第四章 本当の気持ち
さて、冬休みに入って数日が経ちましたが、北海道の冬休みは夏休みよりは長いです。
内地とは逆ですね。
雪が今まで無くて異常でしたが、ようやく雪が降って積もり、寒いですちくしょう。
しかもバイトも始まるので、嫌でも外に出なければいけないです。
さて、今回はちょっと長いかもしれないです。
チハと桐嶋。仲の良い兄妹ですが、題名の通りにチハは己の真の気持ちに気付かされます。
そして、遂に敵上陸―――
色々な意味で緊迫する内容。ぜひご覧ください!
――妹は兄のことが大好きでした。
――兄も妹のことが大好きでした。
二人はお互いを支えあって、助け合って生きてきた。
しかし二人には残酷な運命が待ち受けていた。
……泣いている。
頬にぽたぽたと温かいものが落ちてくる。
それは兄の涙だった。
冷えた床に倒れていた自分は兄に抱えられ、抱き締められていた。
それは空気が冷える寒い冬の日。
雪が降らない地の寒い冬。
兄は何度も自分の名前を泣き叫んでいた。
自分も、その瞳から一筋の涙を流した。
兄が悲しむと、自分も悲しい。
だけど涙はその一粒しか出なかった。
目の前で自分を抱えて泣いている兄はぼろぼろと涙をこぼしているのに。
―――お兄ちゃん、泣かないでよ……―――
兄が何故泣いているのかわかっているつもりだった。だけどそう言いたかった。
わかっている。
兄の流す涙は自分に関係したものだ。
涙を流すといったら、悲しいこと。
だから、自分が関係した兄の涙は悲しいことで流れている。
長くない。
それだけがはっきりとわかる。
なにが、長くないのかも。
冷たい空気の中で、兄は自分を抱えて走る。
どこまでも走り続ける。色々なところを走って回る。
兄に抱えられていると、暖かいと呑気に思う自分がいた。
嬉しいという感情もあった。
でも、長くない。
この時間も、この瞬間も、すべてが、長く続かない。
それが、悲しかった。
兄の悲しむ表情が、悲しかった―――
●
世界の歯車が軋む。
すべての世界を殺戮と略奪の渦に巻き込んだ歯車は止まったはずだった。
しかし、また別の歯車が、軋みだして動いた―――
冷たい海で、白波を揺らせる鋼鉄の塊が野心のままに歯車を回しながら向かっていた。
上下に揺れる塊。
そのマストに翻るのは、己の野望を成就するためなら手段は問わない、革命と結束のために流す血を象徴した赤い旗。
それが不気味に、潮風に揺られて靡いていた。
占守島。
北海道の東北に連なる千島列島の最北端に位置し、根室の東北約1200kmにある、東西20km、南北30km余りの小さな島。
海抜200km未満の丘陵と沢沼地・草原が入れ混じり、樹高約1mぐらいの這松や榛の木が群生している。
周囲を太平洋とオホーツク海に囲まれ、夏季は15度、冬季でもマイナス15度くらいの気温。夏季には濃霧が発生し、冬季には猛吹雪が島に降りかかる。
島には戦時中にアメリカの侵攻を予期して日本の陸海軍兵が配備されている様子。
同志スターリンが提案した北海道北部の占領計画に基づくためにはこの島を上陸・強襲占領することが先決である。
この島に居座る日本軍を撃滅し、我らの血と肉を以ってこれを占領。続いて北海道北部占領の足がけとする。
同志諸君、人民に栄光をもたらす平等な世界を与える素晴らしき社会主義の血の結束の下、その世界の構築のために奮闘せよ。同志諸君の健闘をここに祈る。
同志スターリンに万歳。
我らの結束に栄光あれ。
以上。
●
十六日にお偉いがたから「日本は八月十五日に無条件降伏した」という話を聞いて、次の日から島の陸海軍共々、敵の上陸に備えていた武装の撤去を開始した。
この島にいる兵たちの多くは、ノモンハン事件や撤退したガタルカナル島の生き残りの兵士だったため、実際に日本がどんな状況下の戦争をやってきたのかは身に染みてわかっている。
だからこれも予想できた者は何人いるだろうか。
同時に、もし戦争に負ける前に、敵が上陸して戦うようなことになれば、この島を守るのは正直言って自信はあった。何故なら陸海軍揃って経験豊富な兵士が多数含まれるし、なんていったって陸軍には精鋭の戦車連隊だっているのだ。
今まで遂に一度も戦うことはなかったが……。
戦争は負けた。しかし戦争は終わったということにもなる。
片方は悪い意味。しかしもう片方は良い意味だ。
しかし武装解除の準備に取り掛かった途端、桐嶋はどちらとも悪い意味としか捉えられないことになりつつあった。
何故なら、戦争が終わって武器もいらなくなった。すなわち、あいつともお別れだ。
今まで忘れていたかもしれない。そう、妹は―――兵器だった。
どこの戦車とも変わらない、一輌の戦車。
桐嶋はまた妹を失う。
武装解除の準備に取り掛かった日、戦争が日本の敗北によって終わったことを知らされた日の次の日、その夜、桐嶋はチハとともにその時間を過ごしていた。
広い緑に鎮座した九七式中戦車。それが彼女だった。
名も知らない虫が緑のどこからか凛と鳴る中、二人は車体に身を預け、チハは桐嶋に寄り添っていた。
朝になればこの戦車からも車砲や無線機の取り外し、機銃も外される予定だ。すなわち、部分的に彼女はその存在を削られ、最後にはなくなる。
そしてチハの最後の願いは、大好きな兄といることだった。
「ねえ……お兄ちゃん…」
隣から桐嶋に寄り添うチハは尋ねる。
「なんだ、チハ」
「…どうして、ボクをここに置いてくれたの……?」
「え…?」
桐嶋はチハのほうに視線を移す。チハはチラリと自分の身体である車体を一瞥する。
「『ボク』のことだよ。 なんで『ボク』をここに配置したの?」
「ああ……」
『ボク』とは、本体であるこの戦車のことだと気付く。
「ここ、なにもないところなのに……」
確かに鎮座している車体の360度はなにもない。すこし斜面になっていて山ではあるが、身を隠すところもない。普通は背の高い草の中や岩塊の中に置いてさらにカモフラージュするのが敵の目に見つかることなく配備する場所には適している。しかし岩塊は僅かで、平面のような緑が広がるだけだ。
もし敵が来たら一番に見つかる。
「いや……」
桐嶋は、平然と答えた。
「こういうところが喜ぶかなと思って……」
「え?」
「いや…。だってさ、岩塊の間なんかに置くなんて窮屈で可哀想だろ。ここは全部緑だし、いいところじゃん」
「………」
チハは、ぱちくりと大きな瞳をさらに大きく見開いて兄の変わらない表情を見た。
そして呆れたようにクスリと微笑んだ。
「お兄ちゃんらしい……」
「そうか?」
「うん。 ホント、お兄ちゃんがボクを見えるようになる以前から、ずっと前からそうだったね……」
桐嶋は本当に自分を大事にしてくれていた。だから自分は彼を兄のように慕うようになった。
「まぁ、な……」
あまりの戦車に対する桐嶋の姿は仲間たちにも変な目で見られてきた。
それは桐嶋も自覚していたのでわかっていた。
桐嶋はほのかに頬を灯した。チハはそんな可愛い兄をクスクスと微笑んで見詰める。
そんな可愛い、愛しい兄―――彼を、見詰める。
チハは最近仲が良い摩耶との会話を思い出した。
「チハちゃんは時雄さんのことどう想ってるのですか?」
「………………」
いつものように、演芸会以来話す機会が多くなった摩耶とチハは二人で女の子同士で話していた。
桐嶋は二人から離れた距離にいた。
二人は桐嶋のほうを見ると、桐嶋がこちらの視線に気付いたのかこちらに顔を向ける。チハは慌てて視線を逸らし、摩耶はそんなチハのほうに視線を移した。
「ま、摩耶さんっ? い、いきなりなんなのですか……っ?」
「ふふ」
チハの動揺ぷりに摩耶はクスリと笑う。
「お、お兄ちゃんはボクの……大切なお兄ちゃんですっ! もちろん大好きですよっ?!」
「それは妹として、ですか?」
「そ、そうですっ! それ以上でもそれ以下でもありませんっ」
顔を赤くして動揺気味にぷいっと顔を逸らしたチハ。摩耶はそんなチハをジッと見詰めて目をキラーンと輝かせた。
「ふぅん。 それでは私が時雄さんをもらっちゃいましょうか」
「えっ!?」
凄い勢いでグルリと顔を向けたチハは驚愕の表情で顔を青くしていた。
「私がチハちゃんのお姉ちゃんになってあげます」
天使のような優しい笑顔を輝かせた摩耶だったが、チハは顔を青くしたまま慌てるようにして口を開いた。
「だ、駄目ッ! たとえ摩耶さんだろうとお兄ちゃんは誰にもあげませんっ! 摩耶さんがボクのお姉ちゃんになってくれるのはもちろん嬉しいけどそれとこれとは話が別ですっ! お兄ちゃんはボクだけのお兄ちゃんだもんっ! 誰にもあげないもんっ!!」
あまりの必死さに、摩耶は面喰らったような表情でチハを見詰めていた。
言い終えると、チハはゼェゼェと荒い息を吐いて肩を上下に揺らしていた。
そんな彼女の本当の気持ちを見抜いた摩耶は、優しげな笑みを漏らした。
「冗談ですよ」
「…え?」
「誰もチハちゃんの大好きな人を取ったりしません」
「そ、そうだよっ! お兄ちゃんはボクだけのものなんだからねっ!」
「……チハちゃん」
「な、なに?」
「……チハちゃんは、本当は時雄さんのこと」
摩耶の声が静かに通った。
「一人の女性として、時雄さんのことを想ってるんですよね」
「………」
サァッと二人の間を草を揺らす風が吹き抜ける。
摩耶の巻き毛が揺れ、チハの短い前髪がぱたぱたと靡いた。
つかの間の静寂、二人の少女はお互いの瞳を見詰め合う。
「い、嫌だなぁ……摩耶さんったら。なに言ってるのかわからないよ……」
「大好きなんですよね」
摩耶の優しげな声にビクリと震える。それは核心を突かれたような感覚。さっきみたいに「妹として兄を」ではなく、本当の気持ちに気付かされたことによって、震えてしまった。
「………」
コクリと、頷いていた。
「やっぱりそうでしたか……。 だって、チハちゃんが時雄さんを見ているときの目、妹として兄を見ている目じゃない……」
摩耶のいつまでも続く優しげな声が紡ぐ。
「――恋する乙女の目です」
「……………」
彼女は、とっくに気付いていた。
実は出会ったときから。仲が良さそうな二人を見たときから、彼女は気付いていた。
それは兄妹を超越した先の場所。そもそも二人は本当の血を分けた兄妹でない。本当の兄妹のようであっても、実質他人であって、その感情の行き先は予期できたものだった。
「同じ女の子です。簡単にわかりますよ」
摩耶はニコリと微笑む。
そう。チハ自身もずっと前からわかっていた。ただそれを隠していただけだった。
彼女はずっと以前から彼を慕い、ともに同じ時間を過ごしてきたのだ。
その気持ちは、時が過ぎるたびに膨れ、やがて隠し切れないほどに大きくなった。
「気持ち、伝えないのですか?」
「……だって、ボクは…」
今まで兄妹のように過ごしてきた二人。実の妹を失った彼。そして新たな妹となった自分。
――そして、ボクとお兄ちゃんとは決定的な違いがある――
――それは、ボクは兵器であり、お兄ちゃんは人間であるということだ――
――その境目は決して消せるものではないと、知っていた――
「そんなことないですよ」
摩耶の優しい声が、届いた。
見上げると、摩耶の優しげに微笑む表情がそこにあった。
「チハちゃんはずっと時雄さんと過ごしてきた『時間』があるじゃないですか。 二人で生きてきたという『事実』が。 だから、そんなの関係ありません。 その先を超越した先に、恋はあるのです。 だから、チハちゃんは恋しているのです」
「……恋」
「私なんかが埋め合わせることもできないほどの時間をチハちゃんは時雄さんと過ごしてきました。だから、自分の気持ちに素直になってみてください」
「自分の気持ちに、素直に……」
「ええ。 自分の気持ちに素直になれば、道は開けると思うんです」
摩耶のニッコリとした笑顔を、チハは天使の笑顔を見た。
「下の名前で呼び合えるほどになっても、やっぱり過ごしてきた時間の差にはかないません」
摩耶の小さな声が紡がれる。
「それに私は、チハちゃんが大好きですから」
チハは目の前にある彼女の瞳を見詰める。その瞳はとても優しげで、そして―――
「…うん。ボクも摩耶さんが大好きだよ。ありがと、摩耶さん……」
「お礼なんていりませんよ。 私たち、友達ですから…ッ」
摩耶はチハの小さな身体を抱き締めた。その華奢で細い身体を抱き締める摩耶は笑顔だった。だけど、こんな自分と大して変わらない、むしろ自分より年下のような女の子が兵器だなんて未だに信じられないけど、この温もりは嘘ではなく、なにより彼女は友達だ。
チハも同じだった。人間である彼女が抱き締めてくる温もりは自分と変わっていなくて、聞こえてくる心臓の鼓動が心地よくて、そして何よりもかけがえのない友達が確かにそこにいた。
「………ッ」
チハはぎゅっと自分の胸を握り締めた。
現実に戻り、隣に寄り添う彼の温もりを確かめて、意を決して口を開いた。
「あ、あのね……お兄ちゃん…! ボ、ボク……!」
ぽすっ。
「え……?」
気が付くと、桐嶋の頭が自分の頭の上に乗っていた。
「お、お兄ちゃん……?」
「……すぅ」
「ね、寝てるのお兄ちゃんッ?!」
自分が寄り添う彼の寝顔が間近にあった。静かな寝息を立てていて、ついつい溜息を吐いてしまう。
「も、もう…ッ。 妹より先に寝る兄がいるのっ? まったくお兄ちゃんったら……」
しかし間近にある彼の寝顔を見て、ドキドキと心臓が高鳴る自分がいた。
「………ッ」
すぅ、すぅと静かに寝息を立てる彼。
その整った顔立ちは寝顔となるとずっと綺麗に整って、強調される。
「もう…っ。 せっかく言おうとしたのにこのボクの一生に一番の決断はなんだったの? こ、こうなったら……えっと…」
再び彼の寝顔を凝視するチハ。
整った顔立ちの中にある唇の形を見詰め、ゴクリと生唾を飲み込んでしまう。
「さ、先に寝るほうが悪いんだから…。 こ、この状況でしてもボクは悪くないもんね…」
ゆっくりと、身体を捻らせ、動いて体勢を変える。
気付かれないように音は立てず、気配を押し殺して、忍び寄るように自分の真っ赤な顔を近づける。
ドキドキと心臓の高鳴りが強くなっていく。顔もだんだんと熱くなって真っ赤になる。
眼前の彼の唇と、自分の桜色の柔らかい唇が近づく―――
「う、うっ……うっ…」
ぷるぷると震えて、変な呻き声をあげるチハは頭が混乱寸前だった。
しかし距離は縮まり、そして―――
「んぁ?」
「!!!」
瞬速の速度で顔を離し、そっぽを向く。
目を半開きにして、そっぽを向くチハに視線を移動する。
「どした? チハ…」
「な、なんでもないっ!」
「?」
桐嶋からは見えなかったが、そっぽを向いたチハの顔はトマトのように真っ赤だった。
桐嶋は意味がわからなかったが、とりあえず……
「チハ」
「え… ――ひゃっ?!」
ぐいっと引き寄せられて再び桐嶋の身体のほうに身を寄せるようになったチハは驚いて、「わっ!わっ!」とジタバタと慌てる。
「こ、こら暴れるな。 どうしたんだよ、チハ」
「だ、だってお兄ちゃんがいきなり……」
「悪いな。 だけど、最後の夜なんだからこれくらい許せるだろ」
そう言うと、桐嶋は腕を回してチハを寄せ付けると、そのままピッタリと二人が身体を寄せ合う体勢となった。桐嶋はなんの変化も見せない表情だったが、チハはぼんっと顔から湯気を立ち上らせてさらに赤くなった。
「お兄ちゃんって、大胆……」
「なんか言ったか?」
「なにも言ってないっ! おやすみっ!」
「??」
桐嶋は結局最後までよくわからなかったが、しかし優しげな表情になって微笑んだ。
夜空を仰ぐと、そこはあまり星が見えない空。
空気もなんだか冷たくなっている。おそらく天候が悪いんだろう。
チハも同じく二人で最後に見るであろう夜空を見上げた。
「(最後くらい、綺麗な星空を見せてくれていいのに……。意地悪…ッ)」
チハは夜空に悪態を心の内に呟いて、瞳を閉じたのだった。
――だが、その瞬間。
車体から無線機のノイズと声が唐突に聞こえた。
それと同時にチハは受信した電波を感じ取って驚き、目を開いた。
「どうした? ……って、なんだ?無線が……」
「………」
チハは受信した周波数が悪い電波を感じ取って、嫌な予感がした。
身体に嫌な感じで流れ込んでくる電波は相変わらず悪かったが、その電波はもっと身体を気持ち悪くさせた。
沈黙したチハを置いて、桐嶋は機銃のそばに備えている無線機に手を伸ばした。
「はい。こちらチハ……桐嶋」
『ザザザ……明智やっ!……ザザ…』
「明智か。どうした?」
『ザザザザ……大変、…やっ! …えらいこっ…ザザザ…!』
「あー、あー。もしもし?電波が悪い。くそ…っ!」
無線機から流れるのは聞き心地が悪いノイズとその狭間に聞こえてくる明智の慌てたような声。
「どうした、なにがあった?」
『ザザ……て、…ザザザ……き…ザザ…』
「よく聞こえないっ! もう一度ッ!」
ノイズが響く無線機に叫ぶ桐嶋のそばで、チハはハッとなって遠い海のほうを見た。
かすかに、海の方向が光っているように見えた。
『ザザザザ……て、き…ザザ…!』
「今、なんて言った?!」
『ザザ……敵…やっ!…ザザザ!!』
その確かに聞こえたノイズの狭間からの声は、それきり桐嶋の耳に届くことはなかった。
桐嶋はただ、ノイズが響く無線機を握ったまま立ち尽くしていた。
チハは、海の方角をジッと睨むように見詰めていた。
夜闇が落ちた対岸の先から、突然光が瞬いた。それは鈍い音とともにやって来た。
それは島の岬に命中し、爆煙と破片を撒き散らし、轟音が鳴り響いた。
占守島の対岸であるカムチャッカ半島の砲台から発射された砲弾は島の岬を砲撃した。それはカムチャッカ半島を領土とするとある国の15cmカノン砲からの長射程重砲の砲撃だった。
さらに夜の色に染まった黒い海にも異変が見られた。
国端崎の監視所が海を移動中の艦艇数隻を発見。終戦によって迎えに来た船ではなかった。
不審な艦艇を発見した監視所は「海上にエンジン音聞ゆ」と至急の連絡を取った。
これから待つはずの迎えの船がこんなに早く来るはずもない。まだ終戦から二日であり、自分たちが終戦を知ったのはまだつい最近のことだ。
そして敵だったとしても、戦争は終わっているはずの上に、降伏に関する軍使であるならば夜中に来ることはありえない。
日本軍はこれを異常事態と考え、これは危ないと直感した。
日付が変わる、三分前のことだった。
島一面が濃霧に包まれた中、全部隊は急ぎ戦闘配備を整え、取り掛かっていた武装解除を中断して再武装を急いだ。
その間にも次々と自分たちにとって信じられない報告が届いた。
「敵輸送船団らしきものを発見!」
「敵上陸用舟艇を発見!」
―――敵上陸。
戦争が終わったと聞いた人間たちにとっては耳を疑う報告だった。
そして遂に。
岬から双眼鏡を覗いて事の成り行きを監視していた兵士はこう叫んだ。
「敵上陸ッ! 兵力数千人ッ!」
その急報は、敵上陸という戦いの始まりを完全に証明した瞬間だった。
「いったいどうなっているのだっ?! 戦争は終わったのではないのかっ!」
「もしかして戦争終結は誤報なのでは? 考えれば我が神国日本がやはり負けるはずがないっ!」
「いや。確かに陛下がそう仰っていたのだ。だから戦争が終わったことは間違いない」
「ならば何故敵が上陸してくるのだっ!!」
島の日本軍の中枢、司令部は大騒ぎとなった。
無理もない。戦争が終わったと聞いて武装解除の準備に取り掛かっている最中に敵の上陸である。
冗談にしても性質の悪すぎである。
日本降伏の玉音放送があった十五日、占守島は国籍不明機3機によって爆撃されていたがこのときの島にいた兵たちは玉音放送をこの日に聴いていなかったのでまだ戦争は継続していると思っていたので不審に思うことはなかった。
しかし十七日の朝、また国籍不明機の偵察、さらに爆撃があったがどこの国かは不明だった。さらに日中に軍事施設が連続爆撃された。
戦争が終わったのに攻撃を受けるが、上陸はない。
しかも国籍が不明だ。ここから近いのはソ連領なので、ソ連が有力かもしれないが、ソ連とは日ソ不可侵条約を結んでいるのでソ連が攻めてくることはありえないと考えていた。
電波が悪い島にいる彼らは、終戦直前にソ連が日ソ不可侵条約を破って満州と樺太に攻撃してきたことを知らなかったのだ。
北海道の第五方面軍から「十八日一六○○時の時点で停戦し、こちらから軍使を派遣」「その場合も、なお敵が戦闘をしかけて来たら、自衛のための戦闘は妨げず」と命令を受けていたので、故郷に帰られない覚悟を決め、島の日本軍は立ち向かう方向に出た。
八月十八日午前一時頃、敵上陸用舟艇が集うようにして竹田浜に殺到、上陸を開始した。
竹田浜を挟むようにしてある国端崎、竹田岬と小泊岬の砲兵たちは協力して上陸した敵を迎え撃つ覚悟を決めた。
それらの岬には独立歩兵第282大隊隷下の一個中隊と大隊砲3門、速射砲3門、野砲2門、臼砲4門などが展開していた。
国端崎の砲兵は、向かい側にある竹田岬と小泊岬の砲兵たちと連携を取り、砲撃の準備を始める。
「おい。あいつら、どこの国だ? アメリカか?」
「戦争は終わったって聞いたはずなんだけどな……」
一人が浜に向かってゆっくりと前進するように見える舟艇たちが視界に入る双眼鏡を覗いた。
そして舟艇にあった印、武装、なにより翻った旗を見て、彼は我が目を疑った。
「う、嘘だろ……?」
「なんだ、どうしたっ?」
「どこの国だ!?」
「……あいつら、露助どもだ」
露助――それは、ソ連。
「ソ連ッ?! そんな馬鹿な!」
「だってあの赤い旗、間違いな―――」
その時、彼らは地震のようなデカい震動を感じた。
ズズゥンッ!と地が轟音とともに揺さぶられ、どこからか黒煙がいくつもあがった。
「艦砲射撃だっ!」
「くそっ! ソ連とは不可侵条約を結んでいるんじゃなかったのかっ?!」
終戦、さらに終戦直前にあったソ連の火事場泥棒的な国際犯罪による不可侵条約破棄に動いた日本への宣戦布告を知らない彼らが驚愕するのは無理もなかった。
「それより応戦しろっ! ここを奪われたら本土が危ないぞっ!」
戦争だった頃の使命がよみがえった瞬間だった。
すでにこちら側も砲撃を開始しており、どちらが最初に砲弾を放ったかはわからない。戦後ではどちらが最初に砲撃を開始したのかと問えば、どちらとも自軍が先であったと言っている。
「撃て――ッ!」
岬からの降り注ぐ砲弾が上陸する兵たちに襲い掛かり、海からの艦砲射撃と対岸からの砲撃が上陸する兵たちを支援する。
正に、開戦の火蓋が切って落とされた。
海辺は正に戦場と化し、飛び交う砲弾と銃弾。炸裂する爆発と轟音が鳴り響き、誰が見ても完璧な戦争だった。
占守島に初めて敵が上陸。しかも敵国だった米軍ではなく、ソ連軍の強襲上陸だった。
チハの本当の気持ち。それは兄と妹という関係を超えたものでした。
まぁ薄々勘付いていた人もいらっしゃると思いますが…。
そしていよいよソ連軍上陸です!次回から本格的にソ連軍との戦闘が始まりますっ!
終戦後に祖国を護るため、終戦に従って降伏する道より故郷に帰れない道を選んで戦い散っていく彼らの勇姿をどうぞご覧ください。私も頑張って書いていくつもりです!
この戦い、あまり知られていないかたもいるようなのでこの機会に知ってもらいたいです。
ソ連が戦争が終わった日本になにをしたのか、日本の兵士たちはそれにどう立ち向かって戦ったのか。
彼らの真実をここに。