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思い込んだらそれしかない

朝ご飯の定番といえば、目玉焼きだろう。


溶き卵に牛乳を入れ、バターでふわふわに仕上げたオムレツも、丁寧に丁寧に、何層にも巻いた出汁巻き卵も、タイマーできっちりと時間を計って作るゆで卵も、昨夜の夕飯の残りの肉じゃがやトリのトマト煮を具して包んだ卵焼きも、それぞれがそれぞれに美味しくて出番の順番待ちだ。


けれど一番短い時間で調理出来て、一人分の分量が正確に一つずつ配膳され、水と一緒にソーセージでも入れて蓋をすれば一気に二品になるという一石三鳥は目玉焼きに限る。

生まれてから実家を出るまで、かけるのはソース一辺倒だった。

私の中のベストオブ目玉焼きは今も変わらず半熟にソースだが、短大の友人の実家で出された朝食で、醤油と出会った。


友人はまずまんべんなく箸で穴をあけ、醤油をたらし、白身を口に運び、炊き立てほこほこのご飯を頬張った。

そして白身が無くなると、まあるい黄身をご飯の上にのせ、ざっくりと割り、皿に残っている醤油をその上にたらす。


美味しいに決まっている。

見ているだけで美味しいのがわかる。


私はしばらくこの食べ方ばかりに傾倒し、そして私の子供たちにも引き継がれた。

最近はハーブソルトが驚きの旨さを秘めていることに気付き、新しい扉が勢いよく開いた。


数多ある卵料理の中の一つ。

その一つに何種類もの味付け。

一つ20円位の食材なのに、展開図のバリエーションがなんと豊富なことだろう。

ありがとう、鶏舎のニワトリ。

ありがとう、日本の衛生技術。

卵は庶民の味方です。



歩き始めて4日目ともなると、無我の境地にでもたどり着いているのではないかと思いもしたが、相変わらず頭の中では色々な事が駆け巡り、ふと気付くと語っている私がいる。


語る私は正直気が紛れて少し助かる。

なぜなら油断すると食べ物のことばかり考えているからだ。食べたいものがいっぱいだ。

でもあえて思い浮かべる一歩を踏み出すことはしない。悲しくなって涙が出るから。



空腹で号泣するおばさん。

これが若い10代や20代ならどうだ。

庇護欲を掻き立て、いくらでも食べさせてやろうじゃないか。え?見返りなんていらないよ。その幸せそうな顔が見られただけでオジサンは満足だよ。となる。


はにかみ笑顔のスーツに眼鏡の愛嬌あるイケメンオジ様が、次に出会うのはこの私だ。

会社に行く時の気合と根性は汗と脂で流れ落ち、腕によりをかけた化粧の片鱗など、もはや微塵もありはしない。


見ろ。

植木屋時代、その若さに胡坐をかき、未来のことなど何も恐れはしないと、二つの夏を素肌のままで過ごした成果を。

黒子が北斗七星のように連なり、その周りには宇宙を思わせる満点のソバカス。

顔色はくすみ、年々吹き出物の治りも悪くなってくる。

寝起きに、清々しい朝の光を浴びた自分の顔を、鏡越しに窓辺で見た時の驚愕は計り知れないものがあった。


いつから!?

一体いつからこんな感じ!?


いくら人のよさげなイケオジだって、眼鏡を直すふりをしながら無言ですれ違っていくよ。

憐みの笑顔を向けてこないだけなんぼかマシだよ。


若さゆえの過ちは、20年という歳月を経てボディブローのように効いてくる。


世の年若き乙女たちよ。心して聞いてほしい。


『陽には当たれ。だが日焼け止めは怠るな』


ビタミンD 欠乏症で骨が脆くなるのも恐ろしいが、シミそばかすのもたらす老けは目に余る。

これはどうあっても厚塗りを余儀なくさせるのだ。

朝の稼働時間の短縮。

引き算の化粧など、素肌が美しいからこそ可能なんです。

さぁ、リピートアフタミー。

陽には当たれ。だが日焼け止めは怠るな。


今日はこれだけ覚えて帰ってください。





立ち止まる時間が増えた。

私は足元の黒のパンプスを見るともなしに眺める。

黒のスエードは、もはや細かな砂でベージュ色になっている。

足の甲は靴の淵の形のまま赤く擦れ、血と浸出液でぐじゅぐじゅだ。

高かったジャケットとパンツは、色味がアースカラーな為か草の汁や砂ぼこりなどはあまり気にならないが、中に来ているカットソーが致命的だ。白は、もう白ではなかった。


ああ。寝転がりたい。


そう思うのと、歩かねばならぬという強迫観念がせめぎ合っている。

寝たい 歩く 寝たい 歩く 寝たい 歩く 寝たい

私はのろのろと歩き出す。

立っているだけの方が、足の痛みが増すからだ。


森の切れ目は唐突だった。

両脇を木々がひしめいている圧迫感が急になくなる。

道は遥か先まで続いているが、それ以外には小川と見渡す限りの草原が広がっていた。

美しいと思った。

陽の光を反射する若草色の草原には、ちらちらと紫や濃いピンク。

背の高い三角形の形状はルピナスだろうか。


そもそも、これだけの平地。

日本で山が見えない平地など、北海道位しかないのではないのか。

では、私は飛行機に乗ったのか。寝ている女を連れて、はたして搭乗させることなどあるのだろうか。


そこまで考えて、ある可能性に気付いてしまった。

一度目は即座に否定した。

だが何度否定してみても、これまでの私の行動が肯定すると腑に落ちてしまう。


これは、四十九日の道行きなのではないのだろうか、と。


人は、死ぬと極楽浄土を目指し、四十九日かけて閻魔様のところまで歩く。

歩きながら、今世へのしがらみを少しずつ捨てていくのだ。

色々な事を考えながら、ここまで歩いてきた。

今はまさに三大欲求とたたかっている。


ああ、と思った。


涙が、何の苦も無くぼろぼろと零れていく。


ああ、そうか、と。


私の人生の最大の課題は、『うっかり死なない』ことだった。

点滅する横断歩道を走って渡ることはなかった。

ビルの工事現場沿いも極力避けて通っていた。


石橋を叩くように生きてきたのは、少しでも長く子供たちと共に生きたかったからだ。

こんな見たこともないような土地まで来てしまっては、傍で見守ることもできやしない。


膝から崩れるように、地面に手をつく。

今まで考えないように、慎重に蓋をしてきた記憶が、まるで堰を切ったように流れてくる。

喉が引き攣れるような悲鳴が漏れた。


森と草原の境で独り、私は蹲って慟哭した。




それからは、ただ無心で歩いた。

もう、心の声も聞こえてはこなかった。

空腹も感じず、暗くなっても歩き続けた。

いつ眠ったのか、転倒したような恰好のままで眠り、目覚めるとまた起き上がって歩いた。

そのまま目を瞑り続けようという気には、なぜかならなかった。


不思議なことに喉は乾いた。

私は水ばかりを飲んだ。



前方に、何かあると気付いたのは偶然だった。

高い空を見上げた拍子に、違和感に気付いたのだった。

近づけば近づくほど、違和感は大きくなった。


道の向こうに建造物が見えていた。

でもそれは、日本の民家でも、ましてやビル群でもなかった。

地方誘致の工場でも、個人所有の管制塔でもなかった。


例えるなら壁だ。

それも、大きな街をぐるりと囲むような、随分と高い壁。

その向こうには赤茶色の屋根と白い壁の建物がひしめいている。

私は既視感を覚えずにはいられない。

知っている。見たことがある。

これはチェコとか西欧の街並みだ。


私は仏教徒だ。たどり着く先は閻魔様ではないのか。

ヨーロッパではインドも越えてしまったことになる。

ガンダーラもびっくりではないか。

国内のみならず、仏陀の聖地すら飛び越えて、私の魂はどこへ向かおうというのだ。


ぽかんと口を開けながら、そびえ建つ塀を見上げる。


いやいや、まてまて。


私はインド、ネパールの建物を知らないではないか。

これはきっと、聖地(日本支社)に違いない。

仏教徒の世界人口は5憶人くらいいたはずだ。

全員インドに行ったら魂が溢れて捌ききれない。

言葉の問題もあるはずだ。


それに私は海を渡ってきていない。小川は渡ったけれど。

あれ。まってまって。

あの川は三途の川じゃないよね?

いや、舟に乗っていない。六文銭だって持っていない。

じゃぁ、多分メイビー大丈夫。きっと同郷の徒が、私をしかるべき場所へ優しく導いてくれるはず。



その時、道から続く門らしきところから、人影が2人出てくるのが見えた。

1人は手に長い棒を持ち、1人は腰のあたりに手を伸ばしている。

その伸ばす手の先の見知った形状に、ざわりと背筋の皮膚が泡立つ。


剣じゃん!!それも西洋の形じゃん!!


恐る恐るその表情に目を移せば、その彫りの深さが明らかに日本人ではない。

さらに言えば、日本のインドカレー屋を営んでいる全ての店員系の顔でもない。

西欧の顔つきだ。


「もう、だめだぁぁぁ。」


私の意識はそこで途絶えた。

自分の台詞が、ノリオボイスで脳内にこだましていた。






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