なんだか久しぶりにときめいちゃったかも知れないっす
水曜の夜。俺はなんとか時間を作り、みなみを練習場に連れて行く。前からファッションとして練習場での打ちっ放しには陽菜と来ていたらしく、打たせてみるとまあ真っ直ぐ飛んでいく。
これなら週末のラウンド、なんとかなるな。ちょっと安心し、自分の打席で己磨きに入る。ふと気付くと、みなみはとっくに自分の打席から撤収し、俺の打席の後ろに座ってスマホをいじっていたようだ。
「お兄ちゃん、終わったの? 随分集中してたね」
「ああ、こんなもんかな今日は。わりーな、かなり待ったろ?」
「全然。陽菜とラインしてたからー」
突如、何本もの視線を感じる。周りの男性客が何人か慌ててスイングし始める。
まあそれも仕方あるまい。なにせみなみは表現するのもアホらしい位可愛いのだから。完璧なのだから。練習場に来ている美少女慣れしていない男はイチコロだろう。仕方ない。
それでも視線が俺に来るとウザいので、練習を切り上げて帰宅の途につく。助手席でみなみが、
「ちょっと。ホントに土曜日、ゴルフ場でラウンドするの?」
「おお。今日くらい打てるなら全く問題ない、後は家に帰って俺のパターマットで毎日50球転がせば、余裕で回れるぞ」
「…それはちょっと。20球くらいなら…」
「よし。20球な。毎晩」
「やっぱ、10球でどお?」
ニパッと笑う笑顔。この顔には生涯打ち勝つことは出来まい。えーい、仕方ない。
「仕方ない。10球だ。それで手を打ってやろう」
…何故、ここまでして? そう思われるだろう。仕方ない。
正直に言おう。俺は彼女である陽菜よりも、実妹のみなみと一緒に出かける方が嬉しいし楽しい。それはみなみも同じ気持ち…の訳あるはずなく、もし俺の気持ちをみなみが知ったら、
「お兄ちゃん、ごめんね、キモ」
と言い、家を出て行くであろう、俺が。
何故ここまで… と思われるかも知れない。なら実際会っていただきたい、俺の妹に。
ね? 神ってるでしょ? マジで有り得ないほど可愛いでしょ?
そんな妹の兄となった気持ちを察してくださいよ。どうすればよい? この行き場のない気持ち、想い。いっそ捨ててしまえば楽になるのに? 否。この気持ちを捨て去るくらいなら俺が俺を捨ててやる。自分でも意味がわからないのだが。
姿形、性格、ボディ。全てが完璧な妹が屁っ放り腰でパッティングマット上で球を転がしている姿を眺めていると、知らず瞼が熱くなる。
俺の夢〜みなみとドライブ&ゴルフデート。
もしこれが叶うなら、俺は陽菜ともっと真剣に付き合ってやっても構わない。もしもこれに温泉が付加されるなら、クリスマスに陽菜にプロポーズしても吝かでない。
もしも。いつの日かみなみに彼氏が出来たとしよう。殺す。
それからしばらくして、また彼氏が出来たと仮定しよう。殺す。
幾多の苦難を乗り越え、なんとか彼氏が出来たとしよう。殺す。
…ダメだ。仮定系ですら話が出来ない、みなみに彼氏が…有り得ない。無理である。
このままでは俺が服役するかみなみがいつまでもおひとり様の寂しい人生となってしまう。なので俺が先に2番目の幸せを見つけ出し、それに甘んじるしかみなみを苦しみから救うことは出来ないのだ。
だが。然しながら。けれど。その相手が小林陽菜。
ちょっと、厳しいわ…
父上は素晴らしい、尊敬できる紳士だ。
実兄はギリギリセーフ、まあなんとかやっていけよう。
だが肝心の本人と、全く上手くやっていく自信と気力が湧いてこないし、その可能性の低さに戦慄する今日この頃だ。
そもそもなんで陽菜と付き合い始めたのか… この夏リューさんの相手をしに小林家に入り浸った結果。それまでは挨拶する程度だった俺と陽菜の距離が一気にあからさまに縮まる。
陽菜は昔から俺のことが好きだったーそれこそ中学生くらいからずっと…と知ったのは、実はみなみの囁きだった。
「お兄ちゃんが陽菜の王子様なんだよ。私の親友と付き合ってくれない、かな…」
俺とリューさん以上に、みなみと陽菜は双子の姉妹のように仲良しだったのだ。いや、双子が必ずしも仲が良いとは限らないが。
その内にリューさんからも
「お前さあー、出来たら陽菜と付き合ってやってよおー」
なんて頼まれて。そう、俺たちの付き合いは俺の意思は最も関係なく遠い位置に放置され、陽菜によって周到に計画された出来レースみたいなモノであった。
初恋のお兄ちゃんと付き合う。そんなラノベみたいな展開が上手くいく筈もなく、付き合い始めたその日からトラブルの連続。例えば〜
既読はすぐに付けて、返信はすぐにして
連絡帳から全女子を消去して
他の女子と話さないで(例え業務上であっても)
いついかなる時も陽菜のことを考えていて
…無理。ムリ。
それにいちいち反論すると、
「もう別れる。」
せいせいして、翌日
「なんで連絡くれないの、酷い!」
そろそろ精神をやられるかもしれない、もしみなみが俺に優しくしてくれなければ…
そんな訳で、週末のゴルフには絶対にみなみが必要なのだ、でなければ俺の精神は崩壊の序曲を奏で始めるだろう。
ん? なんか引っ掛かる。
みなみ…、と言えばあの研修生も確か「みなみ」と言っていたな。何故急に思い出したのか深く考えもせず、スマホで週末の天気をチェックする。
* * * * * *
「なんかあー、雨降りそうー、やっぱゴルフやめて海にドライブ行こうよおー」
…帰れ。マジ帰れ。
なんなんだ、このクソビッチ。来るや否や、ここまで聞こえる大声で喚き散らしやがって。ウチのスタッフも皆キレかかって…いねーんだわ、残念ながら。
そのビッチはどーやらあのチャラ男の彼女らしい。どー見てもワガママなアイドルかタレント、って感じのメチャ派手な女だ。グリーンキーパー見習いのヤスなんか、目尻垂れてるし。
もれなくデカ男もいるわ。一緒にいる子、彼女さんかな、お人形のようにかわいい。ああ、あんな感じに生まれたかったわ…
今日は彼らは4サムでデートラウンドってやつか。キャディー無しで回るっぽい。非力そうな女子なのでボールは無くなることはあるまい、まあ池ポチャは多々あるだろーが。
アタシは今日は練習場の片付け、玉拾い。
空を眺める。確かに雲の動きが早く、西の空には真っ黒な雲がこちらに向かってきてるっぽい。雷は大丈夫だろうが、結構どしゃぶるかもなー。
ま、あんなキレイに着かざった女子には今日はサイアクの日となろう。ザマ見ろ。なぜかその一言が心に浮かび、いかんいかんと首を振ってその一言を消し去る。
小一時間はたったかな。やはり大粒の雨が落ちてきた。
今アイツら4番くらいかなあ。今日は土曜日なんで進行が遅い。その上この雨。次の5番は凹地になってるからフェアウエーに水がすぐ溜まるんだよなあ…
うわ…こりゃすげー降ってきたわ… もうこの練習所にもだーれも来ないし。
「みなみちゃん、上がっていいわよ、いひ」
クッシーからインカムが入る。いつもなら「ほーい、ラッキー」とそそくさと戻るのだけど、
「ちょっと打ってます」
「あーら熱心じゃない。風邪ひかないよーにねー いひ」
何故だろ。今日はそんな気分になったのだ。
言い訳としては、予選は三月、春雨が降ることは十分可能性あるし。
それに最近雨の中でちっとも打ってなかったし。
自分のクラブバッグをドンと置きながら、なんで自分に言い訳してんだろ、バカじゃねアタシ。ハッキリ言えばいーじゃんー
この雨の中でラウンドしてる、アイツが気になるからって。
アイツのことだから、あのドールちゃんに気使って優しくクラブふいてやったり、ずっと傘さしてやってんだろーな。
アタシと回っている時はそんな気を一秒も使わねえクセに。人が小池にハマったドラちゃんを拾ってやったのに大爆笑しやがって。
いってー
チョーダフった…あっちゃー、芝逝っちゃったわコレ…
いかんいかん。集中。全集中。消す。雨を消す。アイツを消す。ドールちゃんを消…
グオー、チョートップしたあ… あかん、あかん。こんなんでは、予選で雨が降ったら…
トップとダフリを繰り返しているうちに、昼休憩の時間になる。タオルでクラブについた泥と水滴をぬぐい、倉庫にしまってキャディーマスター室に行く。
「もー、サイアク、チョーサイアクー お風呂入って帰る! もうサイテー!」
丁度アイツらがアウトから戻ってきたところだ。
「お兄は一人で先に行っちゃうしー ゆーだいくんはボール探すのに忙しくって構ってくれないしー 二人ともサイテー ねーみなみ!」
「ハア?」
アタシは思わず大声を出してしまうーなんでここでアタシが出てくんだよ!
四人がこちらを振り向く。
「あれー、みなみちゃんー、お疲れー。今日はキャディーじゃないんだあー」
チャラ男が嬉しそうな顔でこっちに歩いてくる。
それにしてもチャラ男カップルはそのチャラさが見事にマッチしたベストカップルと言えよう。チャラ男って、このバカビッチにピッタリだわー 二人が着てるウエアも(高そうで)チャラいわー
デカ男とドールちゃんは…
スゲー、似合ってる…
なんか胸がチクってした。
「えっと、チャr‥小林サン、お疲れ様っす。スゲー降ってきましたね」
「そーそー、4番くらいからさあ大雨― アウト45も叩いちゃったよお」
ふん。アマちゃんにしては上々じゃね?
「そんで、雄大のやつ。いくつ叩いたと思う? プフっ 68だってさ。ウケるー」
へ? ハーフだよな? へ?
「雨のラウンド初めてだったんだってさ。ま、コイツの面倒見るのも大変だったけどねえ」
といってチャラ男はチャラ子の頭をパンと叩く。まあ乱暴な彼氏だこと‥
「もー、お兄はぜんっぜん助けてくんないしー。もー二度と一緒にゴルフ行かなーい」
「えー、そんなあーまた行こ−よおー陽菜―」
…この二人 …兄妹… うわ、そう見ると、ソックリ… チャラい、チャラ過ぎる兄妹…ウケるわー
…ってことは? まさか、あの二人も?
「そーだよお。雄大の妹のみなみちゃん。あああああ! みなみちゃんとみなみちゃん(笑)おんなじじゃん! スッゲー」
いやいやいやいや。アタシとアンタ、何度目だよ会うの… 気付けよそれまでに…
チャラ子は一人スタスタとロッカールームへと歩いていく。ドールちゃんがこちらに歩いてくる。
「こんにちは。兄がお世話になっています。妹のみなみです」
人形のようにニッコリ笑いながらあいさつされてしまう。
「ちわっ えっと、研修生の日向みなみっす。雨の中、お疲れさんでしたっ」
ずぶ濡れのデカ男が近寄ってくる。
「あの… 日向さん」
コイツのこんな切実な顔、初めて見た。
「雨の日って、どうすればちゃんと当たるんですか… 今日さ、降り始めたら全然当たらなくなっちゃって…トップ、ダフリ、シャンク…最悪だったんだ…雨で滑らないように強く握りしめてたのかな…」
コイツは…
思わず吹き出してしまう。
マジ、ハマってるわ。ゴルフ道に。
デカ男がムッとした顔で、
「な、なんだよ…」
「わりーわりー。てか、アンタ、レインウエアは?」
「いや…傘があれば十分かなって…」
「ダメ。次までに用意しておく」
「ハイ」
「ゴルフ場って凸凹多いでしょ、それだけ風が色んな方向から吹くよね、だから傘なんて役にたたないよ」
「あっ 成る程」
「水吸って重くなったウエアでスイングしたら、どーなる?」
「…そ、それは…」
「それに。グローブ小まめに変えた?乾いたヤツに?」
「いや…これで通した…」
「乾いた予備のグローブ。次までに用意。」
「ハイっ」
「そんな訳で。アンタは準備不足。スイング崩れてスコア崩壊、当然。だろ?」
「あああ…」
アタシは真顔でデカ男の顔に人差し指を突きつけて
「ゴルフ、なめんなよ!」
* * * * * *
俺は愕然とするー
舐めていた。完全に舐め切っていた。
自分の準備もそこそこにみなみ、そして陽菜のケアに走りまくっていた。自分が濡れるのをよそに二人が如何に濡れないか苦心した。陽菜が違うクラブ持ってこいと言うので走って持ってきてやった。
結果―
自分は身も心もクタクタ。頭から足の先までずぶ濡れ。濡れすぎて途中からグローブ外してやっていた程だ。
これでは、自分のゴルフなんて程遠いわ… あの子が呆れ果ててしまうのも当然だ。
俺はゴルフが上達したい。早く100を切りたい。90を切りたい。クラチャン目指したい。なのに、妹や彼女を連れてチャラチャラと…
あの子の目が怒りで鈍く光っていた気がする。そんな男が上達する訳ねーだろ、と。
雨音が強くなる。横殴りの雨でクラブハウス前の芝に水溜りが出来始める。途中で切り上げたのか、カートが次々に到着している。戻ってきたメンバーは口々に雨を呪い風を祟っている。
俺は黒い雨雲を見上げる。雲の流れは早く、案外早く雨は上がるかも知れない。
俺たちはハーフで上がることに決めていた、だが、俺は今一度この雨の中でラウンドしたいという欲求が込み上げてくるのを抑えることができなかった。恨めしげにもう一度空を見上げ、俺は決意する。
90を切るまでは愛する妹や、彼女を連れてラウンドしないと。
己のゴルフ道に邁進していこうと。
もう誰にも邪魔はさせない。
ハーフで68も叩いた今日、俺は生き方を変えていく決心をする。そしてこの雨雲に誓う。俺は二度と甘ったれたゴルフはしない、と。
「ちょっと、日向さん!」
怒り肩を揺らしながらキャディーマスター室へ向かう彼女の腕を取る。
「は? え? なに?」
ギョッとした顔で彼女が振り向く。
「これから毎週末、ここに来る。だから」
俺は頭を膝のところまで下げる。
「一緒に回ってもらえませんか。ゴルフを教えてもらえませんかあ!」
彼女は凍り付く。
「いや…アタシ、自分のことで背えいっぱい(精一杯?)で…」
俺はしつこい。自分でも笑えるくらい、しつこい。
「ちゃんとバイト代払います! 1ラウンド5000円。如何ですか?」
彼女は再度凍り付く。
「ごせん、えん?」
俺はハッとし首を振る。
「すまん。間違えた。それは失礼だった。」
そして、キッと目を彼女の目に合わせ、渾身の力を込め、
「1ラウンド、1万円。お願いしますっ!」
彼女は目の動きさえ凍り付く。
「い、いち、いちマンえん…」
俺はハッとし、首を縦に振りながら、
「それプラス。毎回、焼肉付きで。如何でし…」
「やりましょう! 」
彼女は聞いたことのない大声で即返してくれた! よし!
「…えっと、…あの… ああ。宮崎牛、さん?」
「…なんで牛を付ける?」
「いや、いつか食いてーなーって…」
「てか…今ガチで俺の名前、出てこなかったよね…」
彼女はギョッとした顔で、
「なぜわかる?」
俺が深く溜息を吐く横でみなみが大爆笑している。
「お、お兄ちゃん… 面白過ぎ…どうしたの、こんなお兄ちゃん久し振りに見たよ」
みなみが腹を抱えながら、
「日向さん、でしたよね、兄は夢中になると見境つかなくなっちゃうんです、昔から。なので、どうかよろしくお願いしますね。」
「いやーこちらこそ。もらった金と食わしてもらう焼肉分はキッチリ教えますんで」
「あら。それ以上、教えてもらわないと(笑)」
「うわ…大人しそうな顔して、実は結構しっかりしてんなあ、いもーとさん」
「あなたが兄にしっかり教えて、私が兄からしっかり教わる。私、今日陽菜に10打差で負けたんだよね、ハーフで」
みなみの目が据わってくる… 怖い…
「陽菜とは小学校からの親友だし大好きだけど… 勝負で負ける訳、いかないんだよね…」
彼女はゴクリと唾を飲み込む。
「だから。兄にキッチリ教えてね。頼むね、みなみ、ちゃん?」
「わ、わかった… みなみ、さん…」
俺の愛するみなみは、微笑みながらロッカールームへ歩いて行く。
連絡先を交換しー彼女はスマホを持っていなかった。ので今後は今は殆ど使わないメールでのやり取りとなる。
一応会社の名刺を渡す。
「へー。営業、さんなんだ。」
「まあね。まだまだ下っ端だわ」
「それよりさ、まあゴルフ教えんのはいーけど。サラリーマンってそんなヒマなの?」
「んー、このコロナ禍で在宅ワークも増えて、地方の出張とか一切なくなってね、去年よりも全然ヒマになったかな」
「まあ、それはわかったけど、ゴルフばっかしてて大丈夫なん? 彼女さんとかに叱られんじゃね?」
俺は、今日何度目なのだろう、深――い溜息を吐きながら、
「それな。それなんだよ、一番の問題は。でも俺はさ、ゴルフ上手くなりたいんだよ。このクラブのクラチャン狙えるくらいにさ」
彼女が吹き出す。ふん。笑うなら笑えよ。
「なのにさ。陽菜は私のことをかまえってうるせえんだよ。で、ゴルフ連れてきたら、あの態度だろ? ホント参ってるんだわ… こないだもさ、」
「ハイハイ、わーったわーった。でも少しは大事にしなきゃだめj… ハアーーーーー?」
「え? なに?」
「連れて、来たって… アンタの彼女って…」
「あー。うん。リューさんの妹。」
「あの、チャラ子!?」
* * * * * *
久しぶりに、チョー驚いた。
あのチャラ子がコイツの彼女?
ハアーーーーー?
何それ?
意味不―
お陰で午後の業務、何したかサッパリ覚えてないし、何言われたかもなーんも覚えてない。我に返ると水浸しの5番ホールで一人F Wをアホほど打っていたー
アレは、あかん。あの女は、いかん。
あのチャラ子ほどデカ男…ユーダイに似合わない女はいない。
当初、ユーダイとドール…みなみちゃんはスゲー似合ってると思ったし、納得だった。あの千歳(繊細)ながら柔軟で、周りをよく見れて人をぜってー不快にさせない男に、笑顔を絶やさずちょっと控えめで、んだけど実はチョーしっかり者で負けず嫌いな女子はピッタリだと思った。
なのに…
あんな自分のことしか考えない、周りに気を使えない、スタッフのことなど召使い以下の扱いをするよーな女と付き合っているとは…
女の趣味が悪すぎる。アレは男をどんどんダメにしていく女にチゲーねえ。多分。
アイツのスイングにはブレが多い。きっとそれも、あんな女と付き合ってるからだ。スイングには女(女子プロの場合は男)の影が出る。じーちゃんが昔言ってた。今度家帰った時、聞いてみよう。
と、思い立ったら「今でしょ!」なのがアタシのいいとこ。夕方の業務を終えた後、寮の夕食をキャンセルしてチャリで自宅に帰宅する。
…ヤスかテツさんに送って貰えばよかった…一時間こいで家に着いたらもう七時だった…疲れた…
「そうかあ、小林さんのー」
やっぱじーちゃんは紳士じーさんを覚えていた。
じーちゃんは私のお古のジャージを粋に着こなして、焼酎をチビチビと飲みながら満面の笑顔で懐かしそうにしている。
「あの人はなあ、エリート銀行員でなあ、ほれ、こないだやってたドラマに、出てくるような、偉そうなところは、これっぽっちもなくって。いい人だったなあ。」
…いやまだ生きてますし。じーちゃんはゆったりと話す。
それにしても、我が家。そーいえば大多慶CCからチャリで一時間、車で十五分の距離なんだけど、このコロナ禍故にお盆にちょろっと顔出して以来、久しぶりだ。お盆に帰った時も、
「帰省しちゃダメじゃない! おじいちゃんにコロナうつったらどうするの! それに近所の目もあるのよ、もう帰って来ないで!」
と母ちゃんに追い出されてしまったのだ。いやいや母ちゃん… 同じ町内だし… 近所の爺婆からはウチの畑仕事なんで手伝わねえ、ゴルフなんてやめちまえって小言言われたし…
そんな母ちゃんはお盆のいざこざはとっくに忘れたらしく、
「みなみー、近いんだからもっと顔出しなさい、おじいちゃんも寂しがってるのよ」
なんて能(脳)天気なこと言ってるし。
女学生の頃から、『大多慶小町』と噂される程のマジ美人だった母ちゃんは今でもハッとするほどいい女だ。高校までは相当グレてたらしいけど。
十年前、交通事故で死んだ父ちゃんとは、日本酒作ってる大多慶酒造で知り合ったらしい。杜氏のじーちゃんの下で働いてた父ちゃんが、じーちゃんの娘で酒造でバイトしてた母ちゃんに一目惚れして命懸けで口説いて口説いて結ばれたって。
じーちゃんは今でも杜氏、母ちゃんも売り場で売り子している。
今年で確か41、まだまだ楽ショーで現役でいける母ちゃんなんだけど、浮いた話は一切ない…訳ねーか。
「こんな田舎町に、父ちゃんみたいないい男、そうそういる訳ないでしょう。アンタも東京出なさい。そうすればアンタでも良いっていう男いるからきっと(笑)」
アタシはモテない前提かよ… まあ、その通りなんだが。小六には165センチ、高二で今の175センチ。高校でアタシより背の高い男は十二人しかいなく、そのうちの半分は顔面崩壊、更に残りの半分は栄養失調、残された三人は年下の後輩だった。
小学生の頃から、よくモテた。いや、キモイほどモテた。女子に。バレンタインのチョコの数は高校卒業までどんなイケメン男にも負けたことはなかった。
ちなみに。この母ちゃんの娘なんだからブサイクではないと思うんだけど… 人生で(男に)告られたこと、ゼロ。彼氏歴、当然ゼロ。
正直、高校時代は男子より陸上、そして今は男よりゴルフ。まあそんなアタシがモテるハズもなくー
ああ、そんな話はどーでもいい。それよりー
「そうかあ。あの小林さんの、息子さんが、大多慶の会員か。時が流れるのは、早えなあ。こーんなチビ助だったのに、なあ。え? お嬢さん? いや、見たことねえ、なあ。」
「なになにー、みなみー、小林さんの息子さんと良い感じなの? 写メ、写メ!」
ねえし。客の写メなんてフツーとんねーから。
「ん? 付き合ってる女のせいでスイングが乱れる? お前、何馬鹿なこと言ってんだ。そんなことある訳ないだろ」
嘘つき。昔ぜってー言ってたくせに‥
…普段はゆったりノンビリまったり話すくせに、ゴルフの話になるとシャキッと厳しくなるんだなー昔から。
「スイングの乱れは心の乱れだ。心がしっかりとゴルフに向き合っていればトップダフリなんてねえんだよ。遊びでゴルフやってりゃスイングなんてその日次第だし、ボールの行方もその日次第の気の向くままってヤツよ。」
うーん。まあ、そうか。アタシとアイツではゴルフに対する姿勢が違う。あたしゃゴルフで食っていこうとしているけど、アイツは趣味の延長。そんなアイツが彼女の良し悪しでスイングやスコアが変わる訳、ねえか。
「なんだ、お前、気になる男でも、出来たのか、ええ?」
「ウッソ… みなみに好きな男の子が出来たの… おじいちゃん、赤飯炊く?」
だーかーらー
別に好きとかそんなんじゃねえってーの。あー面倒くさ。
「ふーん。お前にゴルフの弟子がなあ。まあ良いんじゃねえの、ちゃんと面倒見てやれや。俺や良太が教えたことをキッチリ伝授してやんな。」
「で? いつ連れてくる? 来週? 来月? ちょっと、久しぶりに美容院にでも行くかなー」
…弟子、じゃねーし。ぜってー連れて来ないし。
はー、ウザウザ。とっとと飯食って帰るとしよう。まだ帰宅してない部活帰りの二人の弟、大次郎と源次郎に出くわすのもメンドーだし。
でもちょっと気が楽になったかな。アイツの彼女がなんであれ誰であれ、アタシにゃカンケーねえって事よ。ちょっと(かなーり)割のいいバイトと割り切って、ガッツリ稼がせて(食わせて)いただきますか!
そんな実家からの帰り道。時計を見ると八時過ぎ。門限は九時なんで割と本気でチャリをこいでいるとー
「ミーナーミー、おーい」
追い越そうとした真っ赤な軽自動車の窓から春香の声が聞こえてくる。
中学、高校の同級生で私の唯一の親友である。うわ、懐…
「おおお、春香! 久しぶりだな〜」
「もー、全然連絡くれないし。生きてたのー?」
「おお、死んではいねえわー 春香はどーよ」
チャリと軽の立ち話は道路交通法上にとっても危険な行為であるので、国道沿いのファミレスに入ることにする。
いやー懐い。多分卒業以来だ。あれから美香は千葉市の専門学校に進み、学生生活を満喫しているーハズもなく、
「もー、授業は在宅ばっか。まだ二回しか学校行ったことないよ。友達? 出来るはずないっしょ。何の為の学校なのかわかんなくなっちゃったよお」
そっか。美香はコミュ力あるから、友人が作れないのは辛いだろーな。
「学校やめてさ、勤めようかなあ。一人で勉強とか、もうムリ!」
確かに。友人を作れないなら通信教育と変わらない。それより社会に出ちまえば、少なくとも上司、先輩、仲間、人といれる。アタシは一人黙々と打ってるのが好きだが、美香みたいな子には今の状況はとても辛いだろう。
このまんまじゃ美香みたいな子はみんなノイローゼになってしまうんじゃねえかと心配になる。パーっとストレス発散できる機会も仲間もいないんだからなおさら。
そんなら一緒にゴルフしねえか、そしたらストレスなんかパーっとー
「しないし。出来ないし。そんなお金ないし。あのねみなみ、ゴルフってやっぱ上級国民の遊びなんだよ。高いクラブ揃えて、車乗って、一回数万円お金払って。今時ゴルフ場来てる人達って、世間でも成功者だけだよ。庶民が出来る遊びじゃないわ」
ハンマーで頭を叩かれたよーなショックを受ける
そっか、世間ではゴルフってそーゆー受け止められ方をしてるんだ…
昔からあまりに身近にゴルフがあったからそんな考え方全く知らなかった…
確かに。今アタシは死んだ父ちゃんの形見のクラブセットを使ってるけど、最新のセットを揃えたら六十万円くらいするだろう。
大多慶CCは会員でも平日で8000円、休日で15000円近くかかる。ゲストならその倍近く払わねばならないだろう。
東京からだと高速代とガソリン代合わせたら5000円くらい?
確かに。アタシら庶民が毎週楽しむ『遊び』では、ない。
そしたらこのコロナ禍で、一体アタシらは何して遊べば良いんだよ…カラオケ、ダメ。プールや海、もう秋だし。ライブやコンサート、密。
春香とアタシは早くコロナ禍が終わる事を祈り、それまでの間いかに壊れずに過ごせるかを真剣に語り合い、ふとガラケーを見たら十時半だった…
門限…
* * * * * *
日向みなみとのメールのやり取りは、陽菜とのやり取りで疲れ果て消耗した俺の心の癒しとなっている。
まず、テンポが、いい。
月曜日に俺が
『一昨日はお疲れ様。早速だけど、今週の土曜日、ラウンドレッスンお願いできますか』
すると火曜日の夕刻に
『いいですよ』
水曜日に俺が、
『時間は昼過ぎでいいかな?』
すると木曜日の夜に
『いいですよ』
金曜日に俺が、
『では明日、十三時スタートで。よろしく』
すると夜に
『よろしく』
いい。実にシンプルかつ楽で、とても良い。それに比べ、陽菜とのやり取り…
週の中頃には土曜日が来るのを待ち焦がれていた。
そして土曜日。先週の大雨とは打って変わっての晴天だ。秋晴れだ。アクアラインから見渡す東京湾がいつになく広々と感じる。一人でゴルフ場へ。初めてのことである。それがこんなにも俺に開放感をもたらすとは。もっと早くから会員になって一人で行っていれば良かったな、なんて思いから、ついついアクセルを踏み込んでしまう。
先ほどからラインの着信音がぴょんぴょん五月蝿いのを無視して車を走らせる。雲ひとつない晴天の下に房総半島の低いなだらかな山々が目前に広がっている。
千葉県で最も標高の高い山は愛宕山で408メートル。これは47都道府県の最高峰の中でも最も標高の低い山なのだそうだ。
房総半島自体がなだらかな丘陵地帯とも言え、従ってゴルフ場も日本で3番目に多いそうだ。だが半島も少し中に入ると深い森林が鬱蒼としており、かつて真言宗などの密教の修験場が多く存在していた。密教の本場の紀伊半島を上からギュッと押し潰したら房総半島になるのかも知れない。
黒潮の影響なのか、紀伊半島から房総半島に流れ着く人が多かったようで、「白浜」「勝浦」といった紀伊半島にある地名が房総半島にも多くみられる。
独り千葉うんちくを傾けているうちに車は大多慶CCに到着する。
ゴルフクラブを下ろしてもらい、駐車場に車を止める。受付を済ませロッカーで着替えてキャディーマスター室に行く。秋晴れの土曜日。コロナ禍でゴルフの有意性が見直され、大変なゴルフブームである。午前中の最後の組が丁度到着したようだ。
キャディーマスターの串間さんによると、三時頃にスタート出来そうだとの事なので、俺はこれから二時間ほど練習場で打ち、練習グリーンで転がす予定だ。
…串間さんを始めとするスタッフの人達がなんかニヤニヤ笑っている。
「…なんかあったのですか?」
「宮崎さん、アレ見て頂戴。アレ いひひ」
アレ、を見てみた。目を、疑った。
坊主頭の、背の高い女子、らしき人物がカートを清掃している。
「あの娘ねー、先週門限破っちゃったのよお、そしたら翌朝仲間からバリカン借りて自分から頭丸めて… すいませんでした、以後気をつけますって頭下げられたら、もう誰も何も言えなくて… ってか、笑っちゃって(笑)今時、坊主頭、しかも女子…ウケるわよねえ いひひひ」
坊主頭。高校野球で甲子園を目指す上で、某おぼっちゃま高校を除き、外せない身嗜み。唖然茫然と言うより、唐突に懐かしさが込み上げてくる。同時に、二年の夏の甲子園での敗北、三年夏の西東京大会準決勝での敗北の悔し涙も込み上げてくる。
日向みなみが俺を睨めつけながら歩いてくる。
「何ジロジロ見てんだよ」
俺は万感の思いで坊主頭に手を乗せる。
ああ、この感触。俺の青春の手触り。
みなみが不審な顔をする。
俺の目から涙が一筋零れ落ちる。
俺たちを取り巻き、スタッフが腹を抱えて苦しそうに笑いを堪えている。
三時少し前。日はまだ高い。二人でのラウンドスタートだ。
今日は二人とも担ぎだ。水曜日にゴルフショップでスタンド付きのキャディバックを買い求めたので全然苦ではない、寧ろこれでこそスポーツと思える。
電動カートで移動するラウンドはスポーツではない。総歩行距離は5000歩も行かないだろう。10キロ近い荷物を抱え、18ホール約6700ヤードを歩く。これぞスポーツだ。上半身も下半身も相当鍛えられるだろう。
俺はそれに加え、ラフや林間にボールが入った時は罰として走って行くことにした。ほとんどフェアウエーで打てない俺にとっては凄い運動になるのである。
そんな俺を坊主頭のみなみは呆れて見ていたが、途中からは
「よし。アタシもティーショットしくったら、バービー十回しよっと」
と面白がって言ったのだが、結局彼女は三十回しかバービーしなかったのは流石である。
彼女の教え方は実に良い。
俺が聞いたことだけ、的確に言葉少なく答えてくれる。
俺はレッスンプロについた事がないので、基本中の基本から教わる。例えばグリップの握り方。例えばテークバックの上げ方。例えばフォローの出し方。
その様な基礎中の基礎も、聞けば簡潔に教えてくれる。そして手本を見せてくれる。
今日はそんな中でも、傾斜への意識、について目から鱗が落ちる程丁寧に教わった。理論としては雑誌やネットで理解していたのだが、それを実践していたとは言えなかった。
「このティーグランド。傾斜は?」
7番ホールのティーグランドにて。
「えっと、左足上り、かな」
これまでティーショットで傾斜なんて考えたこともなかった。
「それだと、フツーに打つとどーなる?」
「あっ 左に…」
「そ。捕まるから左に行きがち。だからどーする?」
「そっか。最初から右向いて構えて。―――おおお!」
「ん。ナイスショッ」
こんな感じである。上達しない訳が無い。
しかし。この傾斜ってのは覚えるのが難しい。左足上がりでは? つま先下りでは? と咄嗟に聞かれると即答出来ない。一々頭の中で傾斜とボールとクラブのロフトを思い浮かべ、えっとああでこうだから、右に曲がる、となってしまう。
みなみ曰く、
「そーゆーの面倒だから、『下りは右、上りは左』って覚えりゃいいんだよ」
……成る程。左足下がりは…右に出る。つま先下りは…えっと、やはり右だ。これは良い。いちいち脳内で図を構築しなくても咄嗟に判断出来る。左脳で対応できると言う訳か。
それにしても。ゴルファーって一々こんな対応しているのか…ちょっとくらいの傾斜なんてわからんだろうし変わらんだろ?
「人間の身体ってさ、傾斜1度でもわかるんだって。その傾斜に脳が反応すんだって。だからアンタはちゃんとトップするしダフるんだよ。」
「…マジか…」
「ああ。逆に、こんな薄い傾斜でトップできるなんて、相当体の感度が優秀なんじゃね」
「…おい…」
「だから。毎回自分の傾斜を把握して、それにあった打ち方をすれば、大怪我は無くなるよ」
目から壁が剥がれた気分である。その後のショットは、全部が全部とは行かなかったが、彼女の言う通り全く見当違いの所へ飛ぶことは無くなった!
恐るべし、傾斜…
「あとは、グリーン周りだな。今度来た時、寄せの練習を時間かけてやんなよ」
どうしても、彼女のように寄せワンが取れない。ザックリ、トップは少なくなったが、距離感がてんでダメで、カップから半径2メートルに寄せることが出来ない。
「距離感はなあ、練習しかねーわ。逆に、一度距離感掴んじゃえば、あとは腕と腰が覚えてくれるよー」
よし。ネットで寄せについて調べ尽くしてやる。そして来週、腕と腰が覚えるまで練習してやる。今日は帰りにロストボールを100球買って帰ろう。
「ちょっとこっから打ってみ」
言われた所から、打つ。4メートルオーバー。
「手だけで打ってるから。それじゃトップやザックリするし。」
みなみが手本を見せてくれる。綺麗に腰がターンしている。ボールはカップ10センチ横に止まる。
「クソっ 入らんかった。ま、こんな感じ。あとは自分で練習。」
「ハイッ やりますっ」
初めて中三の時に硬式球を打った時の事を思い出す。
「いいか、手で打つな! 腰を使え!」
自然と顔が綻んでしまう。
みなみが怪訝な顔で
「何笑ってんの?」
「ん? 昔のこと思い出してさ。野球でも手で打つな、腰使えって散々言われたなーって」
「ふーん。じゃあ、アタシ野球上手いかも?」
「今度バッセン行ってみる?」
「バッセン…?」
「バッティングセンター。行ったことない?」
「ない」
首を傾げながらみなみは次のホールへと向かう。
日も大分傾き、まだ青い木々の葉っぱを赤く照らす。青空が徐々に朱に染まっていき、心なしか空気の匂いも焔の匂いがする。
既に他のパーティーは上がって風呂にでも浸かっているのだろうか。フェアウェーの緑と夕暮れの朱の美しいコントラストを眺めながら、大きく深呼吸してみる。大粒のクリーンな緑の粒子が肺胞を満たし、世俗に汚れたドス黒い息が吐き出される。
ああ、ゴルフって…
少し疲れた身体が夕暮れの緑で癒される。
* * * * * *
足音がしないので、後ろを振り返る。
ゆーだいがぼんやりと17番ホールを眺めている。
「おーい。どうしたあー? 今のトリ(プルボギー)、悔やんでんの?」
ゆっくりと首を振り、
「景色。すっごい綺麗。こんな景色、東京では見れない」
アタシも17番ホールを眺めてみる。
夕焼け色に染まった両側の木々。
緑色に光り輝くフェアウェー、そしてその奥にひっそりとグリーンが、ある。
「空気が。夕方の空気が美味しいんだよ」
私も大きく息を吸ってみる。
うーん。まあ、いつもの空気。
この大多慶で生まれ育った私が毎日吸ってきた、大多慶の深い緑の匂い。
「みなみちゃんはずっとこの空気を吸ってきたんだね」
あら。おんなじ事考えてたんだ。
「体の隅々まで、浄化される気がするよ」
「ジョウカ、って?」
「キレイになること」
「ふーん。」
正直、なんでゆーだいが感動してんのか、よく分からん。それを言ってみると、
「俺はさ、ずっと東京で育ってきたから。こんな美味しい空気、滅多に吸った事ないんだ」
「ほーん。都会モノって自慢しちゃってんの?」
「ハハハ、違うって。ここの空気は本当に美味しいねって話。そう感じない?」
「知らんわ。生まれた時から今までずっとここだったからさ」
「そっか。羨ましいなあ」
「ハアー? こんなクソ田舎が? ラジオとテレビくらいしかねえド田舎があー?」
「ぷっ よく知ってんなそんな古い歌(笑)」
「ああ、テツさんが良く歌ってっから」
「テツさん?」
「グリーンキーパーの。」
「ふーん。それにしても。キミはさ、ホントにここの人達に愛されてるよね」
急にキモいことを言い出すので、
「ほれ、残り2ホールだぞ。頑張れば100切れんじゃね?」
「いやー、残り連続パーは取れないわ」
「はあ? やる前から何言ってんの! そんなんじゃ今年中に切れねえぞ! よし。今日切れ。今切れ!」
ゆーだいは惚けた顔からキリッとした顔に氷(豹)変し、
「よし。その通りだ。残り、連続パーで上がる。」
そしてゆっくりとティーグランドに向かった。
「いやあー。惜しかったなあ、あと一打。残り5センチ!」
最終18ホールを痛恨のボギーで終え、100ちょうどで上がったゆーだいはマジで目に涙を浮かべて、
「…5センチ… 100切りの道って、こんなにも苦しく切ないものとは思わなかった…」
なんて泣き言言っちゃってる。
あれー。アタシが初めて100切ったのっていつだったっけ。全然覚えてねーわ。今度じーちゃんに聞いてみよう。
それでもマスター室に着く頃には、
「来週。来週は絶対に、100を切る。絶対、だ」
なんて大声で言うもんだから、
「宮崎さーん、何賭けますう?(笑)」
なんて研修生仲間の健人にバカにされてるし。クッシーは
「大丈夫よお。来週こそ、ねえ宮崎さん いひ」
と励ましてくれてんのに、
「この調子なら、来年クラチャン間違いなしじゃん」
研修生仲間の翔太にもバカにされてるし。
なのにコイツときたら、
「うん。頑張る。来週100切る。来年クラチャン取る。そんでキミらも全員プロになる!」
「「そーだー、やるぞおー」」
…ヘタクソ同士は気が合うんだろう…
健人と翔太は18ホールのグリーンでこれから転がすらしい。今日は中々傾斜のキツいとこに切ってあるからいい練習になるだろう。
「あれー、みうはー?」
もう一人の研修生、美羽はどこに行ったんだろ。パッティングを見てあげる約束してたっけ。
「みなみが遅いからもう先に18番行っちゃったよ。」
「そっか、じゃ今から…」
あっ すっかり忘れてたー 今夜はこの後、焼肉じゃん!
「やべ。おーい健人おー、みうに今日はムリー、明日って言っといてー」
「は? 自分で言えよ」
「は? オメーも坊主頭になりてえの?」
「い、いや大丈夫っす、間に合ってます…」
「んじゃ、ヨロ」
「わーったよ。てか、明日? 俺のも見てくれよな」
「あいよー」
ま。ゆーだいよりは教えがいのある奴らだから。まいっか。
従業員ロッカーに向かい、そーいえばこないだ高校のジャージ着て行ってウケたのを思い出す。
「いやいやいや。俺はそんな趣味ねーから」
「そ、そーなん? だって、チャラ男はスッゲー喜んでたじゃん」
「チャラ男? ぷっ リューさん(笑)あの人、特殊だから」
「でも、アタシこんなんしか持ってきてねーし。てか、家帰ってもこんなんしかねーし」
ゆーだいはショックを受けた顔で、
「そ、そうなのか。と、友達と出かけたり?」
「そんな暇あったら練習してるわ。それに服買う金なんてねーし。」
「じ、実家帰ったりするとき…」
「んー、このままジャージでチャリこいで帰ったわ先週―」
呆れ顔で、
「ま、まあいい。ただ、予選会にジャージはまずいと思うぞ」
マジか…って、そーだよなフツー
「ら、来年のお年玉で、服買イマス…」
ゆーだいが吹き出す。
「お年玉って…あ、そっか… キミまだ未成年、だったっけ…」
助手席からゆーだいの右のほっぺをつねり上げる。それにしてもこの車すげー。皮のシートの匂いがたまらねえ。
「いたたたたたた… あ、ここかな」
この町で二番目の焼肉屋。うん。問題なし。
注文を終え、
「そーいえばこないだと車違うんだね」
「こないだのはリューさんの車。大きいからゴルフバッグ3〜4個余裕で入るからさ」
「ふーん。ゆーだいさんの車、なんて車? 外車?」
「そ。アウディってドイツ車。初めて乗ったか?」
「おお、車ってったらじーちゃんのバンか母ちゃんの軽しか知らねーわ」
「そ、そうか。お前もプロになって優勝したら車貰えるだろ。」
「…成る程。免許、取っとくかな…この冬にでも」
「そーしろ。アメリカのツアーとか参戦するなら、車は絶対必要だろーし」
「アメリカ… L P G Aか…」
「ま、その前に。三月からの予選会、頑張らねえと、な」
アタシは冷えたウーロン茶をゴクリと飲みながら軽くうなずく。
ふと。17番ホールのやりとりが頭に浮かぶ。
「そー言えば。ゆーだいさんって、東京生まれの東京育ちなん?」
ノンアルビールを口に含みながらゆーだいさんがうなずく。
「調布ってとこが実家。知ってるか? 中央自動車道が通ってるとこ。あと調布飛行場とか味スタとかある、だたっ広いとこ。」
アタシは首を横に振る。
「で、小学校から早田大学の附属。そこでリューさんと知り合った。」
おおお。さすがのアタシでも知っとるわ、早田大学。私学の竜(雄)な。
「野球は小学生の頃からリトルリーグで。中学から部活入って、大学卒業までずっと」
「へーーーー で、甲子園行ったのってマジ?」
「高二の時。ベンチメンバーだったけど。準々決勝で代打で一度打席に入った」
「そこでヒット打ったんだっけ?」
ゆーだいはギョッとした顔で、
「よく覚えてたな」
「そりゃー、チャラ男があんなに自慢げにペラペラ喋ってたっけ、ねえ」
チャラ男、と小言で呟きゆーだいはクスッと笑う。
「まあ、それより、その坊主頭! 何したんだ? 夜、彼氏とデートして門限破ったとか?」
一ミリ残っていたウーロン茶をゆーだいにぶっかける。
「…いる訳ねーだろ。」
顔にかかったウーロン茶をオシボリで拭きながら、
「え? いないの?」
コイツ。このトングを七輪で熱して鼻つまんだろか!
「だって、みなみちゃん顔かわいいじゃん」
この割り箸をこんがり焼いて、火のついたまま鼻につっこんだろか!
「ちょ、やめろって! いや、嘘じゃねーって。綺麗な顔、してんじゃん。モテんだろ?」
「バーカ。自慢じゃねーけど、女子にしか告られたことねーわ」
「女子ウケも良さそうだな。でも、男子にもモテるだろ? モテるって!」
何こいつムキになって。ムカつく、けど焼肉スポンサーだから少し許す。
上タンがやってきたので、無言で網に乗っけていく。
* * * * * *
…何怒ってんのコイツ。
普通、喜ぶとこだろう、其処は。なのにムッとして口きかなくなるし。ま、黙々と肉焼いてくれるのは素直に嬉しいのだが。
いやいやいや。絶対、普通に綺麗だってこの子。坊主頭なのに不思議に可愛く見える。怒りで耳まで真っ赤になってる怒り顔は更に可愛く思うぞ。
まあ、ウチのみなみには遠く及ばないがな。スマホの待受のみなみを見ながらハーっと溜息をつく。あ。そー言えば、
「てか。スマホ持ってないのか?」
表情が顔からスッと消える。感情が顔から消去される。
「ウチら、ビンボー人はスマホなんて持てないっす。」
それだけ言うと、焼けた上タンを無言で食べ始めた。
貧乏。
正直、俺の周囲に金に困っている友人や家庭環境が無かったせいで、イマイチピンと来ない。小学校から私立だったのでクラスメートは皆金持ち。リューさんとこみたく会社社長なんてザラ。なので、中学の時にはスマホを持っていないクラスメートは一人もいなかった。
私服なんて、自分で買わなくてもシーズン毎に親がアホほど買ってくるのを適当に合わせていたなあ。野球部だった俺は殆ど着る用事も無かったのだが。
卒業後、入社した今の会社の年収は600万円ちょい。それも実家から通っているので貯金残高は貯まる一方。
夏にゴルフ始めたついでに車を購入したが、キャッシュ払い。貯金大分減ってしまったが。
そしてー
今、目の前にある真実にモノが言えない状態の俺である。
目の前の少女はスマホを購入、維持できないと言う。
外に来て行く服を買う金がないと言う。
プロを目指しているのに、使用しているクラブは明らかに誰かのお古である。
目の前の現実―
経験、体験したことのない残酷な真実を前に俺は、彼女の肉を焼く動作をずっと見つめることしかできなかったー
暫くして、俺の様子に気を遣ってくれ、
「あー、まあスマホなくてもそんな不便じゃねーし。それより、ほら、こっち焼けてるよ」
トングで俺の皿に上手に焼いたタンを置いてくれる。
「でもさ。ゆーだいさんとかチャラ男とは、住む世界チゲーって思うよ。だってさ、今コロナで世の中大変じゃん。アタシの親友の子、四月から専門行ってんだけど、授業はみんなリモートでさ、友達も出来なくて半分病んじゃってるよ。そーかと思うと、ゆーだいさんの彼女さんとか妹さん、大学生なのにオシャレしてゴルフして。」
みなみちゃんが呟くように吐き捨てる。俺らが考えたこともない、いや知ろうともしなかった現実世界を突きつけられた気がした。
「幸いさ、ゴルフ関係はコロナ禍で儲かってる方なんだってね。でもさ、アタシの周りにはそうじゃない人たちの方が多い気がする。高校の同級生の子達、ファッション関係に進んだ子はクビになったり自分から辞めたり散々だってさ。旅行関係に行った子達も同じだって。なんだかさ、このコロナ禍って社会のクラス分けテストみたいじゃね、って親友と話したんだ。アタシはD組かな。親友はE組だって。」
上ハラミがやって来る。同時に特盛ライスも…
「モチロン、ゆーだいさんやチャラ男はA組。今、外車乗り回してゴルフやって、キレーな彼女とデートしてる人達。なんか雲の上の存在だよねーって、目の前にいるんすけど(笑)」
瞬く間にライスが半分に減る。今俺に食欲は全く、無い。
「でも逆にね。A組とかB組の人達が今いっぱいお金使ってくれると、ウチら底辺組は少しは潤うんだよねって。だから彼らを羨むのは仕方ねーけど、恨むのは自分の首絞めることになっちまうなーって。だから、さ」
上ハラミが網上から消え去り、上カルビの出番となる。
「毎週、欠かさずゴルフしに来てね(笑)」
思わず軽く吹き出す。そして、俯く。
本当は顔も見たくないんだろうな。
新車を乗り回し、偉そうに焼肉なんか馳走し
封筒に入れた万札を受け取ったこの子はどんな気分だったのか、今よく理解できた気がする。
其れでもー生活の為。こんな俺みたいなのと一緒にラウンドし一緒に食事をせねばならないー
会計を済ませ、外に出るとみなみちゃんが一人星空を見上げている。俺も空を見上げてみる。東京では決してみることの出来ない星々の瞬き。千万の古より届いた小さな光のイルミネーションにしばし時を忘れる。
その星灯りにぼんやりと照らされた後ろ姿に、
「みなみちゃん。正直に言って欲しい」
彼女が静かに振り返る。
「こんな事…したくないよな? 俺、無理言ってたよな? これでお終いにしようか?」
…なんか別れ話を切り出してる感が凄いのだが。当の彼女もポカンとした顔で、
「へ? どーして?」
「さっき言ってたろ? A組とかE組とかって。本当は…その…」
「あー、はいはい」
みなみちゃんは俺の車に向かって歩き出す。
「美香と話した時はさ。正直A組ムカつくーとか思ってたし、実際アンタの顔とか思い浮かんで今度会った時は後ろから打ち込んでやる!とか思ったかも」
何故か運転席のドアにもたれながら、
「でもさ。クラス替えって、ある訳じゃん」
暗がりで目が光るのを感じる。
「選考会勝ち残って、プロになって。そんで勝ちまくれば、こんくらいの車、アタシでも乗れる訳じゃん」
闇の中で白い歯がぼんやりと浮かび上がる。
「来年の今頃。この車、買ってやる。そんで、ゆーだいさんに焼肉奢ってやる!」
まさか。こんな年下のガサツな女子に、感動させられるとは。そう今俺は、猛烈に感動している。努力を惜しまず己の社会的階層を上げてみせる、と宣言するこの十代の女子に感動している。
これまで俺の周りにこんな女子は一人もいなかった。這い上がってやる、なんて発想を持った女子に会ったことが無かった。
努力を惜しまない女子は主に体育会に多数存在していた。だがー今いる環境を抜け出し少しでも上の世界へ飛び込んでやる、と宣言した子は一人もいなかった。
「だから。ゆーだいさんは気にしなくっていいって。それより、さっきも言ったけど、お金落としていってよ、アタシがそっちに行くまでの間(笑)そしたら、アタシも周りも少しは潤うからさ」
物凄く抱きしめたい衝動にかられた。のだが、それは犯罪である。ので、スッと手を差し伸べる。
みなみちゃんは首を傾げつつも差し出した右手を強く握り返してくれる。その温もりがだいぶ冷えてきた秋の夜風を忘れさせてくれる。
* * * * * *
なんか、変な男。
勝手にウツになったかと思えば、勝手に目を潤ませて盛り上がったり。
情緒不安定なのかなあ、なんて思いつつ握った右手を離し、車に乗ろうとする。ゆーだいさんが私のすぐ後ろに立つ。
え… ちょっと待って…まさか?
アタシの右頭の上あたりに気配を感じるーやっぱ背高いなあ、私を見下ろす男なんて、あんまいなかったしー
その辺りに息遣いを感じる。
うわー これってー
まさかー
半身だけゆーだいさんに向き直る。
あーーーー、ダメダメダメ!
この人彼女いるし。ダメダメダメ。
住んでる世界もチゲーし。生きてきた環境も全然チゲーし。
それにゴルフ下手くそだし、口悪いし。
ちょっと優しいし、実は気配りスゲーし。
よーく見ると、ちょっとだけイケメンだし。妹のみなみさん、チョー可愛いし。
ダメだってば。
てか。こんなアタシに、ゆーだいさんが本気になるはずもないか。貧乏でガサツで貧乳でデカくて坊主頭で。って事は、何? まさかのア・ソ・ビ?
何それ、マジムカつく。
そりゃあバカで勉強ムリで背がデカくて足もデカイけど。遊ばれる、なんて論害(外)だ。冗談ではない。プロを目指すモノとして、断じてゆるさ…
「あの、みなみちゃん…」
ゴクリ。まさかの人生初口説かれタイム? ちょ、心の準備が… それに、あんな素敵…ではないけど…彼女がいるじゃ…
私は助手席のドアにもたれかかり、ゆーだいさんと向き合う。こんなに近くで見るのは初めてだ。暗がりでイマイチ顔が見えないが、メチャおしゃれな大人の匂いが鼻をくすぐる。
こんなドキドキするの、初めてかも知れないー体を動かすことも、声を出すこともできなくなっちゃったーただ、目の前のイケてる男性を見上げる事しか…
この胸の鼓動を聞かれたくない! 何か喋って誤魔化したい、でも声が出ない…
いきなり肩を掴まれーたかと思ったら、車の屋根を掴んで。おー、これって一種の壁ドンでは? 車のドアだから、ドアドン? キューン!
「こっち運転席なんだ、けど…」
外車…そっか。左ハンドル、な…
「あのさ。やっぱりスマホ持ってた方が便利じゃね?」
ゆーだいさんが唐突に語り出す。そりゃそーだよ。喉から手が出るほど、欲しいさ実は。
「実は、使ってない去年のモデルのスマホあるんだけど。良かったら、使わない?」
マジ、か?
あなたは、ネ申ですか?
「いやいやいや。そんなの悪いよ、売っちゃった方がいいっしょ?」
「Yモバとか、格安SIM入れれば、月2000円位で行けるだろ?」
ゴクリ。恥ずかしながら、マジ欲しいっす。
「そこまでしてもらったら、彼女さんに叱られるって。やめときなって…」
なんてエラいアタシ。こんな状況でもキチンと気を遣えます。あー、でも欲しいよお…
「陽菜は、関係ないし。うん、そうしよう。来週持ってくるよ。」
「そ、それは…」
「スマホにゴルフのアプリ入れて、スコア管理とかピンまでの距離とか、便利だぞ」
知ってらー。だから欲しいんだよおー
「選考会のエントリーもスマホから簡単に出来るだろ?」
そーなの。チョー簡単に出来ちゃうの。欲しいよおー
「それに、メールでもいいけど、ラインで連絡取る方が、楽だし…」
ですよね! スマホでライン、したいっすマジで!
「だから。どうかな?」
「も、問題ないかと… ぜひ、オナシャス!」
門限10分前に寮に入る。
来週、夢のスマホが手に入る。
風呂に入り、布団に入る。目をつむる。
スマホの事で頭がいっぱいで、来週来るスマホが待ち遠しくて
窓の外が明るくなるまで寝付けなかった…