事を荒立てたくはないんですよ
小学校の頃、私はとんと本を読まなかった。
実家があったのは田舎で、本屋も図書館も無縁。月刊漫画は駄菓子屋に数冊。
そんな私が中学で出会った一人の作家をきっかけに、どんどん読みだすことになった。
子供と大人の軋轢から、名探偵は名家の次男坊からロンドンの老婆、灰色の脳みそ、果てはアヘン窟まで。
後半はライトノベルへ突き進み、殺人事件とファンタジーという偏りまくった読書遍歴。
そうした読書歴を経て、今私の中でネットを介した創作作品たちが熱い。
そして漫画も小説も惜しげもなく投稿してくれる全ての作者さんに、私は全身全霊でありがとうと伝えたい。
ありがとう!!いつも楽しませてもらっています。
日々の活力になっています!
大好きです!!
更新、いつまでも待てます!
そして今、まさか自分の身にまで異世界の波が押し寄せてくることになったこの状況下。
私が落ち着いていられるのは、ひとえに皆さんの作品があればこそ。
かつて、世界初の体細胞クローンとして生まれたドリーを巡って、当時こんな本を読んだ。
『もし、人間のクローンが生まれたら、欧米社会は酷い嫌悪感と忌避感を抱くが、日本人は漫画文化が浸透しているため比較的容易に受け入れるだろう。』
いや、全く。
今まさに、私がそうですから。
お互い向かい合って、瞳のハイライトが消えた目で見つめ合う。
私は心の中で両手を挙げた。全く、正真正銘のお手上げだ。
「私は混乱して、途方に暮れています。現状を把握できていません。ギルフォードさん達がどういう人達で、私の何を危惧しているのか教えてください。」
黄泉路説が消えた今、私はもう何もわからなくなった。
何もわからないのは不安だ。恐怖しかない。
私がまだ死んでおらず、生きねばならないならなおさらだった。
私には助力が必要だ。心底必要だ。
私の情けない物言いに、黒髪美形はギルフォードさんの座っている椅子をガンッと蹴り、彼の事をキリリとにらんだ。
私はその音にビクリと身体をこわばらせ、怯える目をギルフォードさんに向ける。
知らない人の癇癪は怖い。
今怒られたのは私か?イラついてるのは私にか?
イラつきは分かる。話が全く進んでいないんだから。
イケメンは元々苦手だ。この黒髪には、もう決して近づくまい。
「すまない。怯えさせる気はないんだ。俺はこの街の冒険者支援ギルドでギルド長をしている。ここはギルドの3階で、宿になっている内の一室だ。」
私は黙ったまま頷き、先を促す。
パワーワードがてんこ盛りだ。
「倒れているあなたをここで保護したのは、門番から連絡をもらったからだ。ギルドに登録していれば身元がわかるからな。」
「ただ俺たちはあなたの服装に違和感があった。見たことのない服だったがその仕立てが上等だということは分かる。どこかの貴族なのかもとも思ったが、女性の服装ではなかったので、何か訳ありかと思ったんだ。」
……。
森の別の場所では魔物の大発生。身なりは良いが男装している女。しかもぼろぼろで歩いてきた。
うん、あやしいね。怪しさが満点だね。
私が逆の立場なら亡命あたりを疑うよ。
「なるほど。」
私は頷きながらそれしか口に出来なかった。
なるほど。どこから説明したらいいかわからない。
向かいに座る二人は、もう話すことはないとばかりに私の方を見ている。
俺のターン!というわけですね。
「できれば、私を狂人だと思わずに話を聞いてくれるとありがたいです。」
私はそこで言葉を切り、二人の顔を順にみる。
頷いてくれたのはギルフォードさんだけで、黒髪はそのまま見返すだけ。
私は狂ってなどいない!と言い出す奇怪な人間ほど怪しい者はいない。わかる。わかるけど感じ悪いですよ。
「私は貴族ではありません。それどころかこの世界のどこの国にも属してはいません。今までのお話から違う世界から来たとしか、私には考えられないのです。私の手荷物の中に証拠になるような何かがあればいいのですが……。」
「やっぱり!!!!」
私はビクリとして黒髪を見る。
今まで言葉も発さず表情も崩さなかった青年が、キラキラしい笑みを浮かべてこっちを見ていた。
何だこいつ急に怖い
私は怯えを隠し切れずギルフォードさんを見る。
「だから俺の言った通りだったでしょ!?あんな不思議な金具で開け閉めするカバンなんて見たことないもん!まさか本当にいると思わなかった!!渡り人に会えるなんて、すげぇラッキー!!」
私は、面食らって瞠目し、そしてじわじわと頭に血がのぼっていった。
なんと。こいつ。急にしゃべりだしたかと思えば。私の怒りの琴線にゴリゴリと触れてきやがる。
バッグの中身を確認するのは良い。不審者の手荷物検査が必要なのはわかる。
だがラッキーとはなんだ。ラッキーとは幸運ということではないか。
よくも私の前でそんなこと口にしたな。そういえば私のバッグはどこにいったんだ。
そもそも相手の立場に立って考えましょうという道徳の授業はこの世界にはないのか。
沸き上がる気持ちにカーーっと顔が熱くなる。
だが、私は今最高に弱者の立場だ。
我慢だ。
脊髄反射で殴り込みに行くのは若い時で卒業したのだ。
新しい会社でも3か月我慢したではないか。それだって三流チンピラの早死にみたいに終わった。
あれは言ってどうこうじゃない。言ったことで私の立場や評価が危ぶまれるのが問題なんだ。
そして文句の対象者を貶めることにもなるのが問題なのだ。
落ち着け。
少なくとも、相手の向こう側が見えるまでは隠遁すべきだ。
太ももの上で固く拳を握りながら、私は口の端を上に持ち上げる。
私がここにきて失ったものを考えてはいけない。
シンと静まる部屋が、些か気まずさで満ちる。
「ルカーシュ、彼女のカバンをここへ。」
ギルフォードさんの言葉に、黒髪は足早に部屋を出ていき、私はその名前を頭に刻んだ。
ドアに消える姿を目で追っていると、目の前の相手が頭を下げるのが目の端に映る。
「部下がすまなかった。」
私はギルフォードさんに頷くと、彼は痛ましいものを見るように私に目を向ける。
意識して深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
何よりも、何をおいても確認しなくてはならない。
「私は、元の世界へ帰れるでしょうか。」
ここが、分水嶺だ。