いかかってくる!

 おっさん臭い体臭に揉まれ、おっさん臭い息にむせ返りながらグリーンを振り返ると、あるはずのアタシのボールが、消えていた。

 おいクッシー… 犬の掘った穴って…


 結局そのホールで延岡まゆがまさかの2オン、3パット。二打差をつけたまま最終ホールへ。

 大多慶自慢の最終ホール18番パー5。

 太陽はさすがに重たくなったのかなあ、だいぶ傾いてきている。その夕日に向かって、渾身のフルスイングをすると、ボールははるか300ヤード付近まで転がっていく。

 延岡まゆの一打目はさすがのフェアウエーど真ん中、240ヤード。だけど、60ヤード先のアタシのボールをにらみつけている。

 アタシは残り210ヤードを5Wでフルスイングする。ボールは2バウンドしてグリーンに乗る。

 延岡まゆは三打目をピン側50センチにつける。さすがじゃん。お先にいーで、楽勝バーディーで上がる。

 アタシはカップまで登り10メートル。

 先週までのアタシなら。

(これで寄せて2パットで決めてバーディー。まあまあかな)

 今日のアタシ。

(これを決めないと、延岡まゆには勝てねえ!)

 後で聞くと、この時の目が一番真剣だったってさ。

 延岡のキャディーしてた健人と翔太、トイショーに付いてたみうがアタシの後ろに来て、ラインを読み、

「「「右カップ、ボール一個半ぶん」」」

 ばーーーーか。それは距離を合わせた読みだろーが。それじゃダメなんだよ。プロで食ってくにはこーでなきゃ!

 アタシは渾身の力を込めてカップど真ん中にボールを打つ。

 周りから悲鳴が聞こえる。


 それは、ガチャン、カッコン。と言う音と共に、今日2番目の大歓声に変わった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ