わたしの恋人はなんかおかしい
「佐東海です。法律事務所で事務員をしています。よろしくお願いします」
イケメンだ。
それがわたしの彼への第一印象だ。
大きな目に小さな顔で、どちらかと言えば童顔の可愛い系に見えるけど、キリっと眉尻が上がった濃い眉毛が可愛い指数よりイケメン指数を上げている。
5人いる男性の中では断トツでかっこいい。まあ、わたし基準だけど。でも一般的にもそうだと思う。
イケメンな上に法律事務所勤務とくればこれはモテるな、と思った。
会社の後輩から誘われた――ドタキャンによる人数合わせの――合コンでの席。
わたし以外は同世代の25、6歳の男女だと知ると、なんだかいたたまれなさが生まれてくる。
たかが3歳差。されど3歳差。
年下である彼らの交流に入ることより、飲み食い重視に路線変更した。
お酒も進み会話も進み、5対5の合コンはそこここで盛り上がっている。
わたしと、佐東海以外は。
そう、佐東海。
意外や意外。彼はテーブルの隅で一人で飲んでいた。
彼の対面にいるわたしの後輩は、彼の隣にいる男性に視線を向けてニコニコと笑いかけている。
ちょっと待て、後輩よ。君の目の前にいるのは、君好みのイケメンじゃないか。君のイケメンセンサーにも引っかかったはずだ。
どうした、照れてるの!?
それとも、そういう駆け引き!?
わたしには高度過ぎて分からないんだけど!?
戸惑うわたしに気付きもせずに、席替えにて後輩は佐東海の前の席をあっさりと空けた。
なぜか誰もそこに座ろうとしないから、自動的にわたしがそこに座ることになる。
目の前の彼にヘラヘラ笑いながら会釈する。
彼は少し目を開いて驚いたけど、同じように会釈してくれた。
「佐東さんはもしかして、今回の飲み会って乗り気じゃなかった?」
せっかく前に座ったし、イケメンと会話したいと思って話しかけてみる。
後輩はずっと彼を無視するような感じだったけど、彼もまた女性陣への興味が薄いように見えた。
好みの女性がいなかったとも考えられるけど、もともと乗り気じゃなかったとも考えられる。
なんとなくそう思って聞くと、彼はなぜか驚いた。
え、そこまで驚く?
「いえ……まあ、実は……」
気まずいのか視線をさまよわせつつ、彼は答えた。
そして、わたしのことを探るような目で見る。その視線の意味はなんだろう。
「え、っと……」
名前覚えてないんだな。
「あ、穂高千智です」
「あ、すみません」
謝る彼に思わず苦笑する。
「わたしはね、人数合わせで来ました。あの幹事してる子と同じ会社なんですよ」
わたしに興味なんてない相手に話しかけてもいいのかな、なんて思うけどせっかくだから。
なにがせっかくかっていうと、イケメンと話すのが。
こんな機会ないから、会話に付き合ってくれないかなーなんて思ったりするわけですね。
「佐東さんは法律事務所で働いているんですよね?」
話しかければ、また軽く驚く。
いや、いちいち驚かないでよ。
「え、まあ……。そうですね」
「法律事務所の事務っていうと、なんか特別な知識とか必要そうですよね」
「あ、いえ……。まあ……、でも、それも仕事しながら覚えて行けばいいので」
いちいち驚く人だな。人見知りとかコミュ障ってやつかなーなんて思ってたけど、少しすれば慣れたのか普通に会話が出来た。
仕事とか当たり障りのない会話だけど。それでも案外普通に話せたのが、なんか嬉しかった。
イケメンだし、乗り気じゃないし、こっちもそれで気後れしてたってのもあったから、普通に会話できただけでなんか嬉しくて。
お酒も入って、少し気が大きくなったってところもあって。
わたしから言って、連絡先を交換してもらいました。
そのときも、なんか戸惑ってるみたいだったけど断られなかった。
それでもそのときの様子で向こうから連絡は来ないと思ったから、自分からしてみた。
またご飯でもどうですか? なんて送ってみて。
適当にかわされるかな、と思えば誘いに乗ってくれた。
誘われると断れないタイプか?
それから、わたしが探して予約した店で会った。
そのときも彼はどこか一線を引くというか、なんかこっちの様子をうかがう感じもあったけど――。なんで誘われたんだろう、とか思ってんのかな。
それもやっぱり最初だけで、あとは普通に話した。
仕事の話とか、趣味のこととか。
彼は子供のころからプランターで家庭菜園をしているらしい。
プチトマトやナス、イチゴなんかも作ったことがあるそうだ。
なにかを自分の手で作ることが好きで、料理もよくしているらしい。
野菜の成長過程もついつい撮ってしまうらしく、スマホの中の写真を見せてくれる。嬉しそうにずっと話してたけど、急に我に返ったのか照れ始めた。
「なんか、すみません。こんな話して」と照れてるところが可愛いな、なんて思った。思ってしまった。
嫌な空気も出さずに、そんなふうに話してくれるから。
だから、また誘った。
そしたらまた誘いに乗ってきた。
何回か夜ご飯を一緒にして。
話題の映画の話になったから「一緒に観に行く?」って誘ってみれば「行きましょうか」って言ってくるし。
昼間に一緒に映画見て、そのままご飯も食べて。
彼は普通にいい人っぽかった。
イケメンなのにそれを鼻にかけるわけじゃなくて。
こっちの仕事が大変そうだと気遣ってくれて。
イケメンなのに。イケメンなのに!
普通にいい人で、優しくて、可愛い。
これは、なんか……大丈夫かな。
ハマっちゃいそうで怖いんだけど。
……騙されてるのかな。からかわれてるのかな。後で大どんでん返しがあるのか!?
いや。単純にただ断れないタイプってだけだと思うけど。
わたしが誘ってるだけだし。向こうから誘われないし。
メッセージアプリのやり取りだって、だいたいわたしからだし。
向こうにとっては好きとか嫌いとかじゃないとは思うけど。
調子に乗ったりしないけど!
わたしがどこかでケジメをつけないととは思うけど……なかなか、踏ん切りがつかない。
ご飯を食べたときに次に会う約束をするようにまでなって……自分の中で色々と考え始めたときに聞かれた。
「俺を誘う理由ってなんですか? 本当はなにが目的なんですか?」
「……え?」
それ聞く!? それ言わせる!?
これだから年下男は!
これはもう年上の、大人の女としてうまい返しを
「好きです、付き合ってください!」
どストレートだった。
駆け引きも、うまい返しでもない。
考える前に出た。ただのストレート。
あーっ! 自分で言うつもりじゃなかったのに!
恥ずかしくて彼が見れない。
「へ?」
間抜けな声に、思わず顔を上げる。
彼は驚いていた。大きな目をまん丸に開いている。目が落ちちゃいそう。
「え、あ……そういう……えーっ……」
そこまで驚く!? これだけ会ってて、そこまで対象外だった!?
ちょっと待って。さすがにヘコむ。なんか、むちゃくちゃヘコむ。
あー……少しは、いやかなり可能性あるかなって思っちゃってたんだ、わたし。
調子に乗らないようにしてたのに……情けない。恥ずかしい……。
「……なんか、ごめん。こんなこと言われても困るよね。うん、ごめんごめん! いや、全然気にしないで! じゃあ、そういうわけで! 解散!!」
回れ右して駆け出そうとすれば、足がつっかえた。
腕を掴まれたせいだ。
「ごめん!」
彼が叫ぶ。
ちょ、分かってるから! 改めてフるのはやめて!!
「違う、ごめん! いや、そうじゃなくて!!」
そうじゃないって、いや分かってるから!
腕離してくれないかな!?
恨みを込めて振り返れば、彼の顔は真っ赤になっていた。
「……へ?」
彼はわたしの腕をつかんだまま頭を下げた。
「あの……よろしくお願いします」
……え、これなに。
これは、え、つまり……。
「こちらこそ……」
わたしまで真っ赤になった顔を隠すように頭を下げる。
こうして、わたしたちのお付き合いはスタートした。
▽ ▽ ▽
彼は釣った魚に餌をやるタイプだった。
今までのことが嘘みたいに、海から連絡が来るようになった。
ご飯も海がお店を考えてくれたり、行きたいところを一緒に相談するようになった。
今まではわたしが行きたいお店だったり場所を考えてプレゼンして、それで一緒に行く感じだったのですよ。それで嫌な顔をされたことも断られたこともないんだけど。
それが一緒に考えるようになったっていうのは嬉しい。
海もわたしに興味があるみたいに見えるし。
そうして一緒に過ごしているうちに、なんか少しおかしなことが起こるようになった。
例えば、海がうちに泊まった次の日にデートに出ようとしたときに、家の鍵が見つからないときがあった。
「なにしてんの」と海は呆れた顔をして一緒に探してくれた。そして、ローテーブルの下から鍵を見つけてくれたんだけど……。
そこはわたしも何回も見たところだ。わたしが見たときは確かになかったのに。
……まあ、何度見ても気付かないときってあるか、なんてそのときは思った。
例えば、映画を観に行ったとき。
わたしが前売り券を家に忘れてしまって慌てていると、なぜか海の財布からチケットの入った封筒が出てきた。
「千智は忘れそうだから、俺が預かってた」なんて言っていたけど、わたしは前日にその封筒を確認したはずだった。
ちなみに海はその日、家には来ていない。
それでもチケットはここにあるわけで……スッキリしないながら、それでも納得するしかなかった。
例えば、雨に降られたとき。
急な土砂降りの中で、閉まっていたお店の軒下に逃げ込んだ時があった。
それでもハンカチで拭けばいいだけの、少し濡れた程度の被害で。
「あんまり濡れなかったね」とそのときは笑いあっていた。
少し待てば雨は止んで、そのときに隣の店にも雨宿りをしていた人がいたのが分かった。
彼らはずぶ濡れで、あの急な土砂降りだとその濡れ方は当然で……むしろ、この土砂降りでここまで被害がないわたしたちのほうがおかしいくらいだ。
それを海に言うと、「そう?」と軽く返されただけだった。
例えば、居酒屋で飲んでいたとき。
お酒のグラスを取ろうとして、刺身用の醤油が入った小皿に服の袖が浸かってしまった。
しかも白のニットを着ていたから被害は大きい。
すぐに拭いたけど、醤油のシミがそう簡単に取れるはずもない。
自分がドジったのが悪いんだけど、そのときは無茶苦茶ヘコんでしまった。
あまりにわたしがヘコんでたからか、「ほら、これで拭いたら目立たなくなるんじゃない?」と海はハンカチで汚れたところをポンポンと優しく拭いた。
水で濡らしたわけでもない、普通のハンカチだったと思う。
それなのに、醤油のシミがあっという間に落ちた。
そんな簡単に消えるようなもんじゃないはずなのに。
「これで全然分からないでしょ」
驚くわたしに、海は内緒話をするように言った。
なんかおかしいと思うようになってしばらく経って。
わたしの家に一緒にいるとき。
今日は映画館で見そびれた話題作を借りてきて一緒に見ることになった。
ファンタジーもののアニメ映画。主人公は魔法使いの男の子。
観賞用に色々とローテーブルの上に準備して、ソファの下に座る。
レコーダーにDVDをセットした彼は、わたしの体を足で挟むようにソファに座ると、足でローテーブルを前へとずらした。
「ちょっと行儀悪いよ」
「いいから。はい、前詰めて」
「はいはい」
言われたとおりにローテーブルがずれた分だけ前に詰めると、彼もまた床に座り込む。
わたしの体を足の間に挟んだままだ。そのまま背中から抱きしめられる。
「狭いんですけど」
口だけの文句を言えば「はいはい」とかわされる。
いつものやり取りだ。なんとなくこのやり取りは無くせなくて、わたしはいつもソファとローテーブルの間は一人分のスペースしか開けていない。
DVDが自動再生された。
ただ音がちょっと大きくて気になる。
リモコンを探すけど、不覚だ。
完璧な観賞セット――お酒、お茶、お菓子、おつまみ。泣いたときようにティッシュ箱にゴミ箱――を用意したつもりだったのにリモコンを忘れてた。
「え、リモコンどこ!?」
「なにやってんの。観賞セットは完璧とか言ってなかったっけ?」
「いや。海も気付いてなかったんだから同罪でしょ」
「観賞セットの用意は千智の管轄だから」
「なに、その管轄。ってか、どこ置いたっけ?」
キョロキョロと部屋の中を見渡せば、テレビ台に乗っていた。
君がそこにいても意味がない!
「海、取ってきてよ」
「やだよ」
「なんで、いいじゃん!」
「俺、もう動けないんで」
そう言って回した腕に力をこめると、わたしの肩に頭をグリグリさせる。
髪がくすぐったいし、なんか痛いし!
でも、わたしも取りに行くのはめんどくさい。
腕を伸ばして「来い来い来い来い」とか言ってみる。
いや、これでリモコンが飛んでくるわけないけど、悪あがきっていうか、なんというか……。
それなのに。
ローテーブル上、わたしの手が届く範囲に、
リモコンは飛んできた。
「え?」
呆然とリモコンを見る。
ちょっと待って。
え、飛んだ? リモコンが飛んできた?
「千智、本編始まった」
DVDの予告映像が全部終わって、確かに本編は始まってるけど……。
「ちょちょちょちょちょ……」
「なに言ってんの?」
言葉にならないわたしに、呆れた声が返ってくる。
「いや、あのね!」
無理やり体を離して振り返れば、彼は笑っていた。
試すような。
怯えてるような。
「と、んできたよね?」
「映画、始まってる」
「う、ん」
テレビに視線を戻す。
荒れた海に、轟く雷。ひっそりと聞こえてくる声。
なにかが始まる予感をさせるもので期待も煽るけど、それよりも!
また振り返る。
「え、海のしわざ? だよね?」
なんか今までの違和感が続々と浮かぶ。
見つかった鍵だったり、
映画の前売り券だったり、
土砂降りの中のことだったり、
醤油のシミが落ちたことだったり、
他にも色々。
「映画見ないの?」
そう言う海はなんだか逃げているみたいだ。
「それどころじゃないから!」
「いいから、いいから」
海はわたしを抱きしめる。
ぎゅうぎゅうとしがみつくみたいに。身動きが取れなくなる。
視界に入った画面の中で、主人公が魔法を使う。
魔法……。
「もし俺も魔法が使えるって言ったらどうする?」
「え?」
振り返ろうとみじろぎしても、海の腕の中から離れられない。
せめて顔を見たいと思ったけど、海はわたしの肩におでこをのせていて全然見えない。
海はそれ以上なにも言わない。
魔法モノの映画だから冗談で言っただけ、と思える言葉を投げたっきり、わたしの反応を待っている。
「あー……なるほど」
思わず漏れた言葉に、海は苦笑したようだ。
「なるほどって……」
だって、なるほど、って納得しかできないんだけど。
むしろパズルのピースがはまっていくみたいにスッキリした。
海はおそらく『魔法使い』で。
わたしに魔法を小出しで見せていた。
そうして少しずつ少しずつ魔法使いであることを受け入れるように慣らされていた。
だからこその、この納得感。
いやー実に……
「海ってずるいわ」
「なにそれ」
「なんか外堀を埋められた感が強い」
「意味分かるような分からないような……。それで?」
「それで、って?」
「俺が魔法を使えるって言ったらどうする?」
その質問、まだ生きてたの。
どうするって、そりゃあ……。
「一緒に箒にまたがって空を飛ぶ!」
ちょうど画面の中では、主人公が初めて箒にまたがり空を飛んでいるところだ。
誰だって一度は、子供の頃にこの姿を夢見たはずだ。
わたしだって何度挑戦したことか。
しかし、そんなわたしの夢に、海はふはっと息を吐いて軽く笑う。
「なんだ、そんなことか……」
「そんなことって、誰でも一度は憧れるでしょ」
「もう大人なんだから、もっと俗物的なことを言うと思ってた」
「俗物的って……宝くじで三億円当てたいとか? え、そういうのも可能なの?」
思わず振り返る。今度はちゃんと振り返れた。
「三億円! 三億円欲しい!」
そう言うわたしに、海は「俗物め!」と暴言を吐いて、今まで見てきた中で一番嬉しそうに笑った。
そして、今度は正面から抱きしめられる。
「そういうのは出来るけど、やっちゃいけないことだから。ってか、犯罪になる」
「え。そういうもんなの」
「そういうもん」
「じゃあ、空を飛ぶのは?」
「それは大丈夫。一緒に飛べるよ」
コツン、とおでこを合わせる。海の高い鼻が、わたしの鼻に触れた。
「海は魔法使いなの?」
二人しかいないのに、内緒話をするように声が小さくなる。
改めての確認に、海は目を細めて笑った。
「まだ内緒」
なんだそれ、と言うのを防ぐみたいに、彼の唇がわたしのそれに触れた。
三日後、わたしは初めて箒にまたがり空を飛ぶという子供の頃に見た夢を叶えたのだけど、それはまた別のお話。
→彼氏視点「俺の恋人はなんかおかしい」